大事な順番
市民討論会から一週間。
真田は苦戦しながらも、なんとか議事録を起こし終えた。
神谷は、あの時自分のイラつきをぶつけてしまった事を気にしていたが、当の本人は全く気にしている様子は無かった。
あいも変わらず、いや、寧ろ以前より精力的に仕事をしてくれている。
感情や自分の都合で部下を叱る様な上司にだけは、なるまいと思っていたのに…。
"全部、大事だから"
真田の言葉が脳裏にうかんだ。
「頼まれていた資料、まとめておきました。」
「ああ、ありがとう。今日はもう帰っていいぞ。」
神谷は真田から資料を受け取ると、顔を見ずに言った。
「はい、それではお言葉にあまえて…」
「?どうした?帰らないのか?」
当然続くであろう言葉が聞こえてこなかったので、神谷が顔を上げると、真田は課長達の打ち合わせを見ていた。
「…農業をいっそ、一番最初に持ってきては…」
「…流石に、駅前開発の前には…観光には力を入れて行きたいですし…」
「…福祉は…」
「会議から帰ってきてから課長達、ずっと話されていますけど、何の話し合いをなさっているんですか?」
真田が、俺に聞いてきた。
「ん?…あぁ、まあ、地方創生の基本計画の話し合いだよ。」
「基本計画ですか…」
真田が腑に落ちない様なので、神谷は説明を続けた。
「今、国を挙げて地方創生が叫ばれてるだろう?まあそれで、今度の市の総合計画にも地方創生に伴う基本計画を盛り込む事になったのは知ってるよな?それの話し合いだ。」
「…そうですよね。随分先ほどから熱心に話し合われてますよね」
真田は何か言いたそうだったが、神谷は無視した。
「お前、今日飲み会とか言ってなかったっけ?いいからもう帰れ」
真田が言い淀んでいると、野村が口を挟んできた。
「今、話し合っているのは順番だよ。」
「野村?!」
こいつはまた余計な口を…!
「この前の議会でね、市議会議員の人から質問が出ちゃったのよ。地方創生における今後市が重要視していくべき政策で、観光や福祉とかさ、色々ある中で農業が最後に書いてあったんだよ。でまあ、"これじゃあ、農業を疎かにしている様にみえる"って言われちゃったわけ。それで今、記すべき順番をどうするか真剣に話し合っているわけよ。」
野村は相変わらずの口調で話した。
真田は少し、考えてから口を開いた。
「そうなんですか。でも、さっきからずっと議論されてますよね。それってそんなに重要なことなんですか?それをこんなに時間を割いて話し合う事は市民のためになっているんですか??」
「なっ?!」
あろうことか、真田は、課長達が話し合っている方を向いて言い出した。
俺らにではなく、課長達に問いかけるように。
まっすぐに。
「…?」
課長達がそれに気づき、一斉にこっちを見る。
「…なんだね?真田君」
「…あの」
「あー!何でもないです!気にせず、続けて下さい!」
俺は慌てて、真田の言葉を遮った。
課長達は一瞬、腑に落ちない表情を見せたが、かまっていられなかったのだろう、直ぐに話し合いを続けた。
「真田、ちょっと」
俺は真田を会議室に連れて行った。
俺は野村をひと睨みしたが、素知らぬ顔で机に向かっていた。
「僕、間違ったこと言いましたか?」
会議室に入ると開口一番に真田が言った。
挑発するでも、皮肉を込めるわけでもなく、ただ、単純に疑問に思った事を口にした、そんな表情だった。
「そうだな。お前の言った事は間違っちゃいない。」
「なら、どうして…」
「でも、正しくもない」
神谷は真田の目を見て言った。
「…どういう事ですか。」
真田は俄然納得がいかない表情をしている。
まあ、そうだよなぁ。
俺だって…。
俺は一呼吸置いてゆっくり話し出した。
「いいか、確かに表記する順番なんて一見、どうでもいいように感じるけど、それだって、見ている人は見ているんだよ。やっぱり、大事な案件は先にくるしな。それに、質問が出た以上、それに対応するのが、俺たちの役目だ。市議会議員は市民の代表なんだ。それらを無視するのは、大袈裟だが、市政の暴走だ。」
「ですが…あんな事を真剣に話し合うのが、僕たちの仕事なんですか?それが市民の為になるんですか??他に話し合うべき課題はいっぱいあると思うんですけど!?」
単純な疑問だ。
真田は正直な思いを、素直にぶつけてきた。
神谷は思った。
真田、こいつは正直過ぎる。
例えば、さっきの発言が少しでも意図的だったなら、まだ良かったかも知れない。
野村なんかはそうだ。
あいつは時々爆弾を落とすが、それを計算に入れて、あえて言っているところがある。
真田は…計算も何もあっちゃいない。
ただ、自分が思った事を言っているだけだ。
そんなんじゃ市役所では行きていけない。
いつか…潰される。
俺のように。
「基本計画を立てる事は必ず、市民の為になる。それを基に今よりより良い市政をする為の指標だ。だが、その指標を打ち出す為には議会を通さなければならない。」
俺はもう一度、ゆっくり息を吸って言った。
「一見、遠回りみえるけど、あれだって立派に市民の為になっているんだよ」
真田は少しも腑に落ちていないようだった。
それでも…
「…神谷さんがそう言うなら、そうなんだと思います。僕は、市役所での経験は浅いですし、仕事の流れもまだよくわかっていません。確かに、どんなにいい案だって、実行できなきゃ意味がないですし、その為には議会を通さなければならないなら、"通す事"も大事な事です」
なんとか納得してくれたか?
神谷は少し安堵したが、それも束の間。
「…ですが、なんだか課長達の話し合いを聞いていたら、"通す事"それ自体が目的のような気がして。」
…?!
「…すみません、出過ぎた事を言いました。」
「いや、いいよ。…真田、時間大丈夫か?飲み会だろう?」
「あっ!そうでした!…すみませんけれどもこれで失礼します…」
真田は恐縮そうに、会議室を出て行った。
目的…。
議会を通す事が目的なのか?
計画を作る事が目的ななのか?
出世する事が目的なのか?
仕事をする事が目的なのか?
そもそも、市役所職員になることが目的だったのか?
違う、全部"手段"だ。
目的は…。
何だっけな。
いつからか、目的と手段がわからなくなっていた。
俺は何の為に市役所にいるんだ?
俺はまた、真田に嘘をついた。
会議室をでて、休憩室に行くと、野村が自販機の前に居た。コーヒーでも買うつもりなのだろう。
「お疲れ様です〜。OJTも大変ですね〜」
相変わらずの軽口で話しかけてくる。
いったい誰のせいだと思っているんだ。
悔しいから、俺も自販機の前に立つと、野村より先に金を入れてやった。買う品はもう決まっている。
神谷の子どもじみた行動に野村は呆れ顔になった。
「お前さあ、なんであんな事、真田に言ったの?あいつはお前と違って、純っていうか正直なんだよ。疑問に思った事は何も考えずに口にしちゃうところがあるんだよ。やめてくれよ。」
「えぇ〜??僕のせいだとでも言うんですか?僕はただ、事実を言っただけじゃないですか〜?酷い先輩ですね」
野村は大げさに、さも心外だといった表情で言う。
…こいつめ。
「…ったく。そりゃそうだが、そこはまだ、新人なんだし。夢持って入ってきてるんだし。なんか、誤魔化すとか濁すとか、色々あんだろ?」
「いや、そんな事したって一時しのぎに過ぎないじゃないですか。新人だろうが、なんだろうが、企画経営課にいる以上、企画経営課の一員なんです。お客様じゃないんですよ?実態を知るべきです。」
その通りだ。
野村が、正しい。
わかってる。
唯の八つ当たりだ。
企画経営は、市政の中枢とも言える部署だ。ある意味、"これぞ行政"という仕事ができるもしれない。
その一方で、理想と現実を知る場所でもある。
だからこそ、この部署に新人が、配属されるなんて異例だ。しかもあんな…。
「なんでそんな正直者の真田君は企画経営課に来たんですかね?」
野村が俺を見る。
俺は目を逸らした。
ガコンっ。
「なっ…⁈」
その瞬間、野村が俺より先に自販機のボタンを押したのだった。
こいつ…!
「早く押さないとランプ切れちゃいますからね。僕が代わりに押しといてあげましたよ?」
野村はそう言ってにっこり笑うと自販機からコーヒーを取り出した。
「お前!…何勝手に」
俺は流石に少し頭にきて言ったが、そんな事には全く気にもしない様に、野村はそれを俺に差し出した。
「はい、どうぞ。このコーヒー、神谷さん好きでしょう?」
俺は不意に差し出されたそのコーヒーを見た。
「…いらねぇや。お前にやる。俺が飲みたかったコーヒーじゃない。」
「そうですか?…なら、頂きますけど。神谷さん、昔はコレよく飲んでたじゃないですか?」
少し、甘めのブレンドコーヒー。
確かに昔はよくそれを飲んでいた。
だけど、ここ数年飲んでない。
「今はブラックしか飲まないんだ。人間、歳とると味覚も変わってくるんだよ。」
「…歳のせいですか。…まあ、俺はコッチの方が好きですけどね」
独り言とも、俺に話しかけたともとれるような口調で、野村が呟いた。
俺はそれには答えずに、何も買わずに休憩室を出た。