5話 河原で目覚める
目が覚めたらそこは河原だった。
「……さ、ささささ、寒い、でし……ガチガチガチガチ……」
どれくらい流されたのか、はたまたどれくらい気を失っていたのか。
僕は冷たい川の水に体温を容赦なく奪われ、ガタガタと震えていた。
低体温症で仮死状態になってもおかしくないほど身体が冷えている。マッパ同然なので、余計かもしれない。チワワよりも震えている。
意識が少し朦朧としているようだ。きっと肌寒い日にプールに入った時ようにチアノーゼ状態で、唇が濃い紫になっていることだろう。歯の根が合わないほどガチガチと歯が鳴っている。マジでやばい。
気温はそんなに低くなさそうだが、体温を奪われ過ぎだ。これはホントにまずい。転生して早々死の危険が僕を取り巻いているようだ。ただあの激流に飲み込まれて生きているのは、運がいいと解釈したほうがいいのか? いや死んだほうがマシだったかもしれないな……こんなに痛くて苦しいのはあまり好きではないからね。
そもそも、崖から落ちた誰ともしれぬ身体に転生し、マッパ同然で豪雨で増水した川に流される。想像するだけでも、今生きているのが不思議なくらいに命の危険がこの世界には身近にあるようだ。
前世では考えられないほどのピンチの連続だよ、まったく……。
なんてことだ。
現実はラノベやアニメのように上手くはいかないみたいだ。
神様とやらから特殊能力を授かるわけでもなく、丸腰、マッパ同然で、なんの情報すらもない世界に放逐され、どうやって生きていけばいいというのだろうか。
「と、ととととと、とにかく、ささささ、さぶい、でし……」
口がよく回らない上に、あまりの寒さで何を言っているのか自分でも分からない。身体もいたるところ痛い。岩にぶつけて切れているであろう額もガンガンと痛み、最初よりも痛みが増しているようだ。
──回復魔法カモン! そう願うが、やはり無理なようだ……まったく効き目がない。
空を見あげると、暗い雲が垂れ込め、日差しもない。おそらく夜に向かっているのだろう。崖底にいる時より空が暗くなってきた。
このまま夜を迎えたら、間違いなく命が危険で危ない。うあ、危険が危ないって何を言っているんだ。思考まで混濁してきたようだな……。
──とにかく体を温めなければ……そうだ、火をおこそう。
川から少し離れると、幸いにも谷底を抜けたようで両岸には森がある。
火を起こそうと考えた僕は、河原を離れ木が生い茂る森へと向かった。
僕はこう見えても(姿は以前と違うが)サバイバル術はかなり勉強しているのだ。
伊達や酔狂でオタクをし、異世界に行きたいと切望していたわけではない。異世界に行って先ず必要そうな知識は、当然のように身に着けている。
ここではっきりと言っておこう。
アニメやラノベのように、ただの学生や万年引きこもりの人間が、異世界に行ってそう簡単に無事で過ごせるわけがないのだ。
いくら神様とやらからチートのような力を得たとしても、数日と生きていけないだろう。料理人ならそれなりに食べてはいけるかもしれないが、それも疑問が残る。
スーパーやコンビニで食べ物を買っていた現代人、それも親の脛をかじっていた少年少女が、簡単に食べ物を口にできるとも思えない。醤油やマヨネーズを作れますか? ボトルやチューブに入って売っているものをわざわざ作りますか? 学校の家庭科で料理実習などで作ることがあれば別かもしれないが、様々な調味料の作り方を知っている方は、いったいどれだけいるのだろう。ウィキペディアもない世界だよ? あり得ないでしょうに。
そもそも異世界の植生物などは以前の世界とは違っているかもしれないし、似たようなものでも毒物とかだってあり得るかもしれないのだから。
動物を倒してその肉を食べられますか? パックに入ってカットされているお肉だから食べられますよね? でも生きている動物を解体してすぐに食べられるでしょうか? 極限状態だから大丈夫だ、というかもしれないけど、極限の飢餓状態で動物を倒せる状態でしょうか? はっきり言って、前世で大型犬ですら襲ってきたらマジで怖いよ? 下手すれば殺されてしまうぐらいに。
果たして異世界に来たからといって、即順応できるとは思えない。一度でも屠殺場を見学したことがりますか? 生きている牛さんや豚さんが殺される現場を見たら、現代人の少年少女なら一週間以上は牛肉も豚肉も食べられませんよ? 解体なんて夢のまた夢。まるっきり甘々です。
僕はそんなバイトなども経験してきているので、へっちゃらになりました。
引きこもりにかんしては、なぜ現世で引きこもっていたのに、異世界ですぐに順応出来るのでしょうか? コミュ障な人が転移するものもありますが、突然コミュ症が治るでのしょうか。他人とのコミュニケーションが取れなければ、まさしく致命的でしょうに。死が身近な世界だよ? 親がご飯を作ってくれるわけでもないし、コンビニもありません。お金だってないのに、どうやって買い物できるの?
そう都合よく異世界の言葉が理解できる環境も怪しいものです。どんな温い世界だろうね。
まあ神様からそんなチートの類が貰えれば問題ないかもしれないけれども、いくらチートがあったからといって、そうすぐに順応できるわけがないのだ。
だから僕は異世界に行くことを切望してからは、進んでどんな世界でも生きていけるようにと、色々と学んだのである。
などと考え、僕はオタクでゲーマーだったけど、ちゃんと他人とのコミュニケーションは欠かさなかったし、引きこもりもしなかった。仕事も責任を持ってしていたと自負している。
だから異世界に行くのなら、知識は重要だ。マジで重要。
最低でも数日は一人で生きていけるようにならなければ、即死に間違いないだろう。
だから僕は、念願の異世界転移、転生ができた時のために、即死だけは避けるようにと、暇さえあれば知識の蓄積に余念がなかった。いつ異世界に行ってもいいように。
ブラック企業で残業も多かったけれど、ちゃんと自炊もして料理スキルも伸ばしていたし、少ない休みでサバイバル術も習得していたのだ。
若干メタボなのはご愛嬌です。異世界に行ったら特殊能力があると、半分は期待していましたから。
まあ物語的には、特殊能力頼みな部分が面白かったので、あれはあれでありだけどね。
──だから僕にもなんか能力プリーズ!!
ですが現実は非情です。
メタボではなくなったことはひとまず感謝しょう……しかし、マッパ同然で超丸腰、そしてなんの特殊能力もない(多分確定)非力な少年状態って、どういうことだよ……色々と勉強していて良かったと、今切実に前世の行いを褒めてあげたい。
ともあれ寒い。
まずは焚き付けにできる木々を集めないと。
そうして寒さに震え痛む身体を引きずりながら、焚きつけを探す僕だった。
──ふぁ! 先程のゲリラ豪雨で乾いた落ち枝が見つかりません!
どれもこれも湿っていて、簡単に火が着きそうなものがなかった。
のっけから困った問題だ。予想はしていたが、これは非常に大問題だよ。
湿った木では着火するまで一苦労だ。油のようなものがあれば、火花が出そうな石英を多く含んだ石を拾って打ち付ければ、その火花で火を起こせそうだが、油なんてどこにも見当らない。ドラマの億万長者みたいに鉄砲撃って、偶然石油が湧き出るような、そんな安心設計の世界じゃないだろう。油を偶然に見つけられるほど甘くはない。とにかく鉄砲も持っていないし、万にしても無理だわ……。
動物性の脂から作る……作れなくはないが、武器もない。木の枝で戦えと? それに脂から油を分離するのに火が必要じゃないか……だめだこりゃ……。
とはいえ、落ちている枝もあまり多くない。
数本拾ってみたが、どれもこれも濡れていて、それに非常に固そうだ。枝どうしを打ち付けると、キーン! と、どことなく金属を打ち付けたような音が響く。しいていうと、備長炭のような感じが近いだろう。
この落ち枝を焚き付けとして燃やすのは、相当な労力が必要になる。
枯れ枝でも岩のような感じなので、これが易々と燃えるとは考えにくい。周りを見るとかなり大きな木が目立つ。屋久島の縄文杉とかに匹敵するぐらいの、見上げても突端が見えないぐらいの巨木が林立している。これは異世界特有の木なのだろうか……魔木とでも言うのかな?
前世と同じような木もないわけじゃないが、余りにも数が少なく、枝もあまり落ちていない状態だ。
これは火おこしを諦めるほかないか……。
しばらく焚き付けを探しながら森の中を徘徊していると、身体を動かしていたせいか、幾分体温が戻ってきた。
寒さで死にそうな気分が少しは軽減している。有難いことだ。
でも、問題はまだある。
空が暗くなってきて、いよいよ夜を迎えるようとしている。
この右も左も分からない世界で、この初夜をどう過ごすべきだろうか。いたずらに動き回らない事が延命の鍵ではないかと判断する。
そう考えた僕は、闇夜が訪れる前に身を隠す場所を探すのだった。
洞窟のような場所はないか? でも洞窟には見知らぬ動物などが棲みついているかもしれない。見知らぬ土地で見知らぬ動物、獣、もしかしたら魔獣とかみたいな奴がいたらイチコロだぜ、僕が。ガクブルだね……まだよく分からない世界だからこそ、危険そうな場所には近寄らないことに決めた。
しかし近くに山や崖らしきものは見当たらないので、洞窟探しはやめる。
しばらく安全そうな場所を探していると、巨木にちょうど僕が隠れられるほどの洞があったので、そこで夜をやり過ごすことに決めた。
ちょうど体育座りで雨露をしのげそうな巨木の洞。近くに生えている草や、落ちている細い葉のついた枝を拾い集め、寝場所に持って行く。
洞に身を潜り込ませ草や枝で身体を隠すようにした。すると仄かに暖かくなったような気がする。
ここなら少しは安心して眠る事ができそうだ。
こうして異世界初日、疲れ果てた僕は、そのまま眠ってしまうのだった。