13話 買います! ★
─ ミルキー ─
奴隷商のジェイソンが訪れた翌日。
私は学校から帰った夕方、父と一緒にジェイソンの店へと向かうことにした。
私が裸猿を買って欲しいと父に頼み、ジェイソンがしていた話をすると、真面目に取り合ってくれなかったからだ。
『お父様、裸猿を二匹買ってくださいませ!』
『ええーっ! またかいミルキー? この前も買ったばかりじゃないか……』
『ええ、ですがこの前の裸猿は、非常に状態が悪く、研究する間もなく病気で死んでしまいました。それに今度の裸猿は、貴重なサンプルかもしれないんです。これを逃したら次いつまたそんな個体に巡り会えるのかわかりません。だから是非とも買って頂きたいのです。既にジェイソンさんには買う旨伝えていますので、あとはお父様のお許しがあれば良いだけです』
私は必死に説得しましたが、すぐには色よい返事は貰えませんでした。
『うーん、貴重なサンプルって、なにが貴重なんだい?』
『はい、どうやら言葉らしきものを話すそうです』
『へっ? 言葉? 裸猿が言葉を話す? はははははははっ! それは傑作ですね。その話が本当なら、天と地がひっくり返るというものですよ! はははははははっ、そんな話を信用するなんて、ミルキーは可愛いですねー』
言葉を話す裸猿がいると聞いたら、誰でもそう思うことだろう。父も一笑に付しました。
『う、嘘じゃありません。父様はこの街での噂をご存知ないのですか? ジェイソンさんもちゃんと確認しておいでですよ?』
『噂なんて信用に値しないじゃないか。常に真実は自分の目で確認するものだよ。ジェイソンも、いくら裸猿を売りつけたいからといって、まだ子供のミルキーを騙すような真似をしなくとも良いのにねー。はははははははっ』
こうも信用されないと私もイラっとする。
『また子供扱いする! そんなに言うなら明日一緒にジェイソンさんのところに行って確認くださいませ! もし嘘だったらまた父様と一緒に寝てあげますよ!』
『えっ! 本当かい⁉ また一緒に寝てくれるのかい?』
ここはいつもの最終手段よ。父は未だに私と一緒に寝たいと駄々を捏ねるほど親バカです。もう数年前に「お父様とはもう一緒に寝てあげません!」と言ったら、半年はしょげていた。ですからそれを餌に釣ろうと思います。
『ええ、誓って嘘は申しません! でも、本当だったら、二匹とも父様に買って頂きますよ? 本当なら雌は私のお小遣いで買う予定でしたけど……それと父様の研究室を一部屋頂きます』
こういうこともあろうかと、今日色々と情報を集め、言葉を話す裸猿は本当にいると確信を持てることができたから出来る賭けである。私が負けるはずなどない。レアな裸猿は本当にいるのです!
だからここぞとばかりに、私と一緒に寝られる権利以上の見返りを父に提示した。
『ああいいとも、結構だよ。どうせパパが勝つだろうしね。ミルキーがまた一緒に寝てくれる権利と釣り合いそうじゃないか。できればまた一緒にお風──』
『──あ、それだけは絶対に無理‼︎』
調子に乗る親バカな父に問答無用で断ると、(orz)こんな姿で床に手をついた。
こうして父と一緒に奴隷商にやってきた。
「いらっしゃいませブリューゲル様! 態々お足をお運び頂き誠に恐悦至極に存じます、えぇ」
「あ、ああ、せっかくだからな、娘が騙されないようしっかりと見ておこうと思ってね」
「これはこれは、わたくしどもがブリューゲル様を騙すなど、天地天命にかけてもございません。えぇ、えぇ。ミルキーお嬢様の研究の一助になればと思い、僭越ながらご紹介差し上げたしだいでございます、えぇ」
「はははははははっ、そうか。まあ、可愛い娘のためだ──」
「──挨拶はその辺で。ジェイソンさん、早速見せてくださいまし」
「えぇ、畏まりました。ではこちらでございます」
父の娘自慢の話が長くなりそうだったので、早々に切り上げる。別に父をぞんざいに扱っている訳ではない。父の親バカぶりを世間に披露したくないだけです。
ジェイソンに檻が置いてある部屋に案内されると、奥の方の檻に件の裸猿二匹が入っていた。
「ほう、それが例の言葉を話す裸猿か? 雄、雌どっちらがそうなんだ?」
「雄の方でございます」
「うむ、雌はそれなりに綺麗な状態だが、雄はなんだ、貧相だな?」
「随分傷だらけね……」
二匹とも年齢的には12〜15歳といったところか。私とたいして変わらなそうな感じだ。
裸猿の雄は、身体中傷だらけだった。特に酷いのが額の傷だろうか。右上から左眉にかけて大きく切れていた。刃物傷ではないようだ、どこかにぶつけてできた傷なのだろう。ギザギザした傷跡がとても痛々しい。
「えぇ、捕らえた当初はもっと酷かったようですけれど、まあ、命には別状ありません。えぇ、まったくもって」
「どれ、そう小さくなっていては品定めもできん。もっと良く見せなさい」
「畏まりました。──おい、中に入って立たせなさい」
二匹寄り添い小さくなっている裸猿を見て父がそういうと、ジェイソンは側にいた従業員に指示を出した。
すると、従業員が鉄格子の扉を開こうと、鍵を取り出している時、檻の中の裸猿は予想だにしない行動を取った。
「──‼︎」
これには私を始め、ここにいる全員が驚きのあまり動きを止めた。
なんと雄の裸猿が、まるでこちらの意図を理解しているかの如く、スクッと立ち上がったのだ。ただそれだけならいい、偶然立ち上がったものと判断できなくもない。しかし元来臆病な裸猿は、このように見知らぬ状況下では、ただ怯えて震えるだけしかできない動物である。それがなんの怯えも見せずに立ち上がるとは、到底考えられないのだ。
しかしそこで驚くのはまだ早い。その後雄の裸猿は、なんと雌の裸猿をエスコートするかの如く立ち上がらせたのだ。
そして二匹ともこちらに向けて姿勢良く立ち、事もあろうか雄の裸猿は頭を少し下げ、ぎこちなくニヤリと微笑んだのである。
「……」
その場の時間が凍りついたようだった。
全員が瞳を見開き、雄の裸猿の一挙手一投足をその目に捕らえたのだ。
私も今までの常識から鑑みても、この状況は異常だと判断せざるを得なかった。まさかこんなにも常識破りな裸猿だとは思わなかった。
まだ言葉は発していないが、言葉を話す以前に奇天烈だ。
それと、立っている裸猿の雄は、モジモジと股間をしきりに隠そうとしている。それは羞恥心の表れだ。本来裸猿が股間を腰蓑のような粗末なもので隠すのは、動物的本能で生殖器官を保護するだけのもので、羞恥からくるものではないとされている。
けれどもこの雄は恥ずかしがっている。雌はビクビクしているようだが、雄に促されて立っている程度だろう。もちろん羞恥のかけらも見られない。
これは間違いない。
「お父様! どう思われますか⁉︎」
「……あ、あ、ああ、未だ嘗てみたことがない奇行をする裸猿だ……」
父もこの現状に唖然としているようだ。
自分が知っている裸猿の行動と、目の前の裸猿は全く違うということが、これだけでもわかるというものだ。
「ジェイソンさん、二匹とももう少し状態を確認したいの。腕をあげさせてクルッと一周お見せくださいな」
「か、畏まりました、はい。──おい、ミルキーお嬢様の言う通りにしなさい」
ジェイソンさんは再度従業員に指示を出した。
従業員は扉を開き中に入ると、恐る恐る雄の裸猿に近付く。けれども雄の裸猿は怯えることもなく平然としている。この時点でもこの裸猿が他の裸猿とは、全く異なる精神構造を持っていると推測できる。
本来ならば見知らぬ人間が近付くなり怯え、檻の隅へ逃げ出そうとして然るべきなのだ。それをせずに平然と近付く者を見ているいということは、あきらかに高い知能を持ち合わせていると証明している。
「まずは雄の方からお願い」
「畏まりました──おい、雄からだ」
ジェイソンさんの命令で従業員が雄の裸猿の手枷を嵌めた手を取ろうとすると、雌が、うーっ! と唸り声を上げるが、雄が雌を見てそれを宥める様にすると、不思議とおとなしくなった。
手振りや首を軽く動かし宥める仕草など、まるで私達と同じ人種のようである。
「し、信じられん……」
父がぼそりと呟く。
自分の目で見ている事象が、まるで信じられないようだ。
それは私も同じである。話しを聞いて期待していなかったわけではない。だがこれはその期待以上のものだ。未だ言葉らしきものは発声していないが、これだけでも十分に特異で価値のある存在だと思えるほどだ。
雄の裸猿は腕を上げられくるりと一回転させられた。
身体中は傷や痣だらけ。良く今まで生きていたと不思議なほどの怪我である。
腕を上げられたことで局部が晒されるのが嫌なのか、腰を引いて情けなく回っていたことは見なかったことにする……私だって雄の陰部を極力直視したいわけじゃありませんので……。
でもこれで確実に羞恥心を持ち合わせた個体と判明した。
「次は雌の方だ」
雄を回転し終えるとジェイソンがそう言った。
従業員が雌に近付くと、うー、と唸って身構え、腕をとると暴れ出した。
「くっ、こいつ!」
抵抗するように暴れる雌の裸猿に業を煮やした従業員は、おとなしくさせようと短い鞭を振り上げる。奴隷商は奴隷を従順させるために常に鞭を持っている。
「やめ──」
「──や、metぇ、きdasa、うぃ!」
「えっ!?」
私が体罰を止めさせようと声を出そうとしたら、同時にそんな意味不明な声がした。
その声で従業員も鞭を振るう手を止める。
「お、おい! 今のは何だ!? お前の所の従業員の声か?」
「違いますわお父様。雄の裸猿です。裸猿が言葉を喋ったんです」
「えぇ、えぇ、ミルキーお嬢様の仰る通りで御座います。意味は不明でございますが、恐らく雌に体罰を与えないで欲しいと言っているようです。監獄でも似たような事がございました」
「な、なんとも面妖な……冗談と思っていたのに、まさか裸猿が喋るとは……」
父は自分の目と耳がいまだに信じられないかのようだ。
まさか裸猿がそこまで知能があるとは思っていない。知性ある行動、それに言語らしきものを話すことは、今までの裸猿の常識を根底から覆すものなのだから。
「お父様、私の勝ちですね。──ジェイソンさんもういいわ、二匹とも買いますので準備してくださいな」
「……」
「畏まりました。お買い上げまことにありがとうございます、えぇ!」
奴隷商人のジェイソンは、喜色満面の笑みのまま深く腰を折った。
どのくらいの儲けかは知らないが、相当利益が上がったのだろう。きっと傷だらけの裸猿なのだから、安く買い叩いてきたのかもしれない。
父は賭けに負けたことでがっくりとしているようだが、それ以上に裸猿に興味を持ったようだった。
こうして私は珍奇な裸猿を手に入れることができたのだった。