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まさかの正夢  作者: 柿田修ニ
5/16

同窓会へ

オープンキャンパスで見かけた女性二人組が気になり、知り合いの少ない高校の同窓会へ参加することにした二郎。そこには、わずかに知っている同級生や懐かしい先生方がいたのですが…。

【4/15】


11


 三郎さんと出会ったオープンキャンパスの一週間後、母校である真坂高校の同窓会があった。高校時代に友達がほとんどいなかったにも関わらず、今回参加することにした。目的は例のオープンキャンパスの女子二人組の件だった。

 とはいうものの、話せる相手がいないと思い、浪人仲間だった山本に一緒に行こうと声をかけた。山本は不思議そうに返信してきた。

「『友達少ないからなー』とか言ってたのに、よく行く気になったな!」

「まあ、気が変わったんだよ。」

「やっぱ可愛い女の子狙いか?」

「あほ!そういうわけじゃないわ!」

 僕は生まれも育ちも東京の関東人である。しかし、この前の三郎さんと話をしてから、三郎さんの関西弁が時々飛び出してしまっていた。

「そういや学年のアイドル、坂本愛理も来るらしいよ」

「え?」

「知らないわけないだろ!お前も気になってたあいつだよ。全く、ごまかしやがってー。」

 久々に名前を聞いたため、すぐに認識が出来なくなっていた。以前出てきた、気になっていたSさんというのは、まさに坂本さんのことだった。しかし実は悲しいことに、もう坂本さんの顔をあまりよく覚えていない。

「あと、坂本愛理と並んで2トップと言われた高橋泉もな!」

 高橋泉?聞いたことがあった名前だが、顔と名前が一致していないため、誰だか分からなかった。とりあえずすごく綺麗な人なのだろう。

 同窓会の会場は、母校の近くにある豪華なホテルだった。その名は「真坂ホテル」。名前の響きがあまりよろしくないが、最近完成したこともあってとても綺麗らしい。駅前で山本と待ち合わせることにしていた。この日は久々のスーツ。それも、スーツを初めて買った時に試着した以来だった。大学デビューがもっと早くなる予定だったが、今も浪人生活でスーツを着ることはなかった。僕のスーツは買ってから一年以上経っていたが、押し入れに閉まってあっただけのため、新品同様だった。

 少し待っていると、山本がスーツ姿で僕に手を振ってきた。

「お!スーツデビューか?」

「うるさいな。だけど残念ながらそうだよ。」

「あ、やっぱりそうだったのか。似合わないなーお前のスーツ。」

「そうか?」

「すごくぎこちなく着ている感じがするな。俺はバイトの面接とかで時々スーツは着てたから、お前より大分先輩だ。わからないことがあったら何でも言ってな!」

 ドヤ顔で言葉を返された。スーツの先輩って何だろう。あと、わからないことって何なのか。山本は時々意味のわからない言葉を発してくる。前にも、「俺は徒競走で皆に勝てるかもしれない方法を思いついたぞ!」と言われたことがあり、「どうするの?」と聞いてみた。

「俺の学年、徒競走に結構力入れてたろ?だから早く走るために『俊敏』っていう、コーナーでうまく走れる靴を履いてた奴が多かったじゃん。あれ、反時計回りで走るための物なんだよ。普通その向きでしか走らないからな。でも、徒競走で使うコーナーの部分の土が、雨かなんかでグショグショしてて使えなかったとする。そうすると、もう片面のコーナーを使わないといけないから、スタート地点から右回り、つまり時計回りで走らないとゴールに行けないんだ。そこで俺は時計回りで走る用の靴を用意して、『俊敏』を履く者どもと競走する。これなら勝てるだろ、きっと!」

 聞いていて意味がわからなかった。とりあえず勝てるという熱意だけは伝わって来た。けれどあまりにも不明確な部分が多い。

「それなら、スタート地点を一八〇度ずらすんじゃない?スタート地点とゴール地点を逆にするんだ。それなら反時計回りで走れるよね。第一、時計回り用の靴をどうやって用意するんだ?売られてないでしょ。」

「俺の家は靴屋だぞ!忘れたのか?とにかく行ける。俺は勝てる。あーあそこのコーナーだけ雨で濡れないかなー?」

 今思い返すと、とてつもなく馬鹿馬鹿しいやり取りだった。山本の言うことには意味のわからないものが多い。大学に行く根拠も、いつの間にか無くなったのではないだろうか。

 過去に変なことを言われた経験があったせいか、すでに山本の言動には慣れていたので、スーツについて言われたことは気にすることなくスルーすることにした。


 真坂ホテルには入ったことがなかったけど、入口を抜けるとまさに豪華な感じがした。壁がキラキラ光っていて、照明も洒落ている。おまけにすごく良い匂いがした。豪華な施設に入る機会はほぼないけれど、素人でも豪華とわかるぐらいだった。天井が高いため、つい顔を上に向けて歩いてしまう。まるで田舎から上京してきた人が、そびえ立つビルたちの高さに驚き、つい上を向いて歩いてしまうような感じだ。

 エレベーターで会場まで上がった。場所は十階でかなり上だ。しかし音もせず、気持ちよくあっという間にエレベーターが十階に辿り着いた。最新のエレベーターというのはすごいものだなと思った。

 扉から出ると、すでにスーツやドレスを着た人たちでいっぱいだった。皆髪型を整え、今日の日のために万全の格好で来ていた。残念ながら僕はお洒落には疎いため、髪の毛には何も手を加えていない。普段の生活では、面倒くさがりという性格もあって、髪の毛が寝癖で立っていたりボサボサしていても気にする事はほとんど無い。唯一気にしたのは予備校に入るための説明会に行った時ぐらいだろうか。

 少し進むと「真坂高校第四八期同窓会」という貼り紙が大きく飾ってあり、その近くに受付ブースがあった。そこで出席を確認するため、数人ぐらいの列ができていた。僕らはその後ろに並んだ。

「きゃー友香ちゃん久しぶりー!元気だった?」

「片岡君、見ないうちにすごく格好良くなったね!」

「前田君も久しぶり!後でゆっくり話そう!」

 受付を済ます学生たちに、受付の女性はとてもハイテンションで対応している。あまり見ていて良い気分はしなかった。僕の場合にはどういうリアクションをしてくるのだろうと思ってしまったからだ。

 列に並びながら、僕は周りの人たちを観察していた。見覚えのある人すらほとんどいない。全く知らない人ばかりだ。僕は場違いの場所に来てしまったのだろうか。せめて卒業アルバムを見て、ある程度顔と名前を一致させられるように復習しておくべきだった。そんな後悔をしながら列が動くのを待つ。

 前に並んでいた山本が、先に受付を済まそうとしていた。

「あら、山本くんじゃない!元気にしてた?大学、無事合格した?」

 僕が聞かれたくない質問第一位がいきなり飛び出した。

「おー久しぶり!何とか合格して、無事大学デビューしたよ。坂本さんは大学生活楽しんでる?」

「坂本さん」という名前に反応して前を見ると、綺麗な化粧をした美しい女性が山本と楽しくやり取りしている。その顔を見て僕は心拍数が増え始めた。

「私?今は色々と忙しいのよ。進路も考えないといけないしさ。後でゆっくり話そう!」

「進路?」大学に行ってないのだろうか。しかしそれよりも、その人はまさにオープンキャンパスで見かけたような人だった。本当にあの時の人なのだろうか。あの時にいたのは坂本さんだったのか。僕は考えまくっていた。心拍数はどんどん増える。


「あのー?」という言葉に僕は我に返った。

「受付してもらっていいですか?」

気がつくと、坂本さんから声をかけられていた。山本は受付を既に終え、近くで僕のことをニヤニヤしながら見ていた。後ろを待たせてしまっていたので、慌てて受付ブースに駆け込んだ。

「あ、あの、松枝二郎といいます。元三年七組の…。」

「あ!松枝くんなの?びっくりした!来てくれると思ってなかったから嬉しいわ!久しぶりね!」

 どうやら、坂本さんは僕のことを覚えているらしい。本当かどうかはよくわからない。

「久々だから誰が誰だかわからないけど…。」

「大丈夫よ!そのうち思い出すわ。今日は楽しんでね!また後でお話しましょう!」

 坂本さんの笑顔に誘導されるように受付を済ませ、僕は山本のところに向かった。

「おまえ、すごい嬉しそうだな。」

「え、何が?」

「誤魔化すなよ、坂本さんすごいかわいいだろ?」

「まあ、そうだね。僕のこと覚えていそうだった。」

「おまえのことを覚えていたとしたら大したもんだなー。お前の真坂高校でのレア度はかなり高いからな。」

「後で話そうって…。」

「何照れたように言ってるんだ。多分皆に同じようなこと言ってるんだよ。時間内に全員と話せるわけないけどな。おまえ、坂本さんに話しかけられると思って待っていたらチャンスはないぞ!」

 そういって山本は会場の真ん中の方へ歩き出した。僕は慌てて山本の後をついて行く。

 歩きながら周りを見渡しても、知っている顔とは全く巡り会えなかった。僕にも少しは高校の友達がいた。その友達たちは僕と同じように大人しくて、あまり人と関わるのが好きではなかった。おそらく、アウェー感半端ないこの同窓会には行きたいと思わないだろう。浪人仲間も見当たらなかったし、山本しか僕の知り合いはいないようだった。


12


 午後六時になり、真坂高校の同窓会が始まった。会場では、雰囲気が明るめのBGMが流れていた。「同窓会に来た人達をお出迎え」という感じの音楽なのだろうが、僕には何も響かなかった。

 というのも、この同窓会は色んな意味で、生きた心地がしなかった。家に帰ると、オープンキャンパスの時のようにベッドに倒れ込み、すぐ寝てしまったのだった。同窓会での出来事を忘れることはないだろう。


 僕は山本と行動を共にしていた。その理由はお分かりの通り、山本以外に知り合いがいなかったからだ。山本がいなくなったら、僕はただ立ち尽くして途方に暮れてしまうだろう。

 山本も、仲の良い知り合いを探すために歩き回っていた。山本は僕よりは交友関係が広いため、僕よりも友達に会える可能性は何倍も高かった。

 雑音のように聞こえるBGMをぼんやり聞きながら歩き回っていると、山本が「やあ!」と声をかけた。宝探しではないが、ようやく友達のいる在り処が見つかったようだ。山本が話しかけている相手は、彼と同じ部活の人だ。山本は、今大学ではテニスサークルに入っているものの、高校では硬式テニス部に所属し、主将を務めていた。同じ部活の人に会えてとても嬉しそうだ。

 山本と話している相手は、僕も少し見たことがあった。山本が教室で彼と話をしているのを何度か見たことがあったからだ。とはいっても直接会話したことはなかった。

「あ、こいつ松枝っていうんだ。ぼっちだから仲良くしてやってくれよ!」

 山本はテンション高めで部活の同期に僕を宣伝する。

「松枝?名前は聞いたことあるかもしれないな…。」

 別に気を遣わなくていい、と思った。僕のことはどうせ覚えていないだろう。そもそも僕はその人の名前を知らない。

「片山です。松枝くん、よろしく。」

「よろしく。」

 そんな感じで握手する流れとなった。別にこれから関わっていくわけではないし、それほど深い関係にはならないだろうけど、形式的に握手しておいた。

「松枝くんはどこの大学に通ってるの?」

 聞かれたくない質問がいきなり飛び出した。しかし仕方がない。ほぼ初対面同士だと、こういう話題から始めないといけないことを僕も承知している。

「まだ浪人中なんだ。来年志望校合格を目指して、今はがんばっているよ。」

「あ、そうなんだ。国立?それとも偏差値の高い私立を目指してるの?」

「いや、まだ決まってないんだけど、もう少し考えてから決めようと思っているよ。」

 苦し紛れに何とか答えた。二浪もしていると、目指す大学は高く設定されがちである。相手は悪気があって言っているわけではないだろうけど、僕にとってはプレッシャーになった。そりゃあ二浪してまで受験して、どこにでもある平凡な私立に入るのもどうかと思ってしまうだろう。世間体や周りの人間の視線をどうしても意識してしまうかもしれない。かといって現実を突きつけられると、現状を重く受け止めざるを得なくなる。僕は次の会話が思いつかない。


「皆様、今日は真坂高校同窓会に来ていただきありがとうございます!」

 気まずい雰囲気の中、大きな声によるアナウンスがあった。一気に参加者の視線が司会者の方へ移った。片山という人も反対側を向いて司会者の声に集中していたため、これ以上会話が続くことはなかった。思わぬ助け舟となり、僕は安堵した。

「久しぶりの高校メンバーということで、盛り上がっていると思いますが、ここで今日来てくださっている先生方の紹介をし、何か一言いただきたいと思います!」

「オー!」

 盛り上がる声が会場を包んだかと思うと、司会者の隣には当時の懐かしい先生たちがずらりと並んでいた。高校を卒業してから一年半ほど経つが、見ないうちに先生方の雰囲気はとても変わっているように見えた。

「みなさん、お久しぶりです。」

 力のないトーンだが、優しい、人を惹き付ける懐かしい声が会場に響いた。国語の担当だった落合先生だ。会場からは先生をヨイショしたいばかりに、「先生!」という歓喜の叫びがあちこちから飛び始めた。

「こうして、成長した立派なみなさんと再会できるのはとても嬉しい限りです。教えてきた生徒たちは、自分の息子や娘のように感じますね。これからの益々のご活躍、期待しています。」

 周りからは拍手が巻き起こった。当時からの人気は未だに健在で、いかに落合先生が生徒から信頼されていたかがよくわかる。自分もこんな感じでみんなから人気を得たいと羨ましく思ってしまった。

 そこから何人かの先生による挨拶が続いた。割かし多くの先生がこの同窓会に参加していたものの、全員が参加していたわけではなかった。しかし多くの先生の登場に、会場は大盛り上がりだった。

 先生方の挨拶が終わると、今日の参加者の人数の発表がされた。一四二人。七クラス四十人の二八〇人が全体の人数だから、ほぼ半数の人が同窓会に参加していることになる。多いのか少ないのかわからないけど、卒業後に同窓会をやること自体、僕はすごいと思った。企画をしたり、広い場所を押さえたりするのは大変なことだ。二八〇人+先生方のために同窓会を企画する意識の高い有志の人たちのすごさを、僕はここで初めて実感した。

「長くなりましたが、ひとまず簡単な紹介は終わりたいと思います。皆さん、今日は存分に楽しんでください!同窓会の企画を担当している高橋泉でした。ありがとうございました!」

「ワー!」

 拍手が巻き起こった。男の声と女の声が混ざった、あまり耳によろしくないサウンドが僕の耳を攻撃した。そうか、司会者は、山本曰く「アイドル」と呼ばれていた高橋さんだったのか。だから参加者は盛り上がっていたのだ。人気者の影響力はすごいものである。悪用すれば周りの人を洗脳することだって可能だ。人気者である場合の良い面と悪い面を、なぜか頭の中で思い浮かべていた。


13


 大いに盛り上がったアイドルによるセッションは終わり、会場は元の雰囲気を取り戻していた。例のBGMもまた聞こえ始めた。生徒たちは懐かしい先生の元へと集まり、楽しい談笑を交わしていた。

 話しかけたい先生はいるのだが、他の人たちがすでに先生を寡占してしまっているため、なかなか話しかけることはできそうになかった。会話している途中で割って入るのはどうかと思ったし、僕を知らない同級生たちの視線を、どうしても気にしてしまうのだった。

 先生と会話するタイミングを探していた。今いる場所に立ち止まってしまうと、せっかく途切れた片山くんとの会話が再開されてしまう恐れがあったため、僕は牛歩のようにゆっくりと移動を始めた。行き先は決まってない。唯一頼っていた山本とは、いつの間にかはぐれてしまった。僕の同窓会会場での一人旅が始まった。

 会場内を歩いていると、色んな会話が無条件に僕の耳に入ってくる。当時の高校時代の懐かしい思い出がどんどん甦るのだろう。一つ一つの声は元気に満ち溢れ、楽しそうな雰囲気を周りに発していた。先生との授業での思い出。顧問の先生との部活の思い出。それらは青春期の若者にとって、かけがえのない出来事だ。僕はその声を聞きながらもスルーする。聞きたくないわけでは無いけど、どうしても今の自分の状況と比較してしまっていた。

 一人旅を続けていると、いきなり呼び止められた。

「松枝くんじゃないか!元気にしていたかな?」

 あの優しい、人を惹きつける落合先生だった。僕のことを覚えていたようで、嬉しそうに話しかけてきた。

「落合先生、ご無沙汰しています。お会いできて嬉しいです。」

「私も嬉しいよ。元気にやっているかな?」

「まあ、何とかやっています。」

「どこの大学に通っているんだっけ?」

 先生からも聞いて欲しくない質問をされてしまった。普通なら大学二年生の学年だから、大学に行っていると思うのも無理はない。

「受験が上手くいかず、今も浪人生活を送っています。」

「そうだったか。聞き方が悪くて申し訳なかったね。勉強ははかどっているかな?」

「はい、この前はオープンキャンパスに行ってきました。」

「そうかそうか、どこら辺の大学の見学に行ったのかな?」

「とりあえず国立を考えているので、いくつか候補を立てています。」

「そうかそうか。合格できるといいね。とりあえず大学に入って良い会社に就職してもらいたいものだね。」

「やっぱり大学に入らないとまずいですよね。」

「そりゃあそうに決まっているよ、松枝くん。高卒で就職するにしても、まともな職はほとんどないからね。大学に入ることが一番だよ。」

「そうですか。でも世の中には、大学に行きたくない人もたくさんいますよね。そういう人たちってどうなってしまうんでしょうか?」

「は?何を言っているのかな、君は?」

 落合先生の目つきと喋り方が変わった。さっきまでの優しさが急になくなってしまった。

「君は大学に行きたいんじゃないのかな?」

「まあ、そうですけど。しかし大学に入って何をやりたいとか、将来どうやって働きたいのかが全然決まっていなくて…。それでモチベーションが上がらないこともあるんです。」

「まあその気持ちは分からなくもないけどね。しかしね、松枝くん。くよくよ考えていても時間だけが過ぎて行ってしまう。今すぐにやりたいことなんて決まるわけじゃない。だから大学に行くのではないかと僕は思うけどね。四年間通って、色々経験して、それで徐々にやりたいことも決まってくるはずだ。とにかく受験勉強をがんばらないといけないよ。」

 落合先生は、自信を持って僕に大学に行くことの大切さを訴えかけてきた。国語の先生だけあって、言葉に説得力がある。こういう人は、仕事での取引といった交渉事で成功しやすいだろう。

 落合先生の力のこもった言葉を聞いたけれど、僕は大学に行くことに前向きになれていなかった。僕は三浪の三郎さんとの会話を思い出していた。大学に行かず、好きなことだけで生きていくことの大切さを僕に説いてきた。それは世間から見ればとんでもない話かもしれないけど、僕の心には響いたのであった。良い声だったというのもあるかもしれないけど、僕よりも人生経験が豊富で、力のある、人を動かす言葉に、僕の頭の中は「なるほど」と納得できた。大学に行かなくてもいいのではないかと思えた瞬間だった。

 落合先生は長年生きておられるから、社会のことはよくご存知のはずだ。でも、今までの常識が今でも当たり前だと考えているようにも感じた。自信を持って話している。それは相手に伝えたいという気持ちと、自分の意見を批判されたくないという気持ちが混ざっているようだった。もちろん長年の経験に基づく自分の考えを否定されたら誰だって嬉しくないだろう。優しい落合先生の中に、僕は「頑固」な性格を見つけてしまっていた。

「これから色々と模試を受けていこうかと思っているんですけど、どのように勉強を進めていったらいいでしょうか?」

 僕は中身のない薄っぺらの内容を質問してしまった。頑固かもしれないけど、懐の深い落合先生には助けてもらいたいという気持ちが僕にはあった。

「とりあえず、志望校を早く決めなさい。文系と理系どっちかな?」

「えっと、まだそれすら決まってないんです。」

「決まってない?それはよろしくないね。模試を受けるって言っているけど、それじゃあ困るんじゃないかな?あとセンターまで四ヶ月だろう?そこを早く決めないと話は始まらないんじゃないのかな?」

 落合先生の声は徐々に大きくなっていた。会場では、成人の人も多いため、お酒も用意されていた。落合先生はお酒が好きらしく、若干酔っ払っているようだった。それもあって、僕への対応が雑というか、優しさがなくなっているように感じた。怒鳴っているわけではないものの、声が通るため、先生の声に周りの人も次第に反応し始めた。

 何人かが僕の方を見て不思議な顔をしていた。「誰あの人?」と言わんばかりの顔だった。ここで弱気になって身をひそめたら格好悪いと思い、平静を装っていたが、顔が段々と熱くなり、心拍数が増えていくのがわかった。一人旅をして、やっと自分の居場所が見つかったと思ったのに、また気まずい雰囲気を作り出してしまった。どうして僕はこういう雰囲気をすぐ作ってしまうのだろう。やはりここにいるのは間違いなのだろうか。頭の中は自分に対するネガティブな考えでいっぱいになっていた。また僕の居場所がなくなろうとしていた。


(続く)

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