1.飛行少女ユーナ。
──時を数える概念など、とうに滅びた。
命には限りがある……。
久しい言葉だ。伝承は古びた。忘れ去られた記憶。今、網膜に浮かぶ光る言語は何処からやって来たのか。
「ユーナ、おはよう!」
「おはよう……。レシカ」
そう聞こえる。現実の音とは違う。〝脳〟とか〝コンピューター〟とか。旧世界──古代の言語では、そう呼ばれていた〝何か〟。認識するもの。……言葉が音に変わる。
「どうしたの? ユーナ? 浮かない顔して?」
「顔? 鏡みたいだよね。皆、無表情で」
「あ、感情の表明? 忘れられた言葉って奴?」
「違うよ、レシカ。心……だよ」
何かの希望だったのか願いだったのか。
私とレシカは、街の地下に根を張る『共同生活施設』と呼ばれる居住空間で生活している。ほかの仲間たちとともに。今日も〝学校〟と呼ばれる、かつての成人に満たない〝人〟が通ったとされる場所に向かう。
透過システムが張り巡らされた居住空間の壁に、青く浮かぶ空。そう見える。かつての、そう呼ばれていた。
……自動認証扉が、ピッと音を鳴らし小さく光る。それは、網膜に浮かぶ文字の色に似ている。
レシカと私は、旧世界に存在した生命──〝種〟の模倣。ナンバー『001』〝人〟と呼ばれる存在──その〝皮膜〟で覆われていた。それも、識別保存は『17』──年端のいかない少女として。
創造主は、誰もが知らない。見た者は……居ない。私たちを作った、〝存在〟。
私たちの生活圏は失われた記憶を元に創造された空中浮遊都市『サイバーメタトロン』。
なぜ、空に浮いているのか。誰もその答えに辿り着けない。体内に埋め込まれた〝知識〟と呼ばれた部位が反応する。それは、〝天国〟とも〝楽園〟とも。
──光る言語が網膜に浮かび上がる。
青空にはかつての〝鳥〟が飛ぶ。それは、太古より創造され自動繁殖能力を保有する。私たちとは違う〝生命〟と呼ばれる存在だ。
「ユーナ、見て見て! 可愛い! 鳥さんたちは、羽根や羽毛でお空を飛ぶのね!」
「レシカは、鳥さんが好きなんだね」
「街に生えてる大きな森の樹も好きよ!」
飛び跳ねるレシカの姿が網膜に映る。レシカは、〝人〟が喜ぶ動作をそのまま模倣している。
空中浮遊都市は、かつての存在〝人〟が住んでいた〝街〟そのままに創造されている。そして、私たちの行動基準は概ね〝人〟の模倣に委ねられる。けど──。
「ユーナって、良いよね? 視えない翼があるんでしょ? 背中に。鳥さんみたいな」
「レシカ。それは内緒。識別保存の大きな〝人〟に見つかったら大変だから……。それに、他の皆が怖がるといけないからね」
「怖がる? レシカはユーナのこと怖くないよ? でも、良いな……。レシカもお空を飛んでみたいな。ユーナみたいに!」
「ありがとう。レシカ。けど……。お空は危険だよ」
「なんで? 鳥さんたちは、あんなに元気で幸せそうなのに?」
「知らないことの方が、幸せだってこともあるから」
「どういう……こと?」
レシカの網膜を宿す、大きくて水分を湛えた〝瞳〟。その部位が、不意に私を覗き込む。……〝海〟に似ている。それは、空の外側にある旧世界の──。
〝心〟の正体は、私の中に埋め込まれた〝知識〟でも分からない。……レシカの言う感情の表明。忘れられた言葉。それが、震えている。私の中で。
レシカと私。
その姿を見れば……。まるで、記憶の中の世界を歩いている様に見えるだろう。もしも、かつて居た存在──旧世界に生きたとされる〝人〟が、今居る私たちのこの場所を見たなら。
頭に埋め込まれた〝知識〟と呼ばれる部位が再び反応する。網膜に浮かぶ光る言語。
〝森の樹〟と呼ばれる生きた大樹が、〝街〟の中心を覆う様にして天に枝葉を広げている。本物の〝生命〟。その中に、かつて栄えた立体金属群──〝ビル〟が、競うように乱立している。まるで、枝葉を広げた大樹を追い越さんばかりに。
「ねぇ。どう言うことなの? ユーナ? お空が危険って」
「良い? これは、お伽話の様な……昔話。そう。嘘か本当か、分からない。言っても忘れちゃうから」
「えー? 可笑しなの!」
そう。旧世界──外側の世界のことは、私以外の誰かに話しても分からない。
〝認識阻害〟
その為に、この空中浮遊都市を出ようとしても、いつまでもその外側へは辿り着けない。特殊な電磁波がこの場所を包む様にして覆っているから。誰も世界に果てがあることを知らない。
「今日も、学校! 楽しみだね! ユーナ!」
「そうだね。今日の休み時間。何しよっか? レシカ?」
「ユーナと、お弁当食べる!」
「そればっかりだね。レシカは」
学校──。
形だけの〝人〟の模倣。それは、かつての〝人〟の願いなのか。それが幸せと呼ばれるものなのか……。
レシカの言う様に、鳥たちが幸せそうにしている──と言う事象は、〝知識〟の中にある〝情報〟と照らし合わせば分かる。争わないと言うことだ。けれども、外側の世界──旧世界を知る私にとっての使命とは真逆。矛盾している。与えられた理由。分からない。誰に? 詮索不可。不履行は実行出来ない。不快な〝エラー〟のメッセージ音が頭の深くで鳴り響く。
有機物から得られる体内エネルギー変換と充填。レシカとのお弁当の時間は〝眠り〟に次ぐ大事な時間。その行為は、〝幸せ〟とも呼ばれている……はずなのに。
「ユーナ? 学校。つまんないの? もう直ぐだよ?」
「そうだね。ごめん、レシカ。……考えごと」
……私たちは、学校生活における〝制服〟と言う外装を身につけている。皮膜の露出が多くてヒラヒラと落ち着かないけど。
これは、空中浮遊都市『サイバーメタトロン』に住む〝市民〟ならば、誰もが着用している武装変異特殊装置と呼ばれるもの。形態は多種多様。護身用で潜在する戦闘力を高く保有し、私たちに有利に働く。
けれど……。制御不能な不測の事態──。
イレギュラーや、アクシデントは、誰の身の上にも起こる。それは、何故か。想うに〝人〟を模倣されて創られた〝存在〟だから。私たちが。
望まない争いは、常に起きている。この空中浮遊都市の内側でも外側でも。〝不幸〟と言う名の元に。旧世界より続く〝争い〟──。それに目覚め、覚醒した者の記憶は、抹消される。あるいは、その〝存在〟ごと。無かったことになる……。
「もう! ユーナ? 大丈夫? また、休み時間。良かったら話、聞くよ? ねっ! ユーナ! 元気……出して?」
「ありがとう。レシカ。レシカのおかげだよ。私が居られるの……」
「はいはい! じゃあ、ダッシュで急ごっ! あ。ユーナは飛ぶの、無しだからねー?」
「うん。分かった。ありがとう……レシカ」




