63話 王都へ?
「まったく、心配させないでくださいね……」
「す、すいません……」
屋敷に戻った僕は、ご主人様に軽く叱られている。叱られるというよりも心配されているのだろう。
教会で倒れそうになり、ミッチェル様に運ばれ盛大に鼻血を流していたのだから、心配にもなるというものだ。
「ボーっとして視点の定まらない瞳と、真っ赤な顔して鼻血を滝のように流していたなんて……一体何があったのですか?」
「す、すいません……」
しかしそれは言えません。
まさかミッチェル様にお姫様抱っこされて、お胸の感触が天にも昇るほどの幸福感があったなんて言えませんよ。オタク人生は長けれど、ラッキースケベは何度も読んだり見たりしてきているが、自分がその幸運に巡り会うなどまるで夢のようだった。内心でガッツポーズを決めたほどだ。
「女神ルミナ像の前で突然倒れそうになったと聞いていますが、そこで何があったのですか?」
あ、そういえばなんかあったよな。突然頭痛がして……あれ、なんだった?
あそこで確かに記憶の一部を垣間見た。しかしそれは余りにも断片的で、一つの記憶として組み立てられないものだった。
オタ友が何か言っていた記憶もあるが、ござる、ござる、重なるように頭の中に強烈に残っているので、何を言わんとしていたのかさえ定かではない。皆を救って欲しいとか、騙されるな、とかそんなフレーズがあったと思うが、今のところ何の意味か分からない。
「ええと、前お話しした夢の一部を思い出したのですけど……」
「例の夢の件ね、何か大切な事と言っていましたね。で、どんなことを思い出したのですか?」
「それが……大部分をまた忘れました……」
「え? 忘れたらダメじゃない……」
おぼろげな記憶が、ミッチェル様のお胸の多幸感で埋もれてしまった。
記憶とはなんとも信頼できないものだな。ははは! って、笑ってる場合じゃないって!
というよりも僕のオタク煩悩が強すぎるのでは? 反省反省……。
「いえ、忘れたというよりも、記憶が繋がらないのです。ただ……」
「ただ何?」
「いえ、おそらくあの女神像を見た時、この世界に来る前にあの女神と出会っていた。そんな気がしたんです」
「女神ルミナ様にですか?」
「ええ、確信は持てませんが、あの表情に見覚えがあるのです」
彫像のような、あんなに優しい顔ではなかったと思うが。
あの蔑んだような冷たい瞳。そして邪険に扱われこの世界に送られた。そんな朧げな記憶。
「転生する前に女神ルミナ様と邂逅した。ということですか?」
「はい、未だ確信には至りませんが、たぶん……」
「うーん、前も言った通り、その事は他の者に話してはいけませんよ? 死んだ後に神に会い、お願いをしたら記憶を残したまま転生出来るなど知れたら、死の概念自体が変わってしまいます。それに教会や神殿も黙ってはいないでしょうから」
女神様にお願いしたかどうかは今の所分からないが、何かがあったことだけは確かだろう。
でもご主人様の言う通りかもしれないな。もし転生出来ると知れたら、こんなクソみたいな世界もう嫌だ! と思ったら、自殺して転生できることになるのだ。なおかつ神様にお願いすれば記憶を残して別の世界または同じ世界でやり直せるなどと知ったら、僕みたいな異世界オタクなんて全員自殺ものだ。自分好みの世界に転生させろと頼めばいいのだから。異世界オタクだけには限らず、みんな人生を精一杯生きるなんてことはぜずに、次もあるのだからと、簡単に諦めるようになってしまうだろう。
ただ僕は最低の転生をさせられたけどね。
まあご主人様達は優しいからそれだけは救いだけど。
それに教会や神殿の教えにも反するような発言には、おおいに異議を唱えられるかも知れないとのことだ。
神の存在は至高なものであり、人々は遍く神のしもべ、神のために人生を全うせねばならない。至高なる神に邂逅しあまつさえ己が欲望の為に願うなど以ての外だ! となるかもしれないと。
神のために生きているようでなんか釈然としないが、元々そういった教えなのだろうか。
「分かりました。でも、まだハッキリとは思い出したわけではないので、なんとも言えませんが」
「そうね、でもこの世界の重要な何かなのですよね……やはり今度知人に相談してみましょうか?」
「ん? ああ、例の夢とか記憶とかを研究されている方ですか?」
「そうです、王都の研究所でそんな益体もない研究をしているのが一人いるのです。いずれ王都に行くこともあるでしょうから、そのとき会って話を聴いて見るものいいかもしれませんね」
変わり者ですからあまり会いたくないのですけど、とも言っている。
「はい、僕もこのままではどこかスッキリとしませんし、思い出さなければならないという強迫観念が常にありますからね」
『竜也氏、思い出すでござる……』
そんなオタ友の言葉と頭痛に毎度苛まれるのも嫌だからね。
「まあすぐには無理でしょうが、追々ね」
「はい、お願い致します」
この場はそれで終わったのだが、ここから予期せぬ展開が僕達を待ち受けてようとは、優しく微笑む今のご主人様も知る由もないのである。
夜になって本日はご主人様の卒業祝のパーティが催されることになっていた。
たくさんのお客さんが来賓として招かれているらしく、裸猿である僕とマロンは、おとなしく研究室の部屋でご馳走を頂いていた。
最近は餌とは呼ばず、ご主人様達が食べるような食事が僕達にも提供されるようになっている。今回もパーティの料理を二人分だけ取り分けてきてくれてたそうだ。
「うん、美味しいねマロン」
「あぃ! おいしー、おいしー!」
普段食べることのない豪勢な食事に舌鼓を打つ僕とマロン。マロンも大層嬉しそうだ。
今迄、というか、捕まる前はどんな食事をしていたのかマロンに聞いてみたが、『くさー、むしー、あむあむたべてらのー』と、言葉足らずに答えていた。おそらく野草や昆虫をむしゃむしゃ食べる種族だったらしい。
今の僕がそんな中にいたら、間違いなく死んでいたね……虫なんか食えるか! と悪態をついて、早々に毒草を食べてご臨終だ。目に浮かぶね。
マロンは最近ではスプーンもフォークも使えるようになってきたので、行儀よく食事できるまでになってきた。ナイフはまだ危険が伴うので使わせていないが、もう少し行儀作法、それに常識的な思考と行動を覚えたら普通に出来るようになるだろう。
もう言葉も理解しているようだから、これからはもっと早いと思う。楽しみだ。
「ターチャ! それ、あむあむしない? あむあむしないら、マーロがあむあむする!」
「ああ、お肉が食べたいのかい? いいよ、はい」
僕の皿に乗っているなんの肉かわからない肉料理をマロンの皿に移してあげた。
「あーがと! ターチャ!」
マロンは嬉しそうに肉にフォークをぶっ刺して齧り付く。とても美味しそうに食べるな。見ているだけでお腹がいっぱいになってくる。
とにかくマロンは僕よりも食べる。下手をすると僕の倍も食べるのではないかと思うほどだ。成長期とかそう言うのがあるのかどうかわからないが、それなら僕も同じ量を食べれなければならない筈なのだが、僕はすぐにお腹がいっぱいになってしまう。
最近は僕がお腹いっぱいで食べられなくなると、決まってマロンが残りを処分してくれるのだ。体のいい三角コーナーではないが、食べ残しがないのはいいことだ。
なんとなくマロンに体力面、魔法面、全ての面で負けているので情けなくなってくる。
うーん、これも神の補正の何かなのか?
力も魔法も何もない僕は省エネ体質で、マロンのようにメキメキと力をつけたり魔力量も多い人達は、それなりにエネルギーを必要するとか。
より多く力を消費するとエネルギーが余計消費されるとなると、確かに使ったぶんだけ補充しなければならないから当然なのかね。
考えないようにしよう……なんかどんどん落ち込むんですけど……。
これまでのキャンディーお嬢様の研究結果は、とても興味深い結果を残していた。
マロンの場合、筋肉量の増加に伴い、出せる力の量は約1.2倍程度伸びているといった計測結果が得られている。
要するに筋肉量を1.2倍するだけの神の補正が、マロンに効果を及ぼしているのではないかと話していた。
1.2倍と言う数字が多いのか少ないのか聞いてみたところ、何もしていない状況でそれだけの神の補正があるのは、とても優秀な部類に入るということらしい。
そして僕はといえば、筋肉量は増加しているものの、それに見合った力も出せない状態らしい。要は1.0倍にも満たないそうだ。純然たる筋肉量で出せる力も出せない筋肉。あの事件で寝ていた期間を除き、鍛錬して得られた筋肉も力を十全に発揮しない。確かに何をしても当初計測した数値を上回ることがなかった。
これはこれで珍しい結果が得られたとキャンディーお嬢様は喜んでいたが、僕はどんよりと落ち込むだけだった。
1.0倍でもなくマイナス補正でもない。実質マイナスに見えるがそうではないと僕は思う。これは固定されているのではないだろうか、と。
要はステータス的にロックされている状態。分母の数値が上がろうとも、出せる力は一定。最低限の力しか出せないのではないかという結論に至ったのだ。
これは由々しき問題だ。
ただ力が出ないだけであって、筋肉的疲労は鍛えることによって軽減してはいる。持続力も付いているし、筋肉が増えることは一概に悪い結果ではないと判断はできる。
だが最弱は変わらない。どれだけ頑張ってもマロンとの差も開く一方なのだ。なんとも情けなくなってくる。
本当に何の目的があってこの世界に転生してきたのだろうか、と神に問い質したいところだ。
「ごちそう、さまでしーた!」
「ごちそうさま。さあ片付けようか」
「あーぃ!」
食事を終え、しっかりと後片付けもする。
こうやってお世話になっている以上、やれることは全てやらなければならないのだ。マロンの教育にもなるし一石二鳥なのである。
とにかく今はご主人様がいるからいいが、もしも以前のように攫われたり、どこかで逸れたりした時、マロン一人でも生きていけるだけの知識ぐらいは教え込みたい。そう思うのだ。
「さて、寝るまで勉強だね」
「うーぅ、あーぃ……マーロ、がんばるぅー」
マロンは渋々返事をした。本当に勉強が苦手なようだ。僕も好きな方ではないが。
片付けも終わり寝るまでマロンは言葉と文字の勉強だ。発音や文字の書き取りをするのだ。
自由時間は常に僕といるので、僕は先生役でもある。
しばらく勉強をしていると、マロンは飽きてきたのか、大きな欠伸を何度もし始めた。
こうなってはもう頭に入らない。
「さあお終い、じゃあ寝ようか」
「ふぁーぃ……」
勉強が終わった喜びよりも眠気が優っているようだ。
眼をゴシゴシ擦り、ほわんほわんとしている。なんか可愛らしい。
最近は着替えも自分でできるようになってきた。僕の手を徐々に離れてゆくマロン。
ふう、どこか寂しさがこみ上げてくるのは何故だろう。これが娘を持った父親の心境なのか?
その内一緒の部屋で寝るのはイヤ! とか言い出したりして……。
そんなふうに考えていると部屋の扉が開かれご主人様が現れた。
こんな時間に珍しいことだ。
「タツヤ、王都に行くことになったわ」
そう切り出すご主人様に、僕は何と返答すればばいいのかわからなかった。
お読み頂きありがとうございます。