10話 牢の住人
牢屋に入れられ3日目の朝を迎えた。
夜中は真っ暗で、時折巡回する看守の持つ明かりだけが唯一の光源だった。
牢屋内にはこれと言った娯楽などなく、ただ寝て過ごすしかない。夜が明けるとそれなりに明るくなるが、それでもこの場所は薄暗いことに変わりなかった。夜中は真っ暗で、多少冷え込み、それが案外体に応える。
敷物も毛布も何もない冷たい床に体を小さくしながら横になるだけ。更に囚人服すら与えられずマッパ同然の状態では、我慢ができないまでも寒さが骨身にじわじわと沁みるようだった。
今の季節が温かい方なのか寒い方なのかは分からないが、もし真冬並みに冷え込むことがあったら、一夜で凍死してしまうこと請け合いである。
そんな時期までここに収容されていないことを、ただただ祈るしかない。
さて、そろそろ朝食の時間らしい。
どうやらこの収容所では、日に2度の食事が与えられるようである。朝と晩、二度の質素な食事が囚人の楽しみだろう。
小さなお椀に野菜を煮込んだような、薄味の冷めたスープみたいな物のみ。どう見ても具の野菜がクズ野菜に見えるのだが、これがこの世界の標準かどうかも分からない。
味としては薄味だが、食べられないわけじゃない。生のジャガイモみたいな物を齧っていた時に比べれば、美味しい部類にカテゴリされるだろう。
森でのカタクリに似たような野草に比べれば、食べ物だけで安心する。あの時は歯医者で麻酔をかけられたかのように、暫くは口の中全体の感覚がなくなったからね。飲み込まなくてよかったと、後から寒気がしたものだ。飲み込んだが最後、間違いなく体が痺れ、下手すれば死んでいたかもしれない。
食事の配膳の音で目を覚ますと、何故か先輩囚人の少女が僕の体に寄り添うように寝ていた。
昨晩、夜中寒さで目が覚めなかったのはこのせいらしい。意外と暖かかった。
僕に懐いたというよりも、寒さが凌げそうだからそばに来たのかもしれない。
最初に声を掛けてから会話らしいものは何一つしていない。
とにかく声をかけようとするだけで、うー、とか、ふうー、とか人間にあらざるような唸り声を上げていたのだ。
そしてここに来て最初の食事を配膳された時にも驚いた。
確かに手枷をされているので、少し食べにくいと思う。しかし先輩囚人の少女は、檻の隙間から入れられたお椀に近づいたと思うと、お椀を手で持って移動するわけでもなく、その場でお椀に口を持って行ったのだ。
わかりやすくいえば、犬や猫のように食べていたのだ。
おいおい、この世界の住人のマナーは、いったいどうなっているんだ?
そう訝しんだが、これがこの世界のマナーだと教えられても真似はできない。僕はお椀を手に持って普通に食べた。
その姿を見ていた先輩囚人の少女は、何か珍しいものを見るような表情で固まっていた。
次に配膳された時には、僕が彼女の分を檻の前から運んで目の前に置いてあげた。
彼女は少し警戒したようだったが、それでも少し慣れたのか、その後ちゃんと食べたようだった。
ちなみに食べ終えたお椀を檻の隙間の所に片付ける訳でもなく、彼女は横になってしまった。お片付けもなっていないようだ。
仕方がないので僕がお椀を片付ける羽目になった。
そんなことを2、3度していたので、先輩囚人の少女は、少しは僕に気を許したのかもしれない。
しかし問題は別にある。これにはとにかく焦った。マジで焦った。
何故なら彼女は僕と全く同じような激貧装備しかしていないのだ。マッパ同然で薄汚れた腰蓑一丁、上半身は何もつけていない。仮にも女性、男とは違う部分が僅かだが隆起しているのだ。
そんな先輩囚人の少女は、僕に抱きつくような感じで寝ていたのです。
『のーぅ! ロリコン竜也氏、羨ましいでござるよ!』
うるせえよ! ロリコンじゃねーよ!
脳内でオタ友が鬱陶しい顔でそう言ってくる。
なぜか最近の脳内オタ友との会話を楽しむ僕がいる。この抑圧された異世界環境で、僕の頭も少しおかしくなり始めたのかもしれない。閑話休題。
でも焦るよね?
僕も女性とは違う部分が少し隆起してしまったことは内緒にしてほしい。
いやいやいや、牢屋に入れられている時点でそんな状況でないことは重々承知している。でもね、健全な男子なんて朝はそんなものですよ。特に前世のおっさんの身体ではなく今は若々しい少年の身体だし、その辺りは理性でどうすることもできないんですよ……うん、それだけです。
という訳で朝食が配膳されたので、先輩囚人の少女を起こすと、はっと飛び起きてそそくさと隅の方に逃げて行った。まあ、貞子さんみたいな髪型なので、ハッキリとした表情は読み取れないけど……可愛いのかどうかもわかりません。
そうしてまたお椀を彼女のところまで持って行き、僕も隅の方でひとり寂しくスープのようなものをすするのだった。
食事を摂った後は、やることがないのでまた横になるだけ。
ここで皆さんお気付きだろうか。
って、誰に向かって話しているのかね。とうとう僕の頭もおかしくなって来たのかな。脳内のオタ友と会話するくらいだし、既におかしくなっているのかも……。
という訳で再度、皆さんお気付きだろうか。
一応死なない程度の食事と水分補給ができるということは、自ずともよおすものがあるのだ。
そう、大小のお通じです。
はてさてぇ〜、この閉鎖された牢の中にはこれといった扉がありません。つまりトイレはないということです。
はてさてぇ〜困りましたねぇ〜どうしたものでしょうか……。
僕と少女の中間辺りに何か壺のようなものがありました。はたしてそれは何の壺だろうと最初は思っていました。水瓶かな? なんて。
でも予想に反し、それがトイレの壺だったようです。この収容所が排泄物の臭いで満ちていたことを思い出しましょう。そういうことです……。
でも、しかし、マジですか? でもそれしかないなら仕方ない、それで用を足すしかないのだ。
ですがここで問題です。この房にいるのは僕と先輩囚人の少女です……。
まさか少女の前でう〇ちやお〇っ〇をするわけにはいきませんよね? 羞恥心がありますよね?
──なんで他は男女別々で牢に入れられているのに、ここだけ男女別じゃないの!
そう声高に叫びたくなった時、なんと! 先輩囚人の少女が見本を見せてくれました。
先輩囚人の少女は恥ずかしげもなく、壺に跨り(ピ─────────ッ)のです!
おっと、ここまでにしょう。倫理に触れそうな表現なので、脳内でも伏せられてしまいました。
つまりはそういうこと。
彼女はなんの躊躇いもなくそれができてしまったのです。
ですが不思議と我慢の限界は訪れるのです。郷に入っては郷に従うように、僕も羞恥など捨てました……スッキリです……。
その直後、僕の今まで培って来た常識が、ガラガラと音を立てて崩れて行くようだった。
──この世界はなにかが違う!
そして僕はこの暇な牢獄生活の中で考えることにした。
確かに前の世界とは何もかもが違う。猫の獣人がたくさんがいる世界なのだから、前の世界と比較しても始まらない。
植物も違うし、動物だって違う。おそらく魚だって昆虫だって違うかもしれない。
まだまだこの世界のほんの一端しか垣間見ていないので、分からないことはたくさんある。
それでも、この牢獄と、その中にいた先輩囚人の少女を見て、少しだけなにかが理解できたような気がするのだ。
もしかしたらこの世界で僕や先輩囚人の少女のような種族は、殊更珍しい種族になるのかもしれない、と。
今は仮定でしかないが、もしかしたら僕等みたいな普通の人間は、ここでは人間扱いされていない可能性がある。他の猫の獣人の囚人には囚人服が与えられていて、牢屋にもベッドがあり、粗末ながらも毛布のような布団とも呼べるようなものまであったのだ。男女も別々に収監されている。
対して僕らの房はどうだろう。
あるのは排泄物を処理するための壺だけ。男女の区別などない。
他の房では、時折会話するような声が響いてくるし、看守も囚人に話し掛けている声が聞こえて来る。『ほら飯だ!』とか『静かにしろ!』などの言葉だと予想できる。
そして問題なのが、先輩囚人の少女は、ここに来てから一言も言葉を発していない。唸るような声を出すが、それは言葉ではない。
看守が訪れても誰も先輩囚人の少女に話しかけてなど来ない。まるで彼女とは会話が成立しないと初めから理解しているように。いや、言葉を話せないことがわかっているのだ。
だから僕が看守さんに、食事を持ってくるときや、食器を下げる時にお礼を言うと、目を剥いて驚き、笑いかけると奇妙な動物を見るような目で僕を見た後、そそくさといなくなる。
最初の村にいた時もそうだ、僕が話したりすると異常に驚き一瞬行動を止めた。
こうして見ていると先輩囚人の少女は、今の所お礼や愛想笑いといった簡単な所作すら見せない。一種動物的な動きしかしないのだ。
これが一体何を示唆しているのか。
もしかしたらこの世界で僕のような普通の人間は……。
「……?」
そう最悪の状況を考えようとしたところで、通路に看守が現れた。
この時点で先輩囚人の少女はガクブルと怯える。
看守の後ろには兵士でもなさそうな、いや、見た目にも良さそうな服を着た猫の獣人の男性だった。
何歳かはっきりとは分からないが、前の世界の常識的範疇の想定では、四十歳過ぎぐらいの、いかにも落ち着いた感じの男性だった。
ぴしっとどこかスーツを思わせるような、そんな立派な衣装もこの世界にはあるようだ。
ということは、文明的にもそれなりで、ある程度の技術水準も確立した世界ということだろう。
四十がらみの恰幅の良い猫の獣人は、看守の話を頷きながら聞いている。
すると看守は僕に何かを言いい、手招きするような仕草をした。
「……な、んで、しか……?」
僕が立ち上がりながらそう言うと、四十がらみの獣人は明らかに表情を硬くした。
看守を横に退け、ずいっと鉄格子に寄ってくる。
「おghすじjんあこj?」
看守を介さずに直接何か言ってくる。だが意味は不明。
「すみば、せん……なに、いっえ、るか、わかり、ま、せぬ……」
「──おーz‼︎」
僕が少し作り笑いを浮かべてそう言うと、四十がらみの獣人は、目をまん丸に見開き感嘆の雄叫びをあげた。
それくらいは分かった。
すると嬉しそうな四十がらみの獣人は、また看守となにやら話し始めた。
そして話が終わると、僕は牢から出されることになったようだ。
看守が扉を開き、僕の手枷を引っ張り牢から出そうとすると、なにかが足枷に引っかかり、足が止まった。
足に繋がれた鉄球を見ると、そこに先輩囚人の少女が唸りながらしがみついていた。
看守が鉄球にしがみついている先輩囚人の少女を引き離そうとするが、彼女はうーうーと唸るだけで鉄球から離れようとしない。
困り果てた看守は、最終手段として足を振り上げて少女を蹴ろうとするが、少女はその足をただ睨むだけで避けようともしない。
「──や、やめて、くだ、せい!」
僕は蹴られそうになった先輩囚人の少女をとっさに庇った。目の前で理不尽な暴力が他人に振るわれるのは、どうも気分が良いものではない。それも女性に、だ。男性なら庇うことはないが、女性なら庇うのが男の信条だろう!
ゲシ! と看守の硬い靴が僕の脇腹にめり込み、僕は床に倒れる。
──痛い……。
せっかく幾分痛みも引いてきたところなのに、またもや身体に激痛が走った。
「──フーッ‼︎」
すると先輩囚人の少女は、倒れた僕の身体に覆い被さり、看守を威嚇する。
看守は少しだけたじろいだが、また彼女を蹴ろうと足を上げた。
「ハハハハハz! skすんかynげいんsおxt!」
それを大笑いしながら四十がらみの獣人が止めに入った。笑ったところだけはわかる。
そして四十がらみの獣人は、再度看守と話をし始めるのだった。
その後、僕と先輩囚人の少女は、二人してこの四十がらみの獣人に連れられて行くのだった。