来ない。
何も起こらなかった初夜の翌日以降。
ウォードは忙しく動き始める。
何せ帰国していきなり結婚式だったから、いろいろとあるのだろう。
朝昼晩の食事は、義母と義父、義理の弟も含め、ダイニングルームで全員でとっていたが、ウォードはこんな提案をした。「自分達は新婚ですし、今日の午後に使用人に荷物を移させ、離れに住みます」と。
これに義父も義母も異論などない。新婚なのだから、二人きりになりたいだろうし、夫婦の寝室に入る様子もそう見られたくないだろう――という配慮が働いた結果だと思う。
同時に「食事は母屋で両親たちと食べてもいいし、自室や離れのダイニングルームで食べてもらっても、それは自由で構わない。ただ、わたしは忙しいから、君と一緒に食事できる機会は少ないと思う」とウォードに言われた。
確かにウォードは結婚後、義父が所有しているいくつかの商会の一つを任され、さらにアルモンド公爵家の資産管理や領地管理などにも積極的に取り組むようになっていた。忙しいのは当然だろうと思った。
さらに結婚式という人生の大イベントを終えた私は、ホルモンのバランスが狂ったのか、予定より早く、月のものになってしまう。
よって離れに部屋が移り、そこから十日間は、当然、ウォードとの初夜リベンジはなかった。おかげでその間、私はアレに関して書物でバッチリ勉強できていた。よって体の調子が落ち着く頃には、すっかり覚悟もできていた。
つまりはいつでもアレは大丈夫ですよ、という状態だ。
だが……。
ウォードは確かに忙しいようで、離れで一緒に暮らしているはずが、全然姿を見かけない。食事の時間に一抹の期待を胸に、ウォードが来ないかと離れのダイニングルームへ向かうが……。
ウォードは来ない。
そこで一度、公爵家当主補佐官のワイリーに尋ねたことがある。ウォードは母屋と離れ、そのどちらのダイニングルームにも顔を出していないが、ちゃんと食事はしているのかと。すると黒みを帯びた青い髪に、紺色の瞳のワイリーは、黒のスーツ姿で礼儀正しく私に教えてくれる。
「若奥様、申し訳ございません。ウォード様は、大変お忙しく、執務室の席で食事は済まされました」
「そうだったのね。食事はしているの。それなら安心だわ……」
ワイリーに対してはそう返事をしたものの、全然安心ではなかった。いくら忙しくても食事の時間は一日に三度はやってくるのだ。一度くらい顔を見せても……。それが無理ならせめてお茶を飲む時。そばにいさせてくれても……。
だがウォードの忙しさは増し、夜は商会の関係者や取引先との接待が増え、離れにいないことも増えた。当然、その接待の席ではお酒も飲むだろうし、帰館しても「夫婦の部屋に来て欲しい」と声をかけられることもない。
そうやって月日が流れ、気が付けば秋も深まっている。
結婚してから二ヵ月経つが、ウォードと私の間に夫婦の営みはない。
それどころかまともに顔を合わす機会もなかった。
社交界シーズンは終わり、この季節は地方領で狩猟シーズンとなり、王都の貴族が地方領へ向かう。そこで狩りを楽しみ、社交にいそしむ。アルモンド公爵夫妻は諸々をウォードに任せ、招待された地方貴族の屋敷へと向かってしまう。おかげでウォードは、ますます忙しくなっている。
アルモンド公爵夫妻は私とウォードが没交渉であることを勿論知らない。離れで二人、よろしくやっていると思っている。それに私は心配をかけまいと、母屋で食事をする機会をもうけ、義母と義父には「うまくいっています」アピールをしていたのだ。
クレアルの一件で、既に義母と義父には心配をかけていた。これ以上、心配をかけたくないというのが私の本音だった。
それは……ウォードが接待で夜、家を空けている時のことだった。
「クーヘン村で火事が起き、みんな焼きだされ、大変な事態になっています。領主様、どうか毛布や食料の支援をお願いします」
クーヘン村の村人が訪ねてきたのだ。
クーヘン村はアルモンド公爵家の領地にある村だ。事故や事件があった時、その報告は領主にもたらされる。普段であれば、アルモンド公爵に行くのだろうが、今は不在。そこでウォードへとなったが、その彼も不在だった。
こういう場合、私が采配しても許されるはずだ。
「分かりました。すぐに荷馬車を用意し、倉庫から備蓄の食料や毛布を運ばせます」
ヘッドバトラーに指示を出し、すぐに準備をさせ、私はチャーチャに声をかける。
「クーヘン村はここから馬車で一時間くらい。私も現地へ行ってみるわ」
「え、若奥様が行かれるのですか!?」
「ええ。護衛の騎士も何名か呼んでおいて頂戴」
紫色のワンピースに着替え、訪ねてきた村人と共に馬車に乗り、クーヘン村へ向かった。
クーヘン村は百人程の小さな村だが、近くに大きな河があり、また井戸の水も潤っていたことが幸いした。無事、鎮火することはできた。鎮火はできたが、木製の家が多く燃え、街路樹も燃え落ちてしまっている。
村には大きな教会とそこに併設された前世でいう公民館のようなものがあるので、そこに焼け出された村人は収容することにした。そこで運んできた毛布と食料を配り、休んでもらうことにしたのだ。
ひと段落した私は乗って来た馬車で休むことにして、そこに村長を呼び、火事の原因を尋ねた。
村長は白髪で白い顎鬚を生やした好々爺だ。グレーの寝間着に革のベストと、慌てて家から逃げ出すことになった様子が伺える。馬車の中に用意していた毛布を渡し、話を聞くことにした。
「火事が起きると、村一つが簡単に失われてしまいます。よって村人は火の取り扱いには慎重にしていました。おかげで過去五十年。火事はこの村で一度も起きていなかったのです」
「それなのにどうして……?」
「火事の騒ぎに紛れ、逃げたようですが、どうやら余所者が野宿していたようなんです。村のそばにはレッドウッド広場というものがあります。アカマツに囲まれた広場で、収穫祭や日曜バザーは、そこで行うことが多いんです。ただ、木が多いですから、火気は厳禁にしていたのですが、今は朝晩がだいぶ冷え込んできました。暖を取るために火を使ったようなのです」
レッドウッド広場を起点に火が燃え移り、広場近くの民家が燃え、街路樹も燃えてしまい、大騒ぎになったのだ。
そこでもしやと思い、確認する。
「この村の街路樹もアカマツ……レッドウッドなのですか?」
「ええ、そうですよ。クーヘン村のレッドウッドは、樹齢が十年を超えているものばかり。それはもう見事な赤い幹なんです。それに匂いは悪いですが、焼いて食べると、なかなにいけるキノコが生えるんですよ。収穫祭では、臭いけどうまいキノコとして販売し、周辺の村や町からも、人が大勢やってくるんです」
レッドウッド……アカマツ……キノコ、ああ、マツタケね!
なるほど。マツタケの匂いは、この世界では嫌厭されているけれど、この村ではうまいこと村おこしに利用していたのね。
でもアカマツは松脂を含むから燃えやすい。街路樹としては不適切なはず。ただこの村では五十年間火事もなく、またマツタケの利用法を知ってしまったから……。
今回、ほとんどのアカマツ……レッドウッドが燃え落ちてしまった。ならば。