再会について
ひゅうが―彼女が口にしたその名は、偽名なんじゃないだろうか。
そんなことを思ったのは、九月二日の朝、始業五分前にちょうど教室に滑り込んだ時であった。
日向は聞いたことがある。というより見た。あのバスターミナルの名前である。
なぜそんなことを今思い出したのか分からない。
鞄をロッカーに突っ込み、自分の机に向かう途中でそんな考えは霧散していた。
「お前なになってんだ?」
自分の机に石川拓海が座っていた。隣の席にはいるはずのない尾崎卓もいる。
「昨日、席替えしたんだよ、それより昨日どうした?」
尾崎が首を突っ込むように聞いてくる。
「まあ、ちょっとね。それで昨日何か変わったことあった?」
じゃあ自分の席はどこだろうと、首をぐるぐると回す。尾崎に昨日のことを聞いたのは別に答えを期待していたわけでない。校庭に犬が入ったとか、誰かの夏休みの宿題を忘れた理由が面白かったとか、誰かが夏休み中に、ある意味成長した噂があるとか、そんなくだらない答えが返ってくると思っていた。
「あっそうか、知らないんだよな」
石川が頓狂な声を上げた。
「知らないって何を?」
聞き返しても、石川と尾崎は顔を見合わせてにやにやしているだけだ。
「まあ―」
「そのうちわかるさ」
二人して気持ち悪いにこやかな表情を浮かべている。
「ねえ、村野、どうして三十一日こなかったの?あと昨日も」
薄気味悪い二人に途方に暮れていると、後ろから聞きなれた声がした。
級長の浅野春香である。
「あ、ごめんごめん、まあちょっと」
振り向いてから、学校のものとは別の宿題を忘れたことを思い出した。
むくれた、というより明らかに怒っている顔を前に、とりあえず笑いかけてみる。
「なっ、その顔じゃあんたの割り当ての・・・」
その時、教室のスピーカーから、聞きなれたかすれたベルが鳴った。
助かった。
「・・・あんたの席はあそこ。後で私のところに来なさい。いいわね?」
きゅっと本当に音が鳴って、踵を返しひとまずの脅威は去って行った。
石川と尾崎に肩をすくめて見せ、教えてもらった席へと急いだ。直後、担任の太田が入ってくる。
「起立、気を付け、礼!」
間延びしたところのない号令を済ませて、出席で自分の番が回ってくるまでの束の間、新しい自分の席の感触を確かめる。
「浅野・・・石川・・・今井―」
なかなかいい席だと思う。廊下側の壁沿いで後ろから三番目。石川と尾崎の席からも近い。
新しい席からだと教室の雰囲気も違って見える。ふと、教室の真ん中の席が空席になっているのに気が付いた。
誰が休んでいるのだろう。
「野崎・・・・」
みんな太田の野太い声に、ハイともヘイともつかない声で返事をする。
「日向・・・日向アオイ!むぅ?日向はおらんのか?」
ひゅうが、突然聞こえてきた言葉に、ビクッとする。の次は、藤井だったはずだ。日向なんて奴このクラスにはいなかった。
転校生―。そう考えると先ほどの石川と尾崎の気味の悪い笑みにも納得がいく。昨日のうちに転校生が来て、大方それが女の子だったんだろう。
こんな田舎町の学校では転校生などあまりいない。そんな奴がいればしばらくクラスの話題はそいつで持ち切りだ。それは身をもって知っている。
しかし、ひゅうがである。
まさかね、と久信は思った。そんな偶然があるはずがない。
もちろん、少しは期待した。
だけどまあ、ここに彼女が現れたからといって、特に何も起きるはずがない。
あれ、君、あの時の。あああなた、あの時はどうも。これからもよろしくね。それで会話が終わり。何も生まれることはないだろう。
太田が出席を取り終え、何か話そうと口を開きかけたとき、教室の扉があいた。
はたして、
「すいません、遅れました」
彼女―日向アオイ―はあらわれた。
頭の淵で、これが小説なら随分とありきたりな展開だなと感じた。