破壊神
結局風呂と夕食を済ませた頃にはすでに夜8時半ごろになっていた。
姉のせいで仮眠は取れず、寝落ちを防ぐために濃いめのコーヒーを用意してパソコンデスクに座る。
そして今では珍しいタワータイプのパソコンの電源をいれた。
これは高校進学祝いの時に買ってもらったもので、BTOのゲーム仕様機である。
最初両親はノートパソコンでもいいじゃないかと言っていたが、タワータイプは部品の交換が容易なことと、その結果長持ちするからと説得して購入してもらったものだ。
嘘は言ってないし、実際こつこつ貯めた小遣いや入学祝いにお年玉を使って改造し、今では中堅クラスの性能を獲得している。CPUもクロックアップしてるので意外に快適だった。
無論コンシューマーゲームの方が安価だし、グラフィック性能もまずまずだったのだが、細かい所で機能が省略されているのでやはりPC版の方が良い。
欲を言えばグラフィック機能をさらに強化したいのだが、これは今後のお楽しみだった。
そして『ヴィクトーニア・サガ』を起動させ、手早くアカウントとパスワードを入力する。
この後はバージョンアップされるごとに更新される、ドラマ性の高いデモムービーが流れてそれを一通り楽しむのが常だが、今回は時間も押しているのであえてショートカットした。
そうやってログインすると、光のキャラクターである『義経』が、いつもの冒険者ギルドのロビーに立っていた。
長い黒髪をポニーテールにして、衣服は大胆に袖と裾を切った一見すると凛々しい女剣士に見える。それに加えて振袖風の上着を羽織っているので、立ち姿を除けば完全に女性キャラクターだった。
無論最初からこんなアバターでは無かった。最初は光の理想とする格好いい青年キャラだったのだ。
何故こんなアバターになったのかというと、主犯は主にラピス──真琴の仕業だ。
恋人同士になってから、どういうわけかラピスはちょくちょく義経にファッションの贈り物をしてくれた。それ自体は嬉しかったのだが、問題はそのコスチュームだった。
どういうことか、ことごとくが男性にも着ることが出来る女性風のコスチュームばかりだったのだ。
光はファッションにはとんと興味が無く無頓着だったため、真琴がこれ幸いにと送り付けたのがこの女装男子または男の娘ご用達のファッションなのだ。
どうも、去年の文化祭で光が女装をしたのを見て、妙なところに火がついてしまったらしい。ちなみに女装姿の光を校内に引きずりまわしたのが、姉の命ともう一人、中学の後輩というのが真琴だったのだ。
流石に恋人からの贈り物を無下には出来ないと着てみたのはよかったのだが──
待っていたのはギルドメンバーの悲鳴だった。
「これじゃ男の娘じゃなくて漢の娘だ」
とまで言われ、挙句には「男の娘キャラの作り方」に関するサイトをいくつか紹介されてしまう始末である。
やむなくそれらのサイトを見て研究し、外観再設定機能、通常『エステ』で外見を再調整したのが今のアバターである。ただ身長だけは譲れず、設定上170cm以上をキープしているのだが、焼け石に水であった。
光はため息一つついて、あらかじめコーディネイトしておいたコスチュームをいくつか開いてみた。
はっきり言ってろくな服が無い。
一応結婚式ということで、白を基調としたコーディネイトをしてみたのだが、これではどちらが花嫁か分かったものでは無かった。
真琴から「自分が贈った服を」との注文付きだったので、選んでみたらこのざまである。
試しに自分が使っていたファッションも着用してみたのだが、まるで切腹に挑む若武者みたいになってしまい、頭を抱えた。
そうこうしているうちに時間も押してきたので、光はようやく一つのコーディネイトを選択する。
白に金の刺繍が施されたタイトな上着と、同じく丈の短い白のワンピース。足元は白のニーハイを履き、パンプスも同じく白を選択する。
これなら白を基調としながらも、きりっとひきしまった無難なコーディネイトだ。
光がそのコーディネイトを選択すると、アバターの衣装が一瞬で変わる。
「さて、行くか」
こうして義経──光はギルドホームの門をくぐった。
ギルドホールに入ると、待っていたのは案の定祝福と呪いの言葉だった。
この辺は覚悟していたのでオープンチャットできちんと礼を言う。
無論参加しているギルドメンバーもお祭り気分なので、光──義経を中心に踊って答えてくれた。
なんというか、ほとんどサバトの生贄になった気分である。
その中で個人チャットを使って話しかけてくるキャラクターが居た。
『光。結婚おめでとう。呪われろ』
『拓也か。久しぶりだな』
相手は同じ中学時代からのプレイヤーだった。他校に進学しているが、今でもゲームを通して結構話す機会が多い友人だ。
『それにしても、お前。よく結婚する気になったな』
『ラピスから頼まれて断われなかったんだ』
『昔からラピスさんと仲良かったもんな、お前』
『まぁな』
『で、ラピスさんとはリアルでも会ったのか?』
『ノーコメント。てかネチケット違反だぞ、それ』
『でもよっぽど親密じゃないと、結婚なんてしないだろ? リスクもあるしな』
確かに『結婚機能』にはリスクもある。
前提条件としてはそう難しくない。レベル50で解禁される『愛と死の迷宮』を男女二人のキャラクターで制覇すれば結婚指輪を獲得できる。無論レベル補正はあるが難易度は中の上といったところだ。
こうして結婚したキャラクターは同じパーティーかフィールドにいれば、5割増しもの戦闘能力を獲得でき、家屋付きの倉庫、ではなくて倉庫付きの家屋が獲得できるのだ。
は
ただ、何事もメリットがあればデメリットもある。
まず一緒にプレイしていなければ恩恵は受けられない。また倫理的にもシステム的にも重婚が認められていなかった。これは結婚機能を悪用してチート行為を防ぐという意味合いもある。
なによりネックなのは『離婚』が出来ないことだ。
ネットとはいえ、お互い生身の人間である。些細なことからすれ違いや喧嘩が起きることだってあるし、また相方がゲーム引退ともなれば、残ったものはただの一プレイヤーに逆戻りだ。最悪キャラクターの作り直しという事例も多く報告されており、運営にも直談判するユーザーも少なくないと聞く。
こうして天秤にかけてみると意外にデメリットが目立つ。結婚するのはよほどの効率厨か、リアルでも仲が良いプレイヤーに限られているのだ。
二人のキャラクター、ラピスと義経があえて結婚に踏み切ったのも、すでにリアルで付き合っているからと、ギルドの中では話題になっていた。
だが、光は軽く躱した。
『いいじゃないか。人の事なんだから』
『まぁ、お前がそう言うのなら止めんが。それより久しぶりにめずらしいプレイヤーさんが来てたな』
『誰だ?』
『お前の姉さんのミコトさん。今度は自分の番だー、とか言ってたけど。相手誰だよ?』
まさかあのバカ!!
『どこだ!?』
『あそこ』
そう言って友人のアバターが視線を向けた方には人だかりが出来ていた。しかもオープンチャットで話しているのか、吹き出しで会話が丸見えだった。
光はすぐさまその場にダッシュした。そしてことの元凶を目の当たりにする。
『あ、ミッちゃん。』
しかも非常識にも、愛称とは言え実名でオープンチャットで話しかけてきた。
『ミッちゃん、その服可愛いね。よく似合ってる』
ンな事はどうでもいい。
光は命のプレイヤーキャラクターを確認した。
巫女服をあしらったような和風のコスチューム。ただ袴に相当する部分は赤いプリッツスカートになっている。
エルフほどでは無いが耳が尖っている。いわゆるハーフエルフだ。
ただ、顔の造形が光のキャラクター義経に似ている、というか全くと言って良いほど同じだった。ご丁寧に目の色も赤系統だし、髪型もロングのポニーテールだ。
種族と性別が違うだけで、文字通り生き写しだった。
まさかと思って、光は姉のキャラの頭上に浮かんでいる吹き出しを確認してみる。
そこには『今度は私とミッちゃんの番だね』とあった。ご丁寧にハートのエフェクトを撒き散らしながら。
『おい義経。お前結婚式に二号さん招待とか、ちと話を聞かせろ』
『わー、義経さん最低ー。二股とか、ラピスさん可哀想ー』
光は思わず机の上に突っ伏していた。
そしてこれ以上放置していては危険だと即座に判断。
「姉ちゃんっ!!」
物理的に姉を黙らせるため、隣に有る命の部屋にカチコミをかけに行ったのだった。
そんなこんなで大騒ぎしていたら、結婚式開始まであと15分に迫っていた。
なのに、真琴のキャラクター『ラピス』の姿は未だ現れていない。
『ラピスさん来ないねー』
『まさかのドタキャン?』
そう誰もが噂し合っていた。
光の部屋でも姉弟揃って花嫁を今か今かと待っている。
「ミッちゃん、振られたんじゃ無い?」
「んなわけあるか」
だがそう言う光の声には焦りが滲んでいた。時間に正確な真琴にしては珍しい。何かがあったのかと気が気でなかった。自覚は無いが、意外に心配性なのだ。
一方の命は、目を離すと何をやらかすか分かったものでは無いので、先ほどから光の部屋に拉致監禁して監視中の身である。
まぁ命自身、光と一緒にいられれば良いといった態度で、呑気にポテトチップスなどかじっていたが。
流石に心配になって、電話でもかけようかと自前のスマフォに手を伸ばしたその時だった。
一人のエルフが白い衣装をまとってようやく現れた。
その美しい佇まいに、ホールに居たギルドメンバーは思わず見とれてしまっている。
青みがかった流れるような銀の髪を腰まで伸ばし、大きな瞳は吸い込まれそうな青だ。
コスチュームもまるで光に合わせたかのように、繊細な金の刺繍が施されたタイトなワンピースだった。靴もいつものパンプスではなく、ハイヒールを履いている。
何より頭を飾るアクセサリーとして、薄いヴェールをあしらったカチューシャが良く似合う。
どこに出しても恥ずかしくない、自慢の花嫁姿だ。
そんなラピス──真琴が周囲にお辞儀すると万雷の拍手が鳴り響いた。
サバトの生贄にされた光とはえらく待遇が違う。
何か不条理なものを感じるが、嫁が褒められるのは嬉しくないはずがなかった。
光は胸を撫で下ろし、真琴に近づいて個人チャットで話かける。これなら他に漏れる心配もない。
『えらくまた遅かったな? 心配したぞ』
『うん……ごめん。色々あって』
だが、その返事はらしくなく歯切れが悪かった。
『色々って?』
『あのね? ウチのお父さん、外資系の営業マンやってるって覚えてるよね?』
『ああ』
『なんかね、それで大きな仕事まかされたらしくって、もしかしたらあたし達、お父さんと一緒に海外で暮らす事になるかも、だって』
寝耳に水だった。恐らく真琴もそうだったのだろう。
もしかしたら、真琴の父親も急な異動だったのかもしれない。
『お父さんは単身赴任でも良いって言ってたけど、お母さんが……』
何度となく真琴の家族には会っているが、真琴の母親は控え目な性格で、気性も真琴以上に繊細な女性だった。
そんな話を聞いてストレスがかかってないはずは無い。下手をすると、心労で倒れかねない人だった。
──それが本当なら、こんなゲームで結婚ごっこにうつつを抜かしている場合では無いはずなのだ。
そうこうしている内に、間もなく結婚式の時間となった。
幹事であるギルマスの号令にみな一斉に式場である神殿へと向かう。
光と真琴もお互いそっと寄り添いながら式場へと歩みを進めた。
「ミッちゃん」
そんな二人のチャットを見ていた命が、光を励ます様にそっと囁く。
「本気に好きなら、言えるよね?」
何のことだろうと呆けた顔をしていたが、真剣な目をした姉を見つめたとき、光は言うべき事に気がついた。
そして手早くスマフォに指を走らせる。電話の相手は──
「もしもし? 先輩?? どうしたのさ」
泣いていたのだろうか。真琴の声は震えていた。
そこに光は、一世一代の想いを込めて言い放つ。
「真琴っ! 結婚しよう!!」
「ち、ちょっ! 先輩、何言ってんの!? 突然っ。結婚式なら今から……」
一体何を言い出すのかと、戸惑う真琴そっちのけで光は言葉を続ける。
「今日帰り道、お前言ったよな!?」
夕暮れの帰り道、真琴は確かにこう言った。
『二人でルームシェアしてさ、学生結婚ってのもありじゃない?』
「その話乗った! だから今日正式にプロポーズする! 高校はまだ無理だけど、大学入ったら一緒に暮らそう!」
傍から見てたら滑稽極まりないその言葉に、真琴は鼻をぐすぐす言わせて聞いている。
「あれ本気にするなんて、ホント馬鹿だよね──先輩」
「でも嫌いじゃねぇだろ? そう言うの」
「うん……っ!」
相変わらずの涙声。だが、その声は喜びに満ち、明るさを感じさせるものだった。
後ろで見ていた命も「大変良くできました」と言わんばかりに腕を組んでふんぞり返っている。その瞳に少しばかりの涙が滲んでいたとしても、笑う人間は居ないだろう。
そして自キャラを操作して二人の後をとことことついていくのだった。
喉が渇いて、手が震える。
本当の結婚式もそうなんだろうか。
光は緊張のあまりカップを落としそうになりながら、ぬるくなったコーヒー口に含む。
「もー。ミッちゃん、往生際悪すぎ」
命が笑って頭を叩いて来るが、生涯唯一の伴侶を得るのだ。これで緊張するなと言う方がどうかしている。
勢いでプロポーズしたわけだが、そこは高校2年生。結婚というものに対してまだ具体的な現実感が欠けている、と言うところが正直なところだ。
真琴の方はどうなのかな? と思うが、想像つかない。
何しろゲームとは言え言い出しっぺは真琴だったし、結婚式の根回しも真琴の手際によるものだ。
それにわざわざ6月12日の今日『恋人の日』を指定する辺り力の入れようが違う。
どうもこの辺で男と女は感覚が、というか覚悟が違うような気がする。
そうこうしている内に時間となった。
『婚姻の儀を始めますか?』
というメッセージと共に 『YES』 『NO』 の選択肢が現れる。
新郎新婦のキャラ双方がこれに同意すると、後はほぼオートで進行するのだ。
思わずごくりと喉を鳴らした。これに『YES』と答えればもはや後は無い。
何度もクリックしそうになってはためらい、躊躇していたその時だった。
『先輩。もうクリックした?』
個人チャットで真琴が語りかけてきた。
『もしかして、後悔してるの?』
不安にさせてしまったのだろうか。その一文が胸に刺さる。
『いや』
その言葉に後押しされるように、ようやく『YES』の選択肢をクリックした。
すると、パイプオルガンの荘厳な音が鳴り響き、二人のアバターは腕を組んでバージンロードをゆっくり歩き始めた。
周囲からは拍手の音が鳴り響き、紙吹雪が舞う。
そうして二人は、神殿を治める司教の元に立った。
『それでは神の聖名において、新郎義経と新婦ラピスの婚姻の儀を行う』
ここからは定型のストーリーモードと同じイベントシーンだ。
司祭の他登場しているのは義経とラピスのアバター三人だけである。
『汝、義経』
呼びかけられた時、光はモニターの前で思わず「はいっ」とか間抜けな声を出してしまった
『あなたは、その健やかなるときも、病める時も、彼女を愛し、敬い、慰め、助け、その命の限り、堅く操 を守ることを誓いますか?』
再び 『YES』 『NO』 の選択肢が現れる。
ここで『NO』はあり得ないが、口の中がからからと渇いて光は一旦コーヒーを飲みほした。
そして覚悟を決めて「うりゃあ!」と掛け声だけは勇ましく、『YES』 を押す。
するとアバターである義経が右手を上げて静かに頷いた。
司祭は満足そうに頷くと、今度はラピスに声をかけた。
『ラピス。あなたは、その健やかなるときも、病める時も、彼を愛し、敬い、慰め、助け、その命の限り、堅く操 を守ることを誓いますか?』
するとしばし沈黙が帳を降ろす。
あれ? 反応遅いな。──まさか真琴の奴、ここまで来て今さら『NO』とか言わないだろうな?
妙に間が開いたので、光は不安に駆られた。それでもじっとラピス──真琴の反応を待つ。
すでにイベントムービー形式になっているので、チャットは不可能だ。
実際待ったのは10秒くらいだが、光には随分長い時間に感じられた。
──まさか真琴の奴、俺の将来考えて身を引くつもりじゃないだろな。
真琴は昔からそういう所があった。相手の事を思うあまり、自分が傷つこうと一歩ひいてしまう癖があるのだ。
それがなければ中学の時、いじめられていた事を光に救けを呼んですがっていたに違いない。
まさかとは思いたいが、光は不安をかき消すようにコーヒーをあおった。
だがややあって、ラピスもまた手を上げて静かに頷く。
光はそれを見て心底ほっとした。ただ、今の間はどういう事だろう?
後で真琴に聞いてみよう。まぁ、大した理由ではないとは思いたいが……。
そんな双方の思惑など意に介さないように、司祭は淡々と式を進行する。NPCだから仕方がないが、もう少しは空気を読んでもらいたい。無理な相談だとは思っていても。
『では、指輪の交換を』
途端にBGMが荘厳で穏やかなものから、一気に盛り上がる曲へと変わった。
『愛と死の迷宮』で入手した結婚指輪はすでに神殿に奉納してある。
司祭がそれを取り出すと二人はそれを受け取り、うやうやしく互いの左薬指にはめていく。
『ここに一組の夫婦が生まれました。二人は誓いの口づけを。神よこの二人に祝福を与えたまえ』
そして言葉と共に二人のアバターが歩み寄り口づけを交わそうとする。
──改めて外から見ると、なんだか照れ臭いな。
二人は恋人になってから何度かキスを交わし合った仲ではあるが、こう客観視してみると非常に恥ずかしい。
ただ、大仕事をやり遂げた感もあって、光はふぅ……とため息をついた。
これならソロでボスキャラ倒してこいと言われた方が、まだましなほど緊張していたようだ。
「はい、ご苦労さま」
そう言って、命がコーヒーのお代わりを差し出してくれる。そんな姉の心遣いが嬉しい。
ムービーは二人のアバターがアップになって今まさに口づけを交わそうというところだった。それに連れて画面が徐々にホワイトアウトしていく。まぁ『ヴィクトーニア・サガ』は全年齢対象だから、こういう演出になるのも無理もないが。
光がやり遂げた顔でぼんやり画面を見つめていた、──その時だった。
徐々にモニターの輝度がさらに明るくなっていった。
──あれ? モニターの設定間違えたかな?
ぼんやりと考えるのもそこまでだった。
突如としてモニターが爆発的な光を放ち、光と命の視界を白く塗りつぶしていき、その光が部屋を埋め尽くすほどの曼陀羅へと変化していく。
「な、なんだ!?」
「なんなの!? これっ!!」
姉弟二人は狼狽えて思わず互いの手を取り合った。
だがあまりの眩しさに目を眇め、両腕で視界を遮るが、光の奔流はたちまちのうちに光達の体を飲み込んでいったのだった。
ややあって、突如として光の奔流は消え失せた。
光がおずおずと目を開けるとそこには──
「どこだ……ここは」
驚くのも無理はない。
そこには広大無辺の虚無の空間と、それを覆いつくさんばかりの曼陀羅がそびえ立っていたのだ。
──体は、動かない。ただ、全裸である事は感覚的に分かる。
必死の思いで首を巡らすと、遠く離れた場所に命が全裸で立っているのが見えた。
命だけでは無い。
(真琴!?)
命とは反対の位置に、真琴がやはり全裸で立っていた。
だが呼びかけようにも声が出ない。金縛りにでもあったようだ。
二人の方は意識が無さそうだった。頭を垂れて黙って立っている。
──いったい何がどうなってやがる畜生!
光が心の中で口汚くののしった、その時だった。
『ブラフマン・システム。シャクティ・リンケージの適応個体二名を確認』
荘厳でありながら無機質な声が虚空に響き渡る。
はったり男? なんのことだ?
だが、謎の声は光の思いとは関係なしに話を進めていった。
『男及び女の結合開始』
光と真琴の間に光の線が現れリンクする。
『男女合一形成』
すると光から魂の半分を持っていかれたような感覚と共に、光の傍らに光の似姿のような半透明な存在が現れた。
それが二人とを繋ぐ線に沿って向かい、代わりに真琴と命の似姿が近寄って来て、光と融合する。
『化身召喚』
これ以上何をするつもりだと怒鳴りつけてやりたかったが、やはり声は出ない。
足掻いてみるが、なすがままだった。
そんな光の眼前。そこに信じられない『モノ』が眼前に現れる。
長い黒髪を馬の尾のように後ろにまとめ、その双眸は赤く染まっている。
それがまるで人形のように無表情で立っていた。
──『義経』? なんで俺のゲームのアバターが。
『融合』
その言葉と同時に『義経』が右手を差し出しその手のひらから暖かい光を放つ。
放たれた輝きは光の体内に吸い込まれ侵食し、その体をかき回すように蹂躙していく。
そして『義経』はそれに伴うように徐々に姿を消していった。
体を次々に作り替えられている感覚に異様な疲労感を覚える。
横目で見れば真琴も命も相変わらず意識を失ないながら、光と同じようにそれぞれのアバターの侵食を受け、さらにぐったりしている様子が見て取れた。
それを見て、光はついにキレた。
「おいこら……ブラフマンだかピラフマンだが知らねぇが、人と人の彼女と姉貴になにしてくれてんだ! ああっ!?」
その言葉に絶句したように、『ブラフマン・システム』が沈黙する。
そして長い沈黙の後、曼荼羅が一層輝きを増した。
『ソーマ適格者の存在を確認。これよりデーヴァとの神人合一を実施』
そう宣言すると曼陀羅から一柱の巨神が現れた。
否、それを巨神と表していいものか。
紫がかった黒く流麗な鋼の肌に憤怒の形相を象った面。額には三番目の目を持ち4本の腕と、まさに異形な巨躯を持つそれは、敢えて言うならむしろ機神──幻想的なロボットのように見えた。
その炎が噴き出しそうな眼で光を睨みつけている。
だがブチ切れた光の目には、畏れを知らない強い意志が込められ、逆に睨み返した。
『……パイラーヴァ・シヴァ。もはや事ここに至っては再生のための破壊もやむを得ぬ。そういう事か、憤怒の破壊神よ』
ブラフマン・システムの言葉に呼応するように、紫黒の機神は空間すら震える雄叫びを上げた。そして額の眼が輝くと、そこから一条の光線が放たれて光の額に突き刺さる。
光は脳を槍で貫かれたのような衝撃が走り、同時に目や耳、鼻や口からおびただしい血が流れた
それだけでは無い、全身の肉と神経を切り刻むような激痛と再生が延々と続き、ついにはその姿までもが変わっていく。
犬歯が狼程も伸び、全身の筋肉が蠕動。体の表皮には奇怪な紋章が浮かんでは消え、額には第三の目の眼が出現していた。
そんな地獄のような激痛にも耐え、光はただひたすらに紫黒の巨神を睨みつける。
そしてついに──
「がぁあああああああ!!」
光は獣のような雄たけびと共に金縛りを無理やり引きちぎった。それと同時に光の体が文字通り光となって爆ぜる。
後にはもとの姿に戻った光の姿が残った。
『ソーマの適合者はシヴァの眷属となった』
ブラフマン・システムを名乗る声が虚空に朗々と響き渡る。
「俺に……俺達に何をした」
『汝にはソーマを受け入れ、神となる素養があった。ゆえに、我がディーヴァ神族の一柱。憤怒と破壊の神、パイラーヴァ・シヴァを宿したのだ』
「何が……何が神となる素養だ。誰が頼んだ、そんなもん」
『汝の意志など関係ない、望まれし者よ。これは宿命よ。神の力──ソーマを受け入れる事の出来る者のな』
ブラフマン・システムの口調はあくまでも機械的で、感情と言うものが感じられない。
「俺を、俺達をどうする気だ!」
『時至れば、自ずと成すべき事も理解出来よう。それまでは記憶に封印を──眠れ』
そう言われた途端、糸が切れたように光は倒れ伏した。元より肉体も精神も限界だったのだ。
『そしてその伴侶にも神人合一を実施』
再び曼陀羅が輝くと、今度は真琴の前に金の肌をした黒髪の女神が現れた。
黄金の女神が真琴に手をかざすと、掌から光が溢れ、真琴を優しく包んでいく。その輝きは全身を駆け巡った後、額に集中して消えた。
『言祝ごう。ここに新たな番が生まれた。言祝ごう。この番が、かの地に安息と安定をもたらさんことを』
言祝ごう 言祝ごう 言祝ごう
──言 祝 ご う
祈りにも似た唱和の中で二人は輝く光の玉に封じられる。
赤い球は光。
青い球は真琴。
二人を包む輝く球体は、互いに螺旋を描くように天へと昇っていく。
『──そして、望まれざる者よ。汝も行くがよい。それもまた、宿命なれば』
最後に命が紫に輝く光の玉に封じられ、二人の後を追うように同じく天へと昇っていった。
それを見送るかのように曼陀羅は消え、後には虚無の空間が広がっていた。
6月12日金曜日。
この日、人知れず三人の男女が地球から姿をけした。
それに気づく者は今は誰も居ない。