第4章ー2
最もこの親子喧嘩を横で見ていた真徳によって、上里松一の下には別便で手紙が送られたことから、この親子喧嘩の経緯も、それなりに誤解をはらんではいたが、松一に把握されることになった。
そして、張娃の手紙も読んだことから。
松一は、それなりに張敬修には恩義を覚えていたこともあり、張娃との婚約は維持して2年程経って、張娃が15歳になった段階で、自分の正室としてアユタヤに迎えることを改めて決めた旨の手紙を、張敬修と張娃それぞれに送ることにした。
(松一は、元々は海軍の軍人であり、この当時の商慣習等は全く知らなかった。
張敬修は、義父として色々と松一に、この当時の商慣習等を教え、商人としての最初の一歩を指導した。
そして、いわゆる出藍の誉れを示して、松一は商人としての才能を示したのだ。
だから、松一はそれなりどころではない恩義を、個人的に張敬修に被っていることもあり、恩人の娘である張娃が婚約を破棄しないでほしい、と言っている以上、婚約破棄という行動は取れなかった)
そして、プリチャに対して、張娃が15歳になってアユタヤに来るまでは事実上の正室として扱うが、それ以降はプリチャを側室として暮らす方向で考えていることを、松一は伝えることになった。
その一方で。
プリチャは、自分自身と向き合うことになった。
娘のタンサニーは嫌っているが、自分にとって夫と呼べるのは、サクチャイだった。
もしも、奇跡が起きて、サクチャイが自分の下に生きて還ってきて、自分のしたことを許して、共に暮らしたい、と言われたら。
自分は、サクチャイの下に奔りたい。
それが、奇跡でしかあり得ない話なのは分かっているけど。
(この当時、ビルマ軍に拉致されて行方不明になった場合、生きて還ってきた例は無いとはいわないが、極めて稀で、100人に1人と言われる有様だった。
だから、プリチャが子どもを養うために、サクチャイが行方不明になった後に松一の愛人になったのも、非難する人がいなかったとは言わないが、止むを得ないと当然視する人が周囲、アユタヤでは多かった)
松一や和子を自分が愛していない訳ではないが。
それにしても、2年程したら、張娃さんが正室として来るのか。
5、6年はアユタヤに松一は住む、と言っていたから、3年程は正室の張娃と同居することになる。
お互いに気づまりだから、別宅を借りてもらい、通いの側室になった方がいいかも。
そんなことを、この頃のプリチャは考えていた。
更に。
どちらにしても、松一は何れはアユタヤを去る筈だ。
タンサニーらが、言葉の通じない外国に行きたがるとは思えないし、私も少なくともシャム王国からは出るつもりは全くない。
和子は手放すことになるだろうが、自分は手切れ金をもらって、タンサニーらとアユタヤで暮らしていくことになるのだろう。
そんなことを和子を産んだ直後(といっても、手紙のやり取りもあり、また、乳児の和子の面倒に追われたこともあり、で気が付けば半年程は経っていた)、プリチャは考えるようにもなっていた。
だが、そうプリチャが考え、松一が将来のことをそう考えていた中で。
それに反対している人物が、二人の身近にいた。
言うまでもなく、タンサニーである。
タンサニーにしてみれば、松一と出逢って、事実上の親子として暮らすようになって幸せだった。
弟のサクチャイを自らの味方に抱き込み、プリチャと松一が正式に結婚してほしい、とタンサニーは二人に懸命に働きかけた。
そうは言っても、と松一もプリチャも考えて、タンサニーらをたしなめる日々が2年近く続き、そろそろ張娃をアユタヤに迎えようと松一が考え出した頃、プリチャが2人目の子を妊娠する事態が起きた。
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