2話 谷底で目覚める
「い、痛ひ……で、す……」
そう思って激しく痛む額を手で押さえると、かなりの出血でビビった。
──うわっ! な、なんだこの流血は……っ、いてててて……。
自分の血で驚いた僕は、身を起こすと身体中が痛んだ。
どうやら身体中あちこちをぶつけているようで、至る所切り傷や青痣ができていた。
しばらく怪我の具合を確認するように少し動かしたり、摩ってみたりすると、骨には異常がないようなのでひと安心した。これで骨でも折れていたら身動きが取れないからね。
僕は今、薄暗い谷底にいるようだ。そこに倒れていた。
どうやら僕は、この崖の上から転落したらしいと認識できる。なぜなら僕の傍らには、額をぶつけたと思われる血塗れの岩が転がっているので、まず間違いない。
「──う、えっ!」
と、ここで僕は遅まきながら自分の身体の異変に気付く。
──な、なんだ、これ……。
僕は全裸に近い状態。
大事な部分だけ薄汚れた何か(布ではない。おそらく木の皮みたいなもの)を着けているだけの姿。そしてなにより僕は、そろそろ三十間近のおっさんだったのに、今まで記憶にある若干不健康そうな、少しぽっちゃり(メタボ予備軍)とした身体ではなく、手も足も小さく細っそりとした身体に変貌していた。
それに自分の声とは思えないほどキーが高い声。まるで女の子の声のようだ。
そう、僕は少年の身体になっていたのだ。残念ながら男だけど。
──若返った? それとも過去に戻ったとか?
そう考えたが、過去に僕がこんなみすぼらしい格好をしたことなど一度もない。いくらなんでもこんな薄汚れた腰蓑一丁で過ごしたことなんてありはしない。子供の頃からパンツぐらいは履いていたし、この場所も見覚えがない。幼い頃に崖から落ちて怪我をした記憶もないのだ。
どうやら僕は別の誰かの体に乗り移ったのだろう。いわゆる転生ってやつ!?
やった! 念願の異世界転生!?
「い、ててて、てっ……」
喜びのあまり立ち上がると、身体中が痛む。
見上げると10メートル以上の高さがある急斜面、というよりも崖。そこから滑落したとなれば、かなりの怪我を負う事は想像に難くない。
まだ子供で、柔軟な身体だから骨折もせず無事だったのかもしれない。元の若干メタボな身体なら、間違いなくお陀仏だった、と簡単に予想できる。
そう考えると、サワリと背筋が寒くなるほど高い崖だった。
──いや、もしかして、この崖から転落して、この体の持ち主が死に、そこに僕の魂が入り込んだのか? それともこの身体で生まれて、この岩に頭をぶつけた拍子に前世の記憶が戻ったとか?
いずれにせよこの身体は、今は僕の身体だ。日本で生まれて三十路間近まで生きた記憶を持っている、水口竜也で間違いないはず。
──やっぱり、転生かな?
日本での最後の記憶は、物凄く眩しくて、熱く激しい突風に煽られた時点で途切れている。
そこで前の僕は死んだのか? 死んだという実感があまりないが、恐らく死んだと仮定すべきだろう。
その後目覚めたら谷底にいたと……。
──あれ、でも、気を失って目覚めるまでの間に、何かあったような……ないような……。
僕は痛む頭を抱えながら、記憶を弄った。
目覚める少し前に何かあったような気がするが、どうも頭の中に靄がかかったように記憶を引き出せない。
転生とか転移モノの小説などでは、よく真っ白な場所で神様や女神様なんかに会い、異世界に転生、または転移させるとかなんとか、そんな件りがよくある。僕もそうだったような気もするが、思い違いだろうか……。
もしそんな出来事があったのなら勿体無いにも程がある。異世界ものの激熱イベントじゃないか。そんなことを忘れるなんて、異世界フリークとして落第だろ。
とはいえ記憶がないのだからそんなイベントもなかったのかもしれない。
思い出せないことを今考えても仕方がない。先ずは現実を直視するのが先である。
この体を乗っ取ったのか記憶が戻ったのかは不明だが、どうやら僕は生まれ変わった事には間違いないようだ。なんといっても若干メタボなおっさんではなく、痩せ細った少年の身体なのだから。
惜しむらくは可愛い少女で転生して、もっと裕福な家庭に産まれてくれたら良かったのに、と考える。貴族の令嬢とかお姫様とか。
けっこうTSもののラノベが好きなので……。
しかし現実はみすぼらしいマッパ同然の小汚い少年。現実はかくも厳しいものだね……。
「い、いててて、て……で、も、どど、どどう、し、しょ、う、か……え、あ、れ?……こ、声も、おかしい、ようでし……」
痛む身体を抱えながら声を出してみると、上手く発声できない事に今更のように気がついた。
声は少年のように甲高いけれども、考えたことを口にしづらい。
なんでだろう?
でも今はその事は後回しにしょう。
とにかくこの世界がどういった世界なのか、まずはそこから始めなければならないと思う。
今は薄暗い谷底で、何も情報がない状態。ここが異世界なのか、はたまた地球の全く別な場所なのか、それを探るのが先だろう。
そう考えた僕は、早速行動することにしたのだった。
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