宴もたけなわ
弓野はゆっくりと話し出した。
弓野のいる生活支援課では、主に生活保護の申請の受理や、自立に向けての支援や相談、そして時には受給が適正かどうか、実際に受給者のお宅を訪問したりもするらしい。
生活保護の受給は原則、頼れる(援助できる)身内がいる場合には、受けることができない。
弓野の担当に、ある生活保護を受けているおじいさんがいたという。
生活環境の見直しをした際に、前回は支援困難となっていた身内が今回は支援できるとい判断になり、生活保護が打ち切りになったという。
しかしながら、その身内は自分達もまだまだ苦しいので、援助できないという。
しかし、規則上、生活保護の支給はできなと生活保護の打ち切りが決定した。
それから、数ヶ月のことだった。
そのおじいさんが亡くなった。
直接の原因は心筋梗塞ということだった。
だが、遺体を引き取りにきた親族に「あんたらが生活保護を打ち切ったから、おじいさんは死んだんだ!この人殺し」と言われたのだと言うのだ。
「俺、“人殺し”なんて人生のウチで言われることなんてないと思ってたよ。気にすることないって、向こうも誰かのせいにしたい、それだけだって、割り切ろうとしても消えないんだ。夜、時々思い出す。これでよかったのか?救う道はあったんじゃないかって。」
弓野の手は震えていた。
生活保護は、頼れる身内がいる場合はそちらに援助してもらうのが原則だ。
そうはいっても事情は様々である。書類上で実際の生活環境を推し量るのは難しい。
しかしながら、不正受給の問題もあり、規定を緩和したりしても問題の解決にはならないだろう。うちの市でも数億円の予算が生活保護の受給に充てられている。
当然、ずざんなチェックをするわけにはいかない。
だが、実際に必要な人に届かず、大して必要でもない人が受け取っている事実。
どうしてこんな事が起こるのか。
「先輩達は初めは辛いかもしれないけど、じきに慣れるって言うんだ。そうしないとやっていけないって。…確かにそうだとは思うけど、だけど…一方でそれでいいのか?っとも思って…」
仕事に早く慣れたい、だけど、慣れすぎて行くのも違う気がする。
ー思っていた仕事と違う。
全員の頭にそんな思いが浮かんできた。
「給与だって、そんな高いわけじゃ無いしなぁ…メーカーや、商社で働いている友達の方がずっと沢山貰えているし」
梶がポツリと呟く。それに続くように、
「愚痴とかもさ、他の友達に話してもさ、結局最後は"でも公務員は良いじゃない?"みたいな事言われちゃって。なんか、安定した職業だし、公共の福祉でしょ?ならそれぐらいガマンしなよって言われてる気がして…」
「あっ!それ、わかる〜!未だに公務員神話みたいなのあるよな!」
みんなの不満はとまらなかった。
「ぶっちゃけるとさ、俺なんて漠然と地元で就職したいと思って、その中で一番良さそうだったから、そんな軽い気持ちで市役所に入っただけなんだよね。入庁式の時"奉職"《ほうしょく》って言葉に正直ぞっとしちゃったよ」
自分達は何処にでもいる20代そこそこの若者なんだ。
市役所に入庁したからって、いきなり聖人君子になれるわけじゃ無い。
理不尽な事を言われれば腹も立つし、怒鳴られればへこむ。
「なんで、市役所になんて入ったんだっけなぁ。」
瀬野がため息を漏らした。
みんなの空気は益々どんよりと暗くなっていった。
そんな時、ふと沖田が真田に振った。
「真田は?どうして市役所に入ったの?」
「おれ?!…まあ、大した理由じゃ無いけど…」
急に振られた真田はなんで俺?と思いながらも、沖田が真っ直ぐにこっちをみるので、仕方なく話し始めた。
「夢中になれそうだって思ったから…かな?ありきたりだけど、ドキュメンタリー番組で過疎化の町役場の職員が、地元のお米をブランド米にして、過疎化をとめるっていうのを見て、なんかイイなぁって。俺もこんな仕事してみたいなあって…単純だよな?」
真田がはにかむように笑った。
その笑顔に女子全員がキュンっとなり、男性陣もちょっとだけキュンとなったことに本人は気づいていない。
「そんなことない!!すごくいいと思う!」
棚橋が、即座に同調した。
「私もドラマとかしょっ中影響受けちゃうし〜」
「わかる〜」
女性陣がそれに続く。
「女子って単純だよな」
「は?梶くん、ケンカ売ってんの??」
「…いえ…別に」
男性陣の一部は少々やさぐれ出したが、なんとか場の雰囲気が和んだので、沖田はこれで良しとする事にした。
沖田自身、地元で就職したいと考えた上での市役所だった。そこに明確な理由や、行政で何がしたいなんていうのはなかった。
だけど…少なくともこの街《地元》が好きな事は確かだった。
楽しそうに笑いあう同期を眺めながら今はまだ、それだけでもいいような気がした。
あっという間に、飲み会も終わりの時間になった。
弓野にも、最後は笑顔が戻り、和やかに終わりを迎えた。
数人は二次会に行くものもいたが、真田は帰る事にした。
家に帰ってそれを確かめたかった。
"俺はお前に野球をやって欲しかったわけじゃ無い"
父親の言葉を思い出す。
あんな思いは二度としたく無い。
富美華は部屋に入ると真っ先にタップリと塗ったグロスとルージュを拭き取った。
こんなものつけていたら、美味しいもの味わえやしない。
部屋着に着替え、コンビニで買ったつまみと缶チューハイを袋から取り出す。もちろん、お皿に開けたりなんかしない。
チューハイを一口。母からメールが来てた事を思い出す。
"お盆はいつ帰ってくるの?"
何言っているんだ。
市役所にお盆休みなんてない。
あるのは夏季休制度だが、もとい、新人富美華がお盆に取れるはずがない。
母親はいつも何もわかっていない。
短大卒業後、たいした社会経験もなく、父と結婚した母親は富美華達を産んでからもパートに出る事もなく、いわゆる専業主婦だった。
父の顔色を伺い、父なしでは生きていけない。
弱い人間だ。
母親の様にはなりたくないと、反対する親をなんとか説得して地方の国立大に進学した。
地元を離れる理由が欲しかった。
そしてそのまま、この市役所に就職した。
どうして市役所に入ったか?
女が一生働ける職場。
それが一番だった。
そして二番目は一生地元に戻らなくていい様に。
しかし、今日自分がした事はなんだ?男に色目使って愛想振りまいただけじゃないか?
いつもそうだ。
結局、どこかで男に依存しないと生きられない。
母親と何も変わらないじゃないか。
"夢中になれそうだったから"
真田の言葉を思い出す。
「…夢中に…ねぇ。甘っちょろい事言ってんなよ。」
仕事は我慢だ。楽しくてやりがいのある仕事なんて、ただの理想だ。
特に女なんて。
富美華はチューハイを一気に飲み干すと、
ビニール袋から二本目を取り出した。