19話 母の意見 ★
母に昨日の出来事を説明する。
言葉らしきものを発音する裸猿がいるという情報を得て、父と一緒にジェイソンさんのところに買いに行った。父と賭けをした。
裸猿は本当に言葉らしきものを話した。それ以上に行動が裸猿らしくなかった。賭けは私の勝ちで、父に二匹の裸猿を購入させた。ついでに研究室もひとつもらった。
家に戻りさらに驚いたことも話す。
私はなんの説明も躾もせずに、裸猿に部屋を与えた。
食事の後、裸猿に餌を与えた。
そして私は自分の目を疑った。(覗き穴から一部始終観察していました)
先ずは食事の前に、裸猿達が服を着ていることに異常なまでの恐怖感を覚えた。だってあり得ない。その辺にいる野良猫が(猫族の私が引き合いに出すのもおかしいが)自ら服を着るぐらいあり得ない出来事なのだから。
それも何も教えられず、そこに置いていた服を着る物と判断した知能があるという事が確定した。雌に下着を履かせていたところから見るに、ちゃんと下着も着用していたようだ。ほんとうにあり得ない状況を目の当たりにしたようだった。
ちなみにメイドのミッチェルも相当驚いていた。ふらふらしながら部屋から出てきた時には、本当に倒れるのではないかと心配したほどだ。
さらに食事でちゃんと料理の温度も判別し、スプーンを使ってスープを飲んだ。スプーンを食事を食べる道具として認識し、そして使ったのだ。それも完璧に……。
熱いスープを、ふーふーと冷ますことまでした。なんて奴だ。
ちなみに雌は普通通りの裸猿の行動(熱いものをそのまま舐る低知能ぶり)だった。しかし、あの雄といると、雌はどこか他の個体とは違い、少しは学んでいる様子が伺えた。これは要検証である。あの雄が何かしているのか、それで裸猿の行動にどういった違いが現れるのかも興味深い。
その他にも水差しからコップに水を注ぎ水を飲んだり、ナプキンで汚れを拭き取ったりと、予想のかなり斜め上をゆく行動に、私も頭痛を覚えたほどだった。
仕上げには、食べた食器を片付ける事までしていた。見ていてあれが裸猿が行動しているとは、どうしても思えなくなってきた。
結局、食器は何ひとつ壊されず、欠けたものすらなかった……。
そしてとどめは、ベッドで就寝した。ちゃんと枕に頭をのせ、毛布を体に掛けて。
本来ならベッドがあっても床で寝るのが当たり前の姿だ。今まで数匹の裸猿を観察してきたが、一匹たりともベッドで寝ることはなかった。何度もこうやって寝るんだ! と見本を見せても理解してくれなかったのだ。それがあの雄は全く教えられずに、最初からそうあるべき行動をとった。この時点でもう驚くことはやめた。
ちなみに雌は雄に促されるままベッドに寝た。それをしなければ、多分床に寝たことだろう。
これは酷い悪夢を見ている気分だった……。
ここまで掻い摘んで母に聞かせると、
「興味深い個体ね……」
と、研究者然りとした表情でそう呟いた。
「でしょ? 興奮しないほうがおかしいでしょ?」
「……」
私が鼻息を荒くし興奮すると、母は未だ真剣な表情で思考している。
「確かに興味深くはあるけど、少し妙ね……」
「妙? ああ、確かに異様に賢いわね」
「いえ、賢いというレベルを超えているわよ……」
それは私も感じている。あの雄の裸猿は、知能というよりも、確実にその知識を持っている。そう思わざるを得ない行動だった。
「あなたも感じているわよね? 初めて見る道具を教えられずに使えるということは、経験則が最も重要なよね?」
確かにそうだ。長く生きていれば経験則から予測して、初めて見る道具を使うことができるかもしれないが、無垢な幼児に何も教えないまま、使い方を見せないまま使えと言っても使いきれないのと同じだ。
本来裸猿は食事の時道具を使わない。スプーンも見たことがないだろうし、水差しだって見たことがないだろう。
水が飲みたいと欲求したら、水差から水を直接飲もうとするはずだ。普通に飲めずに悪戦苦闘した末、床にぶちまけてその水を啜る。これが基本。
だがあの裸猿の雄は、躊躇なくコップに水を注いだ。まるでその知識を当然のように持ち合わせているかのように……。
では、どこでその知識を得たのか。
ジェイソンさんの話に依れば、裸猿の雄は、ここから北にある辺境の村で捕獲されていたという話だ。その先には原生の森があるだけで、他種族すら進出していない未開の地である。その奥地には、確かに裸猿が生息しているという話は昔からあるが、奥地まで調査も進んでいない状況だ。
そんな場所で知識を得る? いや、あり得ない。
捕獲された村で誰かが教えた? いやそれも考え難い。村人は畑を荒らされ堆肥置き場に捕えていただけだと言っていたらしい。連行してきた兵士がそう証言しているのだ。
その後は監獄、奴隷商を経て私の家に来た。
覚える暇などどこにもない。
「そうよね。でも、ジェイソンさんの所に来るまでにも、そんな知識を得られる機会もなかったはずよ……」
「……非常に興味深いわね。もしかしたら、輪廻の過程で前世の記憶を持ったまま生まれてきたのではないかしら?」
輪廻転生。この世界で死んだ後に魂は、輪廻を経て新たな体に魂を宿す。その時前世の記憶は完全に消去され、また新たに人生をスタートさせる。
そういった教えが神殿や教会で唱えられている。聖典に書かれているそうだ。
「お母様、冗談はやめて下さい。輪廻を全く信じていないわけではありませんが、獣人は獣人にしか輪廻転生できないと言われていますよ? そもそも裸猿が裸猿に輪廻転生したところで、前の記憶が知識に繋がるとは思えません」
獣人は獣人にしか転生できない。なぜかそう言われている。
僕は前犬族で、なんたらという名前で……私は前世では兎族のなんたらという名前で……など、時々そんな朧気な前世の記憶を語る者が現れたこともあるらしい。
しかし、どれも証明は難しく、巷ではいわゆる妄言や狂言の類と判断されている。
それでも輪廻を信じている者は、口々に獣人は獣人にしか輪廻転生しないと語るのだ。
「確かにそうね……でも、あり得ないわけじゃないでしょ? 裸猿の知能は低いかもしれないけれど、あなたの研究でも、生物学的にみれば私達とたいした変わらない、いえ、それ以上の高い知能を有していてもおかしくない程の身体的構造は持っていると研究していたのでしょ? その裸猿に前世で私達みたいな人達の魂が入ったと仮定できなくもないわね……」
「なんの罰ゲームですか? 裸猿に転生なんて、よっぽど前世で悪い業を積んだ人なんでしょうね……重罰的な輪廻ですよ……」
もし輪廻転生するにしても、この世界で裸猿にだけは転生したくない。と、誰もが思うことだろう。
「まあ仮定でしかないわよ。輪廻自体証明されているわけではないですしね。いわゆる迷信でしかないわけですからね」
結局はそこに行き当たる。研究者、学者などは、仮定の段階では真実とは認めない。探求し、より確実性の高い理論で筋道を立てて立証しなければ、いつまでたっても仮定止まりなのだ。
「でも待って。もしこの世界で死んだ獣人の魂が輪廻したとして、あの裸猿に生まれ変わったとしたら、なぜ意味不明の言葉を話すかしら?」
この世界の言葉は標準語としてどの種族も一様に同じ言語を使用している。多少の訛りや方言はあるが、意味不明の言葉を話す種族などいないのだ。
「それは何とも言えないわね。もしかしたら古代の言語かもしれないし、精霊族などには未知の言語を話す者もいると噂されているわけだし、調べてみない事にはね」
古代の言語? 母と父が研究している古代の遺物にそんな言語、文字があるらしいが、未だに解読すらできていない。そんな言葉を裸猿が話すなど眉唾でしかない。
精霊族の未知な言語も多少研究されているが、そもそも精霊族と獣人は相容れない存在だ。生物学的にも全く別の種類に分類されるのだ。そんな別種族がこちらの生物に転生するなど考えにくい。
「とにかく分かったわ」
「それでは帰って家で研究してもいいのですね?」
「いえ、確認してからです。わたしもその裸猿を見てみたいわ。話はそれからです」
母は俄然興味を持ってしまった。こうなっては母の意志は梃子でも動かないことを私は知っている。
こうして私と母は、一度家へと戻ることにした。