第2章ー3
この時の会話をどちらが切り出したのか、今となっては私の記憶も、かなり曖昧になっている。
ともかく上里松一がアユタヤに赴くことになり、更に張娃を上里松一に同行させるのか、ということが問題になった時点で、私と真徳殿との間の密談から、思わぬ話になったのだ。
以下は、私の記憶が正しければの話になる。
「アユタヤに張娃を連れて行くべきではないのでは」
真徳殿からの言葉に、私も確かに、と思わざるを得なかった。
当時、シャム王国は四周に敵を抱えていると言っても過言では無く、特にビルマ王国との関係は険悪で、いつ全面戦争に突入してもおかしくない有様だった。
シャム王国もそれなりの軍事力を持ってはいるが、首都のアユタヤが戦乱に巻き込まれる危険性が絶無か、と言われれば、私自身、疑問がある有様だった。
更に言えば、当時の張娃は(数えの)12歳だ、まだまだ大人とは言い難かった。
実際、張娃の婚約者の上里松一も、シャム王国の情勢を聞いて、張娃を同行することには難色を示した。
一旦、琉球に張娃を残して、シャム王国の情勢がある程度は落ち着くか、3年程経って、張娃が大人としての行動をとれるようになってから、張娃を(シャム王国の首都)アユタヤに呼ぶことを、上里松一は私に最初は提案する有様だったが。
だが、その考えについては、別の不安が生じた。
この辺り、世代等の考えの違いが背景にある。
私も真徳殿も、梅毒が存在しなかった頃を知っていて、梅毒襲来に伴う初期の悲劇を知っている。
だが、その悲劇を張娃(及び上里松一)は知らないのだ。
だから、張娃にしてみれば、なんでそんなことを私は考えたのだ、という事態が生じた。
「それにしても、3年程、娘の婚約者をアユタヤで独居させる、というのは不安です。それこそ、上里松一を私のアユタヤ支店の支店長という表向きの顔をさせて、米の買い付け等をさせるつもりですが」
そこまで、私が言ったところで、真徳殿が半ば独り言を言った。
「あいつに愛人を宛がってはいかんのか」
私は、真徳殿を無言で見返した。
「大方、上里松一が梅毒にり患するのではないか、という想いもあるのだろう」
真徳殿は、敢えて私の顔を見ずに独り言を言った。
実際、真徳殿は私の内心の不安を見事に言い当てていた。
私の両親や弟2人は、梅毒で亡くなっている。
その発端は、父の浮気で、そのために母もり患し、更に弟2人が先天性梅毒で亡くなったのだ。
もし、上里松一が浮気の果てに梅毒にり患したら、張娃も梅毒にり患する可能性が高い。
「健康な子を最近、産んだことのある手頃な年頃の女性を、上里松一の愛人にしたらいいのではないか。健康な子を産めるということは、梅毒にり患していないという証になる。それに子どもがいれば、その子と上里松一の仲は上手く行くまい。だから、愛人関係に上里松一が、そうのめり込む心配もないだろう、と私には思われるがな」
真徳殿は、偽悪的な口調で独り言を呟いた。
私は、真徳殿の考えに思わず同意してしまった。
確かに上里松一に、子どもがいる女性を愛人として勧めるのは、中々良い考えではないだろうか。
それに、アユタヤの支店長として上里松一を私が遇する以上、上里松一にその気はなくとも、色々な動機から周囲が愛人を勧めるのは目に見えている。
アユタヤ支店長位の立場なら、愛人がいない方が不自然だ。
娘婿が、下手な女に引っかかる危険を考えるならば。
私は真徳殿の考えの通り、アユタヤに着き次第、自分の考えにあう女性を探すことにした。
だが、このことが更に思わぬ事態を招くとは。
本当に、人生とは思わぬ話に満ちているとしか言いようが無い、と私は想わざるを得ない事態が起きてしまった。
第2章の終わりです。
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