衝撃の出会い
大学合格を目指し、オープンキャンパスに行った二郎。大した収穫もなく帰ろうとしていたが、そこで衝撃的な出会いをすることになる。
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この後も国際教養学部に関する詳しい話を聞けるようだったが、説得力のない講師の話で興味がなくなってしまった。周りの人が立ち上がって出口が混む前に、僕は速やかに席を立ち、出口を急いだ。大学の入口での立ち往生を、もう味わいたくなかったのだ。
建物を出て、どこに行こうかと迷った。文理どちらにするかまだ固まっていなかったから、理系の学部の説明会にも行きたかった。近くの看板に「理工学部の説明会はこちら」と書いてある看板を見つけたので、その看板に書いてある通りに足を進めた。
目的の場所に着いて受付を済ませると、教室に向かう人の列に足止めされた。ここにも人がたくさんいた。総合大学だからなのか、この大学にはたくさんの人が来ている。あの狭い門が掃除機状態になるのも無理はないと納得した。
今回の説明会で使われる教室もまた、大教室だった。国際教養学部の時よりも人の数は多く、席に全員が座り切れそうにない。そのうち通路沿いを人の列がどんどん流れてきて、教室は人で埋め尽くされた。まさに「すし詰め状態」となっていた。
時間になると、教室の電気が急に真っ暗になった。しばらくその状態が続いたため、周りはざわつき始めたが、前方のスライドの明かりが教室を明るくし、ひょっこりと隣に担当講師と思われる人が現れた。念入りな演出なのだろうか。
「みなさん、今日は我が大学にお越しいただきありがとうございます!理工学部へようこそ!」
若い男が元気な声で叫んでいる。一見すると大した人ではなさそうに見える。
「今の時代は理系が就職に有利です。我が理工学部で精一杯学び、精一杯楽しんでください!」
言葉から何も説得力が伝わってこなかった。昨年もオープンキャンパスに行ったのだが、その時に聞いた、大したことのない講師の話とほぼ同じだった。その後は理工学部の中のコース説明があり、スライドに書いてある文章をただ読むだけという、つまらない説明が続いた。三十分ほどの比較的短い説明だったが、僕には一時間以上に感じた。
この退屈な説明会のあと、各コースの説明会が小教室で個別に行われるということで、人の波が教室ごとに分かれていった。僕は数学が比較的好きだったので、数学コースの教室へと向かった。こぢんまりとした落ち着いた教室で、前には黒板があった。白が混ざっていない純粋な緑色をしていて、今日のために黒板をきれいにしたことがよくわかる。窓際には、会社とかによくある白と黒のブラインドがついていて、他の教室や廊下から中が見られないように下まで下げられていた。
数学コースの説明会には、さっきとは対照的にベテランの老教授がゆっくりとした足取りで高校生たちを教壇から見下ろしていた。
「これから始めます…。数学コースでは、高校で学ぶ数学の延長として次のようなものを学習します…。」
用意されたスライドに目を向けると、何やらよくわからない数学用語がたくさん並んでいた。線形代数、位相空間論、微分幾何学、離散数学…。これは果たして高校生に向けたスライドなのだろうかと思ってしまった。
配られたパンフレットの内容の説明に入ったが、老教授の声がモゴモゴしていて聞き取りづらかった。辛うじて聞き取れても、語尾まではわからなかった。例えば「 ~したいと思います」という言葉は、「 ~したいと思い…」という感じでしか聞き取れず、文章のつながりもわかりにくかった。数学コースの先生ってこういう人しかいないのだろうか。もっとまともな先生はいないのだろうか?数学コースに入ると、自分も同じような話し方になってしまうのではないかと不安になった。
先生の説明もあれだったが、ブラインドの方にも気が散ってしまった。わずかに風が吹いているためにブラインドがわずかに揺れ、外からの光がチラッチラッっと入ってくる。それが何とも眩しく、僕の目に刺激を与えてきた。太陽の光が入ってくると眩しくて、授業に集中出来ないのと一緒だ。
結局、国際教養学部と理工学部で三人の話を聞いたものの、集中して聞けたものが一つもなく、実りのないオープンキャンパスとなってしまった。浪人生の、しかも二浪の僕が言うのはおこがましいかもしれないが、三人とも喋るのが下手くそだった。周りに聞いてもらえるような話し方をしていない。話す力って、年とともにどんどん上達していくものだと思っていたが、今日の講演でその考えが間違っていることを知った。下手すぎて、自分の方が上手く話せるのではないかと思ったぐらいだ。三人には、話し方の練習をしてほしい。オープンキャンパスに行ったのに、講師への不満ばかりが頭の中で浮かんできていた。
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話をたくさん聞いていたら腹が減ってしまったため、大学にある食堂に行くことにした。時計を見たら午後一時半を回っていた。三人の話を聞いてかなりの労力を使ったため、僕の空腹さは限界に達していた。早く何か食べないと倒れそうだった。
食堂に入ると、そこは人で一杯だった。説明会を聞き終えて僕と同じように食堂に来た人たちが、この時間でも大量にいた。こればっかりは仕方がないと思い、我慢して列が進むのを待った。その間に、食べたいメニューを考えることにした。
財布の中を覗くと、偶然にも小銭は500円玉一枚しか入っていなかった。もちろんお札は持っていたが、何とかお札なしで食事を済ませたい。どうせなら、ちょうど500円でお会計を済ませたいと思った。
ということで、僕の得意な計算タイムが始まった。まず、500を消費税の1,08で割る。すると462,96くらいになるから、463円でちょうど税込500円になる。暗算が得意だから、この手の計算はお手のものだ。メニューの値段は下一桁が0でないものばかりなので、うまくいけば463円にできそうだ。サラダやお浸しなどのサイドメニューがだいたい50~80円くらいで売っているだろうから、メインディッシュで400円近くにした後、サイドメニューでうまく値段を調節できる。
僕は二浪の二郎。オープンキャンパスには他人よりも多く行っているため、大学の食堂にも何度か行っていた。そのため、メニューが基本的に安いことや、お好みでサイドメニューが売っていることもよく知っていた。こんなことは他人に自慢できることではないけれど、「他人よりも知っている」ということが僕の数少ない取り柄の一つになるので、何とも嬉しい気分になれるのだった。
しかし、ここから二つの悲しい出来事が起こる。まずは一つ目。
列に並んで、何を頼めばちょうど463円になるかを頭で考えていて、周りの賑やかな声は次第に小さくなっていった。好きなことになると集中してしまい、周りが見えなくなることがよくあった。カレーは300円前後で安いが、463円にするには難しい。丼か麺類にしようと思ったが、なかなか決められない。そうなるとサイドメニューを選んでから逆算した方がいいと思い、何通りもの引き算をし始めた。そのとき、微かに聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「真坂高校よりも全然建物綺麗だったよね。」
「そうだね、久々に真坂高校に行きたいね。」
真坂高校。僕がかつて通っていた高校の名前だ。しかも二人組の女性の声だ。
自分の母校の名前で我に返り、あたりを見渡した。後ろを振り向くと、女子二人組が楽しそうに会話をしながら食堂を出ようとしていた。今日正門の近くで見かけたあの二人だった。誰なのか確かめたかったが、その時にはもう、二人は僕からかなり遠ざかっていた。またしても、確かめるチャンスを逃してしまったのだった。
そして二つ目。
僕は遂に463円の組み合わせを見つけた。冷やし担々麺398円とほうれん草のお浸し65円だ。辛い食べ物はあまり得意ではなかったが、463円という値段にするためには担々麺を選ぶことを惜しまなかった。自信を胸に会計に進む。
「お会計、463円です。」
この言葉に僕は一瞬頭が固まってしまった。
「あれ?税込みにならないんですか?」
「もうすでに税込の値段になっていますよ。」
税込になることを見越して463円に設定したが、すでに税込の値段が表示されていることに気がつかなかった。500円のものを選べばよかったのだった。500円の物なら、生姜焼き定食がちょうど500円で、僕の大好きなメニューだった。我慢して苦手な担々麺にしたのに、その我慢が無駄になってしまった。仕方なく500円を払い、お釣りの37円を受け取った。37は素数だけど、そんなことはどうでも良かった。水を何度もおかわりして、僕は必死に冷やし担々麺と格闘することになったのであった。
以上の二つが僕にとっての悲しい出来事だった。大したことがないかもしれないけど、立て続けに起こったため、何とも言えない気持ちになった。
口の中から悲鳴が上がるのを何とか我慢しながら、僕は食堂を出た。外はいつの間にか曇っていて、ポツポツと小雨が降り始めていた。午前中の講演で頭が疲れたし、食堂でも散々だったから、僕はもう真っすぐ帰ることに決めた。
正門に向かっていた。雨が降っているせいで、人通りがそんなに多くなかった。看板も雨が濡れない屋内に避難されていて、午前中のウェルカムなムードはなくなっていた。
正門をくぐろうとしたとき、隣から大きな声が聞こえた。体型の大きいヤンキーみたいな男が、正門近くにある守衛所の警備員と何やら揉めている。体型が大きいので、高校生には全く見えない。
「どういうことだよ!貸してくれたっていいじゃないか!」
「ですから、今ここにはありませんので、お貸しすることはできません。」
「本当にねーのか?東京首都大学に行ったときはすぐに貸してくれたんやぞ。ここの大学はそんなに冷たいのか?あ?」
ヤンキーのような喋り方。力強い大きな声で警備員を怒鳴り散らしている。何のことで揉めているのだろう。
「そういうことではございません。御手数ですが、ここから駅まで近いことですし、気をつけてお帰りください。」
「は?濡れて帰れだと?よくもお客さんに向かってそんな口を聞けるな!」
どうやら傘を貸してほしいようだ。しかし傘が無くて貸せないため、そのことに腹を立てているらしい。
通りすがりの人たちは、二人が揉めている様子に目を向けたが、すぐに見なかったふりをして、足早に正門を通り過ぎて行った。誰だって、争いごとには巻き込まれたくない。だから見て見ぬふりをして逃げる日本人は多い。「逃げる」という言い方は良くないかもしれないけど、勇気を持って止めようとする人は少数に限られてしまう。
僕は頭が疲れていて、早く帰りたかった。しかし、なぜかどうしても、この大きな男を放って置けなかった。それに、大きな声で言い争いをしているから、周りの人も嫌な気持ちになる。だから、普段は振り絞らないが、今日は勇気を振り絞った。
「あの、僕の傘で良ければ一緒に駅まで行きませんか?」
そう言うと、大きな男の目線がギロっと僕に移った。間近で見ると、その大きな男がものすごく大きく見えた。上から見下ろされているので、僕は自分が睨まれているのではないかと思ってしまった。
一瞬の沈黙があり、ドキドキした。次の瞬間、僕の体に大きな揺れが起こった。体の中の骨の奥まで深く刻まれた。肩を震源とした直下型の地震が起こったのだった。
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「おまえさん!いいやつやなぁ!」
予想外の関西弁が飛び出す。そしてまた肩を叩かれた。しかも同じ場所だった。直近で同じ場所を震源とする大きな地震が起こってしまった。津波の心配はない。体と相談する限り、被害の情報は確認されていない。
空前絶後の出来事だった。疲れていたため、はっきりとあの時の状況を覚えていないけど、その後僕は大きな男と一緒に歩き出し、駅前のカフェに連行された。僕にお礼をしたいらしい。
「全部奢ったる。何でも好きなもん食えや!」
「そんな、いいですよ。昼食食べたばっかですし。」
「そう言わずに、はよ、頼めや!」
大きな男に大きな声で叫ばれるので、ビクビクしてしまった。また、このやりとりを店の中でやられるので、周りの人たちの視線が気になって仕方がなかった。これ以上反抗しても無駄だと確信し、お言葉に甘えてアイスココアを頼んだ。
「俺、コーヒーM、あとハンバーガー四つとサラダね!」
「そんなに食べれませんよ…。」
「大丈夫や!食えなけりゃ、俺が全部食うわ! 」
僕はこの「大きな男」と「大きな男の大きな声」に終始圧倒されるしかなかった。
「さっきは恥ずかしい思いさせてすまんかったなぁ。」
大きな男は急に穏やかな声になって僕に頭を下げた。まるで人が変わったようだった。
「だが、おまえさんには勇気がある。」
「いや、そんなことないですよ。それに…。」
「それに…って何や?」
大きな男はまた優しそうに声をかけてくる。
「良い声でした。」
大きな男は目を丸くした。
「は?どういうこっちゃ?」
自分でも予想外の返答をしていることにびっくりしていたが、頑張って話を続けた。
「オープンキャンパスで学部説明の講演を聞きに行ったんですけど、みんな聞きづらくて、正直聞く気にもなれませんでした。話すのが下手くそだったんです。大学の教員ってそんな人しかいないのかなーと思ったそのとき、あなたの力強い大きな声が聞こえたんです。今日聞いた中で一番良い声でした。警備員と絡んでいて良いシチュエーションではありませんでしたが、説得力のある、まっすぐな声でした。その声になぜか惹き込まれてしまって、素通りすることができませんでした。」
僕は何を言っているのだろう。そんなことを本当に思っていたのだろうか。でも、なぜか口から言葉の洪水が溢れ出た。おそらく本音なのだろう。
「おまえさん、面白いやつやな。褒められた感じはあまりしないが、嬉しいな。」
「いきなり優しくなるとびっくりします。」
「は?」
「さっきまで大きな声でびっくりしていたのに、今になって話し始めると急に穏やかな声に変わってしまったので、ギャップがすごいですよ。」
「そりゃあ、怒っている時と普通の時とで声の大きさや調子は違うやろ。さっきはあんなに大きかったが、今は冷静だから声は落ち着いてんねん。」
「あーそうなんですか…。」
僕はどっと疲れが出た。大した話をしていないにも関わらず、頭の思考がうまく働いていない気がした。
「おまえさんみたいな面白い人は初めてや。仲良くしようや、これから。」
「これから?」
「そうや。おまえさんも受験控えてるんやろ?」
「そうですが…あなたも受験生なのですか?」
「失礼なこと言うな!俺も受験生や。オープンキャンパスにいるんやから、当たり前やろ!」
「そうだったんですか…。そんなふうに見えませんでした…。僕、受験生と言っても浪人生で…今二浪なんです。あ、名前を言い忘れていました。松枝二郎です。」
「二浪の二郎か!奇遇だな!俺は今三浪だ。高田三郎。よろしくな。三浪の三郎って覚えてくれや!」
偶然にも僕の名前と同じようなパターンなので、笑うしかなかった。
「三郎さんはどこらへんの大学を狙っているんですか?やはり上のランクを目指しています?」
「そうやな。それが理想っちゃ理想やけど、そんなにこだわりはないわな。」
「どうしてですか?せっかく三浪までして頑張っているのに、上を目指さないのは勿体無いですよ。」
「おまえさん、俺のこと何もわかっちゃおらんな。」
「え…?」
びっくりして、体が一瞬フリーズする。落ち着くためにアイスココアを啜った。三郎さんが僕のことを「おまえさん」と言うことに今更気がついた。
「俺は正直言って、大学には入らんでもいいんじゃねーかと思い始めてんねん。今、俺は色んなバイトを掛け持ちしとる。コンビニとか工事関係とか。体格にも恵まれて力仕事もできるから、月に結構稼いどるんだ。一人暮らしも今はできているし、生活にそんな不便はないんやで。」
「だからって、大学に行かないのはさすがにまずいんじゃないですか?安定した職に着けませんよ?」
僕も大学に行くことに疑問を持ってはいたが、「大学に行かなくてもいい」という意見を直接聞いたのは、三郎さんが初めてだった。
「あのなー、労働のあり方が色々あるって知っとるか?起業したっていいし、フリーランスで稼いでもええ。大学に行ったらまともな職に着けるという考えは古いんちゃう?と思うねん。最近だって、大手の企業が倒産寸前になったりしとるやないか。『大手=安定』じゃないねん。それに、学費は最近ずーっと上がっとる。国公立だって、のちのちは八十万くらいまで上がるとか言われてんやぞ?知らんのか?」
ヤンキーのイメージがあったが、真面目な話がどんどん飛び出してきてビックリした。僕は辛うじて、さもわかっているかのように頷いた。
「奨学金制度で大学行って、奨学金返すためにバイト掛け持ちして、結局勉強が疎かになったら、何のために大学行ってるのか分からなくなるやろ?安定した職に着くために大金払って大学行っても、卒業するときに自分に何も身についていなかったら、四年間が無駄になる。友達から聞く限り、授業もいい加減なものが多くて、聞いてない人が多いんだと。それを聞くと、本当に大学行ったほうがいいのかわからなくなるねん。先に社会に出て働いて、金をある程度たくさん稼いで、その後に大学に行くのもありなんやないかとも思ってんねん。」
僕が考えていたことを代弁してくれているようだった。浪人仲間の山本も、大学に入ってから遊び人に変わってしまっていた。大学ってそんなにいい場所なのか。三郎さんの話は的を射ていた。
「じゃあ、三郎さんは高卒でどこか企業を狙ってるんですか?」
「いや、今はまだ準備してない。」
「え?」
「これ、あんまり他人には言うてないんやけどな、おまえさんには言うわ。今、俺は小説を書いとる。」
「小説?」
「俺は昔から文章書くのが好きで、今まで自分が経験してきたことを元に小説を書いてみたいと思ってんねん。今年の十月締切の文学賞に自分の作った小説を送ろうと思ってんねん。」
「もしそれで賞をとったらどうなるんですか?」
「賞金二百万円プラス書籍化よ!」
「二百万円?」
いきなりの大金に大きな声が出てしまった。同時に、二百万円があったら何が出来るんだろうと頭の中で勝手に考えていた。
「でも、小説書くのって難しくないですか?」
「まあ、そう簡単ではないわな。だがな、楽しくなると結構はまるんだ。この前も朝十時に家の近くのカフェでパソコン開いて小説の原稿夢中で書いとったら、いつの間にか夜十時になってたわ。」
「十二時間?休まずに?」
「あほ!もちろんご飯は途中で食べて、多少は休憩しとるわ!でもな、それ以外はあっという間に時間が過ぎていって、窓からの景色もいつの間にか真っ暗やったわ。もう夜になったのか、と驚いたなーあのときは。だがな、すごい達成感があったんや。好きな小説執筆で一日をフルに使えるっていうのがたまらん。それにちゃんと小説の内容は進んどるしな。」
「何字ぐらいになったんですか?」
「なんじって…。今、昼の三時半やぞ。」
「時間じゃないですよ。字数ですよ。何文字ぐらい書いたんですか?」
「『なんじ』ってそっちか!紛らわしいわ!あの時はニ万字くらい一気に書いたな。」
「ニ万字ですか?一冊仕上がっちゃいません、それ?」
「そりゃあ、短編だったらそんなもんかもしれんけど、俺が今書いている小説は十万~二十万字くらいにせなあかんねん。まだまだ先が長いわ。」
小説を書いたことがなかったため、字数を言われても全くピンと来なかった。
「とりあえず、俺は自分で考えて小説書くのがめっちゃ好きやねん。二郎ちゃんは何か趣味はないんか?」
三郎さんが僕のことを「おまえさん」ではなく「二郎ちゃん」と呼んできた。そんな呼ばれ方は生まれて初めてだったため、ものすごく違和感があった。
「そうですね、特にないですね。強いていえば暗算でしょうか。」
「暗算?そろばんやってたんか?」
「はい、今も細々とですが練習しています。」
「37×53は?」
「1961です。」
「やるなー。なかなかの腕前やな。」
「答え確かめたんですか?」
「いや、俺にはそんな能力ねーよ。だがな、そんなに一瞬で答えられるやつはだいたい当たっとる。俺の友人にも暗算が得意なやつがおってな。問題出したらすぐ答えて、慌てて電卓で確かめたらご名答よ!俺も昔少しそろばんをやっとったんだが、上達しなくてやめてしもうたわ。」
「そうでしたか。」
「だから羨ましいねん、暗算できるやつ。おまえさんは本当に面白いやつやな!」
話をしていて安心感が出てきた。三郎さんは僕の話を真剣に聞いてくれた。何度も面白いと言ってくれた。最初はヤンキーかと思っていたけど、何でも受け止めてくれる大きな懐の持ち主だった。それにしても、体にしろ、声にしろ、懐にしろ、全てが大きい。この大きさこそが「高田三郎」を特徴づけている。この人の言葉なら信用できると思った。
この後も、お互いの母校の話などで盛り上がった。楽しいひと時だったが、あっという間に夜六時になってしまった。
「長くなってしもうて、すまんかったなぁ。」
「いえ、こちらこそすみませんでした。でも、いろんな話ができて楽しかったです。」
「そう言ってもらえれば俺も嬉しいわ!。あ、そうや。LINE教えてや。」
すっかり忘れるところだった。このまま別れたら、もう一生会えなくなるところだった。
LINEを交換して、僕達は別れた。三郎さんは僕とは逆方向の電車だった。別れる際、三郎さんには「人生楽しく生きなきゃあかん。進路はよく考えてな!」と言われて肩を叩かれた。最初に叩かれた時よりは優しかった。大地震の後の余震といったところだろうか。
家に帰ると、どっと疲れが出た。今日は色んなことが盛りだくさんだった。最近の中で、一番長い一日だった気がする。夜ご飯をさっさと食べ終えてシャワーを浴び、着替えてベッドに飛び込んだ。スマホを弄りながら、今日のことを振り返った。三郎さんとの出会いがインパクトありすぎて、他の出来事が頭から抜けてしまいそうだった。今日はオープンキャンパスに行ったのであった。三人の話を聞いたけど、どの話もぱっとしなかった。三郎さんみたいな人が代わりに話をしてくれていたら、大分違っていただろうと思った。三郎さんと出会い、話ができたことで、満足な気分で眠れそうだ。
スマホの電源をオフにしようとしたとき、ふと忘れてはいけないことを思い出した。LINEのトーク履歴を探す。そして目的のものを見つけた。僕は迷わず参加ボタンを押した。そしてその瞬間、ぐったりと倒れ込んだ。爆睡する寸前に思い出したのはとても賢明だった。押したのは、「真坂高校同窓会」LINEの参加ボタンである。
(続く)




