伝わらない想い
「レッドウッドは残念ながら、火に弱いのです。それは松脂を含むため。逆に燃えにくい木、防火樹になるのは、イチョウです。イチョウの木は、幹や葉に水分が多いため、燃えにくいんですよ。ですので植え替えをする時は、レッドウッドではなく、イチョウにしましょう」
「え……イチョウ、ですか……。あれこそ、匂いがキツイですよね。それに食用にならない実をまき散らす……」
イチョウは、レッドウッドと違い、マツタケの恩恵もない。しかも臭い。そしてその実……銀杏を食べる文化は、この世界にはない。
「匂いは確かに厳しいですよね。ですから街路樹は雄の株を植えましょう。そうすれば村は臭くなりません。ただ、レッドウッド広場の跡地は、イチョウの雌の株を植えるといいかもしれません。実は食べることができますよ。ギンナンと言います。堅い殻に割れ目を入れて、そのまま塩と一緒に炒めてください。ビールや白ワインのつまみになりますよ」
「え、そうなのですか!」
「ホクホクして独特の味が癖になります。もし貴族向けに販売するなら、そこに黒コショウをまぶしてもいいかもしれません。やみつきになります。油でサッとあげて、塩をまぶしても、炒めるよりもホクホク感が増し、美味しいですよ」
これを聞いた村長は大喜びで「では植え替えはイチョウにします!」と笑顔で戻っていく。
「若奥様、そろそろ横になられますか?」
同行したチャーチャがクッションを持ってきてくれた。それを受け取り、馬車の中で横になることにする。
「馬車の外では、騎士が交代で見張ってくださいますから、安心してお休みください。ではカーテンを閉じますね」
「ありがとう、チャーチャ。おやすみ」
「はい、お休みなさいませ」
チャーチャがランプの灯を消し、カーテンを閉じる。
馬車の座席で横になり、眠ることなんてできるかしら……と思ったけれど、ぐっすり休むことができた。
◇
翌朝。
クーヘン村の人々に見送られ、離れへと戻ると、公爵家当主補佐官のワイリーに、すぐに声をかけられた。
「本当に驚きました。まさか夜に村までわざわざ出向かれるなんて。何事もありませんでしたか?」
「はい。御心配に及びません。騎士を護衛につけましたし、クーヘン村の人々もとても良い方々ばかりでしたので」
「そうですか。それならばよかったです。……ウォード様の代わりにありがとうございます。自分としては若奥様の行動、驚きましたが、立派だと思います。そこで早速で申し訳ないのですが、ウォード様がお呼びです。よろしいでしょうか」
ワイリーからこう言われた時。
私は少し、胸を高鳴らせていた。
まずウォードに会えることに、喜びの気持ちが湧き上がっている。
次にワイリーから「若奥様の行動、驚きましたが、立派だと思います」と言ってもらえたのだ。もしかするとウォードからも、同じような言葉をかけてもらえるかもしれない。
気持ちが高まる中、ワイリーに案内され、ウォードのいる執務室へ入った。
ウォードは白シャツにスカイブルーのベストと、朝から爽やかな装いだ。アイスシルバーの髪は綺麗に整えられ、窓から射し込む朝陽に、キラキラと輝いていた。執務机で書類に目を通していたウォードがゆっくり顔を上げ、私を見る。碧眼の瞳は、やはりいつ見ても美しいと思う。
対して私は昨晩のワンピースのままだし、きっと顔には煤がついているかもしれない。
ちゃんと入浴してから、顔を合わせればよかった。
そう思うがもう遅い。
それよりもちゃんと挨拶をしなきゃ!
「おはようございます。ウォード」
自然と笑みになり、挨拶をしていた。
「ああ、おはよう。……それで。公爵家の若奥様が、村で起きた火事のために、わざわざ現場まで出向いたのか。しかもそこで野宿に近いことをして過ごした。君は一体、何をしているんだ?」
ウォードはうんざりという表情で私を見ている。
その瞬間。
盛り上がっていた私の気持ちは、氷点下まで冷え込む。
そして……。
悟ってしまった。
もしかするとウォードは、クレアルのことを諦めきれていないのでは? クレアルにプロポーズするはずが、不完全燃焼で終わっている。ずっとクレアルが忘れらない……?
ううん、それだけではないわ。
ウォードは、私と婚約破棄するつもりだった。それなのに家同士の取り決めもあり、仕方なく結婚した。公爵家の嫡男として、義務として私と結婚したに過ぎない。
私が屋敷で大人しくしていれば文句はなかったのだろう。でも出しゃばるような真似をしたから、許せないんだ。
愛なんて……ない。
忙しいを口実に、私を……避けていたんだ。
今さらだけど、これは愛のない結婚だったのね。
私は勝手にウォードが、愛してくれていると思い込んでいたに過ぎない。
結局、断罪と婚約破棄を回避できても、ウォードからしたら、私はいつまで経っても悪役令嬢なんだ。
結婚できても嬉しくない。結ばれるならヒロインが良かった。
きっとそう思っているんだ。
「ごめんなさい。勝手な真似をしてしまい。あなたの名声を落とすつもりはなかったの。ただ、近い場所だったし、村の皆さんのことが心配で……」
するとウォードは、大きなため息をつく。
そして腕組みをして、上目遣いで私を見た。
こんなに素敵な顔をしている相手から、冷たい目で見られるのは……辛い。
「君は、毛布や食料を届けに行っただけじゃない。レッドウッドは燃えやすいから、イチョウの木を植えた方がいいと、言い出したんだろう? なんて生意気なことを。君はわたしの先祖があの村に、レッドウッドを植えたことを、批判するつもりなのか?」
「……! ごめんなさい。決してそんなつもりはありません。二度と火災が起きないようにと思い、防火樹となるイチョウを提案しただけです!」
「そういう出しゃばった真似を」「もう致しません!」
そう言って体を折るようにして頭を下げた。
その瞬間、ボロボロッと涙が絨毯にこぼれ落ちる。
いろいろな悲しみが押し寄せていた。
ウォードに愛されていないと分かってしまったことに、ショックを受けている。
良かれと思ってした行動を責められ、それにもとても傷ついていた。
「本当にごめんなさい。……失礼します」
そう言うと私は、ウォードの執務室を飛び出していた。
「若奥様!」
背後から聞こえるワイリーの声を無視して。
こんな風に走るのは、淑女としてよくないと分かっている。
でも……。
「若奥様!」
私を抱きとめるようにしたのは、チャーチャだ。
「若奥様、入浴の準備ができています。全部、洗い流しましょう。その涙も」
「チャーチャ……! ありがとう……」
チャーチャに肩を支えられ、バスルームへ向かった。