第2話 魔法少女は突然に☆ ~卑劣な妖精は弱みにつけ込んで契約を持ちかける~
まずい。やっぱりメチャクチャ面倒な話だ。野乃花はそう思った。
ここは穏便に断ろう。
怒鳴りたいのを抑え、野乃花は外面ボイス(先輩と話す時専用のワントーン高い声)を出した。
「えぇ~、それはちょっとぉ……♡」
外面が剥がれないよう、野乃花はあくまでも可愛らしく、「魔法で戦うなんて野蛮だしこわぁ~い♡」という雰囲気を醸し出した。
自分的には上手くいったと思う。だが毛玉以上に、先輩が野乃花の反応に驚いていた。
「何も聞かずに断るなんてひどいよ。せめて話を聞いてあげたらどうだ?☆」
「そうだポロン!」
(ぐっ! 毛玉野郎、調子に乗りやがって!)
思いがけず最愛の人から、背後から撃たれてしまった。誰も気づかなかったが、野乃花のこめかみにピキっと青筋が浮く。
だがナイト先輩のいうことも一理である。断るにしても、事情を聞いて熟考(した体で)断った方が、誠意があるように見える。
だから適当に聞き流そうと、野乃花は毛玉に話の続きを促した。
「まぁ、話だけなら聞こっかなぁ♡」
「そうだ、名前はなんていうんだ?」
ナイト先輩に質問されて気を良くしたのか、毛玉はエッヘンと胸を張って答えた。
「ぼくはポロンっていうポロン。普段はこの世界の隣にある、妖精界に住んでるポロン。でも最近、僕たちの世界がいきなり悪の組織に襲われたポロン。ぼくたちじゃ太刀打ちできないから、代わりにやっつけてくれる魔法少女を探してるんだポロン!」
「おお。なんだかすごい話だな!☆」
もし野乃花が部外者なら、いきなり「悪の組織」が出てくる話を面白がっただろう。だが魔法少女や悪の組織を楽しめるのは、二次元だけの話。自分が魔法少女になったり悪の組織と戦ったりなんて、悪い冗談としか思えない。
やっぱり断ろう。野乃花は誰もが納得するような完璧な理由を探した。
「か、可哀そおだけど、私には無理だよぉ♡だって普通の女子高生だよぉ♡もっと剣道部とかレスリング部とか、強い子がいいと思うなぁ♡そうだ☆ 大人の男の人にお願いしたらいいんじゃないかにゃぁ?♡」
ぐうの音も出ないほどに完璧な答えだ。あくまで提案という形で、自分から第三者に矛先が変わるように誘導できた。
しかしポロンはどこ吹く風。揺るぎない目で、野乃花を見つめていた。
「それは大丈夫ポロン。誰でも魔法が使える特別なアイテムを貸すから、どんなにか弱い少女だってすぐに戦えるポロン! それにぼくたちの力は、少女にしか波長が合わないんだポロン。だから大人や男はダメなんだポロン。ぼくはぜひ、あなたにお願いしたいポロン。魔法少女になって、ぼくたちを助けてほしいポロン」
(そこまで言われたら断りづらいじゃない!)
野乃花は焦った。だってどう考えてもやりたくない。自分にはメリットがない。ただ面倒なだけで、時間とか労力とか無駄にさせられるだけだ。
妖精界とか愛や平和とか、そういう言葉が好きなキッズなら喜んでお受けするだろう。だが野乃花は上っ面な言葉には微塵も興味がない。妖精界じゃなくて、この世界の話だとしても、正直どうでもいい。
だって野乃花が欲しいのは、ナイト先輩の愛だけだから。その障害になるものやプラスに働かないものは、人生から極力排除したいと思っていた。
だがここで強く言ってしまえば、ナイト先輩に「お前そんなキャラだったのかよ☆」と幻滅されるに違いない。必死に地雷系女子を演じているのがバレてしまう。
自分で断れないなら、ここは先輩にガツンと言ってもらうしかない。いかにも少女漫画のヒーローっぽい先輩なら、私の真意を汲んで「やめろよ、嫌がってるだろ」って言ってくれるだろう。
そう期待しながらウルウルな目で先輩を見上げたら、先輩はキラキラと目を輝かせていた。
「す、すげー! 妖精とか魔法少女って、本当にあるんだな! な、野乃花☆」
そんな少年のような目を向けられたら、野乃花も邪見にできない。「そ、そおですねぇ♡」と曖昧に笑うしかなかった。
野乃花は本当に困った。どう言えば、先輩の心証を悪くせずに断られるか。こんなにもナイト先輩が乗り気になっていたら、下手なことが言えない。野乃花は高速で思考を巡らせすぎて、いっそ何も考えられなくなった。
野乃花が次の言葉に困っているうちに、先輩が口を開いた。
「いいじゃん、助けてやれよ。ポロンも困ってるみたいだし」
先輩はとてもいい笑顔を野乃花に向けた。
(嗚呼、なんて尊いのかしら……)
その笑顔があまりにも眩しくて、野乃花は一瞬意識が飛んだ。
「は、はひぃ♡」
つい口から媚びた声が漏れ出てしまった。図らずも、それは同意と受け取れる言葉だった。
「ありがとポロン! 助かるポロン!」
(しまった!)
野乃花が我に返った時には、もう遅い。目の前でポロンが狂喜乱舞し、空中をあちこちへ飛び回っていた。
「よかったな。頑張れよ☆」
またもナイト先輩がいい笑顔を向けてくる。野乃花は泣きたい気持ちを押さえて、「は、はいぃ♡」と返事をした。
ひとしきり騒ぐと、ポロンは野乃花の前に戻ってきた。そして体から毛を一本抜いた。抜けた毛はみるみる膨らみ、一枚の紙になった。
「じゃあ早速ここにサインするポロン」
その紙は契約書だった。だが幼児が書きなぐったようなグチャグチャの字で、とても読めた代物じゃない。もはや字というより線だ。本当はしっかり読むべきなのだろうが、野乃花には一文字も判読できなかった。
(こんなん読めるか!)
そう言えればどんなにいいだろう。しかしナイト先輩の視線が、痛いほどに自分に注がれている。ポロンも「早く早く!」と促してくるし、とてもじゃないが野乃花はノーとは言えなかった。
「の、野乃花、ボールペンとか持ってなぁい♡」
「あ、ここにあるポロン」
ポロンがもう一本毛を引き抜き、ボールペンに変化させた。苦し紛れの逃げの手も一瞬で封じられてしまった野乃花。諦めて、しぶしぶ署名した。
「これで契約完了ポロン!」
ポロンは綿が詰まってそうなふっくらした手で拍手した。つられて先輩も楽しげに拍手した。野乃花も軽く拍手したが、泣きたい気持ちでいっぱいだった。
「なんかよくわかんないけど、よかったな、ポロン☆」
「ありがとうポロン」
「じゃあ俺もう行くから☆」
野乃花に向かって、ナイト先輩がいい笑顔を向けた。
「の、野乃花も帰りますよぉ!」
「なんか色々と説明とかあるんじゃないのか?☆」
「あるポロン」
「い、今じゃなくてもいいんじゃないかにゃあ?♡」
「困るポロン、さっそくお願いがあるポロン!」
「ほら、話あるって。俺は用事があるから、さっさと退散するわ。頑張れよ、野乃花!☆」
「は、はいですぅ♡」
野乃花はメロメロなまま、先輩の背中を見送った。途中何度もポロンが話しかけたが、野乃花の耳には届いていない。
視界からナイト先輩が消えてはじめて、野乃花はポロンの方を向いた。さながら般若の形相で。
「ひっ!」
ポロンは短い悲鳴を上げた。あまりの恐怖に後ずさりしようとしたが、遅かった。
野乃花がポロンの顔面を鷲掴みしたのだ。
「な、何するポロン! ひどいポロン!」
ポロンは苦しそうに短い手足をバタつかせ、必死に抗議する。しかし今の野乃花は、ポロンの懸命な抵抗を見ても何も感じない。
「うるせえ」
まるで別人のように、野乃花の喉から野太い声が出た。あまりのギャップに、ポロンは一瞬にして暴れるのをやめた。その代わりに、プルプルと小刻みに震え始めた。
「破棄」
「ポロン?」
「契約破棄しろって言ってんだよ」
「でも、さっきはやってくれるって言ったポロン」
「そんなの建前に決まってんだろ。先輩の前で断れないの、見てればわかるよなぁオイ。それを真に受けるとか、お前の脳みそ入ってんのか?」
野乃花はポロンの顔をムニムニと揉んだ。ポロンはウヒィィと情けない声をあげた。
「だいいち、ポロンポロンうるせえんだよ。てめぇは猥褻物をひり出す時の擬音か。猥褻物みたいに汚ねえ存在なのか。なぁおい。猥褻物を揉まされた私の手が汚れたらどうしてくれんだよ。アァン?」
「ひ、ひとまず手を離してくださいポ……」
ポロンは語尾に「ポロン」というのを必死に堪えた。
長い被毛のせいで手が蒸れてきた。だから野乃花はポロンを投げ捨てて、スカートで手の平を拭いた。
一度地面に落ちたポロンは、野乃花から少し距離を取った場所に身体を浮かせた。
そして安全を確認してから口を開いた。
「無理ポロン」
「ハァ?」
野乃花の口から、ヤクザが脅しをかける時のような声が出た。
ポロンは震える声で続けた。
「野乃花はもう契約書にサインしたポロン。いかなる理由があっても、契約破棄は受け付けないポロン」
野乃花は、先ほどの契約書を子供のお遊びだと思っていた。だってあんなに汚い契約書が有効だなんてありえない。もし効力を発揮する重要書類だと知っていたら、適当にサインなんてしなかっただろう。
「あんな馬鹿みたいな契約書、有効なわけないだろ!」
「妖精界では正式な書類ポロン!」
「契約前の説明が不十分!」
「だって野乃花が聞かなかったポロン!」
「クーリングオフ!」
「妖精界では人間界の法律は適用外ポロン!」
鷲掴みされる心配がないせいか、ポロンは強硬な姿勢を崩さない。しかも「妖精界では普通」と言えば、何でも通用すると思っているふしがある。
やられた。いくら聞かなかったとはいえ、妖精界の書類である以上、妖精界のルールを知らない野乃花の分が悪い。野乃花はどうすればポロンの持論を切り崩せるのか見当がつかなかった。
「とにかく、妖精界ではルールが何よりも強い力を持つポロン。誰であろうと、どうやっても逆らえないポロン」
「汚ねえぞ!」
「猥褻物みたいにポロンか?」
野乃花は思わず吹き出してしまった。
「それ以下だよ、まったく!」
最大限嫌味を込めたつもりだったけど、笑ったせいで、野乃花の言葉に勢いはなかった。
でも笑ったおかげで少し怒りが引き、野乃花のことを考える余裕ができた。
(なんだかよくわからないけど、先輩にバレないように辞める方法を見つけなきゃ。せっかく応援してくれてるんだから、穏便に断らないと)
野乃花が現状を整理していると、急にポロンが「ポロン!」と叫んだ。
「うっさい! 自分の名前を叫ぶとか、毎回自己主張が激しいのよ」
「奴らポロン!」
「話を聞けって」
ポロンは野乃花の声など聞こえていないようだ。目視でもわかるほどに、ぶるぶると震えている。
「なにアンタ、バイブ機能でもついてんの?」
野乃花は下卑た笑みでポロンをからかった。
だがそうこうしているうちに、どこからともなく全身黒タイツの男が四人現れ、あっという間に野乃花とポロンを取り囲んだ。
「ぎゃーっ、変質者ぁー!」
野乃花は叫んだ。だがそれは恐怖というより、ゴキブリを見つけた時の悲鳴に近い。表情も嫌悪感マックスだった。
「違うポロン、敵ポロン!」
「敵って何よ!」
「悪の組織ポロン!」
「そいつぁ聞き捨てならないねぇ」
野乃花の前に、女幹部が現れた。その姿を見て、恐れおののく野乃花。
☆魔法少女になった直後に、まさかの敵襲。はたして野乃花の命運やいかに!──