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まさかの正夢  作者: 柿田修ニ
15/16

僕たちの未来

【14/15】


39


 呆然としていたからかもしれない。僕はいつの間にか地上から舞い上がっていた。一回だけではない。二回、三回と僕は宙に舞った。高橋さんは嬉しそうに僕が胴上げされている姿を見つめていた。


「2914」という数字は、しっかりと看板に印刷されていた。僕は何度も受験票と看板の数字を見比べた。視線を受験票と看板の間で三往復ぐらいさせ、ようやく僕は確信を持つことができた。僕と大学は、ついに結ばれたのだ。

 高橋さんが嬉しそうに駆け寄ってきた。

「私、合格だったよ!二郎くんは?」

「俺も…合格だよ…。」

 現実をまだ受け入れられず、自分が合格であることを、何とか口にすることができた。

 これまでたくさん勉強してきたから、合格できることに、正直意外性はなかった。しかし、いざ「合格」の通知をもらったとき、驚きを隠すことができなかった。これまで不合格が続いていたため、「今年もどうせまたダメかもしれない」という気持ちが頭のどこかに残っていた。だからこそ、より一層嬉しい気持ちがこみ上げてきた。

「やったね!二郎くん!これで大学に行けるね!」

 僕らは互いに合格を祝福し合った。


「パラパパッパパー!」

 賑やかな演奏の音が聞こえてきた。大学の管弦楽団の人たちが、楽器を持ち寄って外に集まっていた。合格した受験生を祝福するために演奏しているようだ。

 よく聞くありきたりの演奏だけど、今はなぜか特別な演奏に聞こえる。自分の為に演奏してくれていると思ったからかもしれない。高橋さんも楽しそうに聞いていた。

「合格されましたか?私達が胴上げしますよ!」

 体型の大きい大学生たちに声をかけられた。ユニフォームを着ており、見てすぐにラグビー部の人たちであることがわかった。

 この大学では希望をすると、ラクビー部の人たちに合格の祝福として胴上げをしてもらえるらしい。胴上げなんてなかなか経験することがないから、「じゃあ、せっかくなら…」と緊張気味にお願いすることにした。

「下の名前は?」

「二郎です。」

「二郎くんおめでとう!」

 この言葉と共に、僕の体は大きな男たちによって持ち上げられた。仰向けの体勢になったため、若干怖かった。

「合格おめでとうー!せーの!」

 この言葉と同時に、僕は体の重みがなくなるのを感じた。

「二郎!二郎!二郎!」

 二郎コールと一緒に祝福を受けた。意外と高く飛んだ。落ちるときの恐怖が半端なかったが、そう思っているのも束の間で、また上に上がった。僕は喜びを噛み締めながら全身で嬉しさを表現した。

 胴上げが終わると、まるで恐怖のアトラクションを乗り終えた直後のような大きな疲労感があった。真上に飛んでいただけに、体が普段の重力に適応していないようだった。僕はフラフラしながらも、何とか歩き出した。

「すごい飛んだね!怖くなかった?」

 高橋さんは僕に声をかけた。

「予想以上に怖かったね。でも楽しかった。」

「良かったわね。さあ、駅に行きましょう!」

 僕たちは大学の正門を後にした。後ろを振り返った。門の端に大学名が書かれた石碑が置かれていた。僕はこれからこの大学に通うことになる。念願の大学デビューとなった。名前を「三郎」と改名する必要はなくなったのだ。

 大学の最寄り駅前にあるカフェに入った。僕にとってはお馴染みの場所で、ここでの思い出はたくさんあった。

 ハンバーガーのセットを頼み、二人席に座った。高橋さんはとても良い表情をしていた。大学受験という大きなプレッシャーから解放され、これからの人生に希望を抱いているようだった。

 僕は結果的に「数学科」に入ることになった。数学はそこそこ好きだったが、大学でどんな勉強をするのか把握していなかったし、授業についていけるのかどうかわからない。合格発表時点では、誰もがそういう状況だろう。今はただ、受験から解放されたこの気分を味わいたかった。「二浪の二郎」という肩書きがついに役目を終えた。これからは、普通の「大学生、松枝二郎」として生きていくことになる。

「普通の大学生」という言葉に、僕は少し違和感があった。僕は、今までずっと抱いてきた疑問を思い出した。「僕は大学で何をしたいのだろう?」と。

 大学で数学を勉強することは決まった。将来自分はどうしていきたいのか?研究者か、それとも就職か。それは全く決まっていない。これから決めないといけないのだ。

 せっかく喜びに浸ろうとしていたのに、次々と頭の中で不安要素が浮かび上がってきた。僕は心配性なところがあった。ある不安が解消されると、すぐさま他の不安に苦しめられるのだ。性格上、それは仕方のないことだった。

「二郎くん?何をそんなに考え事してるの?何か悩んでることでもあるの?」

 僕があまりにも考え込んでいる様子だったのか、高橋さんは心配そうに聞いてきた。

「あ、ごめん。何でもないよ。合格が嬉しくてぼっーとしてただけ。」

「そうよね。やっぱ受験からの解放感はすごいよね。私も今、夢を見てるみたいに心が清々しいもの。」

「本当に良かったよ。」

「そうよねー。どう?二浪生活から解放された気分は?」

 高橋さんから、二浪生活について質問されるとは思わなかった。

「やっと暗いトンネルをくぐり抜けて明るい場所に出てこられたような感じかな。光が眩しすぎて、まだ目をしっかり開けて周りを見られていないみたい。」

「表現の仕方が上手ね。さすが小説家だわ。」

「そんな小説家って…。そんな大したものは書いてないって。」

「でも書き上げること自体がすごいわよ。選考通ると良いわね。」


 僕が「合格」という事実に驚いていた理由が、実はもう一つあった。それは、受験期間にも関わらず小説を書いていたからだ。

 模試の後に行ったカラオケオールの帰り、僕は不思議な光景を頭の中で思い浮かべていた。あのとき、今までの人生を振り返るタイムマシンに乗っていた。当時の記憶が頭からなかなか離れず、どんな感じだったのかを紙に書き出してみることにしたのだ。

「おまえさんも小説は書ける!」という言葉が、僕に小説を書く力を授けてくれた。新年を迎え、決意を新たに勉強を始めようとしたとき、頭の中に、一筋の電気ショックのようなものが流れた。頭の中に、たくさんの映像が映し出された。

「これらの映像を使って小説を書いたら面白いかもしれない。」

 直感でそう思った僕は、スマホを開き、メモ帳アプリを起動させた。早く頭の中の映像をメモしないと、せっかくのアイデアが消えてしまう。それが嫌で、ひたすらメモ帳とにらめっこすることになった。

 書いていくうちに、次々とまた新しい映像が浮かんできた。メモをしないと、頭の中が破裂してしまいそうな気がした。僕はただひたすら書いた。時間などは全く気にならなかった。親指の感覚がおかしくなりながらも、文字を入力させるために大忙しで指を働かせた。頭の中のアイデアが整理できた頃には、周りの景色は大きく変化していた。明るかった空は、いつの間にか真っ暗になっていた。書いた文字をスクロールすると、なかなか一番上に遡れなかった。文字数を見ると、一万文字を超えていた。

「これだ…!そういうことだったのか…!」

 僕は、かつて聞いた言葉を思い出していた。一日に一万文字も文章を書くなんて、余程の人でない限りできないと思っていた。しかし、僕にも出来た。出来てしまった。その事実に驚き、同時に気分が良かった。「僕にも小説家としての才能があるのかもしれない!」


40


 センター試験一週間前はさすがに勉強に時間を費やしたものの、終わった後も時間を見つけては、メモ帳と格闘していた。僕が小説を書いていることを知ると、高橋さんは驚いた。

「どうしたの急に?熱でも出たの?(笑)勉強は大丈夫?」

「もちろん勉強はしっかりやってるよ。アイデアが頭からふいに浮かんできて、短時間でたくさん書けるんだ。」

 僕は高橋さんにそう言った。いつもと違ってテンションが高かったからだろうか、高橋さんは僕を見て笑っていた。

 小説を書きながら、僕は自分の人生を振り返っていた。思えば楽しいことなんてそんなに多くなかった。友達も少なく、対人関係にはとても苦労した。中学高校と、孤立した生活を送っていた。唯一楽しかったのは、家にこもって自作した暗算問題を解くことくらいだった。

 周りとは馴染めなかったものの、今はそれに対する優越感を感じることができていた。多くの人とは確実に違う人生を送ってきたからだった。もちろん周りに自慢できるようなことはないけれど、浪人して勉強し、受験に失敗。二浪しながら新しい出会いがあり、また受験に向き合うことができた。僕の人生は、山と谷がたくさんある凸凹した道だけど、その道の中には、自分なりに頑張ってきた努力の結晶があった。

 僕はただひたすら書いた。自分の人生を元に、苦しくても諦めない主人公の姿を描いた。辛いことがあると、何もかも放り出して諦めたくなることがある。しかし、前を向いて歩き続けていれば、きっと良いことがあるはずだ。それを知った僕は、僕と同じように苦しんでいる浪人生たちに伝えたいと思った。

「諦めなければ、きっと明るい光を見ることができる。」

 そんな事を伝えたかった。書いているうちに、全国の同じ浪人生たちへの思いがこみ上げてきた。


 僕は、新人向けの文学賞のサイトを探した。ジャンルによって様々な文学賞があるのだが、長編で面白い内容を募集しているものが良かった。いくつか候補を絞って、締切と賞金の欄を見た。今年の十月末や十一月末といった、年の後半締切のものが多かった。しかし、もっと締切の早いものが良かった。小説を書くことに関して素人である僕だったが、自分の書いている小説を書き終えるのに、そんなに時間はかからないと思っていたからだ。

「高く羽ばたく新人文学賞」という文学賞のサイトを見つけた。見ると締切が今月の一月末になっていた。文字数は、四〇〇字詰めの原稿用紙で最低二〇〇枚。つまり、少なくとも八万字程度は書かなくてはならなかった。

「一ヶ月で原稿用紙二〇〇枚」という難易度の高い作業が求められたが、当時の僕には根拠のない自信があった。「自分ならできる」という強い気持ちがあったのだ。

 それからというもの、僕の生活習慣は劇的に改善された。午後二時に予備校に行くことが日課だったため、午前中に小説を書くことにした。勉強は当然疎かにしてはいけなかった。あと、睡眠を削ってはいけない。夜は早く寝て、朝早く起きるようにした。かつて聞いていた音楽番組のラジオも、すっかり聞かなくなった。起きて朝食を食べると、僕は机に座ってスマホを開いた。そこから二、三時間くらい、集中して作業を進めた。

 原稿用紙での提出も考えたが、文字をすべて書くと手が疲れると思い、スマホでメモをとり、それをワードにコピペして提出することにした。

 僕が部屋に籠もりっぱなしだったため、母親は不審に思っていたようだった。

「最近無理しているようだけど、大丈夫?」

 母親は気にかけるように声をかけてきたが、僕は生半可な返事で「大丈夫」と対応した。

 僕はただひたすら、書き続けなければならなかった。締切が迫っていたのだ。何としても書き終えないといけない。一月中に小説執筆を終わらせて、二月は受験に専念したかった。目の疲れに耐えながらも、スマホと格闘する日々は続いていた。

 かつてないほどの集中力を駆使した結果、僕は目標通り小説を書き終え、応募することができた。急いで書いたこともあって、誤字脱字があるかもしれなかったが、何度か読み直して適切に書き換えた。終わったのは一月三十日。締切の一日前だった。


 二月になると受験戦争に突入し、より一層忙しくなった。私立大学を受験して、終わったら次の私立大学の試験に向けて勉強して、また受験して…の繰り返しだった。そして、最後に大きな壁として立ちはだかる国立大学の受験に臨んだ。受験に関しては経験豊富のため、特に緊張することなく挑むことができた。そんな感じで二月はあっという間に終わってしまった。受験と勉強以外は何もしていなかった気がする。

 高橋さんとの連絡は少なくなっていた。お互い違う大学を受けていたし、お互い相手の勉強の邪魔をしないように行動していた。

 特に二月はほとんど会うことがなく、久しぶりに顔を合わせて話したのは、前記試験の不合格通知を受けた三月始めだった。後期試験を受けることは知っていたが、まさか同じ大学を受けることになるとは思っていなかった。予備校に集まり、「後期で絶対合格しよう」と約束した。

 それから後期試験があって、その約一週間後である三月二十日を迎えた。今年なってからここまで、あっという間に月日が過ぎてしまった。ついこの前に新年を迎えたと思っていたのに、もうすぐ一年の四分の一が終わろうとしていた。一月に降った雪もいつの間にか姿を消し、彩りあふれる様々な花たちが周りに姿を見せ始めていた。


 春の華々しい景色が見られるこの時期、僕らはついに夢を叶えた。掲示板に受験番号が載っていた。僕らの苦労はついに報われた。そして祝福の演奏や二郎コールと共に、僕は胴上げされた。

 ここまで良いこと尽くしだった。僕は半ば浮かれながらも、今後の人生に希望を抱いていた。やりたいことは大学に入ってから決めれば良い。僕は絶対に良い大人になって見せる。そんな決意の気持ちが体の中から溢れ出ていた。

 昼ご飯を食べ終え、僕らは町田に向かうことにした。予備校の先生に合格を報告するためだった。

 電車に乗りながら、僕は幸せな気分に浸ることができた。そして、一緒に受験を乗り越えてきた高橋さんに感謝していた。高橋さんがいなかったら、僕は頑張れていなかったかもしれない。一緒に受験戦争を乗り越える仲間がいたからこそ、今の僕がいるのだろう。高橋さんだけではない。同じく予備校に通っていた坂本さん、丸尾くんもいた。僕は多くの人に支えられてここまで来れた。そんなことを考えていると、自然と涙がこぼれそうになった。

 町田駅に着いた。お世話になった先生たちは、僕らを笑顔で迎えてくれた。

「松枝!良かったなあぁぁぁ!」

 元気あふれる数学講師の元気先生が、感激したように僕を抱きしめてきた。力が強すぎて、締め付けられる体が若干痛かった。それでも、祝ってくれた先生には感謝しかなかった。約二年間お世話になった予備校とも、今日でお別れだった。浪人人生を支えてくれた、僕の第二の故郷である町田。ここに来ることもしばらくないだろう。

 寂しい気持ちになりながらも、最後に先生方と握手をし、大学で頑張ることを約束して予備校を後にした。

 全てが上手く行っていた。今まで感じてこなかった、一生分の喜びに浸りつつ、僕は高橋さんと一緒に駅に向かった。歩きながら、僕はずっと前に見た夢を思い出していた。


41


「さて、先頭一号車を走る松枝二郎ですが、十キロの通過が二十八分三十秒。かなりハイペースでレースを進めています。しかし次第に額には汗がこみ上げて参りました。また、眉間には皺がより始めています。かなり辛い様子が伝わってきます。相模原監督は、『区間記録を狙えるぞ!ここからが勝負だ。手を振って前へ前へ。男を見せるんだ松枝!』と声に力が入っています!残りの距離は半分を切りました。果たして、松枝の区間記録の更新はなるんでしょうか。レースは終盤を迎えています。」

 

 僕は眉間に皺を寄せて走っていた。かなり走るのが辛くなってきた。それでも足を止めたくなかった。歩き始めた瞬間、再び走り出せなくなるのではないかと思った。何としても歩くことなく走り続けたい。僕は腕を大きく振りながら前に進み続けた。


 町田の予備校を後にして町田駅に着くと、僕はICカードの残高が41円しかないことを思い出した。チャージをしないと改札口から出られなくなってしまう。

「チャージしてくるから、ちょっと待ってて。」

 僕は高橋さんにそう言って切符売り場に向かった。千円札を取り出し、機械に入れた。千円をチャージすると、残高は1041円になる。全ての数字を足すと6になり、3の倍数になる。このとき、1041は3で割り切れるのだ。3で割ると347になるが、この数は素数のため、これ以上分解することができない。気分が良かったせいなのか、僕の頭はかなりさえており、千円札を入れた瞬間に、1041に関する思考が頭の中で瞬時に実行されていた。

「お待たせ!」

 僕は高橋さんのところに戻った。

「とりあえずお疲れ。今日はゆっくり休もう。」

 そう言って改札に入ろうとしたときだった。

「二郎くん、あのね。」

 急に呼び止められ、僕の体はぎこちない動きになってしまった。

「どうかした?」

「えっとね、ちゃんと二郎くんには言っておきたいと思ってたんだけど…。」

 いったい何のことなのかわからなかった。僕は何か変なことをしてしまったのだろうか?そういえば、高橋さんにまだちゃんと「好き」と言えていなかった。カラオケオールのあの日以降、僕らはカップル同然のように過ごしてきた。しかし、ちゃんとした告白をできていなかったから、何となく違和感があったのだ。

「そんなに改まらなくてもいいよ。何でも言って。」

 下を向いて静かにしている高橋さんに向かって、僕は優しく言った。こちらがしっかりと聞く姿勢を持たないと、相手は素直に話してくれないと思ったからだ。高橋さんは戸惑いつつ、ゆっくりと顔を上げた。澄んだ顔になり、気持ちが落ち着いてきたようだ。同時に真剣そうな眼差しでこちらを見ていて、何か決意を固めた様子だった。

 僕も高橋さんをまっすぐ見つめた。


「これからは、別々にがんばりましょう。」


 僕は高橋さんの言葉を、一瞬理解できなかった。しかし、高橋さんの真剣な目を見て、察した。僕と別れて欲しいということだった。

「ここまで一緒に頑張れて本当に良かった。二郎くんがいなかったら私、受験に成功していなかった。二郎くんにはすごく感謝してる。だけど、大学に入ってお互い忙しくなるでしょう?私は物理の勉強に全力を注いでいきたいし、二郎くんもきっとそうだよね。私達は、『大学受験合格』という同じ目標に向かって歩いてきたけど、これからは目標が別々になるわ。大学生活を送るうちに、様々な挑戦をするだろうし、多くの新しい出会いがあると思う。私は大学に入って、自分を見つめ直したい。周りの大学生のように遊んで無駄な時間を過ごすんじゃなくて、色んなことを経験して、自分の力を高めていきたいの。だから…私は今、自分のことと全力で向き合いたいの。」

 高橋さんは慎重に言葉を選びながら、自分のこれからについて僕に伝えた。「大学に入ってからやりたいことを決めればいい」とのんびり考えていた僕だったが、高橋さんはそんな生半可な気持ちではなかった。大学に入り直す上での彼女の意気込みは、相当なものだった。僕は受験から解放されて喜んでいたが、高橋さんは、既にその先を見据えていたのだ。

 高橋さんの意識の高さに感心しながらも、肝心なのは「別れてほしい」という要件だった。僕らはこれまで一緒に困難を乗り越えてきたが、これからも大変なことはたくさんあるように思う。分野は違えど、支え合える人が必要だと僕は感じていた。高橋さんは一人孤独でやっていくのだろうか。僕は納得がいっていなかった。僕は高橋さんとこれからもずっと一緒にいたかった。

「そうなんだ…。でも僕は、高橋さんとこれからも一緒にいたい。お互い忙しくなって会える回数は減るかもしれない。だけど、これからも高橋さんとは一緒にいたい。僕も、自分の今後を見据えて行動するために色んなことに挑戦したいけど、一人孤独でやっていくのは大変だと思ってる。悩みも今まで以上に増えるかもしれない。そんな時に、お互いのことをざっくばらんに話せて、悩みを解消できるような相手が必要だと思うんだ。僕は色んな辛い経験をしてきたけど、やっぱり周りの人がいたから今があると思う。高橋さんと会えたのは本当に良かった。だから…だから…これからも一緒に頑張って行きたいんだよ!」

 僕も伝えたいことを必死に伝えた。上手く言えたかわからないけど、高橋さんには感謝しているし、これからも応援したい。そして、同じ大学だからこそ、伴奏してくれる仲間でいてほしかった。

 高橋さんはずっと真剣に僕のことを見て、何か考え込んでいた。僕の考えを受け入れてくれるのだろうか。それとも…。


「二郎くん。そう言ってくれて、私はとても嬉しいわ。だけど…私は知ってしまったのよ。あなたのこと…。」

 僕は高橋さんの言葉に、背筋が凍った。僕の何を知ってしまったのだろうか。何のことかわからず、余計パニックになった。体は冷や汗をかき始めている。

「どういうこと…?」

 口が若干震えながらも、僕は高橋さんに聞いた。自分の口の中が乾いてくるのがわかった。高橋さんは深呼吸をし、口を開いた。

「二郎くんは…私が恨んでいる人と仲が良いからよ。私が恨んでいる人。それは、模試で私に嫌がらせをしてきた人よ。」

「え…?」

「もうわかったよね。高田三郎さんよ。私の姉さんと同学年で、かつて姉と付き合っていたのよ。でも、その男は女の扱いが悪くて、姉さんもすごい嫌がらせを受けてきたらしくて、とても辛かったみたいなの。すぐに別れて別々になったけど、最近になってまた連絡が来るようになったらしくて、姉さんは相当のストレスがたまっていたわ。私もそういう男は嫌だなと思っていたけど、まさか模試でその男に遭遇するとは思ってもいなかったわ。あの男が許せない。その男が、二郎くんと仲が良いなんて信じられないわ。」

「僕と仲が良いことをなんで知ってるの…?」

「年末に町田で見かけたのよ。あなたとあの男が二人で歩いてる姿を。偶然あの時、私は町田の百貨店で買い物をしてたのよ。二郎くんは酔っ払ってたみたいだから気づかなかったかもしれないけど…。」

 僕は驚きすぎて、何も言い返せなかった。あの時に高橋さんは僕を見ていたのか…。

「最初は私、信じられなくて…。何かの間違いじゃないかって思ったのよ。きっと別の人だろうって。でも、その後愛子から連絡が来たのよ。」

 愛子。それは三郎さんの彼女であり、僕らの同級生でもあった。

「愛子があの男と付き合っているのも信じられないけど、そんなことはどうでもいいわ。愛子からLINEで、『今日は二郎くんに会ったよ。町田で高田さんという方と飲んでたわよ。』って連絡が来たの。それで、確信しちゃったのよ…。」

「そんな…。」

 僕は高橋さんの悲しそうな顔を見て、申し訳ない気持ちになった。高橋さんを模試で苦しめた男は、三郎さんだったのか。それが信じられなかった。三郎さんは、僕にこれからの生き方について、色々と教えてくれた。僕の悩みも聞いてくれたし、とても良い人だと思っていた。

 僕はふと、三郎さんとのLINEでのやり取りを思い出した。僕が女の人と歩いている姿を見たと言い、名前を聞いてきたことがあった。その時はよくわからずに、高橋さんの名前を伝えてしまった。まさか、あれは三郎さんの企みだったのかもしれない。お姉さんに近づくために、妹である高橋さんに接触しようとしていたのかもしれない。僕はあの時、とんでもないことをしてしまったのかもしれない。色んな不安が頭の中に一気に浮かんできて、僕は高橋さんに何と説明すればいいかわからなくなってしまった。

「あの男、最近売れてるわよね。」

 素っ気ない、高橋さんの声が聞こえた。僕は最近の記憶を整理し始めた。


(続く)

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