22話 自己紹介 ★
私と妹のキャンディーが家に戻ると、メイドのミッチェルは頭をタオルで冷やしながら、ソファーで調子悪そうにしていた。
「どうしたのミッチェル?」
「──ハッ! これはお嬢様、お帰りなさいませ! それにキャンディーお嬢様もご一緒でしたか、お帰りなさいませ。こんなだらしない姿をお見せいたしまして、誠に申し訳ございません」
私が帰宅したことにハッとして姿勢を正す。
主の前でだらしなくしていたことを恥じるが、顔色は非常に優れない。
私も朝から嫌な奴に絡まれたので気分が優れないが、それ以上に調子が悪そうだ。
「ミッチェル? 顔色が悪いですね」
キャンディーが首を傾げながらそう言うと、ミッチェルは濡れたタオルを後ろ手に隠して首を振る。
「い、いえ、たいしたことはございません」
「そう? まさかとは思うけど、あの裸猿がまた何かしたのかしら?」
「……」
私がそう質問すると、ミッチェルは押し黙ってしまった。
どうやら何かあったらしい。
「朝の餌を与えたのですよね? その時に何がありました? 報告してくださいまし」
ここは主として報告を聞かなければならない、それにミッチェルには報告する義務がある。
あの二匹の裸猿に関しては、たとえ小さなことでも報告するように昨日申しつけてあるのだ。
隣でキャンディーも興味津々にミッチェルの報告を待っている。
普段からミッチェルがこんなに疲弊した様子で私たちと接することはない。ならばそれなりに考えられないようなことを裸猿がした、とキャンディーも予想しているみたいだ。
私と母との会話を盗み聞きしていただけある。
「は、はい……実は、朝の餌を持って行った際、雄の裸猿が私の名前を口にして、昨日と同様、感謝らしき真似をしていました……」
「「えっ……?」」
ミッチェルの言葉を聞いた私とキャンディーの声が重なった。
ハッキリ言ってミッチェルの言っている意味が分からない。
それを解釈するのに少しの間があった。
──なに? ミッチェルの名前を口にした? 名前を喋ったってこと?
それはあり得ない。いくら言葉らしきものを話すとはいっても意味不明な発音の羅列だ。そこに教えてもいないミッチェルの名前を口にするなど考えられるわけがない。
「お姉様、言葉を話す裸猿というのは、わたし達と同じ言葉を話すのですか?」
「……いいえ、意味不明な発音を発するだけです。言葉かどうかもまだ判断できていません」
「では、ミッチェルの名前を聞いて、その発音を覚えたというのですか? 裸猿が?」
キャンディーも信じられないといった感じで訊いてくるが、その瞳はキラキラと輝き、いっそう裸猿に興味を深めたかのようだ。
「ミッチェルの話が本当なら、私達の会話からミッチェルの名前を覚えたと考えるしかありません。自己紹介すらしていないのですから、わたし達の会話から名前を抽出したと考えるのが妥当です……けど」
言葉自体を理解していなければ、固有名詞を抽出するのも難しい。もしもあの裸猿の言葉が何かしらの言語だとしても、こちらの言語とは全く別物である。
もしそれが本当に私達の会話から判断できたとするのならば、発音だけでそれを聞き取ったということに他ならない。それはあの裸猿は恐ろしく知能が発達しているということになる。
「ミッチェル、本当にあなたの名前を口にしたのですか? 聞き間違いではなく?」
ミッチェルの名前のようなうめき声とか? 鳥のように意味は理解していないけど、聞いた音を繰り返すとか? いやいや、あの裸猿ならもしかして……。
「はい、聞き間違いではございません。多少呂律が回っていませんでしたが、しっかりとわたくしの名前を発音しておりました」
「そう……」
これだけ聞いてもミッチェルがそう言うなら間違いないのだろう。
これは期待できそうだ。私達の会話から名前だけを聞き取ったというのならば、これは……。
「お姉様、わたしも早くその裸猿を見てみたいですわ‼」
キャンディーは待ちきれないかのように私の袖を引っ張る。
「もう少し待ちなさい。お母様が帰って来てからにしましょう」
しかし何度も大勢で押し掛けたら、裸猿に余計なストレスを与えかねない。それでなくとも脆弱な生物なのに、研究もしていないうちから病気になって早死にされても困る。
「それからお嬢様……」
ミッチェルは期待で胸膨らますキャンディーをよそに、顔色が優れないまま何かを言い淀む。
「まだ何かあるの?」
「はい、実は部屋の使い方も以前の裸猿とは大違いです。夜中確認したところ、昨晩は二匹ともベッドを使って寝ておりましたし、教えてもいないトイレの使い方もしっかりとしておりました。それに朝には雌の方も見違えておりました。服もキッチリと着ておりましたし、恐らく雄に髪の毛を梳かされたのでしょう。わたくし達のように綺麗に髪型が整っていました。それに食事もきちんとテーブルで摂り、食べ散らかす以前に、後片付けもしっかりしています。気味が悪いほどです……」
「……」
私は次々と挙げられる裸猿の奇行に期待を深める。
言葉だけで顔色が優れなくなるミッチェルではなかったという事か。
以前までの裸猿とはまるで天と地ほども違う行動に、驚く以前に恐怖を覚えたのだろう。
今まで裸猿はこういうものだ、という固定観念ができていたのに、それを覆すような個体が現れたら、恐慌とするかもしれない。それが私達と同程度の行動をとるのだから卒倒したくもなったのだろう。
「……余計に興味深いわね」
教えてもいないトイレを使い、床ではなくベッドで寝る。毛繕い(グルーミング)ではなく髪型を整える知識を持っている。
これはそれなりの環境が整った場所にいたってこと? 山奥で暮らしているのに? ここに来るまで見たこともない環境に適応する能力を持つていた? いや、こういった環境で育った? いやいや、それはないだろう。服も着ていない野生の裸猿にそんな環境などないはずだ。
考えれば考えるだけ疑問が深くなってくる。研究のしがいがありそうだ。
「それで治癒師は来てくれるの?」
「はい、そろそろ到着する頃かと」
とりあえず治癒師の到着と母の帰りを待ってから、裸猿と面会することにした。
しばらくして母が帰って来て、その少し後に治癒師が到着した。
治癒師が到着するまでの間、母にミッチェルの体験談を聞かせていたが、予想以上に興味を持ったのだった。
そして裸猿の部屋へと向かった。
「oha、よぅ、gzeui、mazu、ミルキー、gshujinsama」
「──‼︎」
扉を開けるなり、雄の裸猿は姿勢を正して挨拶らしきものをして来た。
その行動に私達全員が驚きのあまり固まった。
相変わらず意味は不明な言葉だが、その中に私の名前らしき発音をしっかりと、確実に聞き取ることができた。
ミッチェル同様、私達の会話の中から名前を明確に聞き取り、それが誰なのかさえ認識していると見ていいだろう。
「お、お母様……これは間違いないですよね? ミッチェルと私の名を明確に判断している証左です」
ミッチェル一人の時はミッチェルの名を口にしたというし、ここにいる四人のうち次に面識のあるのは私だけ。そして私の名を口にしたのだ。
「想像以上ですね。まさかこんなにも奇天烈な裸猿だとは、思いもしませんでした……」
母は今、目に、耳にしたことが信じられないかのように裸猿を見つめていた。
今までの裸猿の常識が覆されるような存在に、どう表現して良いのかさえ分からない。言葉さえ理解できる言語ならば、所作といい知能といい、私たちとそれほど変わらない。いや、もしかすると、初対面の人の名前を覚えられない人よりも優秀だ。
「私はハイネス、この子はキャンディー、あなたは、名前がおあり?」
するとなにを思ったのか、母は自分を指差し名乗り、次いで妹のキャンディーを指差し名前を言うと、最後に雄の裸猿を指差し名前を訊ねた。
「お、お母様! いきなりそんな高度な質問しても……」
「いいえ、御覧なさい」
母は私の言葉を遮り裸猿を見ろと言う。
裸猿は何度か目を瞬いた後に、おもむろに指を持ち上げ、
「ハイネ、ス、sama、キヤン、デー、ojyo、sama……boki、ha、タツ、ヤ……ka、nojo、wa、マロン、desi。yoro、piku、onegei、sima、si」
次々と指を差しながら名前を発音していった。
「……」
全員声が出ない。
まさかすぐに母と妹の名前を諳んじたかと思ったら、なんと自分の名前らしきモノまで自分を指差しながら「タツヤ」と発音したのだ。おまけに雌の裸猿まで指差し「マロン」と発音し、そしてお辞儀のように腰を折った。
これはどんな冗談だろう。
発音を真似る鳥系のものとは全く違う。しっかりと理解して話しているとしか考えられない。
「これは驚きね。裸猿が名前を持っているなんて前代未聞だわ」
「名前、なの? 言語すら持たない動物に、誰が名前をつけるんですか?」
吠えるか唸るかしかしない裸猿の生態。そこに明確な発音などない。名前など付けられる言葉すらないのだ。異常すぎる。
「今分かるのは、この裸猿が特別ってことでしょうね。もしかしたら、この雄の裸猿、いえタツヤが勝手に自分に名前のようなものを付けたのか。それとも……」
「それともなんですか?」
「あなたも薄々考えているのじゃなくて?」
「……」
私の考えることは、この世界にいまだ未知の裸猿の集落があり、そこでは知能が発達した個体がいて、たまたま人の住む街に出て来てしまった。
これが有力だが、いまひとつ信憑性に欠ける。そもそもそんな特別な裸猿の集落だけがあって、コミュニティーを作るだろうか? 同じ進化の過程にありながら、裸猿は火すら使えない生き物だ。言葉という高度なコミュニケーションを持つのなら、もっと文化的にも私達に近づいていなければならないと思うのは、私だけではないだろう。そもそもそんな裸猿がいたら、既に世に認知されていて然るべきだ。
もう一つの考えは、なにかしらの因果で前世の記憶を残したままこの裸猿の身体に転生して来た可能性。
しかし、この裸猿の発音する言葉は、この世界のどこの言語にも当てはまらない意味不明なものだ。故にこの世界のどこから転生してきたのか、と問われても、それは分からないとしか言えない。
今の所予想できるのはこの二つぐらいだ。
「とにかくミッチェル、至急治癒師に入ってもらいなさい。彼の治療を優先させるのよ」
「畏まりました奥様」
母はとにかく雄の裸猿の怪我の回復を早くするべきだと判断したようだ。
ミッチェルは廊下で待たせている治癒師を至急呼びにいった。
「こんな珍しい研究材料は二度と手に入らないわよ。ミルキーは彼を死なせないように十分に注意するのですよ」
「は、はい、お母様」
「それと、これだけの知能を持ち合わせているのです。ミルキー、あなたが最初にすることはわかっていますね?」
「はい!」
私は母の問い掛けに即座に返事を返した。
行動観察や初歩的知能実験など、そんなものはもうこの裸猿には必要ない。
これだけの知能を保有しているのならば、手っ取り早くこちらの言語を教え込むことだ。
言葉でコミュニケーションが取れると、研究も俄然進むことだろう。
なんてったって、研究対象がそのまま答えてくれたり、意見を返したりしてくれるのだ。それはもう研究ではなくなる。同じ人として意見を交換し、私達や他の種族との生態の違いも明るみになることだろう。
もしかしたらこの世界の生物の進化論が、根底から覆される可能性だってある。
「まずは言葉を徹底的に教えます」
私の心は久しぶりに燃え上がる。
こうして私の研究は開始されることになった。
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