64話 王都へ行くことになりました。 ★
今日卒業式を迎えた私は、晴れて研究者としての道を進むことを決心した。
当面はこの屋敷でタツヤとマロンをメインとして研究を進めて行こうと考えている。
今迄と違い学校に通わなくて良くなった分、研究に充てる時間が大幅に増えるのだ。こんなに嬉しいことはない。
とはいえ学校を首席で卒業したものだから、何かと声がかかっていたことは言うまでもない。王都の研究所からは是非とも来て欲しいと、熱烈な勧誘にあっている。他の機関からも好条件で迎え入れる準備をしていると、私を巡る争奪戦が繰り広げられていたと言う話だ。
だがそれらの誘いは一切お断りを入れることにした。
何故ならタツヤとマロンがいるからに決まっている。今タツヤたちを表に出すわけにはいかない。ただ言葉を話す裸猿というだけでも珍しい個体であるのに、タツヤは他の世界からの転生者、マロンは裸猿にあるまじき能力値を持っているのだ。
これが知れてしまったらこの国、いえ、この世界が放っては置かないと考えられる。ここは権力が蔓延る世界、簡単に私の手から二人を引き離すことになるかも知れないのだ。それだけは阻止したい。
それに権力以外にも先にもあった通り、暴力や謀略によって奪われる可能性もある。だから極力秘匿しなければならないのだ。
そう考えているが、今は私の卒業を祝うパーティの真っ最中である。
「御卒業おめでとうミルキー嬢」
「ありがとう存じます〇〇様」
「王都の研究所からのお誘いをお断りになったそうですな」
「ええ、この街で研究したいことがまだありますので、残念ですがお断りいたしました」
「ハハハ、それは豪気なものですな。研究者としては夢の場所からの誘いを断るとは、他の者が聞いたら嫉妬に狂いそうですな」
「いいえ、私よりも適任な方も多いでしょうし、妥当だと考えております」
「ハハハ、王都の研究所よりも興味深い研究をしているのですな」
「いいえ、そんなことはありません。父と母の研究の手伝いもしたいので、それにはこの街で研究するのが環境的にも一番と考えただけなのです」
「なるほど、ブリューゲル卿も良き後継者に恵まれて羨ましいですな。ハハハ」
こんな対応ばかりで気疲れしてくる。
誰も彼も探りを入れるようなことを聞いてくるのだ。本当に疲れる。
それよりも疲れるのは、
「ミルキー様も成人なされたのですから、お相手はもうお決めなのですよね?」
「いいえ、まだ決めておりません」
「あら、まだでしたか! それはブリューゲル卿もさぞご心配なことでしょう。ではわたくしがご紹介差し上げましょう。〇〇伯の三男の〇〇様などいかがですか? 容姿端麗でお優しいお方ですよ?」
「いいえ、私は結婚よりもまだ研究に専念したいと考えております。大変光栄なのですが、結婚のお話はもう少し先になりそうです」
「あら、いけませんことよ? 女性の幸せは良い殿方で決まるのです。今はまだ結婚を考えられなくとも婚約だけはしていても損はありませんよ?」
「いつ結婚するともわからない私と婚約など、お相手にも失礼に当たります。ですから今は全てお断りさせていただいているのです。お心遣いありがとう存じます」
婚約しないのかと迫ってくる方が多くて困りものだ。
自分の息子や、繋がりの強い貴族の行き遅れの息子などを紹介してくる。全く厄介極まりない。
そもそも私の研究に理解を示してくれる方でなければ婿に迎え入れる気はない。私の幸せは殿方で決まるわけではなのだ。
大方が我が家への婿入りを狙っている下心を持った者たち。中には違う方もいるのだろうが、今の所研究に注力したいので、私はまだ結婚する気はないのである。
まったく、成人するのもいいことばかりではないみたいだ……余計な気を使わなければならない。
ということで盛大に開いてくれた私の卒業パーティもつつがなく終えた。
お客様をお見送りして、私は盛大にため息を吐く。
「はぁー、疲れました」
「そうですね。お姉様を見ているだけでわたしも疲れました。わたしの卒業はまだまだ先ですけど、卒業パーティは開かないようにしたいと思います」
妹のキャンディーも将来の事を想像するだけで参ってしまったようだ。
「でもキャンディーの場合は嫁に行く立場ですから、早々に決めておいたほうがいいのですよ?」
「いいえ、それこそ研究に理解を示してくれる方がいるのかどうか怪しいものです。結婚したはいいが研究をさせてくれないのであれば、墓場に行くようなものですよ?」
「なら私と交代しますか? 私がお父様の跡目を辞退しますので、この家をキャンディーが継いで──」
「──嫌です! 領主なんかになったらもっと苦労しそうですし、逃げられないではないですか!」
言い切る前に断られた。
以前もそうだったが、よほど父の跡を継ぐのは嫌なようだ。学校と領地両方をうまく回して行かなければならないとなれば、苦労が目に見えているからだろう。
そうこうキャンディーと跡目を譲り合っていると、父が背後に立っていた。
「ミルキーちょっといいかい?」
父はいつも家で見せるような和やかな笑顔ではなく、真剣な表情で声をかけてきた。
その背後には母も研究者の険しい顔で仁王立ちしている。
ああ、卒業式の時に壇上の椅子に座って居眠りをしていたのを母に叱られて、私に助けを求めてきているのかな?
と思ったがどうも様子がおかしい。
「はい、なんでしょうかお父様」
「実はね、雌の裸猿を見せろと、大公様から使いの者が来たよ」
「えっ!?」
マロンを見せろと、王都の大公様が使いの者を寄越したという。
大公様と言えばその昔、父と母のパトロンだったメルローゼン大公爵のことだろう。王族であり父と母の大きな理解者として有名だ。
だが問題はそこではない。
何故マロンの存在が王都の大公様まで上っているのかだ。
「やられましたねミルキー。これは例の件の黒幕か、取り逃がした黒猫盗賊団が噂を流したのでしょう。ミルキーの卒業を待ってその話を持って来たのがその証拠です」
母は端的に予想してみせた。
ゲイリッヒ家はあの件に関しての関与はないと分かっているし、逆に被害者みたいなものなのでその線はないだろう。
「卒業したミルキー共々王都に来るようにとのお達しだ」
父は首を細かく振りながらそう言う。
「しかし死んだと噂を流しているのに、何故……」
「おそらくその死んだという情報と、二匹が攫われた時間のズレで、犯人はその噂は嘘の情報だと確信したのでしょう。現にあの日は昼前に二匹は死んだことにすると言っていましたよね。その夕方二匹は攫われているのです。昼前からキャンディーやゲイリッヒ家のハイド様まで噂を流していたのですから、それなりの方がその嘘の噂を聞いていることでしょう」
なんてことだ。そんな少しの時間のズレまで相手には知られていたのか。
「ですが、今はもう死んでいると言ってはダメなのですか?」
「無理だろうね。大公様に知られているということは、おそらく陛下にまで話は伝わっているのだろう。そこで隠し事をしてごらん。王へ虚偽の報告をしたということでお咎めを受けるかもしれないよ」
確かに今迄は裸猿の存在はひた隠し、王へも上げていない。だがどこからかそんな情報が王の耳に入り、その裸猿を見てみたいと言われ、それを生きているにも関わらず死んだと嘘の報告をしたら……父の言う通りだ。生きていることが露見した場合、お咎めどころではなくなるかも知れない。
「幸いにも陛下かからではなく、大公様からの呼び出しだ。彼の方は我々の研究の理解者でもある。安全の為に密かに研究していたと報告すれば、納得はしてくれるだろうし、先の事件の報告も同時にすれば今後保護の約束もしてくれるかもしれない」
「ですが、王都の研究所に連れて行くと言う話になりませんか?」
最大の懸念はそこである。
しかしその質問には母が答える。
「それは分かりません。ですがこれも幸いに相手はマロンだけをみたいと言っています。タツヤは今の所その存在は露見していません」
母は最悪マロンだけでも取られてもいい、と言っているように聞こえる。
「お母様、私はマロンも渡しません! マロンはタツヤがいないと死んでしまうかもしれないのですよ。それにもう少しでしっかりと意思疎通ができるようになりそうなんです。これから裸猿の生体が明かされようとしている時に、手放すなんて到底できません!」
「誰も手放すとは言っていませんよ。そんな事になるのなら私達が前面に立ってそれを阻止します。そのくらいの覚悟はしていますよ。ですが王都にて共同で研究しようと持ち掛けてこられたら断わりきれるかどうか分かりませんよ?」
母は手放す気はないが、王都の研究所で研究する命令が下ったら仕方がないと言いたげだ。
「それは横暴です! そうなればタツヤの存在も知れてしまいますよ?」
「タツヤなら上手く立ち回ってくれます」
「でも──」
「──まあ落ち着きなさい二人とも。取り敢えず大公様は話がわかる人だ。我々の不利益になることはしてこないだろうと思うよ。それよりも心配なのは、例の事件の首謀者みたいな奴らが台頭して来る可能性だよ。大公様まで知っているということは、それなりに情報は回っているということだろうからね……」
私と母の対立を仲裁した父は、また恐ろしいことを言ってくる。
でも心配なのはそこなのだ。さすがに王まで話が上がったら、それを攫うような馬鹿な真似はこの国の貴族はしないと思いたい。だがいくらそう考えても、自分の利益しか考えない者もいるのだ。
それに一番心配なのは、他国に攫われる事だろう。もしかしたら他国と内通している貴族だっているかも知れない。これだけはわからないのである。
「とにかく一度王都へ行かねばならない。パパも領主会議があるので一緒に行くので心配しなくていいよ」
「……はい」
わたしは半分納得できないが、行くしかなさそうなので仕方なく返事をした。
「わたしも行きます。ちょうど教育委員会の会合がありますからね」
「キャンディーも行くー! 長期休暇があるから!」
母もキャンディーも心配なのか、一緒に行くと言う。
「では10日後に出立しようと思うがどうだい?」
「……はい」
全員の予定が一致して10日後に決まった。
けして納得できるものではないが、拒絶できる理由も権力もない以上首を縦に振るしかなかった。
こうして私達は王都へと向かう事になったのだ。
私はその事をすぐにタツヤに伝えることにした。
タツヤの部屋にゆくと、マロンはもう寝ていて、タツヤも寝ようとしていた時だった。
「タツヤ、王都に行く事になりました」
そう言うとタツヤは、キョトンとして意味がよく分かっていないような表情をした。
「ええと、王都ですか? では例の……さすがはご主人様です、もう王都の研究者と連絡が付いたのですか?」
タツヤは少し見当違いな方向に考えたようだ。
つい先程、タツヤの夢の件で話していた研究者の所にゆくと勘違いしているみたいである。
「そんなにすぐに連絡できるだけこの世界には、タツヤの世界みたいな伝達手段はないのですよ? 別の用件です」
無線とか有線、スマートフォンとかデンワなど、異世界には色々な伝達手段が発達していたという。条件さえ揃っていると、世界の端と端でも連絡が取れるという信じられない話だが、タツヤが言うのだから間違いはないのだろう。
だがこの世界にはそんな伝達手段はない。手紙を運んでもらうぐらいしか遠い地にいる者と連絡を取る手段はないのだ。
「では、どのような用向きで王都へ行くのですか?」
「マロンの存在が王都の貴族に露見してしまったのです」
「マロンが、ですか……それは何か問題があることなのですか?」
タツヤはまるで危機感がない様子でそう言う。
確かにまだタツヤはあまりこの世界の事がよく分かっていない。少しずつ教えてはいるが、なにが脅威で何が安全かという目安がないのだ。
特に貴族間の事は良く分からないのだろう。前世界でタツヤの国は貴族がいない国だと話していたので、権力の上下で引き起こされる問題もなかったのかもしれない。
「問題があるかどうかは行ってみなければ分かりません」
「では行くしかないのですね?」
「ええ……」
本当は連れて行きたくはないのだが、どうしようもない。
「ご主人様が決めたのでしたら、僕達は従うしかありません。ですからそんな顔はなさらないでください。僕もご主人様の力になれるよう頑張りますので」
「ありがとう……」
タツヤは私の命令なら従うしかないと笑顔で言ってくれる。
その後出発までの間、タツヤに色々とこの国の事を覚えて貰うようにした。
マロンやタツヤの存在が知れることによって起こりうる懸念を共有し、その危機に備えなければいけないのだ。
こうして10日後、私達は王都へと旅立つのだった。
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