56話 救出 ★
母は研究棟の廊下を無言でツカツカと進む。
その後を私達も追随する。母は目的の場所がもう分っているようで、脇目も振らずにその場所を目指している。
「お母様、行き先はもう決まっているのですね?」
「ええ、貴女もそこだと予想してきたのでしょ?」
「はい、とはいえ勘ですので、そこにマロンがいるとは限りませんが……」
「よくも勘だけでそこまで分かるものですね……まったく感心してしまいます」
母は私の勘の鋭さを褒めてくれる。いや褒めていないのかもしれない。いざという時に勘に頼るようでは研究者としてどうなのか、そう何度も言われたことがある。
真実を追求する研究者にとっては、勘はまだ真実の一端にも触れていない事と同義だと考えているのかもしれない。
実際に母は、今向かっている場所を自分の目で確認したことと、裏を取る慎重さをもって調べ上げたからこそ向かっている訳であって、私のように勘で動いている訳ではないのだから。
しかしながら、私の勘はここぞという時ほど絶大な効果を発揮してきたのだ。この勘が今の所はずれたことは少ない。
「エインリッヒ先生の所ですね?」
「ええ、どこから導き出した勘なのか分かりませんが、全く嫌になる程鋭い勘ですね」
母はため息交じりにそう言った。
なんか勘だけで生きているような言われようだが、ピンと来たのだからしょうがない。
そうこうしていると目的の場所に到着した。
「エインリッヒ先生、ハイネスです。いらっしゃいますね?」
母が扉をノックし、平常通りの声でそう言った。
すると中から返事の前にガタゴトと何か慌てたような音が響いてくる。これじゃ居留守は使えない。
『は、はい! こ、校長自らわたしに、い、いったい、な、なんの御用でしょうか?』
扉越しに、いかにも慌てているのを隠そうと、冷静さを装うような声を出す先生。
不審すぎる。
「昨晩、冒険者組合から頼まれていた獣が届いていたようですが、私が申請書に許可印を捺した覚えがありません。研究棟室長が許可を出したのかもしれませんが、もし危険な獣でしたらいけませんので、確認をさせて頂きたいのです」
『……』
エインリッヒ先生は、ゴソゴソと物音をたてながら返答をしない。
きっと母がなぜそのことを知っているのか驚いているのかもしれない。
少しの沈黙の後、
『なぜ校長がそれを……』
「昨晩獣を運ぶ業者と偶然廊下で出会いましてね。エインリッヒ先生が発注されていた魔物と聞いたのです」
『な、なるほど……』
会話をしながら、何か良い言い訳がないか考えているような感じだ。
『で、ですがそんな危険な獣ではございません。今ちょっと手が離せないものですから、後程お見せ致します』
「危険がないのであればいいのですが、校長として確認だけしておきたいのです。手が離せないようでしたら先生はそのまま研究を続けてください。入りますよ?」
『い、いえ! 散らかっていますし、鍵も掛けていますし、いま開けに行くことができません! 手が塞がっていまして!』
慌てふためく様子が目に浮かぶような言い訳だ。
「分かりました」
『……』
母がそう言うと、ホッと息を吐いたところまで想像できる。
「先生の手が塞がっているのでしたらそのままお続けください──」
そう言いながら母はポケットから合鍵を取り出して扉に差し込んだ。
校長の権限でそのくらいのことはできるだろう。
母は扉に手を掛け、私とケントへ、開けるわよ? と視線で合図を送ってくる。私とケントはコクリと頷いた。
「──私は勝手に確認いたしますのでご自由に」
母がガラッと扉を開くと、ケントを先頭に衛士が剣を手になだれ込む。
「動くな‼︎」
「──‼︎」
ケントの声にエインリッヒ先生はビクリと固まった。
まさか衛士が剣を抜き突入してくるとは、考えてもいなかったのだろう。
「エインリッヒ先生、そのまま動かないでくださいね。確認して問題がなければ、すぐに出て行きますのでご安心ください」
「──み! ミルキー、君……」
ケントの後からゆっくりと研究室に入室する私の姿を確認すると、エインリッヒ先生は冷や汗を流しながら、白い顔を真っ青に染めてゆく。
「どうも手が離せないような研究をしているようには見えませんね? さて、珍しい獣はどこですか?」
「……」
研究用のテーブルには、たいしたものが載っていない。研究していて手が離せない状況とは到底思えなかった。
まあ分かり切ってはいたが。
「エインリッヒ先生。昨日運び込んだ獣の入った檻はあれですか? ──ケント、確認してちょうだい」
「ハッ!」
母はケントに命令する。
母が昨晩目撃した檻らしきものには、黒い布のようなものが被せられていた。
あそこにマロンは入れられているのだろうか?
ケントは檻に近づき、檻を覆っている黒い布をめくった。
そこには、
「何も入っておりません……」
「あら、獣はどこですか?」
ケントが空の檻を確認すると、母がエインリッヒ先生に問い質す。
「は、はい、獣は既に解剖して、しまいまして……」
エインリッヒ先生は、おどおどと挙動不審にそう言った。
「ではその解剖した部位なりを見せて下さいませ」
「そ、それはありません……」
「おかしいですわね、先ほどは後で見せていただけると言っていたのは嘘だったのですか? それに解体した部位がないわけがないでしょう。たった一晩で解剖して研究できるだけの時間がおありなのですか? 珍しい獣とはそこまで珍しくなかったのですね? それに処分するにしても、いつ処分したのですか? 今朝早くからここを見張らせていましたが、誰一人として焼却炉を使っていませんし、何かを持ち出されたと言う報告もありませんが」
「う、そ、それは……」
母は白々しくもそう問い詰める。
たとえ小さな獣を解剖するにしても、たった半日、一晩で研究できるものではない。珍しい獣ならば尚更時間をかけ、細部まで記録してゆくのが研究者としてあるべき姿だ。半日やそこらで出来るわけがない。
それにここで最近解剖が行われている形跡はない。
なぜなら、解剖時に漂う独特の匂いがしないのだから。
生物を解剖すれば血液も流れ出る、それに臓物からの独特の臭気もあるのだ。その臭気は半日やそこらでは消すことはできない。つい先ほどまで解剖していたのならば、薬品の匂いもして然るべきである。それすら無いのだから、先生は嘘をついていることになる。
さらに私は先程から先生の挙動をつぶさに観察していた。
ケントが檻の布をめくる時も、母が質問している時も、私はじっとエインリッヒ先生の表情、特に瞳の動きに注目していたのだ。
「ケント様、あそこの棚を調べて下さい」
「ハッ!」
「──!」
私がケントに指示を出すと、エインリッヒ先生はハッとして顔をそちらへと向けた。
数回程度だが、母の質問やケントの行動でほんの瞬間だけそちらに瞳を動かしたのだ。私はそれを見逃しはしなかった。
後ろめたい隠し事している者こそ、そういった行動が現れやすい。自分で意図していなくとも視線がその隠したい場所を見てしまう。心理状態が不安定な時ほど出やすい挙動のひとつだ。
しかし、どちらにしても、エインリッヒ先生はもう詰んでいる。
母が昨晩見たであろう檻まで発見された以上、エインリッヒ先生がどう弁明しようともこの研究室をくまなく調べなければならないのだ。発見が遅いか早いかの差だけである。
ケントは私の指示した棚を調査し始める。
下部に扉がある。人が一人や二人なら詰め込めそうな大きさの扉だ。その扉に手を掛けケントは言う。
「鍵がかけられています」
「先生、鍵はどこですか?」
「……」
私がそう問うが、エインリッヒ先生は視線を逸らし黙した。
この研究室はエインリッヒ先生の研究室である。鍵を持っているのは先生しかいないのに、先生はグッと口を堅く閉ざし鍵を出そうともしない。
「エインリッヒ先生、もう少し協力的になった方がいいわよ? このままでは貴方の研究者としての未来は、今日をもって潰えることになります。このまま非協力的な行動を取るのでしたら、私は校長としてではなく領主夫人として貴方に犯罪への協力者として極刑を言い渡すことになるでしょう」
「そ、それは……」
母の言葉にエインリッヒ先生は如実に反応した。
研究者にとって、その人生から研究をなくしたら、それこそ死んだ方がマシ。そう考えられるのかもしれない。極刑よりも、研究者の未来が潰えると聞いた時の方が悲壮な顔をしていた。
「今ならまだ間に合います。被害こそあれ、まだ誰も死んでいません。貴方が主犯でなく、たんに犯罪幇助しただけでしたら、恩赦頂けるよう領主である夫にとりなすこともできます。私達に協力なさい。悪いようにはしません」
母はそんな甘言で搦め捕ろうとしている。
ただ、この甘言はエインリッヒ先生には魅力的な提案になった。
実際衛士が二人死んでいるのだが今は言わないでおく。母はその事実はまだ知らない。
「ほ、本当ですか? わたしはまだ研究者でいることができますか……?」
「ええ、しっかりと協力してくれましたら、ね」
「わ、分かりました……協力致します……」
そう言いながら白衣のポケットから鍵を取り出し、申し訳ございません、と言って差し出してくる。
私はそれを受け取りケントがいる棚に向かう。
「ケント様、鍵を」
「ハッ、では開けます」
厳重な鍵で閉め切られていた棚の扉が開かれる。
そこには縛られ、口を塞がれたマロンが怯えながら詰め込まれていた。
「──マロン‼︎」
「うーうー!」
マロンは私の呼び掛けと私の姿を見るや、怯えた瞳をパッと喜色に輝かせた。
やはりよほど怯えていたのだろう。たった半日なのに、どこかやつれた感じに見える。
「頑張りましたねマロン。もう大丈夫ですよ、さあ、帰りましょう。タツヤも待っていますよ」
「うーうー!」
私はマロンの頭を撫でながらそう言うと、マロンは涙を浮かべながら唸った。
裸猿にもそんな私達と同じような心理状態があったことを初めて知った。しかしそれはタツヤがいたから、マロンもここまで私に懐いてくれているからだろう。
そうでなければ、マロンはすでに死んでいたであろうから。
私はマロンを拘束している縄を解き、助け出すことに成功した。
「ミルキー、よろしいですね」
「はいお母様。マロンは無事保護しました」
「では、エインリッヒ先生、一緒に来てください。知っていることは全て話していただきます」
「は、はい……」
母はエインリッヒ先生に強い口調でそう言い、衛士に命令し屋敷へと連行されるようだ。
エインリッヒ先生は拘束こそされてはいないが、衛士に両脇を固められ顔を伏せながら研究室を出て行った。
「ミルキーも先に戻りなさい。私の馬車がありますのでそれに乗って行きなさい。わたしは学校のことを片付けてから戻ります」
「はい、分かりました。では、ハイド様が校内にいるようでしたら、ご一緒に連れてきてもらえないでしょうか? 今回の件、彼も関係がございますので」
「分かりました」
こうして私達は家へと戻るのだった。
まだ黒幕の存在が判明していないが、マロンを無事助けることができた私は、一頻り安堵したのだった。
お読み頂きありがとうございます。