20話 絡まれる ★
母は朝礼を終えてから家に戻ることになったので、私は一足先に帰ろうと学校から出ようと廊下を進んでいると、厄介な奴と出くわした。
「おい! ぽっと出男爵の娘!」
「……」
明確に私を呼び止めているのかはわかるが、そんな失礼な呼びかけに応える義務もない。
私は素知らぬ振りで、その失礼な奴の横を通り過ぎようとすると、おもむろに肩を掴まれた。
「こら! 無視するな生徒会長さんよ!」
「あら、わたくしに御用でしたの? 一体誰を呼び止めているのかと思いましたわ」
「ぐっ、相変わらず口の減らないぽっと出貴族の娘だな。生徒会長だからって、侯爵家の嫡子である俺を無視するとはいい度胸だ」
厄介な奴とは、ゲイリッヒ侯爵の嫡男。バーン・ゲイリッヒである。
奇しくも私と同い年、同学年の7期生。貴族の息子にありがちな横柄な態度といい、この学校の風紀を乱す厄介極まりない存在だ。
「あらバーン様、学内では出自や爵位をひけらかすことは、王命により禁止されていましてよ? それに貴方の家系、ゲイリッヒ様が公爵位を持っているだけで、あなたはまだ侯爵ではありません。両方を鑑みまして、校内では一生徒、誰しも平等なのですから、侯爵家云々はなんの関係もありませんことよ? 強いて言えば、生徒会長のわたくしの方が、校内では貴方よりも偉いということになりますが? 礼儀を尽くしてはくれませんか?」
「ぐぬぬぬぬぅー、言わせておけば、このぽっと出下級貴族のアバズレが!」
バーンは、私の挑発に簡単に乗る短絡思考の持ち主である。
顔を真っ赤にして怒り心頭だ。簡単に怒りを露わにするなど、貴族社会では致命的な欠陥と言わざるを得ない。言動も何もかも貴族らしくない。表面さえ繕うことができなくて、貴族社会に跳梁跋扈する海千山千の一筋縄ではいかない腹黒い貴族連中と、今後やっていけるのだろうか心配になってくる。腹の内を態度や表情に出すのは明らかにお粗末としか言いようがない。
甘やかされて育って来たのが浮き彫りだ。これだから親の七光りと言われる種になるのだ。こんな奴でも家督を継げば、俺は侯爵だ! と威張っていられるのだから世も末である。
それにしても、阿婆擦れって誰の事? 私の事かな? 失礼しちゃうわよね?
「いいか! 俺はゲイリッヒ家を継ぐ立場にあるんだぞ! だから俺はすでに侯爵の地位にいるも同然なんだ! それが下級貴族風情に礼儀を尽くせだと? ゲイリッヒ家を侮辱しているのか!」
「いいえ、けしてゲイリッヒ家を侮辱などしていません。けれど、貴方が次期当主になられるという話は時期尚早ではないでしょうか? 貴方の失態ひとつで、ゲイリッヒ侯爵様は貴方を次期当主の座から外すことも考えられますよ? 特に今の貴方の貴族にあるまじき立ち居振る舞いは、けして次期当主には相応しくないと思うのですが。間違っていますでしょうか?」
別にゲイリッヒ侯爵けを侮辱などしていないしする気もない。ただこのバカ、じゃなかった、バーンはバカにしても良いと思っている。そもそも貴族の嫡男なら嫡男らしく振舞うべきだと思うからだ。
「ぐぬぬぬ、それをバカにしているというんだ‼」
さらに追い打ちをかけると、バーンは拳を振り上げ私を殴ろうとしてくる。
さすがは短絡思考の次期当主、自ら墓穴を掘りに来た。朝礼前の廊下は登校してくる生徒がたくさんいる。その中での暴力沙汰。これだけ目撃者がいれば、言い逃れなどできない。
王命で禁止されている己が家の爵位を校内でひけらかし、挙句に暴力に訴えるお粗末な貴族の嫡男。退学はまぬがれないだろう。そして次期党首の座も限りなく不安定になる。廃嫡された者は家を追い出される可能性もあるので、貴族として生きていくには厳しい末路だ。
ああ、因果応報とはこのことよ……。
そう嘆息していると、
「バーン兄様、おやめ下さい!」
一人の少年がバーンの暴挙に身を挺して止めに入る。
「なんだハイド! 放せ!」
ゲイリッヒ家次男のハイド・ゲイリッヒだ。バーンの二つ下の5期生である。
ハイドはバーンとは違いとても理知的で優秀だ。5期生なのに今年で全単位を履修すると噂される秀才である。脳筋の兄がギリギリ今年卒業できるか否かということを考えれば、その才覚も知れるというものだろう。
まあ私は4期生の時に履修したけど。
──って、それより何で止めるの? せっかくこの学校から厄介者を負い出せるかと思ったのに……。
バーン程度の拳なんて目を瞑っても躱せる。騎士学科でも私はバーンより成績は上なのだから。でも実際躱すつもりはなく、少し当てさせて暴力を受けたという事実を残したかったのだけど。このバカを貴族界から追放するチャンスでしょ?
ついでに兄が失脚すると次期当主は弟のハイドになるのに、なんとも欲のない兄想いのできた弟でしょうか。
「いいえ、放しません! 話を聞いていましたが、今回は全面的に兄様が悪いです。王命で定められている決め事を平然と破り、ミルキー生徒会長を阿婆擦れ呼ばわりするなど許されることではありません。あまつさえ女性に暴力で訴えるなど、男としても最低の行いです!」
「うるさい黙れ! この女は我がゲイリッヒ家をバカにしたのだぞ! たかが下級貴族の分際で侯爵の俺を‼」
「いいえ、バカになどしておりません。ミルキー様の仰る通りです。兄様はまだ侯爵ではありません。ただの次期当主という身内の約束事だけです。王より叙任されているのは父上です。それにミルキー様のブリューゲル家は、男爵位ではありますが下級貴族ではありません。王より直に叙任された男爵位は、上級貴族と同位の位を持っているのです。バーン兄様の認識不足です。それに父上も常々仰っていますよね。貴族たる者、常に貴族たる振る舞いを忘れてはならぬ、と。今のバーン兄様は、その貴族たる振る舞いをしていますか? そして今ここで問題を起こせば、次こそ退学です。決闘を申し込むならまだしも、一方的な暴力でその場を制しようなど、貴族の風上にも置けない愚行です。そうなれば兄様の次期当主の座も危ぶまれますよ?」
「なん、だと……」
ハイドの言葉にバーンは何も言い返せない。
今になって事の重大さに気付いたのか、振り上げた拳を所在なさげに下げ、上気した血の気が一気に冷めて行く。
──あーもう、なんで冷めちゃうの? ほら、かかってきなさい、カマン‼
だいたいこういう奴は貴族の当主になっちゃいけないのよ。未来の国家にこういった高慢ちきな貴族はいらないの。さっさと排除した方が未来の私達の為なんだから。
よっぽど弟のハイドの方が当主に相応しいと思わない?
そう考えていると、
「あらまぁ? ゲイリッヒ家の次期当主様が御乱心ですの? 相変わらずの単細胞です事。おーほほほほっ!」
上品な口調で下品な事を言い、声高に笑う女生徒がバーン達の背後からやってきた。
色白で金髪碧眼の美女、くるくると巻いたロングヘアーは、セットにいったいどれくらいの時間がかかるのか興味がある。私は研究以外に無駄な時間は費やしたくないので、感心するだけだろうけど。
彼女は王都のグラハム侯爵家令嬢で、ミラベル・グラハムである。私と同期の7期生、成績は確かいい方、バーンよりは比べるもなく優秀といったところだろうか。
おっ、ちょうど良かった。火に油を注ぐとはこのこと。冷めかけた単細胞の顔がまたカッと赤くなった。
「なんだと! お前も俺をバカにするのか!?」
「あら、バカをバカにするほど無駄なことはありませんことよ? それよりも、もう少し身の程を弁えてはいかがかしら? 次期ゲイリッヒ侯爵様?」
「ぐぬぬぬぅ……」
バーンの敵意を涼しい顔で受け流す所作は、さすがは侯爵令嬢としての手腕は見事なものだ。
しかしミラベルの家はバーンと家と同じ侯爵位、そこまであからさまにバカにするのもよろしくないのでは? と思うが黙っていよう。こちらに飛び火しても困りものだ。お家同士の諍いに巻き込まれでもしたら、研究どころではなくなる。
ゲイリッヒ家は領地持ちの侯爵家、対するグラハム家は王都に居を構える侯爵家で、昔から仲がよろしくないそうだ。そこに男爵家の私が首を突っ込むと、いらぬ不興を買いそうなのでおとなしくする。
「バカ、だと……? ぶ、侮辱するのもいい加減にしろ! 同じ侯爵家、この侮辱を問題にしたら家同士で争うことになるぞ!?」
「あら、そんなことにはなりませんことよ? ここは王立学校、この学内で貴族の爵位は何の関係もございません。むしろわたくしがおバカな次期侯爵様に丁寧な対応をしているのですから、おバカな次期侯爵にもそれに倣って欲しいものですわ。ねえミルキー様?」
「あ、え、ええ……」
ミラベルぅー、私に振るな! せっかく蚊帳の外で他人事のようにしていたのに、また注目されるじゃない!
「くっ……貴様……」
相槌を打ったせいで、盛大に私を睨んでくるバーン。
何で私を睨むの? 言ったのは私じゃないよ、ミラベルだよ。
「まだ分からないようですわね? そんなに爵位が問題になるようでしたら一つ忠告差し上げますわ。わたくしはこの学校を卒業後、ヴァイス様との婚約が決まっていますの。それでもわたくしにその態度で接してくださるのかしら、バーン様?」
「なぁ!! ヴァイス……様、と婚約……」
その名前を出されことで、一気に顔を蒼ざめさせるバーン。
ヴァイス様とは、王都の公爵家の次期当主である。王族の直径で、公爵家の中でも、今一番王に近い位置にいるのがヴァイス様の公爵家という話だ。たしか序列で言えば、一桁台で次期王の座に君臨する事が決まっているそうだ。まあ、順当にいけば王になることはない(序列上位が全員死ぬ以外)そうだけど。
まあそんな話は、私には全く関係ないけど。そもそもまだ婚約もしていないのだから、それをひけらかすのもどうかと思う。貴族間の口約束は保護されることが多いのだ。
「ええ、わたくしは次期公爵様の第一夫人になりますの。それでもおバカな貴方に丁重に対応しているのですよ? お分かりですか? ここは国立学校内だからといっても、貴族としてそれ相応の立ち居振る舞いをしなければ、下々の手前示しがつきませんことよ?」
「ぐぬぬっ……も、申し訳なかった……」
バーンは悔しそうに謝った。
あら、権力にはあっさりと屈服するんだ。立場が上になるとあからさまなようだ。
でもそれはそれで問題だろうけどね。余程の非礼が無ければ、貴族が人前で頭を下げるのは余りよろしくないと思うけど。そもそもミラベルが公爵家の人と婚約するなんて、今の今まで知らなかっただろうしね。
「あまり横柄な態度は慎んだ方がよろしくてよ? それとミルキー様を公衆の面前でおいじめになるのは、貴方にとっても不利益になりますわよ? 侯爵家の品位が問われます」
おいじめって……私いじめられていたのかな?
「……くっ、考慮しよう……」
バーンはギロッと私を睨みながらそう言った。
だから私じゃないでしょうに、睨むならミラベルでしょ!
「さ、バーン様も反省しているようですし、ミルキー様もこれでご安心されたでしょう。このまま問題が大きくなりましたら、バーン様が退学する羽目になったでしょうから、命拾いしたでしょう、ねミルキー様? おほほほほっ!」
「そ、そうですわね……お、おほほほほ……」
もーう! だから私に振るなって。ややこしくなるじゃない。
何か別の意味で疲れてしまった。結局この騒動はいったい何だったのだろうか。
いちおうミラベルが収めてくれたみたいなので、もう行っていいよね?
「では、わたくし急いでお──」
「──お姉様‼」
私はひと段落したところを見計らって逃げようとしたが、背後からそんな声が掛けられた。
今度はなに?