第16話 再来?!塾の悪夢 ~ついでにとんでもねぇ奴がやってきた~
翌日、野乃花はナイト先輩に「練習時間を減らしたい」と申し出た。テストや成績のことを持ちだしたら、先輩は快諾してくれた。
ずいぶんあっさりとしているなと思ったら、ナイト先輩は笑顔でスマホのスケジュール画面を見せてきた。
「来月末にライブ入ったから、練習よろしく☆ あと来週には新曲が完成するから、ライブまでに仕上げておいてな☆」
家で振付を覚えるなどの自主練習が増えたので、結局ナイト先輩との時間が減っただけに終わった。
つらいばかりの日々だが、野乃花には救いが見えていた。そう、ポロンが引き続き後任者を探してくれていたのだ。
ホノミが不発に終わったものの、ポロンは引き続き調査し、数々の少女と交渉を重ねている。野乃花の召喚獣を見るとドン引きされると学んだので、見学は一切お断り。ポロン一人で最終調整まで行っていた。
だが悲しいかな、不合格。断られた人もいるが、やはり野乃花ほどの適性とパッションを持つ人物はいなかった。代わりとなりえる人材がいないのだ。
まあ、この街だけでもかなりの数のうら若き乙女がいるので、これはもう気長に待つしかない。野乃花はそんな風に前向きに考えていた。
そんな感じで、塾論争から約一週間。勉強が面倒なものの、野乃花は平穏な日々を取り戻していた。だがある日帰宅すると、ママが玄関で仁王立ちしていた。
あの日以来、なんとなくママとは顔を合わせづらい。野乃花は気まずかった。
「おかえりママ。今日は早くない?」
たじろぎながらも、野乃花は努めて冷静に、いつも通りの会話を心がけた。
「今日は用事があって早引きしたの」
「へー、そうなんだ」
野乃花はてっきり役場で手続きなど、大人にしかわからない雑事をしたのだと思っていた。
「葉月さんって人に会ってきたのね」
(その話、まだ続くんだ)
野乃花は煩わしく思いつつも、適当に相槌を返した。
しかし「はづきさん」は初めて聞く名前である。何者だろうか。
「葉月さんって、何の人? 会社の人じゃないよね?」
記憶を手繰り寄せながら、野乃花は尋ねた。
「野乃花の家庭教師になる人よ」
「は?」
野乃花は鞄を落とした。
野乃花を真っ直ぐに見つめながら、ママは力強く言った。
「家庭教師」
「え、ちょっと待って。理解できない……」
野乃花は急に足元がおぼつかなくなり、フラフラと壁に倒れ込んだ。なんとか意識を保っていたが、平常心ではいられなかった。
「なんで家庭教師が出てくるの?」
「野乃花が『塾は嫌』っていうからでしょ」
「だからって、本人の同意もとらずに決める?」
「聞いたら同意してくれるの?」
「それは……」
次の言葉はゴニョニョとなり、野乃花の口の中で消えていった。
「野乃花、これは妥協案なの。野乃花は塾に行きたくない。ママは勉強してもらいたい。だから間をとって、先生をつけることにしたの。そしたら躓いたところもすぐに復習できるし、普段の勉強習慣も身につくでしょ。お互いにいいと思わない?」
「そうだけど……」
「あ。宗介くんに教えてもらうっていうのはナシよ。宗介くんは野乃花なんかより何倍も大変な勉強があるんだから。宗介くんの代わりに先生が来るんだから、何も問題ないでしょ。むしろプロなんだから、もっと丁寧に教えてくれるはずよ」
「ソウデスネ……」
「ひとまず明日から来てもらうことにしたから」
「はあ!」
野乃花は跳ね飛ばされるように顔を上げた。
「まずはお互いに相性を見ないといけないでしょ。大丈夫。今日会ったけど、とってもいい感じの人だったから。町田さんに紹介された人なんだけど、そこの息子さんの子も成績が上がったそうよ」
ママはすっかりホクホク顔である。
(ダメだ、今のママには何を言っても通じない)
野乃花は絶望するしかなかった。
だが救いはある。家庭教師と相性が合わなければいいのだ。そうしたら先生が交代されるだろう。そうやって何度も交代したら、いつかママも面倒になって、家庭教師を諦めるかもしれない。
(でもそうなった時って、塾にぶちこまれるのよね、きっと)
野乃花は深いため息をついた。
だが家庭教師を諦めるまでに成績を向上させたら、ママだって塾にムダ金を払わないだろう。家庭教師は塾回避のための時間稼ぎに使えばいいのだ。
(私って頭いいわね!)
そして願わくば、野乃花を放任してくれる先生だと最高だ。万が一にも先生がやる気を出して「もっと勉強時間を増やしましょう」なんて言われたら野乃花は詰んでしまう。お互いにサボれる協定が結べる先生が来ることを願った。
明日少しでもミラクルが起きるように、その日の野乃花はイイ子で過ごした。
× × ×
翌日。学校から帰った野乃花は、すぐさま宿題に取りかかった。すでに学習習慣があるとアピールすることで「まあ、野乃花さんには家庭教師なんて不要ですよ」と先生からママに言ってもらう作戦だ。まあ、大して期待はしていないが、やるだけ無駄ではないだろう。
六時にママが帰宅して、二人で夕食を済ませる。居間のソファーで少し休んで、時刻は夜七時すぎ。約束の七時を少し過ぎていた。
(これもう今日は来ないんじゃない?)
このまま寝たいと思ったら、家のチャイムが鳴った。ママが出迎えて、若い女性を連れて戻ってきた。
「野乃花、今日からお世話になる、真鍋葉月先生よ。ご挨拶して」
野乃花は立ち上がって挨拶した。
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いいたしますわ」
葉月先生が深々と礼をした。
その時、野乃花はギョッとした。胸の谷間がバッチリ見えてしまったからだ。
(え、マジでこの人?)
ここで葉月先生について紹介しよう。
ママによると、葉月先生は教育学部に通う現役女子大生。高校の教師を目指しており、来月からは教育実習に通う予定だ。その練習を兼ねて、家庭教師のバイトをしているらしい。
ここまで聞けば、志の高い立派な学生だと思うだろう。だが見た目は、姫ギャル。
色白で緩やかにウェーブした長い黒髪などが特徴的で、とても真面目な感じはしない。薄紫色のシンプルなワンピースは好印象だが、胸元が丸出しで下品極まりない。まるで「豊満な胸が一番のアクセサリー」といわんばかりのファッションだ。葉月は肉付きがよく、かといって太いわけでもない。ボンキュッボンを体現している人だった。
正直にいって、野乃花が葉月に抱いた第一印象は「痴女」で、感想は「敵」だった。
なぜなら野乃花は万年Aカップ。肉付きのいい小学生よりも貧相な体つきなので、メス感全開の女性を恨みながら生きてきた。
だからこんなメス感満載の葉月は、野乃花にとって「ザ・敵」なのである。
こんなことを、出会って十秒そこらで野乃花は考えていた。
でも顔に出せないから、野乃花はできうる限りの外面スマイルでその場を取り繕っていた。
「ほら、先生をご案内して」
(この場でチェンジが言えればいいのに……)
ママに促され、野乃花は渋々部屋に向かった。
× × ×
女としては気に食わないが、葉月の授業はまっとうだった。
軽い雑談がてら自己紹介して、今勉強で困ったことがないかヒアリング。野乃花が過去問を解いている間に、葉月が前回の答案用紙をチェック。最後にオススメの勉強方法や参考書、躓きやすいポイントなんかも教えてくれた。
(なんだ、普通にいい先生じゃん)
野乃花は誤解した自分を恥じた。
(でもアレがなければもっといいんだけどね)
あくまで野乃花の体感だが、授業中の葉月はいやらしかった。
まず足を組み替えるたびにパンツが見える。レースの紐パンを初めて見た時は、同性でも戸惑ってしまった。
あと質問すれば、「どこどこ?」といって野乃花の手元を覗き込んできるのだが、そのたびに谷間が見える。しかもめっちゃいい匂いがするので、同性同士でもクラっとしてしまう。
ママが「町田家の息子さんが成績アップした」というが、なんとなく先生の教え方というよりも、色仕掛けが功を奏したように思える。それほどに真鍋葉月はハレンチな存在だった。
(まあ見えちゃっても、女だから気にしなくていいんだけどね)
思春期の女子としてはかなり気まずいが、ここで動揺したらウブだと笑われてしまう。だから野乃花は「何も見てないですよ」と言わん顔で、平然とやり過ごしていた。
まあ実際、気まずかったのは片手で数えるほどで、時間はサクサクと進んでいた。過去問を解いた時も、目の前の問題に集中していたので、葉月を気にする回数は少なかった。
「あらあらまぁまぁ。野乃花さんったら、ずいぶんカワイイ趣味をなさっていますのね」
帰り際、葉月が甲高い声を上げた。
何のことかと思い視線を向けると、葉月がベッドサイドに立っていた。
(マズイ!)
枕元にはポロンがいる。最近は別行動をとるポロンだが、夜になると野乃花の部屋に帰ってくる。見つかった時に不自然じゃないようにと、普段は枕元でぬいぐるみに擬態していたのだ。
「はは、ありがとうございます」
野乃花の焦りも知らずに、葉月はポロンを持ち上げた。
ポロンも一生懸命擬態しているが、遠目にもピクついているのがわかる。
(ダメだ。バレた……)
野乃花の絶望たっぷりの顔を見て、葉月は声を上げて笑った。
てっきり「動いて気持ち悪い」とか「どういう仕組みで動くの?」と質問攻めにされると思っていたので、野乃花はすぐに対応できなかった。
「ごめんあそばせ。まさかそんな顔をなさるとは思わなくて」
葉月はポロンを机の上に置くと、自分のトートバッグから何かを取り出した。
出てきたのは、ポロンより一回り小さい紫色のテディベアだった。