ダメで……え?
「ではラエル皇国の皇子の妹君、ソアール皇女。彼女のこの国に滞在中の教育係をさせてください」
「なに……?」
ラエル皇国の皇子というのは、遊学に来ていた異国の皇子のことだ。一緒にシャーシャ(水タバコ)に挑戦したあの皇子であり、彼の名はカシウス・ラエル。ラエル皇国の皇子で、いずれ皇太子になる身だ。現在二十歳。
ラエル皇国は、自然に恵まれた国だ。巨大な大河があり、その周辺は、緑豊かな土地が広がっている。だがその西側の地には、砂漠が広がっていた。砂漠では鉱石が採掘され、緑豊かな森では狩猟も盛ん。豊富な木材資源に恵まれ、大河からは農作用の水と生活水を得ている。
つまり豊かに栄えた国ということ。
そのラエル皇国の皇子であるカシウスには、妹がいた。それがソアール・ラエル。現在十二歳の彼女は、十五歳になるまで、家庭教師に勉強を習う。そして彼女は遊学中のカシウスと共に行動し、滞在した国で家庭教師の代わりの教育係を雇い、その国の文化や風習を学んでいた。
と言ってもまだ十二歳のソアールだから、堅苦しいことを学んでいるわけではない。訪問した国の上流階級の人々の作法や会話術。女性ならではであるが、ファッションや流行を学んでいるのだ。それらの知識はおいおい外交で役立つ。
そもそも私とカシウスが知り合うきっかけも、カシウスがソアールの教育係を探していたからだ。ペリドット公爵夫人が、私の名をあげたのをきっかけに、カシウスは私に声をかけてくれた。そして実際、日中に私はソアールとも会っていたのだ。
ソアールは、母親似ということで、髪はダークブロンド。でも瞳はカシウスと同じ。わずかに深緑色を帯びた、ブラックオリーブ色をしている。せっかくだからとこの国で購入した、クリームイエローのドレスを嬉しそうに着ていた。
そのソアールの教育係になる件の返事は保留になっており、実は今朝届いた手紙には、そちらの件の返事も欲しいと書かれていた。ただ、出しゃばった真似をすれば、ウォードに嫌がられると思い、躊躇していたのだけど……。
移住も別居もどうせ断られる。だが人間、何度も断ることに、罪悪感を覚えるもの。そこで最終的にイエスを引き出したい案件を最後にとっておいた。そして今、こう畳みかける。
「離婚したいと願いましたが、それはダメ。移住や別居もダメ。あなたの執務に口出しすることも、資産管理について助言するのも、ダメ。あれもこれもダメ。それではさすがの私でも、息苦しいです」
「……! だが君には自由にお金を使わせているだろう? オペラでも演劇でも、好きな物を見ればいい。同じようなマダムに声をかけ、茶でも楽しめばいいだろう?」
なるほど。そうか、そういうことね。
ウォードはこの世界の感覚からしたら、何も間違ったことをしていないのかもしれない。
本人は至って真面目で勤勉で、次期公爵家当主として、商会経営に挑戦し、領地管理に取り組んでいる。そして愛のない結婚も受け入れ、公爵家の嫡男としての役目を果たしていた。さらに妻には自由にお金を使わせている。何の問題があるのか、ということだ。
もしかするとこの世界の多くの女性が、ウォードのこの行動に、肯定的なのかもしれない。否定的な見方になるのは、私に前世記憶があるからだろう。彼に対し、無反応、冷たい、無関心と感じてしまうが、そこは私も一歩譲る必要があるのかもしれない。
それでも。
このままでは私はダメになる。だからこれだけは受け入れてもらう。
「ウォードがお金を自由に使わせてくださることには、心から感謝しています。ありがとうございます。ただお金を使っても、心の穴が埋まらないのです。マダムと会話しても、盛り上がるのはそのひと時だけ。一人になると、途端に空虚な気持ちに襲われる。我が儘だと理解しています。ですが、お願いです、ウォード」
そこで席から立った私は、男性がするように、胸に手をあてる。
「まだ十二歳のソアール皇女は、妹みたいな存在です。彼女はこの国の文化を知りたがっています。上流階級の会話術も、マスターしたいそうなのです。それなら私でも、教えられます」
ウォードは黙って聞いていてくれる! そのことに勇気づけられ、私は話を続けた。
「誰かに教えることで、自分が必要とされていると思うことができます。ドレスや宝飾品を買っても『自分が必要とされる』とは思えません。マダム達とお茶をしても、盛り上がるのはその一時。もしお茶会を私が開催しなくなれば、マダム達は別のお茶会へ足を運ぶだけです。別に私ではなくてもいいのです」
手を自身の顎に添えたウォードは「それで」と先を促す。
「ですがソアール皇女は、私と実際に会い、話し、気に入ってくれています。彼女は『シャルロン様に、いろいろ教えて欲しいわ』と言ってくださいました。私を必要としてくれたのです。ですから皇女がこの国に滞在する間。私に教育係をさせていただけないでしょうか」
そう言って頭を下げ、ウォードの返事を待つ。
期待をすれば、裏切られたと感じ、心が沈む。
だからきっとダメだと言われるだろう……と最悪の答えを想定する。
「……君がそこまで言うなら、その教育係。やってみるがいい」
「そうですね。ダメで……え、お許しいただけるのですか!?」
驚いて顔を上げると、ウォードは既に肉料理を食べ終え、パンを口にしている。その様子は、「もう話は終わった」と態度で示しているように見えた。それでも何か言われるかと思い、言葉を待ったが、ウォードは黙々とパンを口に運んでいる。
ストンと椅子に座り直したが、現実のことと思えない。
どうして許可してくれたのだろう……?
そう思い、ウォードを見るが、彼は洋ナシのコンポートを食べ始め、メイドが紅茶を注いでいる。
置時計を見ると、間もなく十三時だった。
ウォードは持参していた書類を手に取り、紅茶を飲みながら、目を通している。
私はすっかり冷めてしまったスープを口に運び、肉料理をナイフで切った。
「なぜ許可してくれたのですか?」と聞くことで「しつこいな。では取り消すか?」なんて言われたら、たまったものではない。ここは僥倖と思い、後は触らぬ神に祟りなしでいこう。
しばしダイニングルームには、私が肉をナイフで切るカチャ、カチャという音と、ウォードが書類をパサッ、パサッとめくる音しか聞こえない。
だが――。
ボーン、ボーン、ボーン……。
置時計が十三時を知らせると、ウォードはニュースペーパーを置き、ナプキンで口元を拭う。そして立ち上がるとこちらを見ることなく、扉の方へと向かった。
「ウォード!」
再び椅子から立ち上がった私を、ウォードは足を止め、ちゃんと見てくれた。
カーテシーを行い、感謝の気持ちを伝える。
「認めてくださり、ありがとうございます」
「ああ」
短いが、返事をしたウォードはすぐに背を向け、部屋から出て行った。
対応としては、変わらず素っ気ないもの。
それでも私にとっては大きな変化だった。
ちゃんと足を止め、私を見てくれた。
あの美しい碧眼の瞳に、私を映してくれたのだ。
そして返事もしてくれた。
何よりも、ソアールの教育係をすることを認めてくれたのだ。
この日の私はもう嬉しくて、嬉しくて、一日舞い上がっていた。
カシウスへ追加の手紙を書き、ソアールに何を教えるか、リストを作ったりして過ごすことになった。





















































