出会いについて
バスは、午後四時二分に出る。時刻表はそういっている。
今、時刻は五時を五分ほど過ぎたところだ。
『・・・こちらは、自動放送です。現在、電報電話公社は政府の要請で通信回線の利用を制限しております。この回線は、情報を提供しません。情報は各地域のラジオ、テレ・・・』
永遠と垂れ流される機械音声にうんざりして携帯を切った。
「こまったなあ」
ここはどこだろう。
そんなことは、錆びて朽ち果てようとしているバス停が教えてくれる。
ただ問題は、ここが彼の知らない場所であるということだ。
永遠と続くやけに高規格な国道。その横にとってつけたかのようなバスターミナル。
バスは一台もいない。待合室というには貧相な正方形のコンクリート小屋―ゴミ捨て場の間違えないようにか、でかでかと簡易シェルターと書いてある―それといくつかあるバス停の看板、それがすべてだ。
彼、村野久信は、やけに座面が低いベンチに腰を下ろして途方に暮れた。
見渡す限りの田圃と山。すでに稲穂は首を垂れ、空は澄んだ青というより水色の季節になっていた。
どこか遠くで第二種国民防護サイレンが鳴り響いている。人をひどく不快にさせる音だ。
今年の夏の最後の一週間だけで五回も鳴った。思えば今年の夏は常にこのサイレンに邪魔されてきた。
第二種防護以上のサイレンが鳴るとすべての交通機関、通信、商店は閉鎖される、だから、その前段階の第三種防護が発令されているときはよっぽどの理由がなければ外出してはいけない。そんなことは小学生の時に配られる防空ハンドブックの最初のページに書いてある。
普段なら、喜んでそうするだろう。何もわざわざ危険な場所に出ていく必要はないのだ。
ただ、帰宅するというのはよっぽどの理由に含まれるだろう。今日が八月三十一日であればなおさらだ。明日から、学校が始まるはずだ。中学の最後の、三年生の二学期、遅れていくのは得策じゃない。
この夏、久信はちょっとした旅をした。隣の県までの簡単な一人旅だ。二日あれば帰ってこられる、そう思っていたし、事実去年まではそうだった。
本当ならば、今頃はテレビでも見ながら、夏休み最後のソーダーバーをかじっているはずだった。
考え方を変えれば、二種防護サイレンが一週間で五回も鳴り響き、一日の半分は三種警報が出ている中で、よくもまあたった三日間で目的を達成して一応は県内まで帰ってこられたものだと思う。
だけどそれは何の慰めにもならない。
とにかく、今できることは、防護解除サイレンが鳴るのを待つだけだ。二種防護が解除されればバスは動く。
久信は足もとに投げ出された野暮ったい鞄から、動いているのが奇跡なような携帯ゲーム機を取り出した。ゲーム博物館に展示してありそうな代物だ。
これを持ってきて本当に良かった・・・。そう思いながら、ゲームを始める。
解像度の荒い画面で、シューティングゲームを始める。黄色と緑の宇宙空間で無限に出てくる弾を使い敵を倒しまくる、なぜか敵が残したポイントを取るとパワーアップする作った人の頭がお花畑みたいなゲームだ。
貧弱なバックライトは、西日が照る中で役に立たなかったが慣れた手つきでゲームを進めていく。
急に、液晶画面が明るく見えた。
「へあっ?」
我ながら間抜けな声が出たと思う。
「っ、ごめんなさい」
その声に対して、僕が頓狂な声を上げる原因を作った物体がビクッとした。
その物体は、女の子だった。
久信の持っているゲーム機の画面をのぞき込もうとしていたのか、やけに近いところにその顔があった。
水色のワンピース。女の子の髪型はよくわからないがおそらくセミロングと呼ばれる程度の長さの髪。少し幼い顔立ち。
彼女のおどおどした動作に、少し冷静になった。
どこから来たのだろう。地元の子だろうか。車もないし、近くに民家も見受けられないのに?
しかし、彼女がどこから来たかは大して大きな問題ではない。案外近くに抜け道があったりするものだ。
問題は、である。彼女にどう対応するかだ。
普通、人の手元をのぞき込むような人は、向こうから話しかけてくるのが常だ。
だけど、彼女はうつむいて何も話さない。
残念ながら、久信はプレイボーイではない。どちらかといえば人見知りな方だ。
人見知りらしく、愛想笑いをして尻を少しベンチのはじのほうにずらそう、そう思った。
「あっ」
そんな時、彼女がそんな声を上げた。
見ると、チープな電子音と共に携帯ゲーム機の液晶には毒々しいゲームオ―バーの文字が輝いている。
女の子は、考えようによっては残念そうとも取れる表情で
そんなに、この時代遅れのゲームに興味があったのだろうか。
「あー、これやる?」
久信は精一杯の勇気と共に灰色の筐体を差し出す。
女の子はおずおずと手を伸ばし、それに触れた。手に取ると斜めにしたり持ち上げたりして珍しいものでも触るようにしている。
「やり方わかる?」
フルフルと首を振る。
「教えようか?」
彼女は一瞬の逡巡の後、
「時間、まだあるから」
とだけ言った。
なるほど、彼女もバスを待っているのだろう。だからバスが来るまで教えてもらう、そういうことだろう。
そう考えると、少し親しみがわいた。いつ来るかわからないバスを待たなくてはいけない。彼女は何も持っていないようだし暇だったに違いない。だから人のゲーム機をのぞき込むような真似をしたんだろう。
「えーと、まず座ってさ、じゃあ、スタートボタンを押して?それでゲームがスタートするから。方向キーはわかるよね。Aボタンでさっきみたいに弾が出て・・・」
最初はぎこちなかったが五分ほどやると、随分とスムーズにできるようになっていた。時々撃ち落されはしていたけどそれでも随分と上出来だろう。
方向キーの動きが遅いよ、そういおうとしたところで、彼女の左手の指の動きが少々おかしいのに気が付いた。ちゃんと正常に動いているが、何やら痛みをかばうかのようにゆっくりと動かしている。まるで指の二三本骨折でもしているかのような感じだ。
どうしたのか聞いてよいものか悩んでいると、
「あ、時間」
女の子がそういって立ち上がった。
時間?
何の時間だろうか。
まだ解除サイレンは鳴り響いていない。
「時間?」
聞き返すと、また小さくうなずいて、
「迎えが来る」
そういって、ゲーム機を僕に押し付けてベンチから立ち上がり、随分とゆっくり待合室の外へと歩いていった。
女の子がちょうど待合室の出口に差し掛かった時、図ったかのように自動車の音が近づいてきた。
やけにうるさいが、軽いエンジン音を響かせている。
広い国道の車線を持て余し気味に、古いミニが駆けてきていた。
そのミニが、ウィンカーも出さずにバスターミナルに突っ込んで、待合室の前で停車した。
「もう時間よ。正確には少し遅れてる」
運転席から乗り出して、助手席の扉を開けた、車の中の女性は女の子にそういった。
スーツに身を包んだ、髪の短い女性だ。
女の子はコクリと頷いて、扉に手をかける。
そして、乗る直前に
「ひゅうが」
と久信つぶやいた。
「ひゅうが?」
それが何なのか理解でできず思わず聞き返す。
「私の名前」
そういうと彼女は、扉を閉めた。
占めた途端、けたたましいエンジン音が響く。吹かしすぎだ。
絶対に環境基準を満たしていない排気ガスを吐きながらミニが遠ざかってゆく。
彼女が去ってからしばらくして、どこか近くの地下ミサイル基地から、轟音を立ててミサイルが発射され、そのあとすぐに防護解除サイレンが鳴った。
次のバスは、最終便で九時四三分に出る。