4話 一難去ってまた……
──コマンドオープン! ヘルプ、プリーズ!
──ヒール! ハイヒール! キュア! 回復! 中回復! 全回復! リザレクション!
──ファイア! ウインドカッター! フレア! メガフレア! アースウォール! ライトニング! メガバースト!
──身体強化! インヴィジビリティ! マインドシールド! クイック! イーグルアイ!
──マップ! ロケーションマップ! 索敵! 地形サーチ!
はあはあはぁ……。
僕は谷底をひたすら歩き、出口を探しながら思いつく回復呪文や攻撃呪文、身体強化呪文(ゲームでよく使う)などを唱えてみたが、何ひとつとして発動しなかった。
怪我でやたらと身体が痛いので、回復魔法を使えれば良かったのだが、そう甘くないようだ。
ここが本当に異世界なのか疑問が頭を過る。
身体は傷だらけで、出血も伴っている。回復魔法も何もなく、救急セットすらない不親切設計。異世界に来て早々まさに瀕死状態じゃないか。
小汚いマッパ同然の少年になった僕の前途は、果てしなく多難のようだ。
──そうか、もしかして身体能力が向上しているとか?
あの高い崖を落ちても無事だったようだし、きっとそうかもしれない!
この身体の前の持ち主がいたら死んでいる、ということは棚にあげる。
ここが剣と魔法の世界ならば、僕には魔法の才能はなく剣とか体力に特化しているのではないか? 滅茶苦茶凄い力があるかもしれないな! 素手で無双できちゃう?
そう思ったが早く、近くにある大岩にパンチを見舞う。(短絡思考)
──テイッ‼︎ (ゴキッ‼︎)
「──あがあああっ‼︎」
岩じゃなくて、拳が変な音を出しました。
僕は奇妙な音を出した拳を押さえながら、ゴロゴロと地面を転がり悶絶するのだった。
「うがあああああっ‼︎」
痛いです!
なんで試しに手加減しなかったの? 本気で岩を殴る馬鹿はいないでしょうに……。
拳の皮がめくれ上がり出血した。また怪我が増えてしまったよ……マジで痛いです……。
この世界、マジで回復魔法ないですか?
とはいえ、ひとつ分かったことがある。
僕はこの新しい身体に転生したようだが、この身体には全く特別な能力はない。
この身体相応の力しかないということが、拳を痛めてやっとわかった。自分でも馬鹿だと思う。ホントに馬鹿だよ。はい、反省。異世界はそんなに甘くないようです……。
というわけで、せっかく異世界に来たものの、全くといって特殊な能力がない自分に、愕然とする僕だった。(もしかしたらこの世界の理で発動する魔法とかがあるかもしれないので、一時考えることを保留する)
事実は小説より奇なり。というらしいが、小説のように能力が欲しいと思ってはいけないのか……?
とんだ異世界転生だよ。がっくり、しょんぼり、とほほだよ……。
そう肩を落としながら歩いていると、ピカッと稲光が谷底を照らす。
谷底から空を見上げると、暗い雲が空を覆い、ぽつりと雨粒が顔に落ちてきた。
ピカッ! ゴロゴロゴロ、と、数度激しい雷光が空を走る。次いでぽつぽつぽつと、雨が落ちて来て、次第に雨粒が大きくなり始め、そして、ざあああああああああああああっ! と、バケツをひっくり返した、いや、浴槽をひっくり返したような雨が降り始めた。ゲリラさんもびっくりのレベルだよ。まさしく滝のような雨。
これは大変だ、雨宿りしなければ体が冷えてしまう。
そんなに寒い時期ではなさそうだが、マッパ同然のこの姿で雨に打たれたら、体温がメキメキと奪われてしまうこと請け合いだ。
どこか雨宿りできる場所は……。
そう辺りを見回すが、谷底なのでどこにも雨宿りできるような場所は見当たらない。
そして次の瞬間、僕は危険を察知する。
この大雨で徐々に小川の水嵩が増えていることに、遅まきながら気づいてしまったのだ。
──こ、これ、ヤバいんじゃね?
先程までちょろちょろとしか流れていなかった小川が、急激に水嵩を増やしているのだ。豪雨は降り続けており、この場所で小川が水嵩を増すということは、上流で降り注いだ雨水はどこに行くのか。
答えは簡単だ。低い位置へ流れ込む。そしてここは谷底。これだけ深い谷が形成されているということは、この場所が川の水で長年浸食されている証だ。
僕は事の重大さをしり恐ろしくなった。
みるみる水嵩を増す小川は、もう小川と呼べるものではなくなった。足が水に浸かり始めると、そこからが早かった。
みるみる内に膝まで水に浸かったと思うと、次の瞬間、
──ずごごごごおおおおおおおおおおーっ!
と上流の方から不気味な音が迫ってきた。
大量の雨水が、崖の底を流れ来る音。
上流方向を見ると、壁のように押し寄せて来る水、水、水。
こ、これは終わた……。
この時点で小川だった川は、僕の腰まで水嵩を増していた。
そして僕は、その水の流れに逆らえるわけもなく、濁流にのみ込まれるのだった。
異世界に来て早々、僕はまた死ぬのだろうか……。
異世界とは斯くも厳しい所です……。
そして僕はまた気を失うのだった。
▢
【とある場所】
「ねえ、最近の死んだ奴って、どうして異世界とかなんとか訳の分からないこと言い出すわけ?」
死んだ魂が導かれる場所で、現世で女神と呼ばれる女性型のなにかが、不満そうな表情で文句を言っていた。
「うむ、それは現世で流行していた何かの影響だろう」
その文句に、表情一つ崩さず、現世で神と呼ばれる男性型の何かが答えた。
「なにそれ? まったく迷惑だわ。いうに事欠いて異能を寄越せとか特殊なスキルを付けてくれとか、何考えているのよ。記憶を残して異世界とやらに転生したがっているけど、バカじゃないの?」
「そういう者たちは相手にしないことだ。さっさと前世の記憶を消して違う時空に送ればいいのさ」
「ふん、あんたはそう簡単に言うけどさ、私これでも死んだ奴等には女神で通っているからきっと話しやすいんだよ。でもそういう奴等は面倒だから、次も悲惨な人生を遅らせることにしたんだよね」
「おいおい、全く……俺たちの本来の仕事を弁えろ。死んだ魂には分け隔てなく再利用しランダムで送ることに決まっているんだ。特定の配置を与えては不具合が起きかねんぞ?」
「うるさいわね、分かってるわよ。ただ異世界なんて奴等のただの妄想でしょ? あるのは常に現実しかないんだから、異能を下さいとか特別な配慮を期待して甘ったれたこと言っている奴にはお仕置きが必要よ」
「はぁー……」
女性型のなに者かの言うことに、眉間を押さえながらため息を吐く男性型のなに者か。
「性能から言って異能を付けられないわけじゃないけどさ、それはこちらが不確定要素の何かが起こって、解決してもらうために与える非常時だけでしょ? そう簡単に要求してくる奴は、碌な者じゃないでしょ?」
「確かにそうだが……やり過ぎだ。今回はこの惑星の全員を一度消去したんだ。そんな行動をとると不確定要素になり兼ねんではないか……」
「だーいじょうぶよーっ、ちゃんと記憶も消去しているし、余計な機能はロックしてある状態だから、向こうに行ったってすぐに死ぬわよ」
あははははっ、と悪びれなく笑う女性型のなに者か。
しかし男性型のなに者かは、眉間にしわを寄せ女性型のなに者かを睨み付けた。
「すぐ死ぬとかの問題ではない。その慢心が足元を救われることに繋がるんだぞ? 過去にもあっただろそういうことが……」
「そんなの私知らないもん。過去の出来事に私は携わっていませんから」
「まるで他人事だな……まあいい、何かあったら責任はしっかりと取ってもらうからな」
「はーぃ、そんなに心配しなくてもいいわよ。そう簡単には生き残れないところを選んだからね」
女性型のなにかは、怒られているにも拘らず、やけに楽しそうにしている。
そう簡単に生き残れない状況に送られた魂達の行方を、いかに楽しんで観察しようか考えているのだろう。
「さあ、まだ沢山の者達を送らなければならないんだ。休憩はここまでだ」
「はーぃ、もう面倒くさいわね。一気に送ってしまえば良いのにね」
「記憶の消去は、単体で行うのが決まりだ。手を抜くなよ」
「はーぃ……あっ……」
「ん、どうした?」
「いいえ、なんでもないわ。さっさと仕事しましょーっ、と……」
女性型のなに者かは、一瞬気まずそうな顔をしたが、そそくさと仕事に戻って行った。
──一人ぐらい大丈夫よね……あの環境で生き残る方が難しいしね……。
そう考えた女性型のなに者かは、次の瞬間にはその事を思考の隅に追いやり、ふふふ~ん、と鼻歌を歌いながら去ってゆくのだった。
この小さなミスで、新たに生を受けた底辺の生命体が、この先イレギュラーになり得ることなど、今の女性型のなに者かは、知る由もなかった。