ゆっくりと、そして突然に 母と娘の話 2
香織へ
いろいろなことを思い出したら、まったく気持ちの整理がつかなくなりました
この手紙は自分の心を静めるために書きます
支離滅裂な部分や伝わらない部分もたくさんあるでしょう
一つだけ絶対に誤解しないでほしいことは、修平さんはあなたのお父さんでいたことをとても幸せに思っていました、それだけは間違いありません
心の中にしまい込んでおくのが辛いので、書けば気がすむと思って書いてみます
それから、もうお父さんと呼ぶのはやめることにしました
今さら手遅れかもしれないけど、修平さんに戻すことにします
気づいているとは思うけれど、修平さんとはできちゃった婚です
修平さんと私は同じ年で、出会った頃修平さんは大学4年生
私は短大を出て就職して家を出たけれど、給料だけではやっていけず、生活費を稼ぐために夜はお酒を出すお店でアルバイトをしていました
修平さんは大学のOBだという社会人の方に連れられて何度かお店に来てくれました
修平さんは、私とも、お店にくるお客さんとも全然違う世界の人に見えました
いろいろなことを知っていて、心がすごく自由な人でした
お店に来るような人は自慢話をする人ばかりだったけど、修平さんは私の話を楽しそうに聞いてくれた
まだ学生で世間を知らなくて、私がそういう人をあまり知らなかっただけだったかもしれないけれど
修平さんは私の気持ちに気づいてくれて週末にデートをするようになりました
そしてある日妊娠に気がつきました 修平さんにすぐには言えませんでした
最初に考えたのはどうやって育てようか
若かったけれど、堕ろすことはまったく頭をよぎりませんでした
シングルマザーになろう、そのことしか考えませんでした
夜のバイトをしていたから、そんなお姐さんたちが周りに何人もいました
お姐さんたちの姿を見ていたら、会社は辞めることになるけれど、夜の仕事をしながらどうにか自分でこの子を育てられるだろうと思いました
それ以前に、自分には予感みたいなものがありました、私もあの人たちになるのだろうと漠然と想像をしていました
自分には不相応な人を愛し、その人の子供を授かり、その子を育てることを生き甲斐にこれから生きていくん、そんな世間知らずで、現実を美化した演歌みたいな世界に酔いしれていたのでしょうね
修平さんにはお別れを言うことに決めました
修平さんに迷惑をかけたくないとか。未来を奪いたくないとか、そんな気持ちではなく、考えたのは自分のことだけだったと思います
ただ、修平さんに嫌われたくなかった
子供ができたから別れてほしいと私から切り出せば、修平さんは一生綺麗な思い出のまま存在してくれると夢想しましたでも
そうはならなかった
修平さんはその場でプロポーズしてくれたました
「今結婚しなかったら、一生結婚をしない気がする。結婚しよう」
「内定貰っている会社は外資系のコンピュータ企業だから給料がいいんだ、ちゃんと生活できるから仕事は両方とも辞めていいよ」
忘れられない言葉です、そうなるなんて夢にも思わなかった
家のことは私が全部やる、お腹の中の子供のことはなにがあっても私が責任を持つ、修平さんの言うことは何でもきいてあげよう、そう決意しました
香織が生まれるのを修平さんは心待ちにしてくれました、そして生まれたときからもうメロメロ
あの日からもう修平さんと呼ぶことはなくなりました、修平さんからパパになって、香織が小学生になってからはお父さんでしたね
香織が生まれた頃の生活は楽でなかったけど、楽しかった
段々お給料もボーナスも上がった
仕事で必要だからと修平さんはゴルフを始めて、どんな場所に行ったとか上手になったとか、楽しそうに話してくれました
実は、修平さんはサラリーマンには向かない人だと思っていました、そういうところにも惹かれたのかもしれなません
白状すれば、修平さんが私と結婚してくれると言ってくれたとき、自分のことやお腹の中の香織のことよりも修平さんのことが心配でした
この人は会社でやっていけるのかしら、何年か勤めたら嫌になってしまうのではないかしら、それは能力の問題じゃなくて、センスの問題
修平さんが修平さんらしく生きられる場所はサラリーマンの世界ではないような気がしていました
そんな人が週末までゴルフ、大丈夫かなあと心配でした
それでも修平さんは楽しそうに見えました、仕事も順調で、いいお給料をもらえて、香織はとても良い子に育ってくれて
でも心のどこかで、修平さんの今の生活が仮のもののように思えていました、いつか本当の修平さんに戻してあげなければいけない、そう感じていました
退職が決まった時、ついにこの日が来たと思いました
しばらくは、仕事しなくていいから修平さんの好きにして欲しい、これからのことはその後で考えればいい、本当にお疲れ様でした、私は正直なところほっとしました
さすがの修平さんも二日くらいは落ち込んでいたけど、一人で旅してきていいよ、行きたい場所いっぱいあるでしょう?、と伝えたら俄然元気になって、南米行こうかな、いや、その前に大阪に行って香織の顔を見て来よう、すごく嬉しそうな顔に戻りました
私は覚悟しました
修平さん、旅に出たら帰りたくないって思うかもしれない。もしそう思ったら帰ってこなくてもいい、好きなように生きてほしい
バカみたいでしょう
香織には想像ができないかもしれないけど、香織のお父さんになる前の、私が修平さんって呼んでいた頃の修平さんは、いつかどこかに行ってしまいそうな人だったの
でも、突然亡くなってしまった、しかもよりによって、まるでリストラされたことがショックだったかのようなタイミングで
修平さんはリストラのショックで死ぬような人じゃないの、喜んでいたはずの人なの
因果関係はそんなに単純ではないのかもしれないけれど、亡くなったのは働きすぎてしまったから、限界を超えてしまったのから、私があの人に良き家庭人を長くやらせ過ぎてしまったから、そう思っています
修平さんは幸せな人生だったと言ってくれる人もいらっしゃいました
この年で再就職する苦労を味わうこともなく、娘も立派な社会人、記憶の中の修平さんはもう年を取ることもない
亡くなった時に、幸せな人生だったと思われる人のほとんどは、好きなことをして生きた人ではないと思います
自分の好きなことを貫き通して、幸せな人生だったと思われる人はとても珍しい
自分の好きに生きた人はたいてい惨めな晩年を過ごす
幸せな人生だったと思われる人の多くは、他の選択肢はなく、その人生を生きるしかなかった人たちなのでしょう
私がシングルマザーにならず、修平さんという素晴らしいお父さんが一緒で、香織に苦労をかけずに済んだ
そのことは、きっと修平さんも満足してくれていると思います
でも、私の気持ちの整理はつきません
女にはよく母性があるというけど、それでも、結婚して子供を持って、これは自分の望む人生ではなかったと感じる人はいます
男の人に父性があるのかはわからないけれど、家庭を持ってから、これは自分の望む人生じゃなかったと感じる人はもちろんいるでしょう
修平さんはそっちの人だったのに、それを私の前では一度も口にしなかった
たいていの人はそこに折り合いをつけて生きている
修平さんは、時々ふらっとどこかに一人ででかけてガス抜きでもできればよかったのかもしれません
香織のお父さんでいたことをあの人はすごく満足して、幸せに感じていました、そのことを少しも疑ってはいません
でも、お父さんになることを選ばない人生を選んでいたら、修平さんには別の人生があったでしょうね
私は香織を育てられればそれでよかったのです
23の私にはその後の人生なんて考える暇もなかったし、シングルマザーになる以外の選択肢を自分一人では思いつくこともできなかった
でも現実にはそれ以外の選択肢があって、その後の人生もある
修平さんにとって一番幸せな人生を選ぶという選択肢を、あの時の私が奪ってしまったかもしれないけれど、もしかしたら修平さんが選んだはずの最も幸せな選択肢は、結局は修平さんを幸せにしなかったのかもしれない
考えなくていいことだと思いたいけど、やはり考えてしまう
香織、あなたはあなたの人生を好きに生きてほしい
母より
もしかしたら、母に会うというだけで、軽い臨戦態勢なのかもしれない。新幹線の中でもう一度読もうと持ってきた手紙だけど、読んだら泣くかもしれないという心配は杞憂だった。読みやすさ重視で論点が明確な仕事の文書ばかり読んでいるせいで、こういう回りくどくて抒情的な文章が妙に新鮮に感じる。
思い出した、二年前に読んだ時も私はこの手紙を要約した覚えがある。どうやら私は回りくどい情報は自分の中で再構築して理解する習慣があるらしい。
今もう一度要約してみる。
両親が結婚した理由は私を妊娠したから。父は家庭人やサラリーマンには向かないタイプだと母は思っていたが、父はその人生を全うし、疲れて死んでしまった。それでも父は幸せだった。母は父の歩みたかった人生を奪ってしまったかもしれないが、父が歩みたかった人生を選んでいたら、きっと父は幸せにはならなかっただろう…ここが落としどころか。
二年前、この手紙にどう返事を書くべきか寝かせて考えた方が良いと思った。でも、数日放っておいたらどうでもよくなっていた。「読んだけど、なんと返事をしてよいかわからない」と正直なメッセージを送ったところ、母からの返信も同じくらいそっけない。
「感想は要りません、自分のために書いたのだから。送るべきではなかったかもしれないけど、後の祭りね」
得体の知れなさの正体は、私と父へそれぞれに向けられた愛情がまったく別のものだったことか。母は父を愛しているゆえに父をいつか解放しなければと思っていた、それは私に思いつくはずもなかった愛情表現だったが、種を明かされてしまえば、そんな簡単なこと、としか思えない。もし父が亡くならなければ、いや、せめてアルゼンチンに行ってくれれば、母は私に気持ちを明かすことはなく、未だに私の中の得体の知れない存在でいたのだろうか。私の妄想は、ゴヤが描いた「我が子を喰らうサトゥルヌス」くらいにまで得体の知れなさを膨張させていたのだろうか?
お母さん、自分勝手な娘で申し訳ないけど、産んだのはお母さんで私が好き勝手に生きているのはお母さんのお望み通り、だから私を助けてね。