65話 出発
10日後、僕達は王都へと旅立つこととなった。
この10日間は非常に慌ただしかった。
別に僕とマロンが慌ただしかったわけではない。旅の準備で周りが慌ただしかったのだ。
僕とマロンの旅の準備といえば、服を数着作ったぐらいだろうか。採寸や着せ替え人形のように何着も着ては脱ぎ脱いでは着てを繰り返したぐらいだ。
ご主人様からは王都に行った際の注意事項や、この世界の貴族や王族のありようなどをおおまかに聞いた。
旦那様は上級貴族に準ずる男爵位をもつ貴族だということだ。
そして王都にマロンを見せに行く先の貴族は、大公爵というらしい。王族からなる大公という爵位、それはすなわち王に近い続柄からなるということである。ゆえに王の次に権限をもっているとういことらしい。
だから粗相は許されないという。何か問題を起こそうものなら処罰を受けるかもしれないということだ。
とはいえ今度会う大公爵は、以前旦那様と奥様のパトロンをしていた人物らしく、幸いにしてそんなに気難しい人ではないらしい。
研究には大きな理解を示してくれる、懐の深い人であるということだ。
だが今回は、特殊な事例になるだろうから、何を命令されるか分からないということで対応には気を遣うとご主人様は言っていた。
マロンを見て何を要求してくるかは、その時にならなければ分からないということだ。最悪はマロンと引き離される可能性も考えておかなければならないと話していた。
しかし僕としては普通に接するしかない。マロンをここの家族以外と接触させることで、粗相のないようにしなければならない。マロンの精神安定剤的役割をこなそうと考えている。
こうして僕がこの世界の事情を教わる時間の他は、マロンの言葉の勉強時間に当てたぐらいである。
「マロン。人前に出るのだから、お行儀の良い言葉使いを心掛けるんだよ?」
「あぃ! マーロ、ン、おぎょう、ぎ、いいです、ます!」
うん、返事は元気良いがまだ無理そうだ。
とはいえ、そんなにすぐに普通に話せるようになるのなら勉強はいらない。織り込み済みである。僕がマロンの盾になろう。
そういえば僕とマロンは死んだことになっているのでは? と聞いてみたところ、おそらく例の事件の首謀者が何らかの噂を流した可能性が高い、とご主人様は言っていた。
でも噂なら別に死んだことにしても良いのでは? 言葉を話す珍しい裸猿がいると知れると良い事はないと、以前ご主人様自身が言っていたのだ。
だがしかし、それも困難な状況だという話である。
そのお偉いさんとは王族なので、この話は間違いなく王にまで伝わっているだろうと言っていた。故に僕とマロンが死んだと嘘の報告をし、後々その嘘がバレてしまうと、とんでもない事になりかねないとのことだ。
確かに嘘で王を騙そうものなら、王の怒りを買うのかもしれない。偽証罪とかそんな罪に問われる可能性も否定はできないのだろう。
しかし幸いにも今回は王から直接の召喚ではなく、大公爵からのお招きなのでその辺りは若干は軽減されていということだ。
けれども油断は禁物である。なので隠し事をせずマロンを連れて行くのだと言っていた。
そこで問題なのは僕の存在だ。
噂は雌の裸猿、マロンというだけで、僕は上がっていない。僕はどういった立ち位置でいれば良いのかご主人様に訊ねたところ、そのお偉いさんの出方次第では僕の存在は秘匿したいということだった。
やはり僕は上手く立ち回らねばならなそうだ。
ということで、王都へ向けて出発することとなった。
「忘れ物はないね?」
「はい、全部積み込みました」
「では出発しようか」
旦那様の号令で馬車は走り出した。
僕たちは2台の馬車に分乗して乗ることになった。
先頭の馬車には旦那様と奥様とそのお付きの人達が乗る。二台目の馬車には僕とマロン、ご主人様とキャンディーお嬢様、それとミッチェル様とキャンディーお嬢様のメイドが乗っている。
王都までは四日の行程だそうだ。三泊四日の道程とは結構遠いのかもしれない。馬車の平均時速がどれくらいかはわからないが、一日150km前後は移動できるとして、おおよそ600kmくらいは離れているのかもしれない。東京から大阪とか青森ぐらいの距離かな?
それにしてもちょっと物々しい旅になりそうだ。さすがお貴族様の旅というべきか。
「ずいぶんと厳重な警備をしているのですね?」
護衛の数も結構なものだ。兵士が10人ほど馬に騎乗し、馬車の前後左右を警護している。
「これぐらいは普通ですよ。道中は危険がつきものですからね」
「そんなに危険なのですか? もしかして盗賊団とかそういうのが頻繁に出没するとか?」
「まあそれもないとは言えないですけれど、主に魔物が襲ってくるのです」
「魔物ですか……」
どうやら街の外というのは、魔物が跋扈する危ないところらしい。
「タツヤが出てきたという北の原生の大森林よりは弱い魔物ですが、私達を見つけるたびに襲ってきます。ですから気は抜けないのです」
「なるほど、僕なんかがうろついたらすぐに死んでしまいますね」
「そうですね、今のタツヤでしたら、一番弱い魔物にも勝てないかもしれませんね」
ご主人様は苦笑いを浮かべながらそう言った。
魔物とはとかく人を襲うものらしい。戦うことのできない最弱の僕は、即死んでしまいそうだ。
「そんな時は息を殺して気配を消すことにしますよ」
「面白いことを言いますねタツヤは。でもそれぐらいでは魔物から逃げられませんよ?」
「そうですよね。あはは」
ご主人様の言葉に僕は笑って答えるしかない。
魔物とは往々にして人の気配に敏感で、いくら気配を消そうが近くにいるだけで襲われるということだ。
そんなものだよね。前の世界でも野生動物の方が匂いや気配に敏感だからね。それに熱に反応する動物もいたぐらいだ。魔物というぐらいだからもっと敏感な奴もいるかもしれない。
──ん? でも何か引っかかる……。
そう考えて、ふと疑問に思った。
僕はご主人様が言うように北の原生の大森林から出てきたらしい。数匹のめちゃくちゃ恐ろしい魔物と、遠目ではあるが遭遇もしている。夜中も目の前を魔物らしきものが通り過ぎる気配を何度も体験したが、襲われることはなかった。
あの時はきっと、息を殺し、気配を消していたから気づかれなかったのだろう、そう思っていたのだが……よくよく考えればおかしなものである。
運よく気づかれなかっただけかもしれないが、僕が無事でいられた他の理由も何かありそうな気がしてきた。
そうこうしている内に街を出た馬車は街道を進む。
途中何回も停車し、その度にご主人様達は馬車の外に出て魔物退治に勤しんでいた。兵士に任せておけばいいと思うのだが、どうやらこれがこの家での旅の基本らしい。
キャンディーお嬢様の研究の中にも、神の補正を受ける早道として、より多く戦いに参戦する、という研究結果も出ているそうだ。戦えば戦うだけ神の補正を授かることができるということらしい。ゆえにご主人様達は、チャンスがあれば魔物退治も研究の内としているようだ。
なんとも逞しいことである。どうりで旅支度が武装していると思ったよ。
こうして初日の移動は順調に進んだ。
暇な移動時間はマロンの言葉の勉強や、この世界の事情などの話をしながらだったので、暇を持て余すことは少なかった。
夕方に最寄りの町に宿を取り、そこで一泊する。
僕とマロンも、付け耳付け尻尾を装着しているので、裸猿としてではなく猫の獣人として擬態しているので騒ぎになることなく宿泊できた。
マロンの付け耳付け尻尾を急遽仕上げたキャンディーお嬢様には感謝しかない。本物と見間違ような出来で、マロンはものすごく可愛らしかった。
当のマロンは付け耳をいささか不快に思っているようだが、我慢するように言い聞かせている。
宿もさすがはお貴族様が泊まるような宿なので、とても立派な宿のようだ。部屋も研究室の部屋よりもぐっと格調高くて落ち着かないほどだった。
この世界に来て初めての長旅。人扱いされていなかった最初の頃と比べると、とても優雅な旅といえるだろう。
そして二日目、僕は昨日とは別の馬車に乗ることとなった。
旦那様と奥様の馬車に僕が乗ることを前々から決めていたらしい。移動中の時間も研究に充てたいと考えている奥様の提案だそうだ。
僕は命令されるがままに先頭の馬車に乗り込み、そして出発するのだった。
「さあ、タツヤ。十分に時間はありますから、教えてくださいませ」
「は、はい。お手柔らかにお願いします……」
研究を始めると脇目も振らずそれにのめり込む性格の奥様なので、最初に釘を打っておかねば休憩も挟んでくれなくなるのだ。その辺りは学習した。
「ははは、タツヤ君も大変だね。ハイネスに目をつけられたら、死ぬまで付き合わされるかもしれないよ」
「怖いこと言わないでください旦那様……」
「あなたは黙っていてください。研究の邪魔をするなら荷台に括り付けますよ?」
「は、はい、黙ってます!」
ギロリと奥様に睨まれ姿勢を正す旦那様。
旦那様は口出しも許されないようだ。奥様恐るべし……。
それとは別に、僕は疑問に思っていることがある。
旦那様も奥様も、考古学を専攻されていると聞いていたのだが、なぜ僕の世界の言語、日本語を研究しているのだろう。言語学者でもあるのかな?
しかしこの世界の言葉ではないのに、なぜこうも熱心に解読しようとしているのかがわからない。
「あのう、始める前に質問よろしいでしょうか?」
「ええ、いいわよ」
「前から疑問に思っていたのですが、この世界に獣人の共通語は一つしかないと聞いていますけど、それなのになぜ僕の世界の『日本語』を真剣に研究なさっているのですか?」
「あら、話していませんでしたか?」
「ええ、聞いておりません」
奥様は自分の欲求には貪欲だが、その他の情報はおざなりなようだ。
すると奥様は、荷物の中から大事そうに布に包まれた、一冊の書物のようなものを取り出し僕の目の前に提示した。
「これが古代遺跡から発掘されたのです」
「書物なのですか?」
「ええ、書物です」
奥様はそう言いながら、大事そうに包んである布をぺらりと捲る。
するとそこには古めかしいぼろぼろになった書物が現れた。
表紙はすすけていて何が書いてあるのかわからないし、小口もところどころ破けたりしている。
──この異世界の古代遺跡から出たという本と、日本語がどう繋がるのだろうか?
よくわからない。
「開いてみてもいいですか?」
「ええ、少し脆くなっているので気を付けてくださいね」
「はい……」
僕は恐る恐る表紙を開いてみた。
「──!?」
それを目にした僕は息を飲んだ。
そこに書かれていた文字は、間違いなく日本語、だったのだ。
お読み頂きありがとうございます。




