6話 人里発見!
夜中に目が覚めた。
日が暮れてから巨木の洞に潜り込んだ僕は、疲労の余りすぐさま眠ってしまったようだが、そうそう熟睡できるほどこの世界は甘くないようだ。
どこからともなく獣の遠吠えが聞こえ、すぐ近くを何かが通り過ぎたりする。
恐る恐る目を開いてその何かを確認しようと試みたが、月明かりさえなさそうなひたすら暗い闇は、僕の目には何も映してくれない。きっとこの闇の中、わずかな光でも視界を確保できる夜行性の動物なのだろう。
夜目の効かない僕にとっては、恐怖に他ならない。
ガサッ、と音がする度に息を殺し、その何かが行き過ぎるのをじっと待つしかない。
そんな恐怖を感じてからは、眠れるものではなかった。
ただひたすら朝が待ち遠しくて仕方がない。こんなにも切実に朝を待ち望んだことなど、生まれて初めてのことだ。あ、一度死んでいるようだから、前世も含めてね。
とにかく僕は木の洞の中で、ただ息を殺してじっとしていた。闇の中にうごめく何かに悟られないように、ただひたすら恐怖に耐えて。
どんな生物がいるのかもわからないこの世界で、闇の中で襲われるかもしれない、といった恐怖は尋常ではない。
もしも嗅覚や聴覚が鋭い獣だったら、体臭とか呼気の臭気、微かな物音などで悟られるかもしれない。
だが今の所、僕のすぐ近くに気配があっても、近寄ってくることはなかった。
──ふう、命拾いだな……。
僕はほっと胸を撫で下ろした。
きっと、草や葉のついた枝を体の上に乗せているので、体臭などが相殺されているのかもしれない。寒さ凌ぎに集めてきたが、意外と役に立って良かった。
あとは物音を立てずに我慢することだけだ。
気付かれませんように、と念じながら、僕は暗闇の中じっと息を潜めるのだった。
そんな恐怖の一夜が明け、森に朝がやってきた。
どれくらいの時間恐怖に耐えていたのかわからない。体感で20時間以上は夜があったのではないかと錯覚するほどだ。
一度目覚めてからは一睡もできなかった。
体力的にも精神的にも疲弊しているようで、体に力も入らない状態だ。
──とりあえず喉が乾いた……。
一晩中アンノウンの恐怖に怯えて身動きすらできなかったので、身体はギクシャクと強張り、喉が渇いて仕方なかった。
そういえば、昨日この身体に転生してから、何も口にしていないことを思い出した。でも、お腹は空いているが、食欲はあまりない。
体の調子が悪いのでそのせいかもしれない。体の痛みも昨日より悪化しているようで、動かす度に激痛が走る。
打ち身や捻挫などは、当日よりも翌日の方が痛い証拠だろう。この身体も前の世界と同じような作りみたいだ。
異世界だから不思議な力、魔法とかで回復してくれると良かったのだが、そう甘くはないようだ。
とにかく喉が渇いたので、草葉の上に載った朝露を、舐めるように飲んだ。
川があるが濁っていて飲めそうにもない。生水を飲んで腹痛なんて洒落にもならないからね。それに水が湧いているような他の水源もなさそうなので、仕方がなく朝露を舐める。
これで少しは生き永らえるかもしれない。
そして僕は周囲を警戒しながら、痛む身体を引き摺って森を歩いた。
目的は、人間の集落や街がある場所を探すためである。この森にいても多分そう長くは持たないだろう。僕の生存本能が、そう告げているのだ。
早くて2日、遅くとも5日生きられるかどうか。それまでにはそんな村や街がある場所を探し当てなければ、確実に死が待ち受けているかもしれない、と、実感できる。
なぜなら、食べ物がない。
昨日からいろいろな草や木を見てきたが、この世界の生態系は、前の世界とは全く別物だと考えられるからだ。簡単に言えば、日本の野山しか知らない僕が、アマゾン源流の密林に知らずに足を踏み入れてしまった。以上に別ものかもしれない。
サバイバル術で学んだ食用に適した野草がひとつもみあたらない。たまに似たような葉を茂らせているものもあったが、それが果たして食べられるかといえば、微妙なところだ。稀に実が生っている木もあったが、食用かどうか怪しい。とはいえ今の僕は木登りなどできるような体調でもないし、そもそもかなりの高所に実が生っているので、仮に元気でも無理そうだ。
飛べるような魔法があれば解決するのだろうが、そんな魔法もない。
試しに地面に前の世界でいうカタクリによく似た野草が生えていたので、ひとつまみ口に含んでみた。が、なんと舌が痺れた。
──アクが強くて苦いのなら分かるが、痺れるってどういうことですか⁉︎
いくら温厚な僕でも、これには少なからず憤慨してしまった。
というわけで、この世界の植物で安全な野草が分からない以上、前の世界で似たような野草だから食べられるだろう、と迂闊に口にするのは控えなければならないようだ。
今回のように安易に口にして、痺れただけならまだしも、即効性の猛毒だったら目も当てられない。
鑑定能力がない以上、安易な真似はできそうにない。死んでからでは遅いのだ。
それは川魚にしても、動物の肉にしても同じことだと思う。魚を取ったはいいが、なんかトゲが刺さったら猛毒でした。動物の肉を食べたら腹が激しく痛くなりました。なんてシャレにもならない。
動物を仕留め……いや、そもそも武器も持っておらず、超丸腰なので仕留められない。この非力な身体で怪我をしている状態では、まず間違いなく返り討ちにあう自信がある。
今なら前の世界の中型犬にですら瞬殺されるかもしれない。
先ほどちらっと遠目に遭遇した獣を観察したが、狩ろうと思う気が失せた。前の世界での虎よりも大きなネコ科の獣だった。牙が長くて超獰猛そうで、見つかった瞬間瞬殺されること請け合いだ。いくら万全の体調で武器を持っていても非力なこの身体では太刀打ちできません。僕が獣の餌になるだけだ。クワバラクワバラだよ……。
とにかく今は体力が続く限り明るい内に移動し、人里を見つけることが最優先だ。
それしか生きる道がないと愚考する。
異世界転生がこんなにもハード仕様だとは思わなかった。この状況は誰得なのだろうか……間違っても僕の得にはなっていない……。
基本的に川沿いを下流に向かって進むと、人里も現れるだろう。(希望的観測)
そうして僕はまた歩き始めたのだった。
森をさまようこと3日が経過した。
極限の飢餓状態です……。
体力も精神力も限界に達しようとしている。ふらふらしているのが自分でも分かり、意識も朦朧としてきた。
体調もすこぶる悪い。怪我が治るどころか日に日に悪化しているようで、足を運ぶたびに激痛が襲う。
これは完璧にヤバイ。
今日中に何か食べ物を口にしなければ、動けなくなりそうだ。今夜あたりが山かもしれない。5日は大丈夫だと安易な考えだったが、早くもピンチを迎えている。とんだ皮算用だったようだ。
それはそうだ。前世でも絶食などしたことはない。1日1食の時はあったが、そこまで飢餓感を覚えたことはなかった。
3日も絶食するのは相当なものだ。こんなガリガリの身体では他に栄養に回す脂肪もないようだし、前世の若干メタボな脂肪を少し分けて欲しいぐらいだよ……。
それでもかなりの距離を移動したが、一向に森の切れ目に到達しない。川幅は徐々に広くなってきているが、この先に村や街などがあるのかどうかさえ疑問だ。
いったい僕はどんな所で倒れていたのだろうか。まるで人の住むような場所ではないような気がするが、この世界の人達は原住民みたいな生活を送っているのか? 村とか街などなく、森の中で小さな集団を作って生活をするような、原始人のような文化しか持っていないのだろうか。
まだ調べてみなければ分からないけど、このマッパに近い姿を再確認すると、余計に不安になってくる。
はあ、何か食べなければ死んでしまう。
だが、迂闊にその辺の物を口に入れたくはない。川の水ですらどんな未知の病原菌に汚染されているかもしれないのだ。湧き水のような清水を見つけて、やっと飲める程度。
煮沸消毒すれば飲めなくもないのだろうが、鍋もないし諦めるほかないようだ。
何度か火おこしにも挑戦したが、この世界の硬い木は火が着くそぶりも見せなかった。まるで石のようだった。
重たい身体を引き摺りながら、生きるためにふらふらと歩く。
獣と出会うたびに息を潜めやり過ごし、空腹と恐怖に押しつぶされそうになりながらも歩いた。
そしてとうとう日が傾き始め、僕のあまりにも短い異世界人生もこれで終幕か、と諦観し始めた時、それは僕の目に飛び込んできた。
森が切れ、草原が現れ、その少し向こうに、明らかに人工物であろう建物が建っていたのだ。
──人里!?
ここは原始の世界でなくて本当に良かった。(腰蓑一丁なので、半分諦めていた)
そう思うと何故か涙が出てきた。
人工の建物があるということは、それなりの文明が根付いている証拠だ。原始人並みの文化しかなかったら、洞窟などで生活しているはずだからね。
僕は痛む身体に鞭打って早足で歩いた。
まだ体力が残っていたことに、自分でも驚いた。ついさっきまで、もうダメだ、ここまでか……と諦めていた僕は、いったいなんだったのだ。
現金なもので、こんなガリガリの身体でも、生きる可能性を見つけた途端、まだ底力を出せるエネルギーが残っていたみたいだ。
「う、ぉー」
出し辛い声で小さく吠えた。大人気ないね。でも嬉しかったので許してください。身体も子供ですから。
人里に近づくと、数軒の家がまばらに建っている。村みたいだ。
村全体を柵で囲ってあるようで、柵の中には畑があった。
「は、はたけ……」
畑があるということは、食べられる作物が植えてあるという事。
僕は村の入り口を探すのももどかしく、柵をよじ登って畑へと侵入した。
──村人はいないのか?
誰かいたら、これこれこういった事情でお腹が空いているので、少し食べ物を恵んでください、と訊ねようと思ったが、周囲には誰もいない。
勝手に人様の大切に育てている作物を頂戴するのは、こちらの世界でも犯罪だよね。
しばらく探したが、誰も見当たらない。
建物まで行ってお願いしようか。
そう考えたが、僕の体はそれを待てなかった。
畑には根ものの野菜、カブのようなモノを育てているようだ。
食べ物が目の前にある状況で、極限の飢餓状態の体は、勝手に土をほじくり返し、根物の野菜を食べ始めたのだった。
「……う、う、まい……」
ガリガリと貪り食べた。多少土がついていようが、今はどうって事ない。それよりも身体が食物を欲する力には抗えないのだ。
土のついた根物の野菜。カブのようにも見えるが、どことなく違うような気もする。
前世でも生でカブを食べた経験はない。でもこんなに瑞々しくて多少甘みがあるとは思わなかった。
美味しいと言って差し支えない。
それでもきっと今なら、食べられるものなら何を食べても美味しいと思うことだろう。
それだけ極限状態の空腹だったのだ。
僕は一心不乱に野菜を食べた。
「ひdhsがjsっhjぢkjdっhしょsー‼︎」
「……?」
僕が脇目も振らずにガツガツと野菜を食べていると、遅まきながら誰かが近づいてくることに気づいた。
えらい剣幕で何かを言いながら、三人ほどが迫って来る。
先頭の人の手には農具だろうか、そんな細い棒のようなものを持っていた。
──うぁ、これはヤバくない……?
たぶんこの畑の持ち主なのだろう。かなり怒っていらっしゃる。
無断で作物を食べていたので、畑荒しとか作物泥棒と思われているのだろう。完璧にヤバい状況だ。
三人が近づいてくると、どこか違和感がある。
どこが違うかというと、尻尾があり、それに猫耳が付いていた。
──猫の獣人!?
なんとも異世界だよ! マジもんで異世界だよ!
男性の猫耳はあまり可愛いとは思わないが、後ろの猫耳女性は別格だ。
ビバ転生! これは最高ではなかろうか!
などと考えている暇などない。
迫り来る三人は、ものすごい剣幕だ。今にも襲いかかってくる気満々の様子である。
「あ、あのぅ、かかか、かってに、食べてしまい、すび、ません……」
「「「‼︎」」」
先制して土下座をしながら、回らぬ口調でそう話しかけると、三人は急に顔色を変えた。
まるで恐ろしい何かを見るような目で、怯えながら見てくるようだ。
「ごdbしsksgbdkckd、っkxkじうばhっdんっks⁉︎」
「まんhすべvkwjすえんkdんdhl‼︎」
「ばっkしきゅもysんsだ‼︎」
三人は顔を見合わせ何かを言っている。
だがその言葉は、僕の理解できない言葉だった。
──えええええーっ! マジですか⁉︎ 言葉まで理解できないとは、どれだけ不親切な転生だよ!
普通ならこの体の元の持ち主の記憶で言葉が理解できるようになるとか、転生の際初期設定でこの世界の言語を網羅されるべきものじゃないの? 完全翻訳みたいな能力をさ!
神様! 不親切すぎるだろ‼
しかし実際に目の前の三人は、意味不明な言葉で会話しており、まったく理解できない。これは一大事だ。
「……あ、あのぅ──ふぎゅぇっ‼︎」
僕はなんとか、この状況を説明しようと身振り手振りを交え、再度口を開いた途端、険悪な顔をした猫耳男性に思い切り蹴り上げられた。
「──う、うぉっぷ‼︎」
僕は畑をゴロゴロと転がる。
言い訳を聞いて欲しいと思うも、言葉が通じない以上何を言っても無駄になる。
その後も猫の獣人さんが持つ農具のような棒で滅多打ちにされる。
三人は何を言っているのかは不明だが、僕は相当に彼らの怒りを買ってしまったみたいだ。
殴られる度に痛みが襲う。この世界に来てから身体が痛くないことがなかったので、慣れてしまったからか、なんとか耐えられるが、言葉が通じない以上交渉もできず、止めてくれと叫んでも聞いてくれない。
その後も怒鳴る3人の猫の獣人さんに袋叩きにされ、最後に男性の蹴りが僕の腹部を襲った。
そして僕はこの世界で早くも2度も意識を失うことになったのである。
お読みいただきありがとうございます。
ブクマ評価頂ければ嬉しいです。よろしくお願いします(/・ω・)/