21話 裸猿を譲れ ★
私がそそくさとこの場を逃げようとしていると、背後から声をかけられた。
「お姉様‼ お姉様もお姉様です! 校内で爵位をひけらかすことは禁止されているとはいえ、侯爵家の御子息様を相手に、態々煽るようなことを仰らなくてもよいではないですか。お母様とお父様を困らせる真似は慎んでほしいものですわ」
「ひっ! キャンディー!? いつからそこに……?」
振り向くと、妹のキャンディーが仁王立ちで私を睨んでいた。
「最初からです」
「最初からって……あなたね……って、私が悪いの?」
「ええそうです。バーン様は何か用件があってお姉様を呼び止めたのではないのですか? それを無視したり、端から喧嘩腰で対応するなど、生徒会長としてどうかと思うのですが? 挙句にはミラベル様にまで迷惑をかけて……妹として情けないです」
──ええ~っ! バーンのあれが用件のある呼び止め方? どちらかといえばバーンの方が最初から喧嘩腰だったじゃない。ぽっと出貴族のアバズレらしいのよ私? 生徒会長云々じゃないわよ?
それにミラベルは勝手に顔を突っ込んで来ただけじゃない。迷惑なのは私の方なんですけど。
そう考えても上位貴族に文句を言うわけにはいかない。
それでも、貴族的対応を心掛けるのであれば、少し反省点はあるのも確かだ。
学校に規則があるのは確かだが、暗黙の了解的に爵位の上下には気を配らなければいけないのは、貴族として当然の対応だろうから。
でも、バーンみたいに傲慢な貴族、そういった輩は、早々に淘汰されるべきだと思う心は曲げないけど。
「そ、そうね……わたくしが若干言い過ぎたようですね。バーン様、先程の発言お聴き流しいただければ幸いに存じます」
「……う、ああ、わ、分かればいいんだ、分かれば」
それでも私はけして頭を下げない。聞き流せとお願いするだけ。
バーンも退学という大事にならずに済んでホッとしたのか、どもりながら殊勝な態度で頷いた。それを見た弟のハイドも留飲を下げたようだ。にっこりと微笑んで私を見て来る。なんか可愛い子だねハイドは……兄にその可愛さを少しは分けてあげなよ。憎たらしいったらありゃしない。
「それでバーン様、用件とは何でございますか?」
「あーああ、おま、いや、ミルキー嬢、貴方が先日奴隷商から裸猿を二匹買ったという噂を聞いてな」
なんと昨日の今日でそんな情報を仕入れるとは、なかなか侮れないねバーン。
バーンというよりも、貴族の情報網なのだろうけど。
「あら、お耳が早いこと。それでその裸猿になにかございまして?」
「いや、俺、いや、わたしも常々裸猿を探していてだな、もし二匹も必要ないのなら、一匹譲って欲しいと声をかけた次第だ」
うぁ、厄介だ。貴族の上下関係上、譲って欲しいと低く出てきているが、その実それは『寄越せ』と言っているようなものだ。
ですがお生憎様。今回は何があっても手放す気はありません。
「まあ、裸猿に興味がおありなのですか。ちなみに二匹の裸猿の内、雄、雌どちらをお望みなのでしょうか?」
どうせ雌を観賞用にでもしようと、ゲスな考えでしかないのかと思ったら、
「ああ、最近噂になっている裸猿だ」
「え、噂をご存知なのですか?」
うわ、これは予想外だ。
最悪雌なら奪われても良い(譲る気など端からないが)と考えていたのだが、これはお話にならない。
きっとバーンは珍奇な雄を手に入れ、見世物として貴族連中に披露したいと考えているのかもしれない。でも雄と明言しないところを見ると、雄と雌、どちらが噂になっているのかは知らないみたいだ。
確かに私も噂で言葉らしきものを話す裸猿とだけで、性別は聞いていなかった。
でもこれは何を言われても譲る気など無い。
「ああ、そうだ」
「お断りいたします」
「──な、なに!」
私はきっぱり断った。
するとバーンは断られるとは考えていなかったのだろう。明らかに表情を強張らせ私を睨んでくる。
「あの二匹は研究用に購入致しました。我が家の、いえ、場合によってはこの国の財産に匹敵する個体かもしれません。故に愛玩用のペットではありませんのでお譲りできかねます」
「何故だ! 侯爵家のおれ、いや、わたしが要望しているのだぞ。ただでとは言わん、ミルキー嬢が買い取った金額の倍は出そう。それで譲るのだ!」
「お断りいたします。いくら金額を百倍にしてもお譲りすることは出来ません。大切な研究用の個体なのです」
「なぁ‼」
金額を倍額にしても無理なものは無理。千倍でも譲る気はないのだから。
「貴様──」
「──兄様‼」
再度バーンが激昂して私に詰め寄ろうとした時、ハイドが私とバーンの間に割り込んだ。
まったく血の気の多いこと。先ほどの一件など既に忘れてしまっているのだろうか? 今度から脳筋野郎ではなく、鳥頭野郎と呼んであげよう。
バーンの後ろで傍観しているミラベルも苦笑いをしている。
「おやめ下さい兄様! ミルキー様は研究用に裸猿を買われたと申しております。研究者にとって、研究対象の素材や機材などは命よりも大切なものです。それを取り上げるような真似はなさらないでください!」
「なんだとハイド! お前は俺ではなく、ミルキーの味方をするのか!?」
「味方とか敵とか、そういったお話しではございません。ミルキー様は学生でありながら研究者としても既に多くの実績を残しておられます。この先研究を続ければ、きっと王様の目に止まるような大きな成果を上げられる方です。そのミルキー様が頑なに拒否されているのです。研究材料を取り上げることは国の損失になるかもしれないのですよ? 兄様は研究をなされるわけではありませんよね? ただ虚栄心を満たすために、そこまでしたいのですか?」
「……」
ハイドは憮然たる表情で兄のバーンを叱り付けた。
弟に叱られたバーンは、何も言い返せず下を向く。
しかし、ハイドの私の持ちあげっぷりが半端ではない。なんかこちらが恐縮してしまうような褒め言葉だ。
「くっ! 絶対に譲れないというのだな?」
「ええ、何度交渉されても譲れないものは譲れません」
「……ふん! 分かった。今回は諦めよう……」
そう言うと、プイッと踵を返し去ってゆくバーン。その後をペコペコと頭を下げながらハイドが続いた。
ミラベルも、面白い余興が終わったとばかりに、楽し気に微笑みながら去って行った。
まったく人騒がせな人達だ……。
というわけでこの場はハイドの仲裁が入り、裸猿を譲る話は無くなった。
しかし、別れ際のバーンの恨みの籠った表情は、覚えていろよ、この阿婆擦れが! と言っているようだった。なんか後腐れの残りそうな予感がひしひしとする。
ともあれ余計な奴に絡まれた。それよりも私は早く帰りたいのだ。裸猿が私を待っているのよ!
私は早々にその場を後にするのだった。
「あー、面倒な奴に目を付けられたわね……それよりも無駄な時間を食われてしまったわ……」
「お姉様も言動にはお気を付けください。上位貴族に恨みを買われても良いことはございませんよ?」
校門を出て独り言を呟きながら歩いていると、後ろから誰かに呆れたように応えられた。
「はあ、そうよね……って! なんでいるのキャンディー? 授業はどうしたの?」
もう1時限目の授業が始まる時間だ。廊下で別れていたと思ったが、なぜか私についてきている。
「もうー、面白そうなことをキャンディー抜きでしないでください。お母様の部屋で聞いていたのですから。私も今日は帰ります」
校長室で盗み聞きしていた、と?
「なんで? あなた一期生でしょ? 授業をサボタージュしちゃだめよ!」
「一期生の単位ならもう履修済みです。今は二期生の半分ぐらいまで進んでいますから、今日は魔法科と騎士科の実技もありませんので、一日休んだ所で何の問題もありません。それよりもその珍しい裸猿が気になります」
「はぁ、そ、そう……」
どうやら妹もそれなりに優秀らしい。
こうして妹のキャンディーと二人で家に帰るのだった。