48話 独白 (ミッチェル)1
わたくしはミッチェルと申します。
ブリューゲル男爵家にお仕えするメイドでございます。以後よしなにお願いいたします。
わたくしはブリューゲル家長女にあらせられます、ミルキーお嬢様にお仕えする筆頭側仕え。
わたくしがミルキー様にお仕えしたのは八年ほど前になるでしょうか。当時ミルキー様は8歳程のお歳でした。とても可愛らしく、とても利発で闊達なお嬢様でした。
わたくしはそんなお嬢様の教育係として雇い入れて頂いたのですが、この頃でも既にお嬢様に教えることはそんなに多くはありませんでした。教養もわたくしよりもあり、逆にわたくしが教えられることが多かったほどです。剣や魔法も8歳というお歳でいて、かなり優秀なモノを身に付けておられました。後は少し稽古の相手をするぐらいでメキメキと上達していったものです。剣は幼い頃から衛士のケント様に鍛えられていたようで、お仕えした当初でもわたくしと互角ぐらいの稽古をするぐらいに優秀でした。おかげでわたくしも今ではそこそこ強くなったつもりです。
強いて挙げるのなら、常識的行動、貴族としての立ち居振る舞いがなっていなかったような気がいたします。
粗野な兵士と訓練し、近所のガキ大将とよく遊び、言葉遣いも乱暴でした。
おまけに興味を持ったものには盲目的に没頭し、そんな時は他人がなにを言おうとも耳も貸しません。自分が満足するまでは、邪魔されることを殊更に嫌います。
研究一家はみな研究の虫。その辺りはこの家の家系のようなものですから矯正する気にはなりませんでしたが、学校へ上がるのでしたら少しは貴族としての振る舞いを覚えた方が良いかと思い、厳しく教育した記憶がございます。
旦那様と奥様は、元々は庶民の出にて、あまり貴族の立ち居振る舞いを子供に教育できるだけの教養がありませんでした。故に代々貴族の家に支えてきている家系のわたくしに白羽の矢が立ったのでしょう。両親に厳しく育てられましたから。
さて、そんなミルキーお嬢様は、ご両親共に高名な学者、研究者として世界的に有名で優秀なお二人の間にお生まれになりました。
そんなお嬢様は、幼い頃から優秀でなくてなんでしょうか。
学校へ上がるや否や瞬く間に頭角を表し、研究者としての地位まで確立してしまわれました。
並み居る先生方の理論を覆し、神童と呼ばれるほどの功績を早々に見せつけました。
考古学、生物学、進化論。そんなことを説明されても、わたくしにはちんぷんかんぷんですが、お嬢様はそういった研究を進めていたのです。
そしてそんなお嬢様が興味を持ったのが『裸猿』でした。
『ねえミッチェル。裸猿はなんで言葉を話さないのですか?』
『わたくしにはお答えするだけの知識がございません。裸猿は野生の猿以下の存在、とだけ教わっておりますので、それぐらいです』
『でも彼等は私達となんら変わらない脳があり、相応の身体機能を有していておかしくないのですよ? それが未だに言葉も話さないなんておかしいのです。まるで意図的に進化の過程から切り離されたように感じます。言って見れば野生の猿よりも知能が低いなど、退化と一緒です。そんな彼等が何故この世界に古くから存在するのでしょうか?』
『申し訳ございません。お話の内容が高度すぎます。裸猿は下等生物、としかお答えしようもございません』
『もう! ミッチェルも少しは興味をお持ち下さい。楽しいですよ?』
なんてことがありました。
そして裸猿が発見される度に旦那様に買っていただくようになったのです。わたくしからすれば甘やかし過ぎだと思うのですが、お嬢様が興味を持ったものにはお金に糸目をつけない人達のようです。さすが研究一家だけあります。
ですが裸猿の飼育は殊の外困難を極めました。
買った裸猿はことごとく死んでしまいます。優しく丁寧な飼育を心掛けていても、餌すら食べなくなり、そして衰弱して死んでしまう。
お嬢様はその度に悲しみに暮れました。
『ミッチェルの躾が厳しすぎるのではなくて?』
などと責任をなすりつけられたこともしばしばでした。
確かに裸猿の飼育は大変でした。最初はトイレすら教えるのにも苦労するのです。
怯え、暴れ、糞尿の始末も自分でできない裸猿は、わたくしの精神をことごとく削ってくれました。
部屋は汚しまくる、水浴びも嫌がる、服も着ない、臭い、等々。知性の欠片もみられない裸猿にどんな躾をすれば良いのでしょうか。わたくしが教えて頂きたいほどでした。
そして何匹目かの裸猿を同じように死なせた時、お嬢様は心を折られました。
『ミッチェル……どうして死んでしまうのでしょうか……私達と同じような姿形をし、同じように生きているのです……同じ命といえないのでしょうか? もう私には限界です……これ以上彼等が目の前で死んでゆくのを見たくありません……』
『下等生物ですから仕方ありません。お嬢様が殺している訳ではないのですから、お心を強くお持ち下さい』
わたくしはそう慰めました。しかし、
『いいえ、私が殺しているのも同然です。せめて言葉だけでも理解してくれればいいのに……』
と、お嬢様は悲嘆に暮れました。
『言葉など理解する裸猿はおりませんよ。次はもっと飼育の簡単な生物の研究に致しましょう」
落ち込むお嬢様に、わたくしはそう言って励ましました。
わたくしはもうお嬢様が裸猿を買うことがないと内心喜んだのですが、それはひた隠しました。
しかしこの世界は残酷なものです。
お嬢様が裸猿の研究をお諦めになろうとした矢先、とんでもない裸猿が発見されたと噂が流れてきました。
『ミッチェル! 言葉らしきものを口にする裸猿がいるそうです!』
その噂を聞きつけたお嬢様は、瞳を爛々と輝かせておいででした。
反対にわたくしはどんよりとした気持ちになったことは内緒です。
『お嬢様? もう裸猿はお買いにならないと仰りましたよね?』
『あれ? そんなこと言いましたかしら?』
ダメだこれは。目先の珍しい裸猿に意識を持っていかれてしまっている。
ですがわたくしもここは心を鬼にして説き伏せなければなりません。また同じ轍を踏ませるわけにはいきません。筆頭メイドとして、お嬢様のあのような悲しいお顔を拝見するのは、もう金輪際嫌なのです。
裸猿の世話も金輪際したくないので、方便ですが。
『お嬢様。もう裸猿を死なせるのは懲り懲りだったのではないですか?』
『ええ、それはそうですが、言葉が話せるのなら、その内お互いの意思疎通が行えるかもしれません。今までの裸猿とは違うと考えます』
『しかし今時点それは噂に過ぎないのですよ。買ったは良いがまた同じだったらどうするのですか? またすぐに死んでしまい、同じように悲しみに暮れてしまうのですよ?』
『……確かに、そうかもしれませんね……でも、噂が本当なら大発見です! 生物学、進化論、歴史に光明が差すかもしれないのですよ!』
ダメだ、悲しみよりも研究の熱意の方が優ってしまった。
『噂は噂に過ぎません。そんな珍しいものなら、とっくに他の貴族が唾をつけていることでしょう。ここは慎重にお考え下さいませ』
『はぁ〜ぃ……』
『ハイ、は伸ばさない!』
渋々納得してくれたようですが、噂が本当でないことを祈りました。
裸猿の世話などしたくありませんから。
しかしその翌日。
なんともご丁寧に奴隷商のジェイソンが、お嬢様へ緊急のお話があると訪問してきたのでした。私は嫌な予感が脳裏を過ぎります。
『お嬢様はまだ学校から戻っておりません。生徒会のお仕事がお忙しいのでお帰りはいつになるのかわかりません。ご用がおありでしたらわたくしからお伝えします』
裸猿の件だったら伝えないでおこう。そう心に決めました。
しかしジェイソンは、そんなわたくしの心の内を読んだかのごとく言いました。
『そうですか、ではお帰りまで待たせて頂きます。直接お話ししなければ伝わらないこともあるでしょうから、えぇ』
いけしゃあしゃあとまあ、わたくしの気持ちも酌みなさいな、と言いたかったがやめておいた。この家の品格を落とすことはできません。
程なくしてお嬢様がお戻りになられ、ジェイソンと話をすると、即決したように返事をしました。
しかしやはり旦那様に許可をもらわねばなりません。ここはひとつ旦那様を籠絡せねば。
と考え、翌日お嬢様が帰宅する前に旦那様へお願いにあがりました。
『旦那様! 後ほどミルキーお嬢様よりお話があると思いますが、その話はお断り下さいませ』
『どうしたんだいミッチェル、藪から棒に』
『いいえ、また裸猿を購入しようと画策しているようですので、是非とも止めて頂きたいのです。二匹も買うなどお金の無駄遣いです。どうせすぐに死んでしまいろくな研究もできないのですよ。お嬢様がまた悲しまれる前になんとか止めたいのです』
『うーん、あの子はまた裸猿を買うと言っているのかい? 仕方がないな。今度はちゃんと断ろうか』
『よろしくお願いいたします、旦那様!』
にひひ、これで旦那様のお許しが貰えなければ、裸猿は買うことができない。
即ち、わたくしが世話をすることもなくなるのです。
なんと機転の効いた作戦でしょうか。自分で自分を褒めてあげたくなりました。
しかしそんなわたくしの戦略など、お嬢様にとってみれば、なんら気にする要素のない作戦だったようです……。
お読み頂きありがとうございます。
数話、ミッチェル視点続きます。