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57話 目覚め

 僕はいったいどれだけの間眠っていたのだろうか。


 目を覚ますと、僕の周りは非常に騒がしかった。

 マロンが僕の手を握りしめ、本当に心配そうな表情で僕の顔を覗き込んでいる。その後ろには涙を流しながら僕の名を叫んでいるミッチエル様がいて、キャンディーお嬢様も可愛らしい大きな瞳に涙を溜めながら僕を見ている。


 体を動かそうにも動かない。動かそうとするだけで全身に激痛が走る。わずかに指先が少し動くぐらいだ。


 ──ああ、そうか、僕はもう死ぬのか……みんなに看取られて、僕はなんて幸せ者なのだろうか……短い異世界転生生活、最初から苦痛ばかりの転生だった。何の能力もなく、魔法があるにも拘らず僕には魔法の適性すらなかった。体力もなく女の子にも負けるような不甲斐ない体。何も楽しめなかったが、こうして優しい人達に見守られ息を引き取るのも悪くはないのだろう……。


 わずかに動いた指先に気づいたマロンが、ターチャ! ターチャ! と叫びながら僕の手を強く握りしめる。

 痛いよマロン。僕よりも握力があるんだから少しは加減してほしいな。

 そう思って気づく。


 あ、マロンがここにいるということは、無事助けだしてもらえたのだろう。

 一度目覚めた時、ミッチエル様が未だマロンは見つかっていないと言っていた。その時僕は犯人の名前を教えた記憶が朧げにある。

 それを頼りにミッチエル様はマロンを見つけてくれたのだろう。僕の裸猿の演技も無駄ではなかったということか。さすがミッチエル様だ。


 良かった、本当に良かった。


 これで心置きなく死ねるね……。


 最期にご主人様の顔が見られないのが心残りだが、僕はもう満足だよ。


 そう考えて再び瞼を閉じようとした時、


「タツヤが目覚めたんですって!」


 そう言いながらご主人様が慌てた様子で部屋に入ってきた。

 ああ間に合ったようだ。

 これで心置きなく逝ける……ありがとうございました……。


 すーっ、と意識が遠のいてゆ……かないな。


「これでもう大丈夫そうですね」

「ええお姉様!」

「本当に良かったですね、お嬢様!」

「ターチャ‼︎」

「えっ……?」


 みんな嬉しそうに僕を見ている。あの涙は僕が目覚めた事に依る嬉し涙だったのか?

 いや、だって身体がめちゃくちゃ痛くて動かせないんだよ?


 そう考えて思い出した。怪我をしたのは左手の掌だけだった。

 この身体の痛みは、あの事件とは別問題だ。


「ご主人様……全身が痛くて起き上がれません……」


 超絶な筋肉痛である。

 ミッチエル様の鬼のしごきで筋肉が悲鳴を上げているのだ。そもそも筋肉が痙攣するほど酷使したのだから、筋肉痛になるのは当然のことだろう。全身隈なく筋肉痛だ。


「まだ安静にしてなさい。身体が痛いのはミッチエルのせいですからわたしが叱っておきました。ですがまだ血液が足りないと思います。もう少し寝ていなさいな」

「も、申し訳ありません、お嬢様……ごめんなさいタツヤ……」


 ご主人様も、ミッチエル様のせいだと理解しているようだ。

 ミッチエル様は小さくなって謝っている。


「分かりました。でもマロンも無事に助けくれたのですね。ありがとうございますミッチエル様」

「助け出したのはお嬢様です。わたくしはまた賊にやられてしまい、そして逃してしまいました。タツヤとマロンの仇も取れず、痛恨の極みです……」


 なんと、ミッチエル様はまたあの賊にやられてしまったらしい。下唇を噛むような表情が、ほんとうに悔しくてたまらなそうだ。


「でも、みんな無事なんですよね? それなら良かったじゃないですか」

「いいえ、あのブリングという賊だけは許せません! 今度会敵しようものなら必ず倒してみせます!」


 ミッチエル様は、黒猫窃盗団のブリングという奴を相当恨んでいるようだ。

 熱意が伝わってくる。


「でもみんな無事だったのですから、態々また会うような危険な真似しなくても……」


 二度もやられたのに、次も負ける可能性の方が高いと思うけど。それに相手も、次俺の前に現れてみろ、今度は確実に殺すからな! というのが物語の常套句だよ。ミッチエル様は今度こそ殺されるかもしれない。


「何をいうのですか! マロンを攫いタツヤをこんな姿にしたのはあいつらです! わたくしは許しません」

「こんな姿になったのは、9割方ミッチエル様のせいなんですけど……」


 身体が動かせないほどの筋肉痛って、初めてだよ……。

 声を出すのも痛いくらいだ。


「う……そ、それは、申し開きもありません……」

「まあ、まあ、ほらみんなもう出て行きなさい。こんなに騒がしくしているとタツヤが疲れてしまいますよ。タツヤはまだ安静にしていなければならないのですからね」


 ご主人様がそう言い、みんなを部屋から追い出した。

 マロンは最後まで僕の手を握っていたが、ミッチエル様に諭され渋々出て行った。マロンがいれば僕がゆっくりと休めないと思ってのことだろう。


「さて、もう大丈夫そうですけど、まだ予断は許されませんからね。もうしばらく安静にしていなさい」

「はい、そうさせて頂きます」


 筋肉痛が治るまではおとなしくしています。


「食事もとれそうね?」

「大丈夫だと思います」

「後で栄養価の高いもの持ってきますね」

「ありがとうございます」


 ステーキかすき焼きがいいです! と言いたかったがやめておいた。

 すき焼きはこの世界にあるかな?


「ありがとうタツヤ……あなたの機転があったからあなたを見つけることができ、マロンを早期に助け出すことができました。それがなかったら二人とも今頃は……」


 ご主人様は僕の手を取りながら最悪の状況を思い浮かべるかのように瞳を伏せた。

 最悪の状況、僕もマロンも死んでいた可能性の方が高かったのは、考えるまでもないことだ。


「でもあそこまではやりすぎです。手の骨が見えるほどナイフで切らなくとも良いではないですか! ほんとうに危なかったのですよ? もう少し発見が遅かったらと思うと、今でも寒気がするくらいです」

「す、すいません……」


 ご主人様はあの手に深い切傷を付けたことを非難してくる。もう少しで出血多量で危なかったと。

 僕は素直に謝った。

 いや、でも僕のせいじゃないんですけど。あのジェラという女の賊がですね、無理矢理ナイフを引き抜いたからなんですよ。自分であそこまで深く切るなんて馬鹿な真似はしませんって。

 そう言っても今更だろうから言わなかった。傷はもう塞がっているし、命も繋ぎ止めたのだから良しということで。


「終わり良ければ全てよし、そう思いましょう」


 怪我人は出たけど、みんな死なずに済んだようだし、万事オーライということで。


「その言葉は、前の世界の何かなの?」

「故事成語、教訓、ってやつですかね。色々危険なこともあったようですが、みんな無事生きてまた出会えた。そのことだけみればよしとしよう。そんな感じです」

「そうね。確かにそれだけ見れば良いことね」

「はい」

「じゃあタツヤには早く良くなってもらわなければね。山ほど研究したいことがあるんだから!」


 輝くような笑顔でそう言うミルキーご主人様。

 その笑顔に僕は苦笑いで答える。


「は、はい、死なない程度で、お手柔らかにお願い致します……」


 虚弱な僕はいつ死ぬかわからないからね。


「ふふふっ」

「あはは」


 僕とご主人様は、お互いを見つめ笑い合った。





 僕の体調が回復するまで数日を要した。

 だいぶ血液が足りなくなっていたのだろう。寝た状態でなければ普通にしていられないほどだった。立てば貧血のようにふらふらとしてしまい、立って移動するのも困難な状態が続いたのだ。

 輸血とかそういった医学が進んでいない世界だとこんな状態なのだろうか。


 そうは言っても、ベッドで寝ているだけでは暇なので、こういったお客さんが相手してくれるだけでも、僕にとっては良い暇潰しになる。こちらの世界のことも少しは教えてもらえるしね。


「ねえねえタツヤ。この文字、同じように見えるのですけど、意味は先程の文字と違うのですか?」

「はい、同じ漢字でも使い方によって意味や読みが違う場合があるのです。ですから一概にその文字を当てはめても意味が変わることがあります」

「なるほど……カンジ、ヒラガナ、カタカナ……オンヨミ、クンヨミ、アテ字……ニホン語、とは奥が深いのですね。研究のし甲斐がありますね」


 僕が目覚めてからというもの、毎日のようにミルキーご主人様のお母様、ハイネス様が僕の部屋に訪れている。

 学校の校長という話だったが、仕事はいいのだろうか?


「じゃあじゃあこれは? あ、それとこれの意味は? ここもよく分からないのよ」


 そう質問責めに合っているのです。

 そうしていると必ずといってご主人様が鬼の形相で現れ、そして、


「お母様! タツヤはまだ本調子ではないと何度言ったらわかってくれるのですか? 毎回毎回私の目を盗んではタツヤに会いにくるなんてどういうことですか!? 学校のお仕事もほっぽり出して!」


 やっぱり仕事はほっぽり出して来ているみたいだ。


「もぅ〜固いこと言わないのミルキー。できる時にできることをしておかないと、あとで後悔することになるのですよ? 研究に待ったはないのです。前進あるのみです」

「それは分かりますが、病床にいるタツヤの事も考えてくださいまし! 良くなるものもならないではないですか!」


 分かるんだ。やっぱり親子だ、そう思ってしまう。


「ご主人様、そう怒らなくとも。別に僕も寝ているだけでは暇ですし、質問に答えているだけですから、そう身体に負担もありません」

「甘いわねタツヤ。お母様を甘く見ないほうがいいわよ? 甘い顔を見せると、寝たくても寝かせてくれなくなるし、満足にトイレにすらいけなくなるわよ?」


 な、なんだと! ハイネス様はそこまで研究に没頭するのか?


「もぅ〜そうタツヤを脅かさないの。寝かせないといっても私だって眠くなるのですから3日が良いところですよ? トイレは一緒に行けば良い話ですし」


 マジ話だ!

 こ、これは殺されるかもしれない。


「いいえ、今度からは私とキャンディーの研究がない時だけにして下さいね。ちゃんとスケジュールを組んでおきますので、それ以外はタツヤに近づかないでくださいませ!」

「ええーっ! それは酷いじゃない。わたしはあなたの母ですよ? そんな横暴許されません!」

「いいえ、これは母と子以前の問題です。研究者には親子関係などないのです。タツヤはわたしに協力してくれるといったのですから、わたしに優先権があります。お母様はしっかりとスケジュールをお守りくださいませ。学校の仕事をサボるのも禁止ですからね!」

「うぅ~っ……」


 ご主人様の剣幕にハイネス様は、マロンのように唸るのだった。



 ともあれ、僕もようやく普通に動けるようになるまで回復したのである。


お読み頂きありがとうございます。

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