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まさかの正夢  作者: 柿田修ニ
6/16

まさかのヒーロー

高校の同窓会に参加したものの、なかなか自分の居場所が見つからない二郎。学年のスターと呼ばれた坂本愛理と高橋泉に気になっていたが、話しかけることができずにいた。そのうち、同窓会はさらに盛り上がり始めた。

【5/15】


14


 気まずい雰囲気で帰りたいと思っていたその時、僕にまたしても思いがけない助け舟がやってきた。

「みなさん、お待たせいたしました!」

 高橋さんの元気な声が会場に響いた。周りは活気づいた。皆、この瞬間を待っていたようだ。

「これから、有志によるパフォーマンスがあります!楽しいパフォーマンスが盛りだくさんなので、ぜひお楽しみください!」

「よっ、待ってました!」という声とともに、二人組の男がマイクの前に駆け寄ってきた。どうやら漫才をやるらしい。

「久々の真坂高校メンバーやで、楽しいな!」

「まさか、こんなに集まるとは思わんかったな!」

「おまえ、真坂高校だから『まさか』とかけたんやろ!そのネタ、もうみんな知ってるからやめーや!」

「何言っとんねん、ここにいるみんながこのネタを待っていたに違いないやないか!」

「おまえの親父ギャグなんて誰も聞きたくないやろ。それにしても、知らない間に本当の親父っぽくなったなー。」

「失礼なこと言うな。俺はな、心の中はいつまでも、あの夏の日の高校の屋上や!」

「何かあったんか?もしや、日向ぼっこしすぎたんか?」

「あほ!あんなボロっちい高校でなんで日向ぼっこせなあかんねん。」

「おい、先生がいる前でそんなこと言ったらあかんで!」

 周りからはザワザワと笑い声が起こった。この二人は高校時代にも漫才をやっていて、学年全体の前で披露したことがあった。あれは高校の修学旅行だっただろうか。面白いボケと鋭いツッコミに、みんなが爆笑していた。僕も笑った。こうやってみんなを笑わせられるのはすごいと思った。

 先程機嫌が悪くなりかけていた落合先生も笑っていた。自分の学校の悪口が出てきたが、気にしていなかった。先生方からしても、高校の設備は不便で使い勝手が良くなかったから、共感して聞けるのだろう。こういう、悪口を言いながらも支持を得られるように周りの人を誘導するのが何とも上手い。お笑いの評論家ではないが、そこらへんは感心してしまった。

 せっかく落合先生は機嫌が良くなっているのに、僕と目を合わせたらまた機嫌が悪くなってしまうかもしれない。そのため、僕はこっそりと牛歩による一人旅を再開した。僕の会場での居場所を探すしかない。

 漫才が終わり、次はギターの弾き語りによるミニライブが始まった。高校の頃に軽音楽部だったメンバーが、当時流行っていたJ―POPの曲を熱唱していた。体育祭でかかっていた音楽や卒業式で歌った泣ける歌などにより、会場は和やかな雰囲気に包まれた。この会場には、ギターやベースのためのアンプを持ち込めなかったらしく、バンドのような激しい音楽はできなかった。それがかえって聞いている人たちの心を癒したのかもしれない。先生方も目をつぶって、想い想いに曲を味わい、当時の記憶を思い返しているようだった。

 ミニライブが終わった後、会場からは手拍子が起こり始めた。

「エムセスケー!エムセスケー!」というコールが続いていた。一番のメインイベントが始まろうとしていたのだ。

「エムセスケー」というのは、アルファベット三文字で「MSK」と書く。「MSK48」という名前のことだ。MSKは「まさか」の頭文字になっている。僕の同期で人気のあった女子たちによるグループが、高校の頃になぜか結成されており、修学旅行のパフォーマンスでも、グループとして活動していた。「48」とあるが、実際にはそんなに人数はおらず、半分の二十人程度だった。この学年が四十八期生だから、この名前がついたのかもしれない。

 大勢の女子たちが、いつの間にかドレス姿から当時の制服姿に着替えて出てきた。その瞬間、盛り上がりはさらに激しくなった。

 大人数グループなので、テレビでよく見る大人数グループの曲が流れた。当時もたしかそうだった気がした。曲に合わせ、当時のような息の合った踊りを披露した。会場の男たちは、まるで好きなアイドルのライブに来ているかのように、音楽に合わせて大声を出しまくっていた。ペンライトを持っていたら、まさにここはライブ会場である。周りの男たちの奇声が何とも不愉快だった。あまりにも狂ったようにはっちゃけるため、僕は帰りたくなってきてしまった。

 酒を飲んでいたらこんなにも騒げるものなのか、というくらい騒いでいる。僕はあまりお酒は飲んだことがないし、強いかどうかもよくわからなかった。ある程度飲むと眠くなってしまうため、テンションが上がることはまずなかった。

 会場では、お酒は飲み放題だ。ホテルの係の者がオーダーブースにグラスを並べていて、好きに飲みたいものを取りに行くスタイルである。多くの人が何杯も飲むので、係の人たちも忙しそうだったが、次第に周りの飲むペースは落ちていった。しかし、パフォーマンスを見ている間にテンションが上がって回復してきたのか、また酒を求めに取りに行く列が出来ていた。何という回復能力だろう。あんなに馬鹿みたいに騒げば、また酒を飲めるものなのか。周りの人たちの体の仕組みが、僕とは全く違うのではないかと思ってしまった。


15


 パフォーマンス終了後、MSK48の主要メンバーたちによるトークショーが始まった。その中には坂本さんの姿もあった。これまでの高校生活を振り返っている。

「修学旅行の時にこのグループはできて、一気に盛り上がったんですよね。」

「なんか、学年全体に革命を起こしたいって思ってて、それでアイドルグループみたいなのを作ってみないかって話になったんです。」

「最初に言い出したのが泉だったんですよね~。」

 周りからは自然と高橋さんに拍手が起こった。僕もなぜかつられて拍手をしてしまったが、慌てて手を腕組みした。

「泉はどうしてこのグループを作りたいって思ったの?」

「私は今まで人前で何かをするのが苦手で、中学の時に対人関係で苦しんだことがあったんです。それを何とか克服したくて、当時ダンスグループが流行っていたので、私もやってみたいなって思ったんです。それを親しい友人に話してみたら、面白そうって賛成してくれて。それがまたたく間に学年の女子の間に広まって、グループを作ろうっていう流れになったんですよね。まさかアイドルグループみたいな形が本当にできるとは思いもしませんでしたよ!」

「真坂高校だけにな。」と僕はボソッと呟いていた。ほぼ無意識だったため、言った後に急に恥ずかしくなった。なんでこんなことを言ってしまったのだろう。誰かに聞かれていないだろうか。僕は恐る恐る周りを見渡したが、皆トークショーの方に視線が向けられていて気づいていないようだった。僕も二十歳。しかしまだ大学デビューをしていないから、入学すると、周りからおじさん扱いされてしまうかもしれない。さっきの漫才でも出てきたが、僕が一番親父ギャグを言うのに相応しい人間なのではないかと思ってしまった。「まさか」というギャグは僕のために披露されたのかもしれない。

「修学旅行前は結構練習しましたよね。」

 トークショーはまだ続いていた。

「高校だと練習する場所がなくて、カラオケの広いスペースを予約して練習したんですよね。歌はみんなそれぞれが覚えてくるっていう感じでした。」

「全員で息を合わせるのが大変で、ちゃんと成功するのかどうか不安でしたけど、本番の時にみんなが盛り上がっているのを見てとても嬉しかったし、それで一気に不安が吹っ飛びました。まさか、あんなに学年全体で盛り上がるとは思っていませんでしたよ!」

 僕は息を潜めて唾をごくりと飲んだ。もう同じ言葉を発しないためだ。ますます親父っぽくなってしまう。

「こうして同窓会でまた集まって、久々に制服を着て踊りを披露できたのは本当に嬉しいですね!」

「久々でしたけど、パフォーマンスの間だけ、高校生に戻った気分でした!」

 周りからの拍手がまた巻き起こった。「かわいい!」という叫び声も聞こえる。相変わらず周りのテンションがおかしかった。制服を着てはいたものの、皆意外と化粧が濃く、高校生には見えなかった。アイドルっぽくは見えたけれど。


「さて。ここで、せっかく同窓会で多くの方が集まったので、三年の時のそれぞれのクラスから一人ずつにここに出て来てもらって、高校時代の思い出を話してもらおうと思います!MSK48のメンバーにチョイスしてもらいましょう!」

 司会でありパフォーマーでもあった高橋泉が元気に言った。その瞬間、男達は「俺を呼べ!」と躍起になって叫び始めた。僕は選ばれるはずがない。認知度が低いからだ。こういうものは、面白くて、そこそこイケメンの奴が選ばれるに決まっている。そして、誰が選ばれるかは前もって決まっているはずだ。僕はなぜかいじけたような気分になる。人前で喋るのは苦手だから、こういうときに自分の名前を呼ばれたくはなかった。それなのに、なぜか納得がいっていなかった。

 元三年一組から三年七組まで、順番に一人ずつ呼ばれることになった。僕は元三年七組だった。呼ばれる可能性があるとしたら一番最後だ。とはいっても、呼ばれるような人間ではない。僕は、まだ大学デビューもしていないニートのような人間だ。僕は自分で自分の悪いところを指摘したことによって、益々暗い気持ちになってしまった。

 やはり呼ばれるのは面白い人たちであった。三年一組から順番に呼ばれ、当時の思い出を語っていた。ある人は担任の先生に、授業中に寝ていた時に教科書で頭を叩かれたという。しかし頭が石のように硬かったため、頭に当たった瞬間、教科書は垂直に曲ってしまい、教科書が使い物にならなくなったというのだ。

 本当かと思うかもしれないが、その話を聞いて、僕はその現場に居合わせていたことを思い出した。それは一年生の時だった。しかも自分の近くの席で彼は寝ていた。野球部で朝練をやっていたから疲れていたのだろう。坊主頭の先端が毎回先生の方に向いていた。叩かれていた時のことが頭の中にフラッシュバックした。叩いたときの良い音と共に、教科書が憐れな姿に変貌してしまったのだ。新しめの教科書で、人に例えるとキラキラした小学生が一気に年老いて、腰が大きく曲がったお爺さんのようになってしまったのだ。高校時代の記憶はあまりないけれど、あの教科書の急激な老化現象はとても印象的だった。彼のエピソードを聞いて、数少ない高校での記憶を取り戻すことに成功した。ちなみに彼はもう坊主頭ではなく、ワックスをつけた洒落た髪型になっていた。

 面白げなトークが飛び出し、即興の大喜利コーナーを聞いているようだった。いきなり呼ばれて面白いエピソードを披露するのは大したものである。先生の面白い話も出てきて、先生方もただただ笑っていた。恥ずかしいという気持ちよりも、懐かしいという気持ちの方が大きいのかもしれない。

 三年六組まで一人ずつ呼ばれ、ついに三年七組の番が回ってきた。選ぶのは、よりによってトップアイドルと言われていた坂本さんだった。

 四十人学級の三年七組の名簿用紙をじっと見ながら、坂本さんは誰を選ぼうか迷っていた。あまりにも迷っていたため、周りの人たちはかなり焦らされ、益々緊張感が出てきた。僕が選ばれる可能性もある。あんなに悩んでいるからだ。坂本さんは受付のときに、僕のことを覚えているようだった。後で話そうと言ってくれた。そうなると、僕を選んでもおかしくはないはずだ。選ばれないだろうと最初は考えていたのに、坂本さんが選ぶことになってからは考えが変わっていた。僕は手の指を組んでいた。僕は自分が選ばれてほしいと祈っていたのだ。彼女はついに決めたようで、勇気を振り絞って名前を読み上げた。


16


「山本一二三くんに来ていただきましょう!」

 予想外のコールに、僕は驚いてしまった。山本とは同じクラスだったけど、山本が選ばれるとは全く予想していなかった。自分が呼ばれなかったことへの失望と、山本が呼ばれたことに対する嫉妬が混ざっていた。

 山本の名前が呼ばれると、本人ももの凄く驚いたように会場の前に足を進めた。山本とは同窓会の最初の方ではぐれてしまっていたため、久々に彼の姿を目撃した。結構顔が赤くなっている。彼は誕生日が早生まれだから、まだ二十歳になっていなかったはずだ。それにも関わらず飲んでいた。どうやらお酒が相当好きで、歩き方も酔っぱらいのような感じだった。山本も、僕とは体の仕組みが違うようだ。

 周りからは山本のコールに意外な反応を示していたが、そのうち拍手が大きくなった。ぎこちない足取りで、何とか坂本さんのいる席にたどり着いた。坂本さんは優しく声をかけた。

「結構飲んでいるわね。大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。まだまだ飲むぞ!乾杯!」

 テンションが異常すぎて、周りから笑いが起きた。馬鹿にしているというか、優しい気持ちで笑っているようだった。学年の人気者のような感じだ。

「では話を聞かせてくださいね。高校時代に楽しかったことは何ですか?」

「楽しかったこと?そりゃあ決まってるよ!女の子のスカートの中を覗けたことよ!」

「え…」とどよめきが起こった。山本は本格的に酔っ払っていた。もはや恥晒し以外の何者でもない。そこら辺にいる酔っ払ったセクハラジジイと同類だった。

 坂本さんは何とか話を戻そうとする。

「そ、そうでしたか…。授業とか、先生方との関わりはどうでしたか?」

 笑顔で話しかけているが、必死な様子が伝わってきた。おそらく山本を呼んだことを後悔しているのだろう。酔っ払った奴はろくなことを言わない。僕を呼んだ方が良かったんだ。自分が呼ばれなかったことが悔しくて、そんな気持ちが心の中で巻き起こっていた。

「先生とすか?そうですね、何かあったかな?僕は成績が良くなかったから先生には迷惑かけてばっかで、かなりヤバイ奴だと思われていたんですよ!ですよね、落合先生!」

 山本は大きな声で落合先生に同意を求めた。落合先生は笑いながら首を縦に振った。

「落合先生は正直だ。やっぱやばかったんですよ、俺。留年しそうにもなったし、部活では怪我も多かったし、周りの人には不幸しか与えてなかった気がするんですよ。でも…。」

 山本は言葉に詰まっていた。今までのこと振り返っていて感極まったのだろうか。

「でも、最後まで、僕を見捨てずに見守ってくれていた。受験に失敗して浪人生活を送っていたときも優しく声掛けてくれて、何度も助けられて、親のような感じでしたよ。僕には父親と母親がたくさんいたんですよ!そして、そして…。」

 山本は既に泣き声になっていた。こんな彼を見たことが無かった。周囲もしみじみとしていて、山本の言葉を真剣に聞いているようだった。

「一浪して合格して、職員室に挨拶行った時、先生方は言ってくれたんです。『山本なら受かると信じていたよ』って。もう俺、そん時涙出てきちゃって、まともに自分の気持ちを表現出来なかった。でも俺、思ったんです。勉強できなくて、怪我もたくさんして、受験も失敗して、いっぱい苦労したけど、この真坂高校に入って良かったって心から思えるんです!」

 今までにない程の大きさの拍手が巻き起こった。先生方の中には涙を流している人がいた。

「よく言ったー!」「えらいぞー!」「がんばったな!」という暖かいコメントが周りから飛んできた。さっきまでの酔っぱらい達による盛り上がりが、山本の涙の話によって浄化された。コメントの声も叫んでいるというわけではなく、心から出てきた優しい声のようだった。

 スカートの中を覗けたという、会場の空気を凍らせるような発言から、こんなにも相手を感動させるような話を山本がするとは思わなかった。こういう話を、受験が終ってからは直接聞いていなかった。山本が今まで相当苦労してきたということを、今初めて知ったのである。

 拍手は鳴り止まない。彼は短時間の熱演で会場全体の心を一気に掴んだ。僕は大学の守衛所で大きな、良い声で口論をしていた三郎さんのことを思い出した。三郎さんも話し方は上手くて勉強になったが、今回の山本の話はそれを上回るほどすごかった。山本の普段とのギャップがあったからかもしれない。それでも、あれだけの拍手を起こさせるのだから大したものである。

 鳴り止まない拍手の中、まだ山本は続ける。

「僕はせっかく大学に入れたので、悔いのないように四年間を過ごしたいと思っています。物理を専攻していますが、将来は研究者になって、普段の生活の謎を解き明かしたいと思います!皆、見ていてくれ!」

 また拍手で盛り上がった。上手く話を締めたという感じだ。酔っ払っていたからか、目はかなり充血していた。しかし、はっきりとした眼差しで会場全体を見渡している。今までの山本とは大違いで、別人のようだった。山本の話も上手く締まり、これでハッピーエンドとなるはずだった。しかしここから思わぬ展開となった。


17


 拍手も静まりつつあり、山本の話を誰もが終わったと思っていた。しかし、彼はまた喋り始めた。

「僕は、いろんな人に恵まれて、今を生きています。いろんな人に応援されて、今日の僕がいる。だから僕は、これから他者を応援できるような人になりたい!ここで僕は、一人の男を紹介したいんです。今日ここに来ている人だ。彼は、僕と同じ浪人仲間で、今年の春まで共に切磋琢磨してがんばってきた。でも、彼は合格しなかった。どこにも。だから彼は、今も浪人生活を送っている。二浪だ。二浪なんて恥ずかしいかもしれないけど、彼はがんばっている。二郎だけど二浪なんだ…!」

 会場の人たちは「誰だ?」という表情をしている。

 僕は急に汗が出てきた。しかもどんどん溢れてきた。なんであの感動的な話で終わりにしないのだ。なんであの場で、僕のことを紹介してくれているんだ。僕の立場がないじゃないか。周りには知られていないけど、恥ずかしくて顔を上げて他人の顔を見ることが出来なかった。心臓がバクバクしていて、冷静になれなかった。何とか落ち着く為に、僕は近くにあった料理に手を伸ばし、食べようとした。

 しかし、上手く食べられない。手に力が入らなかった。フォークで刺して食べようとするが、上手く刺さらない。普段なら簡単にできることが、今は全くできなくなっていた。

 必死にフォークと格闘していたら、突然皿を持っていた左手が滑った。汗をかきすぎて、手が濡れていたのだ。僕はそのまま床に皿とフォークを落としてしまった。

「ガッチャーン!」

 皿の割れる音が、会場全体に響き渡った。一瞬会場は静かになった。そして、割れた音がした音源である僕の方に視線が向いた。僕は緊張しすぎて何も出来ない。汗は益々止まらない。

「あ、いたいた!あそこにいるのが二浪の二郎!松枝二郎。彼を僕は応援したいんだ!ぜひ、ここに来てみんなに話をして欲しい!彼は僕よりも面白くて、将来有望なんだ!拍手ー!」

 何が何だかよくわからなかった。そのうち周りから拍手が起こった。会場の注目は一気に僕の方へと向けられた。気まずい会話をした片山くんと機嫌を悪くさせてしまった落合先生も、僕の方を向いた。せっかく二人と会わないように一人旅をしていたのに、思わぬ形で再会することになった。二人は今、どういう気持ちで僕を見ているのだろう。

 しかも、皿を割ってしまった僕へ一気に注目が集まり、さらに山本に呼ばれて拍手が巻き起こるという、ありえないシチュエーションが実現してしまった。皿を割って申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちでいっぱいなのに、それが全員に知られてしまった。僕を知らない人が大半だというのに、なぜか皆、僕に拍手を送っている。まるでこの日のために呼ばれた特別ゲストみたいじゃないか。自分はいったいどうなってしまうのだろう。ついさっきまでは、自分が前に呼ばれたいと思っていたのに、思わぬ形で前に行くことになり、素直に喜べなかった。恥晒し以外の何者でもない。もっと言うと、彼よりも恥晒しかもしれない。とにかく恥ずかしくて、周りの人の顔を見ることができなかった。下を向きながら、僕は牛歩よりも少し早いスピードで前へ向かった。

 お酒を飲んでいるわけではなかった。周りの人のように酔っ払っているわけでもなかった。しかし、前に行くまでの道がとても長く感じた。同時に上手く歩けない。緊張しているからか、僕の行動を全身が止めようとしていた。前に歩こうとする意志はあるのに、体は上手く前に進ませてくれない。視界もグニャグニャしていて、よろけてテーブルにぶつかりそうになった。それでも、何とか前の山本のいる席にたどり着くことが出来た。

「どうした!いつもの二郎じゃないな。ここで宣伝しちゃえ!来年受かって、二浪の二郎で終わらせるって!三浪にはならないって言っちゃおう!」

 高橋さんが司会を務めていたのに、今は山本がこの会場全体を支配していた。しかし高橋さんも坂本さんも、なぜか表情は普通だった。彼女たちの考えていることが理解出来なかった。

「あ、あの…。二浪の二郎です。」

 言葉が思いつかなくて、なぜか自虐ネタを披露してしまった。その瞬間、周りは盛り上がり始めた。

「よ!二郎!」という声が聞こえた。その矢先には、僕の名前のコールが起こる。

「二郎!二郎!二郎!」

 状況がわからないまま、僕は何か話さなければいけなかった。しかし頭は意外と機能していた。僕は話す決心をしていた。

「僕は、三郎という名前でなくて良かったと思っているんです。三郎だったら、三浪してしまうかもしれないからです。だから、今年で何とか受験を成功させたいです。」

 トツトツと、拙い言い方だったが、何とか言い切った。さっきの山本の時と同じぐらいの拍手が、僕を包み込んだ。こんなに大きな拍手を人生でしてもらえるとは思ってもいなかった。恥ずかしかったけど、なぜかすっきりしている。一五〇人くらいいる会場で、「二浪で大学受験を成功させる」という宣言をした人間なんて、僕以外にかつていただろうか。僕は人類初の偉業を達成したのではないか。僕は心の中でなぜか舞い上がっていた。同時に、少しずつ、冷静さを取り戻していた。僕は応援されている。この会場全体の人たちに後押しされている。僕は未だかつて感じたことのない達成感に満ち溢れていたのだった。


 僕と山本の尺が長すぎたのか、終了時間まであと三十分を切っていた。

「時間が少なくなってきたので、お話を弾ませつつ、食べ物もたくさん食べてください!」という焦りが混じった声で高橋さんは全体に呼びかけた。

 雰囲気はまた元に戻り、止まっていたあのBGMも再び流れ出した。僕は汗びっしょりで、今すぐシャワーを浴びたい気分になった。

「お前も飲め!」

 山本が無理やり僕にビールを渡してきた。

「吹っ切れたろう?今夜はたくさん飲めって!」

「ああ…。」

「お前どうしたんだ?恥ずかしかったのか?お前は一気に学年のスターになったんだぞ!有名人になったんだぞ!良かったな!これも全部俺のおかげだな。感謝しろよ。」

 僕は疲れてしまい、何も言い返せなかった。その代わり、なぜか腕が僕の口の中に酒を入れている。頭が混乱していて、酒を飲んでも良いと頭が勘違いしていた。飲んでいても何も感覚が変わらず、いくらでも飲めそうな感じがした。飲み終わると、山本がワインとビールを何本ずつか持ってきた。僕達はお互いのパフォーマンスを称え合い、飲みまくっていた。

「松枝くん、お疲れ様!」と声をかけられた。なんとそこにいたのは、アイドルと呼ばれていた坂本愛理と高橋泉だった。二人に話しかけられて、思わず緊張してしまった。

「さっきの演説良かったわよ!一緒に頑張りましょうね!」

 そう言ってお酒を一緒に乾杯した。二人と飲めるとは思わなくて、素直に嬉しくてテンションが上がった。とても幸せな気分になった。しかし、直前の発言がおかしいことに気がついた。

「一緒に?二人とも大学行っているんじゃないの?」

 高橋さんは真剣な眼差しで僕のことを見た。

「うん、大学には行っているのよ。法律学を専攻しているんだけど、どうしても自分に合わなくて…。それで私は決心したの。大学を受け直すって。」

「そうなの?」

「そう、またやり直すんだ。だから松枝くんの話を聞いて、私も頑張ろうって思えたの!」

 高橋さんはとても嬉しそうに僕を見た。それによって体はさらに汗びっしょりになった。顔も熱くなった。酒を飲んでいたのもあったけど、明らかに僕は酔っていた。

「私も松枝くんの話、心に響いたわ。三浪は嫌よね。」

 坂本さんも僕に微笑みかけてきた。

「泉は受け直すって言ったけど、私も大学に行くために受験しようと思ってるの。元々保育の道に進むために短大に通っているんだけど、学んでいるうちに、自分には合っていないことに気づいて、普通の大学に行こうって決めたの。両親もいいよって言ってくれたから、これからお互いがんばろうね!」

 僕と同じ受験仲間ということだ。僕には新しい仲間ができた。かつての浪人仲間は皆旅立ってしまった。僕だけ孤独となり、毎日何も無い日々を過ごしていた。暗闇を歩いているようだった。そこに二つの光が差し込んだ。浪人仲間、しかもアイドルと呼ばれた二人が僕の仲間に加わってくれた。

 おそらく、オープンキャンパスで見た女子二人組は坂本さんと高橋さんだったのだろう。食堂で真坂高校の話をしていた。久々に真坂高校に行きたいと言っていた。二人には直接聞けなかったけど、オープンキャンパスのときに二人に会えていたことに満足していた。とにかく嬉しくて仕方がなく、僕は僕らしくなく酒に手を伸ばしてしまっていた。

 意外と強いということが判明した。山本曰く、「俺よりお前の方が酒に強い」らしい。最後の方の記憶はほとんどなく、体がぐったりとしていた。目が回っていて、まともに歩けなかった。同窓会は無事終わり、各々帰宅して行った。僕は山本に支えられながら、何とか家までたどり着くことが出来た。山本も酔っていたようだったが、ピークは過ぎ、酒は抜け始めていたようだった。この日に関しては、僕は山本に感謝してもし切れない。坂本さんや高橋さんと話せたのは、紛れもなく山本のおかげだった。彼女たちと話せて、LINEの友達にもなった。同窓会に参加すると表明した自分の判断も賢明だったが、そもそも同窓会に誘ってくれたのは山本だった。一生返せない恩ができてしまったように思う。「ありがとう」とおそらく言ったと思うが、記憶はほとんどない。僕は家に帰り、水を飲んだ。母親は僕を見て心配そうにしていた。

「大丈夫?結構酔ってるみたいだから、シャワー浴びないで寝てしまいなさい。」

 母親は優しく声をかけ、僕を介抱してくれた。ベッドにたどり着くと、僕はすぐに意識を失った。夢のような一日だった。


(続く)

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