梅雨の夜にて(24fps)
月。
こうして口にしないと認知できないほどのぼやけた月が、そこにある。五月十一日、木曜。ゴールウデンウィークも過ぎ、夏へ向かうにはあまりにじめったい梅雨の夜だけが取り残されている。くすんだ窓から見える重たい空を眺めて、鈍くのし掛かるこの季節と、その先のさらにじめったい真夏の日々のことを思ってみたりした。気の抜けた檸檬のソーダをまた一口だけ流し込む。五月の恋心は、未だに死に場所を探さない。
今朝、久々にあの子を見た。各駅停車のくすんだ窓から見えるいつもの駅のホームと、あの子の今。心臓がじっとりと冷や汗をかくような感覚も久々に味わえて、相変わらず心臓に悪いな、と心の中で幸せそうに呟く。でも、そのわずか数秒後には何も思わなくなっていた。もうあの頃みたいに、いつまでもその熱を抱え続けることは出来なくなっている。
あの頃は、恋に限らずあらゆるものに多感であった。既に過ぎ去ったものに対して闇雲に水を与え、根腐れした未練だけ引っ提げて暮らしてきた毎日のことを少しだけ懐かしく思う。今では、放置しているうちに枯れてしまった未練を、いつまで経っても捨てられずにいるような毎日を送っている。そんな中、どことない日常が過ぎ去っていくことだけはあの頃から何も変わっていない。人間は、世の中のパッケージされた数多くの美術作品ほど大層なものなど、持ち合わせていない。人間の季節は春夏秋冬どれを取っても、結局のところは梅雨である。
人間の目は24fps
どことない日常の中で最近唯一頭に残ったものといえば、誰かが放ったこの取るに足らない豆知識くらいだ。
fps (flames per second)
その名称通り、一秒におけるフレームの数のことを言う。24fpsは映画で使用されている程度のフレーム数であり、最近のゲームは120fpsでやっと快適にプレイすることが出来る程の進歩を遂げている、とネットには書かれていた。また、人間の視界にはハッキリとしたfpsの定義はなく、仮に定義したとして60fps程である、ともネットには書かれていた。ネットの情報がデマであるか、この豆知識を語った誰かがにわかであるのか、そのどちらにせよ、自分の中でまた新しく湧いてきた実感がある。
最近のゲームには、個人的にずっと違和感があった。知らぬ間にみるみる美しくなっていく画面上の景色と、その流動。その美しさが、ずっとどこか不自然なのだ。現実世界の風景美の再現のために今までグラフィックを進歩させてきたはずが、その流動の滑らかさがために、逆にそれらとの乖離を押し進めてしまっているように感じられる。この違和感は人間の視界の限界と関係あるのだろうか。
くすんだ窓。そこから見えるぼやけた月はその周りの光まで含めて、とても丸くて、とても優しかった。視界に限界がある限り、人間は物事を鮮明に見ようとし過ぎると、きっとその美しさに耐えられなくなるんだ。
梅雨の夜にて、くすんだ窓と捨てられずに抱え続けていく五月の恋心についての実感。
くすんでいた方が優しいんだ。
僕も、君も、何もかも。




