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オカルトマニアのぼくっ娘と陰キャオタクな先輩のラブコメホラー(仮)

【急募】目をそらすと殺される怪物から生還する方法

作者: 大萩おはぎ

○登場人物


ぼく:本作の語り手。オカルト蒐集や謎解きに情熱を燃やす女の子。学園内外から不思議な事件や体験談を募集して、先輩と共に”謎解き”活動をしている。


先輩:アニオタにして学園随一の秀才で、”ぼく”の謎解きに協力する男子。重度の懐疑主義者で、「この世には信じられるものなど何もない」という信念を唯一信じている。


「月が綺麗ですね、先輩」


 ぼくは夜空を見上げて言った。

 今夜は満月だった。雲ひとつ無い晴天で、絶好のUFO観測日和(かんそくびより)

 最近この山の上空でUFOの目撃情報が多数寄せられていた。

 ぼくと先輩にも調査依頼が来て、さっそく望遠鏡を持って山を訪れたのだった。


「空気が澄んでいる。星もよく見えるな」


 先輩は望遠鏡を覗き込みながら言う。


「見ろ、オリオン座だ。そして一等星のベテルギウス。大きさは太陽の千倍ある赤色巨星だそうだ」

「はえー。赤色巨星って、寿命が近くて膨張した状態の恒星ですよね?」

「その通り。案外勉強しているな」

「当たり前です! 宇宙人やUFOを見つけるためにいろいろ天文知識を仕入れましたから!」

「ほう」


 先輩は不敵な笑みを浮かべて、「だったらこういう話は知っているか?」と続けた。


「ベテルギウスはもう死んでいるかもしれないって話だ」

「うわそれ、怖い話じゃないですか」

「そうだな、お前が好きそうな話だろ」

「まあ……ってゆーか、すっごい興味ありますけど」


 先輩はオカルトをあまり信じない。

 そんな先輩が、「ベテルギウスはもう死んでいる」なんて言い出すなんて。

 とうとうオカルトに目覚めたのだろうか?

 だけど、案の定というか先輩の言いたいことは全然違った。


「ベテルギウスは地球から640光年も離れた星だ。だから俺たちが視ている姿は640年前の状態ってことになる。ベテルギウスが既に超新星爆発を起こして死んだ星になっていたとしても、俺たちは死んでいることに気づけないということだ」

「なるほど」


 そう言われれば、そうだ。

 ぼくはうんうんと頷く。


「夜空の光のいくつかは、既に存在しない星の名残かもしれないっていうことですね」

「案外、幽霊ってのもそういう存在なのかもしれないな」

「へ……?」


 意外だった。先輩が自分から幽霊なんて言葉を口にするだなんて。

 呆気にとられるぼくを尻目に、先輩はどこか遠い目をして夜空を見上げる。


「確かにそれを視た(・・・・・)ってヤツがいる。でも既にそいつは死んじまってるんだ。もしかしたら幽霊ってのも、過去の光が遅れて現在(いま)に届いているだけなのかもしれないな。視えているからといって、存在しているとは限らない。逆に、既に死んでいても観測できているならば存在しているとも言える。どちらが本当かなんて、誰にもわからないんだ」

「珍しいですね……先輩がそんなロマンチックなこと言うなんて」

「ロマンチックか?」

「ですよ!」


 後輩の女の子と二人きりで天体観測に出かけて言うことがそんな意味不明な理屈?

 ホント、先輩って変な人。

 だけどなんだかそんな先輩の不思議な話がどこか新鮮で、心をくすぐられるみたいで……。


 ああ――この人と一緒にいるの、楽しいなぁ。


 なーんて、思っちゃったんだ。

 そんな先輩と一緒にいるぼくももしかしたら、変人なのかもしれない。

 特に、男の子の趣味は……。

 な、何考えてんだろう! それじゃあぼくが先輩のコト……す、すき、みたいじゃん!

 ぶんぶんと頭を振る。そして昂った気を紛らわすために言った。


「ふっふっふ、だったらぼくからも一つあるんですよ。怖い話が」

「怖い話合戦をしているわけではないが」

「まあまあ聞いてくださいよ。この山にまつわる猩猩(しょうじょう)伝説です」

「猩猩? それって猿の妖怪のことか?」

「そうなのです!」


 ぼくは指をビシッと立てて語り始める。


「この山は昔、獣害が多かったんですって」

「そうなのか。道は整備されているし、それほど危険には見えないが」

「それは現代になってからのことです! 最近は人が通る道には獣もよりつかなくなって安全になりましたけど。ちょうど50年ほど前の満月の夜、大規模な獣害があって死傷者が10名を超えたそうなんです」

「ふム、しかしそれだけなら熊の仕業かもしれないぞ? 猩猩とどう関係がある?」

「確かに獣が人を襲うだけなら、熊害(ゆうがい)かもしれません。実際、当時の新聞にもそう記録されていました。でも……当時、その事件を生き残った人の証言が残ってたんです。不気味な証言が」

「不気味な証言?」

「そう、50年前に起こった惨劇の唯一の生存者がこう証言していたんです。『被害者は全員、目玉をくり抜かれて殺された』って」

「目玉……」

「熊の仕業だとしたら、10人以上の被害者全員をわざわざ眼球をくり抜いて殺すなんてコトしますか?」

「たしかに妙だ。熊ではないとしたら――」

「そこでこの地域に残る猩猩伝説が浮上したんです。山の中に『赤ら顔をした大猿』がいて、山に入った人を襲うっていう。何より、この地域で伝えられる猩猩の特徴として……”人の目玉”が大好物らしいんですよ」

「奇妙な一致、というわけか」


 先輩は顎に手を当てて、少し思案する。

 これは先輩のシンキングスタイルだ。ぼくの話す伝説に興味を持ったに違いない。

 先輩はぽつりと呟く、


「50年前の惨劇、その唯一の生存者ってヤツが怪しい。そいつこそが猟奇殺人者なんじゃあないのか?」


 と。

 先輩らしい答えだった。確かに、生存者こそが犯人で、猩猩伝説になぞらえた証言をしたとしたら説明はつく。でも――。


「遺体に付着していたのは、獣の爪痕と赤い毛だったそうです。当時の新聞にもそうはっきり書いてありました。だから当時の警察は、この事件を熊害(ゆうがい)と断定したんです。少なくとも、人間の犯行ではありえません」

「……不気味な話だな」


 先輩は素直に認めた。


「とはいえ、半世紀前の話だろう? 今更謎が解けるとは思えないな。降参だ」


 やれやれ、と首を振る先輩。

 その後、少し意地悪な笑みを浮かべてぼくに言った。


「では、お前の見解を聞かせてもらおうか」

「宇宙人ですよ!」

「はぁ?」


 ぼくが即答すると、先輩はぽかんと口を開けて呆けた声を上げた。


「宇宙人だあ!?」

「そうです、ここ最近のUFO目撃情報と猩猩伝説は無関係じゃないと思うんです!」

「そいつは発想が飛躍しすぎだろう。宇宙人が山に入った人間の目玉をくり抜いてなんのメリットがある」

「それは……わかりませんけどぉ」

「ったく、寒さで思考力が落ちてるんじゃあないのか? そろそろ夜も更けてきた。切り上げるぞ」


 言われて気づいた。冷えた空気が肌をくすぐった。

 もう秋になる。先輩と出会ってから、半年が過ぎたんだ。

 体も冷えてきた頃合いだった。

 既にUFO観測開始から3時間は経過したのに、収穫は全くと言っていいほどなかった。 


「そうですね、片付けて帰りましょうか」


 ぼくも素直に先輩に従った。

 人の手が入って安全になったとはいえ、山は危険だ。深夜になるまえに下山しないと。

 ああ、徒労に終わったなぁ。なんて気持ちはそんなになかった。

 先輩と二人で天体観測――実際はUFO観測だけど――なんて、ちょっと青春っぽくて。

 なんだか嬉しかったんだ。

 だから未練なんかじゃ、決してなかったんだ。


 最後に望遠鏡を覗いてみたのは、たまたまだった。

 まさかここから想像を絶する恐怖に襲われるだなんて、このときのぼくはまだ知らなかったんだ。


「……?」


 さっきまで先輩が使っていたから高さと角度が合わなくて、いろいろと調整している間に見えた。

 夜空じゃなくて、山のふもとのあたりが。

 そこに”何か”立っているのが。


「なに……これ……?」


 そう、”誰か”じゃなかった。”何か”だ。

 ”人型(ひとがた)”のようだけど、どこかいびつで違和感があるシルエット。

 星あかりの下にポツリとたたずむそれ(・・)は異様な存在感を放っていて、ぼくはついもっと鮮明に見たくなってしまった。

 だからぼくは、望遠鏡をはっきりと向けてピントを合わせた。

 合わせてしまった。


「せんぱい、これ、なんか……」


 猿、なのだろうか。体毛はまばらで、全身の皮が向けたみたいな赤黒いまだら模様で覆われていた。

 四足歩行動物が無理やり立ち上がったような前傾姿勢の不自然な生物。

 全く見覚えのないその姿を、つい見つめてしまう。

 その瞬間――ありえないことが――目が、合った。

 

「っ――!?」


 まぶたがなく眼球がギョロリとむき出しになった両目。

 鼻がなく、2つの穴だけがぽっかりと顔の中心に空いている。

 唇がなくボロボロの歯牙がむき出しの巨大な口は――ぼくを見て、ニヤニヤと笑っているように見えた。


「ひぃ――!」

 

 ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえない!

 望遠鏡で覗いた先はここから数百メートルは離れた山のふもとなんだ!

 それほど遠い場所からぼくの望遠鏡越しの視線に気づいて、目が合うはずがない!

 そんな異常な視力の動物、いるわけないんだ!


「せ、せんぱい……これ……」


 ぼくは震える手で先輩の袖をひっぱる。


「へんなのがうつって、望遠鏡に……みて、みてください」

「なんだよ、何が映ったってんだよ」


 先輩は怪訝そうな顔をして望遠鏡を覗き込んだ。

 そして「何もいないぞ」とさらりという。

 そんなハズはないと先輩から望遠鏡を奪い返す。

 だけど――。


「う、うそ……」


 確かにさっきまでこっちを見つめていた生物はいなかった。

 ぼくは慌てて望遠鏡を動かす。

 するとソイツは見つかった。さっきみたいにただ、何もせず佇んでいた。

 今度は、山のふもとより少し登ったあたりで……さっきよりも、こっちに近づいてた。


「先輩……! これ、いま映ってます! 見てください!」

「ああ」


 先輩に代わった。


「やっぱり何もいないぞ」

「移動してるんです! もっと手前、こっちの近くにいるはずです!」

「……視えた。なんだ、アイツは。気味が悪いな」


 先輩も見つけたみたいだった。

 やっぱり、徐々にこちらに近づいてきているみたいだ。

 先輩はぶつぶつとつぶやき始める。


「暗がりではっきりとは見えないが、皮の剥げた猿か……? しかし大きい。熊くらいのサイズはあるな。あの皮膚は、火傷か? 全身ケロイド状に見えるが――っ!?」

「先輩、どうしたんですか!?」

「消えた。(まばた)きした瞬間に……!」


 驚きながらも先輩は冷静に望遠鏡を手前に傾けた。


「先程までと同じだな、視線から外れた瞬間にこちらに接近している。見つめている間はその場を移動していない。移動している姿はこちらに全く視認できない。まるで――」


 ――”だるまさんがころんだ”だな。


 先輩はそう断言した。

 冗談みたいな話だけど、先輩の声色は極めて真剣だった。


「見ているうちは動かないが、瞬きしたり視線を逸らすたびにこちらに近づいているようだ」

「あああ、あれ、きっと猩猩(しょうじょう)ですよ! 赤い大猿! 間違いないです!」

「猩猩、か。仮にそうだとするとこちらに接近する狙いは……」

「ぼくたちの目玉をくり抜くこと……!」

「伝説とやらが正しいならな。あいつが何者であるかは不明だが、なんにせよ大型の獣に遭遇するのは危険だ。さっさとここを離れて下山するぞ」

「はい!」


 ぼくと先輩は望遠鏡や撮影機材をいそいそとバッグに詰め込んだ。

 そしていざ山を下りようとした、その時だった。


『ぼぼぼ、ぼぼぼぼぼ、ぼぼぼぼぼぼ』


 不気味な呼吸音とともに、”それ”が姿を表したのだった。


「先輩、あそこ……」

「ああ……もう来たようだ」


 ぼくらが下りようとしていた山道に、”それ”は既に立っていた。

 まだらに生えた赤毛と、皮膚が剥がれたような姿が不気味な模様を描く生物。

 まぶたのない剥き出しの眼球でぼくらをニタニタと品定めするように視ていた。

 唇の無い口からは、ジュルジュルとよだれが垂れ流されている。


 まるでぼくらの眼球(ごちそう)を今すぐくり抜いて味わいたいと、待ち切れないみたいな様子だった。


「目視できる距離まで詰めてきたか。かなりの移動速度のようだが……幸い、こちらには二人いる」

「ですね」


 ぼくも先輩も、まだ焦ってはいなかった。

 この赤い大猿――仮に”猩猩(しょうじょう)”と呼ぶことにする――の性質は”だるまさんがころんだ”だ。

 見ている間は移動せず、視線から外れた瞬間だけ移動する。

 望遠鏡をしまっている間にここまで接近してきたんだろうけど、肉眼で捉えられる距離に入ったところで直ちに危険になるわけじゃない。

 なぜなら、こっちは二人いるからだ。


「ぼくと先輩が二人で監視していれば、どちらかが瞬きをしてもどちらかが監視を続けていられるってワケですね」

「そうだ。このまま山道を下るぞ。後ろ歩きになって少々危険だが、交代で後方確認すればなんとかなるはずだ」


 こうしてぼくと先輩は二人で猩猩を監視しながら、後ろ歩きで下山を始めたのだった。

 懐中電灯で猩猩を照らしながら後方に下がってゆく。

 夜、下り坂を後ろ歩きというのは案外難しいことに気づいた。

 足元を確認しないと転びそうになる。だけど二人同時に視線をそらせば猩猩に接近される。


「転ぶなよ。転べばヤツに接近される。急がずゆっくりと下がるのが――っ!」


 先輩は急に慌てたように言葉を切った。

 そして叫ぶ、


「動くな!!」

「っ!」


 先輩の剣幕にぼくはピタリと身体の動きを止めた。


「せ、せんぱい?」

「足元をよく見ろ、マムシだ」

「マムシ……っ!?」


 確かに、小さな蛇がそこにいた。

 あと一歩でも後ずさっていたら踏んでしまっていたところだ。


「危なかったな、マムシは毒蛇だ。下手に怒らせて噛まれたらどうなっていたか……」

「はい、助かりま――先輩!」

「っ――!?」


 ぼくの呼びかけに、とっさに先輩が後ろに飛び退いた。

 ゴロゴロと山道の斜面を転がる先輩。

 先輩がさっきまで立っていたところには、あの赤い大猿の化け物――”猩猩”が立っていた。

 その手の先に携えた鋭利な爪の先には、さっきまで先輩が持っていた懐中電灯が刺さっていた。

 猩猩はニタニタと笑いながら、大きな手でミシミシと懐中電灯を握りつぶした。


『ぼぼぼ、ぼぼ、ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ、ぼぼぼ』


 不気味な呼吸音が、間近に聞こえていた。


「ま、マムシに気を取られてるうちに……こんなに早く……!」


 危険が猩猩だけならば、なんとかなったのかもしれない。

 だけど山には蛇や獣、化け物だけじゃない危険がたくさんある。

 猩猩の移動速度はぼくたちの予想を超えていた。少し注意が逸れただけでここまで……!


「先輩! 大丈夫ですか!」

「あ、ああ。くそっ、油断した。懐中電灯が……まずいな」


 地面に尻もちをつきつつも、幸い先輩自身はあまり大きなダメージを負ってはいなかった。


「一瞬で接近されて、爪で攻撃された。おそらく俺の”眼”を狙っていた。とっさに懐中電灯でガードしなければやられていた。50年前の犠牲者と同じようにな」

「先輩……よかった」


 ぼくはマムシをよけつつ、猩猩に視線を向けながらゆっくりと先輩のもとに近づいた。

 先輩に手を貸し、猩猩から視線をそらさないように立ち上がるのを手伝った。


「しかし……懐中電灯が一つやられた。今夜中に下山するのは難しいかもな」

「どうしてですか? ぼくの分の懐中電灯ならまだありますよ」

「さっきのマムシを見ただろ。山の危険は猩猩だけじゃあないってコトだ。そもそも夜の山道を後ろ歩きで下山ってだけで無茶だったんだ。明かりが減った状態で二人、猩猩に追跡されながら五体満足で下山するのはおそらく不可能だろう」

「だったらどうすれば……!」

「……俺にいい考えがある」


 先輩は小さく、しかしきっぱりとそう言った。


『ぼ、ぼぼぼぼ、ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ』

 

 肌寒い夜空に、怪物の呼吸音が静かに響いていた。




   ☆   ☆   ☆




「それにしても、こんなところに山小屋があったなんて。先輩よく知ってましたね」

「夜の山は危険だからな、登りの時点で位置の確認はしておいた。まさか『化け物に襲われて逃げ込む』なんて理由で使うことになるとは思わなかったがな」


 山道から少し外れた場所に山小屋があった。

 ぼくと先輩はそこに逃げ込んだのだった。

 小屋に飛び込むと同時に、扉と窓の鍵はしっかりと締めた。これで猩猩も簡単には入ってこられないだろう。


『ぼぼぼ、ぼぼぼぼぼぼぼぼぼ、ぼぼぼぼぼぼぼぼぼ』


 小屋の外からは、猩猩の不気味な呼吸音が聞こえてくる。

 ずっと鳴り止まない。静かな夜に、怪物の存在だけが確かに主張していた。


「入ってはこないみたいですけど、ぼくたちを見逃す気はないみたいですね……」

「ノイローゼになりそうだな、これでは」


 ぼくと先輩は小屋の中で、非常食として持ち込んだチョコバーをもそもそと頬張った。


『ぼぼぼぼ、ぼぼぼぼぼぼ、ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ』


 呼吸音だけじゃ飽き足らず、猩猩は小屋の周りをガサガサと周回し始める。

 足音に加えて、外から壁をバンバンと手で叩く音まで聞こえ始めた。

 うぅ、せっかくの先輩との食事なのにぜんぜん集中できない。気が散る。

 ぼくはこの音に耐えきれなくなって、口を開いた。


「先輩、これからどうします?」

「朝になるまでここで待つ」

「夜が明けたら見逃してくれますかね?」

「ヤツが夜行性ならばあるいは。仮に朝になっても俺たちを見逃してくれないとしても、夜中に移動するよりは安全だろう」

「助けを呼べたらいいんですけど」

「携帯は圏外だ。期待はできないな」

「うぅ……」


 八方塞がりだ。

 夜は更けてゆく。夜明けはまだ、遠い。


「……寒い」


 ぼくはポツリとそう漏らした。

 深夜になるとさらに気温が下がってくる。

 それだけじゃない。猩猩が放っているのだろうか。この小屋の周囲が独特な瘴気に包まれているような気がした。

 まるで、体力を奪われているみたいな。

 ぼくは先輩の顔をみる。先輩も少し顔色が悪い気がした。


「先輩、大丈夫ですか?」

「ああ……人の心配をしている場合じゃないだろう」


 先輩は上着を脱ぐと、ぼくの背中にかけてくれた。


「先輩……?」

「着とけ、震えてるぞ」

「だけど、先輩は!?」

「気にすんな、俺は暑がりなんだ」

「だめですよ! そーゆートコ!」


 ぼくは先輩に近づくと、先輩がかけてくれた上着ごと(・・・・)先輩に覆いかぶさった。


「おまっ、いきなり何を……」

「先輩だって顔色悪いんですから、無理しないで下さい! ぼくのことだけ心配して! さっきだって、ぼくがマムシに噛まれそうなのを助けたから先輩が猩猩に襲われたんじゃないですか!」

「……そう、だな。すまん」

「そうですよ、先輩もちょっとは自分のコト大事にしてください」


 ぼくと先輩は身を寄せ合って夜を明かすことにした。

 二人分の体温が伝わって、さっきよりも随分あたたかかった。

 きっとこれは、心の温度なんだと思った。


「……せんぱい」


 ぼくはぽつりと呟く。


「ごめんなさい」

「なんだよ、急にしおらしくなって」

「ぼくがUFO観測なんて提案しなければ。こんなことにはならなかったから」

「かもな」

「ぼくが望遠鏡であの”猩猩”を見つけてなければ、襲われなかったかもしれないし」

「……かも、しれないな。見なければ、知らなければ存在しなかったのかもしれない」


 見なければ存在しなかった。

 見てしまったから、あの怪物が存在している。そしてぼくらを襲っている。

 きっと先輩の言う通りなんだと思った。


「きっと”猩猩”が半世紀も現れなかったのは、山に人の手が入ったからじゃなくて……人に、忘れられたからなんだと思います。ぼくが猩猩伝説を知ってしまって、望遠鏡で山を見た。そのことが猩猩の出現条件を満たしてしまったんでしょう」

「50年前の事件も、満月の夜に起こったって話だったな。確かに条件は一致している」

「いつも、そうなんです。ぼくが余計なことをしたせいで、先輩まで危険な目に……」

「……はぁ」


 先輩は呆れたように大きなため息をついた。


「お前、今更そんなこと言ってんのか?」

「だってぇ……」

「こんな危険は今に始まった話じゃないだろ。半年前にお前と出会ってから、こういう目に何度あったと思ってんだ」

「……ごめんなさい」

「だから――謝んなって!」


 先輩はゴツン、と額をぼくの額に当てた。


「い、いたぁー! なにするんですかぁー!」

「お前がやってるのは本当に余計なことか? お前の目的はいつだって、謎を解いて真実を追求することだろう? 『虎穴にいらずんば虎子を得ず』と言うように、なにかを求めることには相応のリスクを伴うってことだ。そんなのわかってる。だがそれの何が悪い」

「先輩……」

「お前がそうやって危険に飛び込んだことで救われたヤツらもいたはずだ。それもお前が真実を求めた結果だろう? 結果には、良い面も悪い面もあるんだよ。だから、なんつうか、こう……後悔、しないでくれよ」


 先輩はどこか恥ずかしそうに唇をもごもごさせてから、小さな声で言った。


「俺も、お前に救われてるから」

「せん、ぱい……?」

「あーもー! 恥ずかしいこといわせんな! つまり、お前はお前のままでいいってことだ! 後悔して立ち止まらなくていい!」

「だ、だけどこの状況を乗り越えなきゃ、ぼくらは――」

「お前、俺を誰だと思ってる? 証明してやるよ。お前のやってることは間違いなんかじゃない。俺たちは必ず生き残る。そうすれば、お前は今回のことを後悔なんてしなくて良くなるハズだ」


 暗い山小屋の中で、先輩のメガネがキラリと光った気がした。


「策なら――ある」




   ☆   ☆   ☆




 夜が明けた。

 ぼくと先輩は交代で眠って、扉や窓を見張っていた。

 二人とも眠ってしまったら、猩猩がいざ強行突破してきたときにとっさに視線を向けられず、一瞬で殺されてしまうだろうから。

 だけどそれは杞憂だったのかもしれない。結局深夜の間、猩猩は小屋の外を巡回していただけで襲ってはこなかった。

 いや、もしかしたら、ぼくらのうち片方が起きていたのが抑止力になって襲ってこなかっただけかもしれないけど。

 どちらにせよ、ぼくたちは無事に夜を明かしたのだった。


「本当に、いいんですね」

「ああ、やってくれ」


 先輩は、小屋の中でも東向きの窓の前に立っていた。

 窓越しに朝日が差し込んでくるそこから外を見ている。

 ぼくは先輩に指示されたとおり、その窓を開けた。

 先輩は窓から少し距離を開けた位置から、外に向かって叫ぶ。


「来いよ、俺の目玉が欲しいんだろ、ブサイクな変態化け物野郎!」


 そう言って先輩は――そっと目を閉じた。

 次の瞬間だった。ぼくが瞬きした間にパリン、という音とともに先輩はメガネを失っていた。

 窓の外に猩猩が現れたのだ。

 爪の先端には先輩のメガネが突き刺さっている。

 開いた窓から手を突っ込んで先輩の眼球を狙ったんだ。


『ぼぼぼぼぼぼぼぼ、ぼぼ、ぼ、ぼぼぼぼぼぼぼ』


 猩猩はニタニタと笑いながらメガネを大きな手で握りつぶした。


「メガネが無ければ即死だった。いや、嘘だ。シャア・アズ○ブルの名台詞を言ってみたかっただけだ。普通の人生だと使える場面がないからな」


 先輩は冷静にコメントした。その眼光はしっかりと猩猩の姿を捉えている。

 すごい、目の前に怪物がいるのに。

 今まさに殺されそうになっているのに全く動じてない。目をそらすこともない。

 それどころかぼくの目には――既に先輩が怪物に対して優位に立っているように見えた。


「さっき懐中電灯に攻撃されたときにお前の攻撃方法はわかった。あとは腕と爪の長さ、体格からおおよその攻撃範囲は推測がつく。メガネは保険にすぎない。しかし単純なヤツだな、こんなバレバレの陽動に引っかかるとは。伝説の生物といえど、所詮は山の獣(ケダモノ)にすぎない」


 そして先輩は言った「――今だ」。

 ぼくはその合図に従い、横から近づいて窓をピシャリと閉めた。


「……」


 しばしの沈黙。

 窓越しに猩猩とにらみ合う先輩。

 だけど少しすると、先輩はふぅ、とため息をついて窓から離れた。


「もういいぞ」

「せ、成功したんですか!?」

「ああ」


 ぼくと先輩が窓から視線をそらしてもなお、猩猩はその場から動かなかった。

 ただぼーっと、窓を見つめているだけだった。




   ☆   ☆   ☆




「ほ、本当に窓の前から動けなくなってる……」


 ぼくと先輩は荷物を持って小屋を出た。

 外から小屋の周りを移動して、猩猩が現れた窓を見る。

 いまもまだ、怪物は窓を見つめて動かなかった。


「東向きの窓に朝日が反射して、猩猩(ヤツ)の顔が映っている。つまりヤツは、窓に映った自分自身の視線で動けなくなったということだ」

「本当に成功させちゃうなんて……こんなこと、考えてもやろうなんて思いませんよ」


 わざわざ東向きの窓を開けて先輩自身が囮になるところまで、全て先輩の作戦通りだった。

 その後はこのとおり。

 太陽光を反射した窓に自分自身の顔が映って、それを見てしまった猩猩はその場から動けなくなってしまった。


「けど、太陽がこれ以上昇ると光の角度が変わって動けるようになっちゃうかもしれません! さっさと下山しましょう!」


 ぼくがそう提案するけど、先輩はなにか考えながら猩猩の姿を見ていた。


「先輩?」

「なあ、こいつはここで殺しておくべきなんじゃないのか」

「え?」

「今回はなんとかなったが、確かにこいつは厄介だ。過去に犠牲者を出している以上、今後も安全とは言い切れない。だったらここで――」


 先輩がそう言って猩猩を睨む視線は、ゾッとするほどに冷たかった。

 こんな目をいままでぼくは何度か見たことがある。


 以前調査した”呪いのビデオ”事件、あれも何人か犠牲者を出していた。

 あの呪いの謎を解いて攻略したときも、先輩はこんなふうに冷たい目をしていたのを覚えてる。

 半年くらいのつきあいになって、わかってきた。

 先輩はきっと、むやみに生命を奪う行為が嫌いなんだと思う。

 だからそういう相手に対してはどこまでも冷酷になってしまう。


 だけど、だからって……。


 ぼくは猩猩の姿を見る。


『ぼぼ……ぼ、ぼぼぼぼ、ぼぼぼ……ぼぼぼぼ』


 もうニタニタと笑ってはいなかった。

 ケダモノなりに、状況はわかるのだろう。

 今、自身の生殺与奪の権利が先輩に握られていると。

 どこかその背中には、恐怖の色が浮かんでいるようにも見えた。

 もはや伝説の怪物よりも、先輩のほうが圧倒的に強いんじゃないかとすら思えた。


「先輩がそこまでする必要ありませんよ」


 ぼくは殺気立った先輩の肩に手を触れて、


「大丈夫、猩猩の存在は50年間忘れ去られてたんです。だからまた、秘密にしておけばいいんですよ。この出来事を誰にも話さないで、秘密にし続けていれば……猩猩は誰からも忘れ去られて、認識すらされない状態に戻るはずです」

「……その保証はない」

「あの獣が実際に人を殺したって証拠はないし、これから襲う証拠もありません。あの猩猩が50年前の惨劇の犯人だったかも……ぼくらが勝手に推測したことです。答えなんて、誰にもわからないんです。先輩が責任を追わなきゃならないなんてコト、ないんですよ」

「……そう、だな。いつも俺が言っていることだ」


 先輩はふっと肩の力を抜いた。

 そして言った。


「こいつは放っておく。山を下りよう」


 こうしてぼくたちは猩猩から逃れ、山からの脱出に成功した。

 50年前の惨劇の唯一の生存者も、命からがら山を脱出したらそれ以上は襲われなかったそうだ。

 猩猩が活動できるのは、あの山の中だけなのだろう。

 だからぼくたちが二度とあの山を訪れなければ、猩猩も二度と人前に現れることはない。

 根拠はないけど、そう感じた。


「……なぁ」


 朝帰りをお母さんにどう言い訳しようかな、なんて考えながら帰りの電車に揺られていたときのことだった。

 先輩は言った。


「ありがとな――止めてくれて」

「……」

「ホントは俺、殺したくなかった」

「わかってましたよ。ヘタレの先輩にそんな度胸あるわけないじゃないですか」

「なっ、そういうワケじゃねえよ! ただ情けをかけてやっただけだ!」

「あはは、わかってますよーだ! そもそも先輩は素手だったし、あんなおっきな獣なんて殺せるわけないじゃないですか!」

「あ、あぁ、そう言われればそうか。ぷっ、くくく、そうだな! そうだよな! そもそも殺せなかったんだ! 殺すか殺さないかなんて、悩んでも意味がなかった!」


 ぼくと先輩は顔を見合わせて笑った。

 笑って、笑って、ひとしきり笑い通した後、先輩が小さな声でこう言った。


「お前といると楽しい」


 先輩は笑ってくれた。

 きっと、あの猩猩を殺していたら先輩はこんな風に笑えなかっただろう。

 だって先輩は、自分の都合で他の生命を奪うのが嫌いなんだ。

 自分の手でそんなことをしてしまったら、きっと自己嫌悪でいっぱいになってたと思う。

 先輩は本当は、誰よりも優しい人だから。


「……ぼくもです。先輩と一緒だと、退屈しませんから。おそろっちですね」

「おそろっちって何だよ」


 もしかしたら、先輩が正しかったのかもしれない。

 あの猩猩は今後も山で人を襲うのかもしれない。

 あの場で殺すべきだったのかもしれない。

 答えなんて、誰にもわからないんだ。

 だったら、信じたいものを信じるしかない。


 だから嘘でもいいんだ。間違ってたってかまわない。

 猩猩は殺さないし、猟師さんに獣が出たなんて報告したりもしない。

 誰も猩猩のことを知らなければ、観測なんてしなければ、あれは存在しないのと同じなんだ。

 根拠のない仮説でしかないけど、ぼくはそれを信じることにした。

 こんなのぼくのワガママでしかないけれど、それでも――。


 ぼくは先輩に、笑っていてほしかったんだ。



 


 

   ΦOLKLORE(フォルクロア):少女と猩猩   END.


ここまでお読みくださりありがとうございました。

本作をお楽しみくださった方はぜひとも評価をいただけると嬉しいです。


評価はこの下の☆☆☆☆☆を押せばできますので、面白かったという方はポチっていただけると作者のモチベがものすごく上がります。よろしくお願いします!


本作には連載版がありますので、そちらもよろしくおねがいします(下にリンクを貼っておきます)

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ΦOLKLORE:オカルトマニアのぼくっ娘と陰キャオタクな先輩のラブコメホラー
本ホラー短編シリーズをまとめた連載版です。
短編版に加筆修正を加え、連載版オリジナルエピソードも多数挿入しています。
本作を読んで面白かった方は是非お読みください!
― 新着の感想 ―
[一言] 解説求! 最後のやつ
[一言] 鏡に弱いって、ギリシャ神話のメドゥーサみたいですね。
[良い点] 人間の知は怪異を越える。 [一言] 猩猩の様子から物理耐性は無さそうですし、猟友会や警察、複数の住民に定期的に駆除されていそう。人間の恐怖は叩き込まれていそうですが死亡直前の記憶は残らない…
感想一覧
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