インフルエンサー
一緒に塾から帰るうちに、高橋さんのことを気になり始めた二郎。ただ、そこからどうしたらいいのかわからず、一歩を踏み出せずにいた。今日は志望校の文化祭へ、三郎さんと共に来ていた。
【8/15】
24
「C判定なん?いいやんそれ!」
三郎さんはテンション高めでそう言った。センター模試が終わり、早速結果が返ってきたのだった。
模試が終わり、日付は十一月に突入していた。季節はすっかり秋になり、木々は綺麗な黄色とオレンジで彩り始めていた。今日は、僕が受ける志望校の文化祭に来ていた。そこは三郎さんとの出会いがあった大学でもある。オープンキャンパスでの説明会では満足できなかったが、数学科があるという理由で、結局ここの大学を受験することに決めたのだ。
大学構内では、サークルや部活動の団体が外に屋台を出していて、焼きそばやおでん、焼き鳥、チョコバナナなど、様々なものが売られていた。校舎の中ではお化け屋敷もやっていた。人もたくさんいて、親子連れや老夫婦、子どもたちや学生の姿もあった。広場では軽音楽部の人たちが、想い想いに熱いライブを繰り広げていた。僕はロックのような激しい音楽はあまり好きではなかった。高校でも文化祭でライブをやっているのを見たことがあったが、楽器の音があまりにも大きすぎて、人の歌声があまり聞こえなかった。それに、あの音量だと耳がおかしくならないかと心配になった。
そんなライブの光景を眺めつつ、僕らは向かい合う屋台の間の道を歩き回っていた。大学の見学を兼ねているのか、制服を着ている高校生はたくさんいた。
「Cって微妙じゃないですか?」
僕は正直な思いを三郎さんに打ち明けた。個人的にはもっと模試はできていたと思っていて、最低でもB判定くらいもらえるものだと思っていたからだ。むしろそれぐらいの良い判定がないと安心ができなかった。塾の先生は、「今の時点でC判定なら全然問題ないよ」と励ましてくれたが、何とも納得がいかなかった。判定はA、B、C、D、Eの五段階があって、A判定なら限りなく合格に近く、E判定だと志望校を変更するよう促される。その中でC判定というのは、ほぼ真ん中の評価になっていて、「合格に近くもなく、遠くもなく、微妙な人」という扱いを受けた気分になる。だから喜ぶにも喜べず、悲しむにも悲しめず、残るのは「結局よくわからない結果である今の自分は、今後どうなるのだろう?」という疑問と不安だけだ。昨年もこの時期に受けた模試でC判定の大学があったのだが、結局実際の入試では落ちてしまった。模試を終えた今、モヤモヤした気持ちだけが僕の中に残っていた。もっと合格を保証してくれる称号のようなものが欲しかったのだ。
「二郎ちゃん、そんな突き詰めて考えなくていいねん。大事なのは、志望校に絶対受かったる!っていう強い気持ちを、最後まで持ち続けられるかどうかや。」
三郎さんはそう言いながら、いつの間にか手に持っていた焼き鳥を頬張っていた。僕が考え事をしているうちに、いつの間にか買っていたのだろうか?
「とにかく、余計なことは考えんなってことよ!」
三郎さんは口いっぱいに焼き鳥を頬張りながら言った。
一通り屋台を回ったあと、駅前のいつものカフェに寄った。ここは今では僕と三郎さんが話をする定番の場所となっていた。
三郎さんはハンバーガーを三つ頼んだ。僕は飲み物だけにした。屋台である程度食べたため、お腹は既にいっぱいだった。三郎さんは型位が大きいからか、食べる量が僕とは全然違う。僕よりも屋台でたくさん食べていた筈なのに、ここでもハンバーガーを注文することに驚いた。
「おまえさんは少食なんやな!俺はたくさん食べんと体力が持たんわ。」
三郎さんはハンバーガーを左手、飲み物のコーラを右手に持ち、忙しそうに食べながらそう言った。
「そんなに食べたら気持ち悪くなってしまいますよ…。」
「食べてるうちに慣れるわ。二郎ちゃんは体細いんやから、そんなんじゃ女の子に『頼れる男』と思われんぞ!」
「そんな…。」
「まあそんな悲しい顔すんなって!二郎ちゃんもそろそろ彼女ができるみたいやしな!」
「そろそろって…?」
「まだ告白してないんか?」
「ええ…ま、まあ…。」
「だめやな、それじゃあ。勇気持って言ってみたらええねん。振られたらすんなり諦めればいいねん。何もしないよりも、失敗を恐れずに動き出したほうが何倍も成長していくんや。」
「そうですけど…。」
僕は三郎さんに言葉で押され、相槌程度しか打てなかった。確かに思い切って行動したほうがいいのはわかるけど、いきなり行動するのは難しかった。行動すると、周りの世界がガラッと変わってしまうようで、恐ろしかった。
「俺なんて、今まで十人以上の人に振られてるんやぞ。そこまでいくともう慣れっこで、振られてもすぐに開き直れるんや。それぐらいの心持ちになれば、怖いものなしやで!」
「今はいないんですか?」
「今はいないな。ただ、気になってる子はおる。だから俺はその子に全力でアピールしに行くつもりや。」
「すごいですね。」
「二郎ちゃんな、失敗っていうもんは、時が経つに連れて記憶の中から消えていくんやで。都合の良い記憶以外は忘れてしまうんや。一つや二つの失敗くらい、どうってことない。一歩を踏み出せるかどうかが鍵やで!」
三郎さんは最後のハンバーガーを食べ終え、コーラを口に流し込んだ。一歩を踏み出せるかどうか。三郎さんの言う通りな気がした。失敗を恐れているようでは何もできないし、損ばかりし続ける気がする。それは何となくわかっていた。だけど動き出すことが大変で、躊躇って足を止めては前に進み出せない。そうなると精神的にも辛くなる。変わりたい。けれど変われない。僕は複雑な気持ちだった。
「そういや、言ってなかったかもしれんけど、俺、文学賞に小説投稿してみたんやで。」
「あ、そうでしたね。先月が締め切りでしたっけ。どれぐらい書いたんですか?」
「えっとな、大体やけど、十五万字くらいやな。」
「十五万字ですか!四〇〇字の原稿用紙だと三七五枚じゃないですか!すごすぎます。」
「さすが、暗算早いな。瞬時に計算できる二郎ちゃんのほうがすげーわ!」
「いえいえ…。」
暗算が早いことを褒められた経験は今までもよくあったが、三郎さんに言われると、なんだかすごく嬉しく感じた。
「僕なんて作文を書けって言われても、せいぜい原稿用紙二枚が限度ですよ。書く内容が思いつかないです。いったいどうやってそんなに長く書けるんですか?どういうことを意識しているんですか?」
「そうやな、やっぱ読者が文章を読んで、その内容を頭の中でイメージしやすいように書くのは一番大事やな。ただ起こった出来事を書くだけじゃなくて、周りの景色や天気とかも適度に描写しないとあかん。そういう要素が登場人物の気持ちを代わりに表すこともできて、内容に深みができる。」
「そうは言われても、書くのは簡単じゃないですよ。どこかで書き方を学んだんですか?」
「学んどらんな。」
「それでも書けるんですか?」
「誰にでも書けるってわけやない。ある程度訓練は必要やと思う。俺は文章を書くのが好きで、小説も時々読む。ただ小説を読んでるだけじゃあない。どういうふうに書いたらいいのか、他人の本を読みながら勉強してるんやで。」
「すごいですね。」
「あとは、ふと気づいたことをメモするっていうのはよくやるな。」
「どういうことですか?」
「例えばそうやな、信号が青から赤に変わりそうなとき、猛スピードで走り抜ける車を見たことあるやろ?」
「ありますね。」
「それを見ると、『まるで悪いことをして、パトカーに追いかけられているようだ』と考えることもできるやろ。」
「あー確かにそう思えますね。」
「日々生活していると、こういったちょっとした考えがふと頭に思い浮かぶねん。それを忘れないうちにメモする。小説の中で登場人物の心情が複雑なとき、わかりやすい例えがあると読者も理解できるんや。日々のそういうネタをたくさん集めて、『ここではこういう例えが使えるな』と閃くようになる。他の著者がどういうふうに書いているかはわからんけど、俺はこのやり方が一番いいと考えとるな。」
「まるでプロの文学者ですね。」
「そうか?」
「プロっぽいですよ、三郎さんは。何年も小説を書き始めて、すべてを知り尽くしたような感じがします。」
「そう、そういうことよ!」
「え、どういうことですか?」
「俺のこと、『プロみたい』 って言うたやろ。すべてを知り尽くした人間であると。それも立派な表現や。表現の方法に正解なんてない。日々日常の何気ないことに目を向けていれば、二郎ちゃんだって小説は書けるはずや!」
「僕でも書けます?」
「できる。二郎ちゃんは正直言って変わっとる。別に悪口やないで、誤解すんな。個性があるって意味で言っとる。二郎ちゃんも自分なりに世界を表現すれば、きっと良い小説が書けるはずや!」
小説家になるつもりは全然なかったけど、三郎さんに褒められたことはすごく嬉しかった。
25
家に帰ると、既に夜ご飯が用意されていた。文化祭で食べ歩きしていたこともあって、あまり食欲が湧かなかった。
「どうしたの?元気ないわね。」
母親は僕にそう言ってきた。
「別にそんなことないよ。」
僕は素っ気なく答えた。
「何かくたびれている感じがするわね。無理してない?」
「無理してないよ。今日は大学の文学祭で色々と歩き回ってたから疲れたんだよ。」
「それならいいけど。二郎が燃え尽きてないか心配なのよ。」
「燃え尽きてないか…?」
「お母さんはあまり口出しすべきじゃないと思うから、勉強とかは全部二郎に任せっきりだけど、あまり詰め込みすぎたり、考えすぎたりするのは良くないと思っているの。受験期が大変だってことはお母さんにもわかるからね。無理は禁物よ。」
「お母さんの受験期はどんな感じだったの?」
「私は比較的おっとりとしていたけど、受験間際はどうしても緊張したわ。でもね、あまり考えすぎないようにしたの。『なるようにしかならない』って思って受験に臨んでいたわ。」
「僕もなるべく気にしないようにしているよ。気にしただけストレスが溜まるだけだし。あ、そうだ。」
僕はさりげなく質問してみた。
「お母さんの頃は、周りの人はみんな大学に行ってた?」
「そうね、半々くらいだったかしら。半分は大学に進学して、半分くらいは浪人か就職ね。勉強が嫌いな人は就職していったわ。」
「お母さんは就職を考えてた?」
「そうね、それもありかと思ったけど、まだ勉強したいっていう気持ちもあったし、親には『大学は将来のために行ったほうがいい。お金は出すから。』って言われてたのもあったわね。お母さんの場合、大学進学はすんなりいったけど、お金がなくて就職せざるを得ない人も何人かいたわ。」
「そうなんだ。」
「今は『大学全入時代』って言われているわよね。大学に行っておけば、就職したときに給料は高いから、二郎も行くべきよ。」
「学費はどうすんの?」
「学費?」
「学費高いじゃん。四年間も行くとなると相当お金かかるでしょ?」
「奨学金制度とかあるじゃない?もちろん奨学金に頼りすぎてはいけないけど、お金はある程度用意するわ。とにかく将来のために、二郎の大学受験応援しているわ。頑張りなさい!」
母親はそう言って僕の肩を「ポン」っと叩くと、流しに溜まっていた皿を洗い始めた。
小説家になりたいという三郎さんの思い。大学に本当に行くべきなのかという三郎さんの問題提起。これらは今後の進路を考える上での悩みの種になっていた。たしかに小説家になれば、無理に大学に行かなくても収入は得られるし、好きなことであれば幸せに過ごしていけるだろう。僕の好きなことって何だろう。僕には何の仕事が合っているのだろう。それが見つかっていないことには、大学受験という多くの人が通るレールの上を歩き続けなければならないと思った。
僕には飽きっぽい性格があって、たとえ何か始めても、すぐにつまらなくなってやめてしまう傾向があった。いわゆる「三日坊主」と呼ばれるものだ。高校のとき、友達に自転車で遠くへ出かけようと誘われたことがあり、一回出かけたことがあった。その時は「自転車に乗ることが、なんとこんなに楽しいことか!」と思っていたが、少し経つと自転車に乗ることすら面倒になった。友達から誘われても「忙しいから行けない」と言って断るようになっていた。好きだと思えないことは専らやらない。そういうスタンスだった。
大学進学についても、同じ状況になるのではないかと思った。たとえ苦労して大学に進学しても、途中で飽きて行かなくなるかもしれない。そうなると、学費だけが家庭から大学に送られて、得られるものは何もない。山本から大学の話を聞いたけど、「授業をさぼっていかに単位を楽に取るか」と考える人たちには、「何のために大学に行っているのか」と問いたくなってしまう。そういう人は案外多いそうだ。僕もその多数派の一人になるかもしれない。どうしようか。どういう道に進めば正解なのか…。
ベッドに横になってそんなことを考えていたら、いつの間にか時刻は午前一時を回っていた。普段はそんなに考え事をしないのに、頭が活性化されて、無意識のうちに思考を始めてしまう。活性化されているから、眠くならない。寝ようと思ったけど、眠れなくなった。これが悪循環の始まりとなった。
次の日になって起きると、案の定寝不足で、目覚めが悪かった。勉強をしないといけないと思うのだが、何とも気が進まなかった。眠いと集中力が保たれないため仮眠を取るけれど、寝ても寝ても眠いままだった。どんどん体のコンディションがおかしくなっていくような気がした。
午後に授業があるため、予備校に向かった。しかし授業の内容が頭に入ってこなかった。先生が何か、大事なことを話している。けれど僕の耳には届かなくなっていた。よくわからないけど、なぜか意識がどこか遠くのところに飛んで行ってしまっていて、僕はただぼーっとしていた。
授業が終わり予備校を出た。いつも通り四人で歩いていた。
「今日どうしたの?」
高橋さん僕に話しかけてきた。
「え?」
「なんだか、今日はいつもの二郎くんじゃないみたい。授業中もぼーっとしていたみたいだし。何かあったの?」
「なんでもないよ。ただ寝不足なだけだよ。」
「そんな夜遅くまで勉強していたの?」
「いや、そういうわけじゃないけど、色々と考え事してたよ。」
「何考えてたの?」
高橋さんは僕の顔を覗いてきた。じろじろ見られると、緊張してしまう。僕は怪しまれているのだろうか。
「ただ単に、受験大丈夫かなーとか、勉強どうしていこうかなーとか考えていたんだよ。」
「やっぱり二郎くんも悩むよね。私も受験勉強がんばってるけど、先が見えないから不安だらけで、心が苦しいわ。受験生になるのは久しぶりだけど、やっぱりみんな苦労するわよね。」
高橋さんは夜空を見上げてすっと息を吸った。目を少し閉じ、そしてまた開いた。
「そうだ、二郎くんにお願いがあるんだけど。」
「何だ?俺らに頼めないお願いは?」
チャラ尾くんが口を挟んできた。
「チャラ尾くんには関係ないわ。また明日ね!」
「もー!チャラ尾って呼ぶなって!」
そう言いながら渋い顔をし、僕たちは駅で二人と別れた。
「あ、ごめんね。話反れちゃった。お願いがあるんだけど。」
「何?」
僕はドキドキした。高橋さんから頼まれるようなことを、僕にはできるのだろうか。まだ何も聞いていないのに、僕は緊張してしまった。
「数学でわからないところがあるから、今度教えて欲しいのよ。」
「え、まあ、いいけど。俺でいいの?予備校の先生は?」
「二郎くん、数学得意でしょ?私勉強していて、数学でわかっていないところが結構多いことに気づいちゃったのよね…。模試とかの振り返りを色々とやっているんだけど、わからないところが何箇所かあって。先生にたくさん質問しまくるのも迷惑だから、聞いてほしいの。それに、友達の方が気軽に聞きやすいじゃない。」
「あーそういうことか。いいよ、別に。明日は早めに予備校来る?」
「明日は授業開始ギリギリまで塾が開いていないらしいのよ。だから、どっか駅の近くのお店とかでもいい?」
「いいよ。どっか適当な所でやろう。」
「良かったー!二郎くんならお願いを聞いてくれると思っていたんだ!」
「ふーん。」
「どうかしたの?」
「いや、別に。」
「そう?じゃあ、明日はよろしくね!」
そう言って今日は別れた。
家に着き、シャワーを浴びてゆったりしていたら、時刻は〇時を回っていた。大概塾の後は疲れているため、暗記物を少しだけやることにしていたが、頭が何となく疲れてぼーっとしていたため、今日は何もせずに寝ることにした。
部屋の電気を消し、ベッドに横になり、目を閉じた。疲れているからすぐに眠ってしまうと思ったが、それは大間違いだった。頭がなぜか考え事をし始めた。夢を見るときのように、頭の中に様々な映像が浮かんできだ。昨日も考えていた三郎さんや母親の言葉。それらが頭の中でグルグル回っていた。三郎さんの場合は、大学がある駅近のカフェで僕に熱く語りかける様子が浮かんだ。自分の進路を真剣に考えないといけない。そういう思いが三郎さんの顔全体から伝わってきた。それと同時に三郎さんの言葉が、改めて僕の心に突き刺さった。
「二郎ちゃんも、きっと小説が書けるはずや!」
進路の事も色々と話してくれたが、あの時初めて小説を書けると言われたことが頭に残っていた。作文すらまともに書ける気がしないのに、僕なんかに小説は書けるのだろうか。そんなことを思いつつも、大学に行くべきなのか疑問を持つ僕に、それ以外にも選択肢があるということを暗示してくれる言葉となっていた。
三郎さんとのやりとりの様子がパッと消えたかと思うと、次に頭は家の中の様子を思い浮かべ始めた。テーブルの上で、僕は母親と一緒に夜ご飯を食べていた。
「とにかく将来のために、二郎の大学受験応援しているわ。」
その言葉が頭のどこかから聞こえてきた。昨日の母親の言葉だった。昨日のことを振り返っているようだった。昨日は久々に母親とちゃんと会話をした気がする。ありきたりの話だったけれど、頭の中に出てくるということは、余程印象に残っている言葉だったのだろう。
母親が消えたかと思うと、次は高橋さんが出てきた。一緒に電車で帰っている様子が頭の中で描かれていた。
「二郎くんならお願いを聞いてくれると思っていたんだー!」
明日は一緒に勉強することになった。初めて誘われたことに驚き、緊張している。明日はどうなるんだろう。そんなことを頭の中で考えていた。
三郎さん、母親、そして高橋さん。僕の周りにはインフルエンサーがいる。様々な立場で僕に影響を及ぼしてくる。進学以外の選択肢、大学受験の応援、仲間。受験に対する様々な思いが交錯し、頭の中は夜中も大忙しだった。もはや夜に眠らせてもらえなくなっていた。寝ようと思っても、何か自分に印象に残った出来事の様子や今後の不安とかが頭に思い浮かんだ。そうなると、しばらくそのことで頭がいっぱいになり、寝ようという意識はどこかに飛んで行ってしまった。時間が経ってふと我に返ると、寝ないといけないのにどうしても考え事をしてしまう自分に情けなく感じた。そう思うほど、ますます眠れなくなるのだった。
こんなに眠れないことは、今までで初めてかもしれない。眠れないことがこんなにも辛いことなんて知らなかった。昨年も追い込まれてはいたものの、ここまで眠れなくなることはなかった。焦れば焦るほどパニックになり、僕は一旦起き上がって深呼吸をする。気持ちを落ち着かせるためだ。そしてまた横になり、意識が朦朧とするのを待った。
(続く)




