そばにいて欲しい。
チャーチャが戻って来た。と思ったら……。
「ウ、ウォード! どうして、なぜ!?」
ウォードは、寝間着からゼニスブルーのセットアップに着替えていた。その姿を見ると、いつものウォードにしか見えない。本来、執務室にいる時間なのに。本来、執務室にいる人間なのに。なぜ私の部屋に?
チャーチャを見ると「お手上げです」という顔をしている。一方、私の部屋に入って来たウォードは、キョロキョロと部屋の中を見渡し……。
「……いい香りがする。さっき抱きしめてくれた時と、同じ香りだ。甘過ぎず、どこか爽やかな香り……」
ウォードが、うっとりした顔をしている。こんな表情、これまたこれまで見たことがなかった。そしてその顔は、いつものイメージとは全く違うもの。なんだか子犬のようで可愛らしい。
思わず気持ちが緩みそうになるが、現実を思い出す。
ウォードは記憶喪失になっている。それは一過性のものなのか、ずっといろいろなことを忘れたままなのか。それは分からない。
今はいろいろ記憶がないから、見たことがないような表情を見せてくれるのだろう。
でもそこで気を緩めてはいけない。もし記憶を取り戻したら……。
「わたしの記憶がないのをいいことに、馴れ馴れしくしなかったか?」
絶対にそんな風に言われる気がした。
「ウォード。突然、部屋に来た理由は何ですか?」
以前のウォードに対し、こんなに語気を強めたことはない。ここぞとばかりではないが、記憶が戻った時に備えた自己防衛で、かなり私は強気に出ていた。これにはチャーチャも驚いた顔をしている。
対するウォードは、寝室と同じように、困り切った顔でもするのかと思いきや!
「かかりつけ医が『ご本人が思い入れのある物や人がそばいると、記憶が蘇りやすいこともある』と言っていたと、聞いた」
「確かにそう、かかりつけ医は言っていました。だからこそ、ワイリーとヘッドバトラーが、寝室へ向かいましたよね?」
「はい。でもわたしの思い入れがある相手は……当然、妻だろう。君のそばにいたら、記憶がよみがえるかもしれない」
「はい……?」
私に無関心だった時の記憶、ごっそり失っているの?
……失っているのだろう。
失っていないと、この発言にはつながらないわ!
ここはウォードが私に対し、どんな態度だったのかを話すべきなのかしら? 私のそばにいても、何も思い出せないと思うのだけど……。
「シャルロン。わたしは不器用な人間だ。自分の気持ちをどうやら上手くアピールすることができずにいた。その結果、君が誤解することになったと思う」
そう言いながらウォードが、文机の前で立ち尽くす私の方へ近づいた。
アイスシルバーのサラサラの前髪が揺れ、その下の碧眼はとても優しい眼差しをしている。そんな瞳でウォードが見るのは、ヒロインだけだと思っていた。
「そばにいて欲しい。シャルロン」
これは私の心を揺さぶる言葉だった。
ウォードと結婚できたことに、舞い上がっていた頃の私は。ウォードからこんな言葉を言ってもらえると思っていた。でも現実はまったく違うもので……。
諦めていた一言を、今こんな形で言われるなんて。
衝撃より嬉しさが勝り、動きを止めている私の手を、ウォードがとった。
敬うように私を見ると、甲へとキスをした。
手の甲から伝わるウォードの温かい気持ちに、胸がキュンとしている。
「失礼いたします!」という大声とノックは同時で、チャーチャが扉を開けると、間髪を入れず、ワイリーと数名の使用人が部屋に入って来た。
「ウォード様! どちらへ行かれたと思ったら、若奥様のお部屋にいるなんて……。これまで一度も若奥様の部屋を訪れたことがないのに、一体これはどういう風の吹き回しですか!?」
ワイリーの言葉にウォードは衝撃を受け、固まってしまう。
するとすかさずワイリーがウォードに駆け寄り、他の使用人も彼を囲む。
「さあ、執務室に戻ってください。書類は山積みですから!」
皆に囲まれ、ウォードは扉の方へと移動させられていく。
「少し、待って欲しい」とウォードは懸命に頑張るが、相手にされていない。
「シャルロン!」
悲しそうな声をあげ、ウォードが振り返った。
碧眼の瞳は、限りなく切ない哀愁を帯びている。
それは私の胸を締め付けるものだが……。
こんな表情をウォードがするのは、一時的な可能性が高い。ここでほだされ、ウォードに歩み寄っても、悲しい結末になる可能性が大なのだ。
相手にしてはいけない。
「シャルロン!」
ウォードに背中を向けるのは、申し訳ないと思う。でもこれは心を鬼にした結果だ。
パタン。
扉が閉じ、部屋の中が急に静かになった。





















































