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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

足音が埋める 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 つぶらやよお。お前、公共物を抵抗なく扱える人か?

 思うに、人間は公共物とやらに抱く感想が三段階あると俺は考えているんだ。

 第一段階。そもそも、公共の概念というものがない。がきんちょが公衆の面前でズボン下ろしをしたり、スカートをめくったりする。

 

 第二段階。公共という建前で、プライバシーを守ろうとする。第一段階で行う行動を、エッチだとか変態だとかで罵倒し、正義なるものを振りかざす。

 

 第三段階。「まあ、そんなもんだろ」と悟りを開く……おいおいおい、かわいそうな目で見るな。まじまじ、俺、大まじよ?

 そして思春期は、たいていの人が第二段階を過ごす。他人の触れたものに嫌悪感を示すことも多い。その代表的な公共物。学校のトイレに関する話が、お前にとっての今回のメインディッシュだ。

 書き留める準備はできたか?

 

 俺のおじさんの友達が中学生になったばかりの頃。

 その年は、太陽がぎらつく暑い年だった。友達は、学校で水道の水をがぶ飲みすることも珍しくなく、給食終わりに腹を壊すこともしばしばあったらしい。

 トイレの世話になることも多く、それが原因で陰口を叩かれたこともあったとか。

 

 ある日。友達はまた昼休みにトイレに行こうとした。用があるのは大きい方だ。

 学校のトイレで大を使うとか、恥ずかしい奴だなあという風潮がいまだにあったから、さっさと済ませて、何食わぬ顔をしていたかったんだ。

 ところが、友達の教室のあるフロアの男子トイレ、ことごとく大が埋まっている。珍しいこともあるもんだ、とちょっと別の学年のフロアに移動する。ちょっと不審な目で見られながら、男子トイレに入り込んだ。

 何のいたずらか、ここもすべて埋まっている。ノックをすれば返事が返ってきたんだ。間違えて鍵がかかっているわけでもない。

 フロアを歩き回っているうちに、どんどん下っ腹の調子がシャレにならなくなってきた。恥を忍んで、と一階の職員用トイレに飛び込む友達。

 三つある個室のうち、手前二つが埋まっていて、一番奥は使用禁止の張り紙がしてあるが、カギはかかっていない。

 蒸し蒸しするトイレの中、友達はもう、足踏みをこらえられないところまで来ている。前二つの個室を急かすのも忍びなく、使用禁止に飛び込んだ。最悪、この急場をしのげればいいと思ったんだ。

 

 てっきり、便器が無残に壊れていたり、目も当てられないほど汚れていたりするんじゃないかと思ったが、見た限りでは他の個室と変わらない空間が、そこにあった。洋式便座は蓋を閉じた状態で、来訪者を待ち構えている。トイレットペーパーもたっぷりだ。

 まさか、水が流れないとかか、と用を足した後の大惨事も予期したが、今をなくして、先もない。

 破裂寸前だった友達の腸は、便座に腰かけた瞬間、待ちかねていた本懐を遂げる。水音と共に焦燥、圧迫がはがれ落ちて、脱力、安心が湧き始める。この瞬間こそ恍惚こうこつ、と思えるのは、我慢した奴の特権だろう。

 水もちゃんと流れるし、どうして封印したんだ、と友達が下ろしたズボンを上げ始めた時。

 

 バン、と隣のドアが開かれる音がした。その勢いは、戸も飛び、金具も弾けよと言わんばかりで、思わずびくっとして腰を持ち上げちまったってよ。

 だが、それだけだ。そこから続くはずの足音がいつまで経っても出てこない。仕切り越しとはいえ、この至近距離。動く気配があれば、それを感じることは難しくないはず。

 友達は外に出た。埋まっていたはずの、入り口側の二つ。その扉がまだギコギコと、音を鳴らしながら揺れていた。恐る恐る、それぞれの中をのぞいてみたが、人の姿はない。

 もしや、と友達は青いタイルが敷き詰められた床を始め、壁、天井も見やったが、虫の一匹も張り付いてはいなかったんだ。いたはずの先客は、どこに消えたのか。

 汗がゆっくり頬を垂れ落ちるのを、友達は感じた。

 

 それから夏休みに入るまでの数週間。学校では、奇妙なウワサが流れた。

 発端は一部の女子からだ。休み時間でも放課後でも、他の個室が開いている時に、どれか一つを選ぶと、ほどなくして、外から足音がトイレに入って来る。そして、自分の隣の個室へ入って、腰を下ろす気配がするんだ。

 すると、図ったように次の足音がやってきて、空いている個室に入り、また腰を下ろす。あっという間に個室がいっぱいになってしまうんだ。

 ところが、いざ用を足して外に出てみると、埋められたはずのトイレはもぬけの殻。足音の主は、その姿を現すことなく消えてしまう。結局は、自分しかトイレには入っていなかったということを、思い知るんだ。

 ひとりが話し出すと、他の女子も「私も、私も」と便乗する。トイレの花子さんだよ、とウワサをし始める人も現れた。

 男どもは大半が笑っていたが、ほんのわずかの連中は、真剣な表情をしている。うすうす察することができたよ。きっと同じ目に遭ったんだと。

 

 夏休みに入る直前。最後のホームルーム。

 一通りの注意事項の伝達が終わると、最後に先生がつけたした。


「この数週間の間で、一階の使用禁止のトイレを使った人。後で職員室の先生のところに来なさい。知らんぷりして、帰らないように」


 友達はどきりとした。ここまで言うということは、ほとんどしっぽは掴まれていると見ていい。はったりだったにせよ、後でバレた時に心証が悪くなるだろう。成績や進路に関わったら、やりづらくなる。友達は観念して、先生のもとに出頭した。

 てっきり先生方の前で槍玉にあげられることを覚悟していたが、いざ赴いてみると、先生は職員室後ろのついたての向こうにある、応接用のテーブルが置かれたスペースに案内してくれた。勧められるままに椅子に座り、先生と向かい合う。

「どうだった? トイレを使って、何かおかしいところはなかったか?」と、開口一番に聞かれる。友達は素直に、異状がなかったことを伝える。

 先生は口に手をあてて少し考えた後、おもむろに話し始めた。


 ずっと昔。この学校ができて少し経った頃。

 今年のように暑い夏の日に、お腹を壊す人が続出した。各フロアのトイレは瞬く間に埋まってしまい、とうとう職員用のトイレまで貸し出すほどになった。

 しかし、職員用のトイレの一番奥の個室に入った生徒が、いつまで経っても出てこない。業を煮やして他の生徒が個室に近寄ってみると、なんと鍵が開いている。

 先ほど、確かに閉めた音がした。いつ開けたのか。みんなが不審がって、中をのぞいてみると、籠城していたはずの彼の姿は、影も形もなかったという。

 捜索願が出され、警察によってトイレは調べられたけど、とうとう不審なものは見つからずに終わった。彼の行方はいまだに分かっていないんだ。

 

 例のトイレは水を止められ、使用禁止になる……のだが、十数年後。

 事件を知る者が一部だけになった時、誰かのいたずらか、使用禁止の紙がはがされてトイレが使用されるという事態が起こった。

 水を止めたはずのトイレも、普通に流れたらしく、事件を知らない人たちによって、再び便座が暖められていったんだ。けれど、この時から、誰かが個室に入ると、後を追うようにトイレへやってきて残りの個室を埋めていく、足音のウワサが広がるようになる。

 

 音はすれど、姿は見えず。聞こえると同時に外へ飛び出しても、トイレの中には誰もいない。生徒たちがざわめき出した時、一人の先生が「俺が正体を見抜いてやる」と宣言したんだ。ちょうど宿直で、一晩中学校にいる必要があったからな。

 彼は放課後、誰もトイレに近寄らないように指示を出し、自分はハンディビデオカメラを持って、個室に閉じこもった。件の使用禁止だった個室とは、別のところにさ。

 明日にはビデオの中身を見せる、とうそぶいていた先生。確かに翌日には、ビデオを残してくれた。自分の身体をすっかり失くしてしまった上でね。

 

 カメラは先生が入っていた、個室の中に転がっていたらしい。映像には明かりをつけた個室の中の様子が映し出され、足音もしっかり録音されている。そのたびに画面がぶれながら動き、個室の外に飛び出るけど、そこに広がるのは人の気配なきトイレの光景。先生はまた個室に引っ込み、便座に腰を下ろす。

 それを何度か繰り返し、ビデオの残り時間がわずかになった時。ふと、カメラの目線が天上に向けて跳ね上がり、水が激しく流れる音が聞こえてきた。

 先生の声らしきものも入ったが、水にかき消されて、良く聞こえない。ほどなく、床に落ちたらしいカメラは、録画時間を終了するまで微動だにせず、水音はずっと入りっぱなしだったという。

 

 先生がなぜ上を向いたのか。なぜ水が勝手に流れたのか。

 憶測は飛んでも、証拠はなかった。先生が、かつての生徒の後を追ってしまった、という確たるものは。

 けれども、その日を境に足音は消え失せる。みんなは考えたんだ。

 個室が「いっぱい」になった時、あいつらは現れる。あの日、あの時、彼がいなくなった状況を再現し、彼と共にいてくれる、誰かを増やすために……。

 その「いっぱい」になる事態を防ぐため、あの個室は改めて「使用禁止」となったのだとか。それは友達が破るまで、守り続けられてきたのだという。


「あの日、一階のトイレで、空のはずの二つの個室が閉まっていたといったな。お前は呼ばれたんだろう。あの2人に。こうなった以上、対策は一つ。個室に入らないようにするしかない。女子には申し訳ないことになるが、オカルトな理由で、トイレを閉鎖するわけにもいかんのだ。対策は練るが、正直、どうすればいいのかわからん」


 友達は職員室を後にし、それからは意地でも学校の個室は使わなかった。

 しばらくは広がり続けた足音のウワサも、やがてはおさまることになる。一人の女子生徒の行方不明と引き換えに。



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