第3話
「あの……」
「どうした? 何かあったか?」
林へ向かう途中、女の子が遠慮がちに声をかけてきた。
「名前を聞いてもいいですか?」
「あ、そうか。確かに自己紹介がまだだったな。俺の名は長谷部陽炎、三十一歳の単なるサラリーマンだ。で、お前さんは?」
「あたしは岸壁愛美。十六歳です」
「岸壁さんね」
「できれば名前で呼んで欲しい。あたしもカゲロウさんって呼びます」
名前で?
いきなりどういう心境の変化だろう。
それとも友達感覚なのだろうか?
しかし十六歳かよ。俺の半分くらいしか生きていないなんて、俺も歳食ったなぁ。
「じゃあエミちゃん?」
「いえ、カゲロウさんのほうが年上ですし、呼び捨てでかまいません。それより、何故カゲロウさんはおもちゃの長い耳なんてつけているんですか?」
「呼び捨てね。で、おもちゃって? 耳??」
ふと何気なく自分の耳を触ってみると、異様に長い。
「え? なんだこりゃ? 虫にでも刺されたかな。えっとエミは鏡とか持ってる?」
「あ、はい。ありますよ」
彼女は学生カバンから蓋のついてる小さい手鏡を取り出して、渡してきた。
へぇ、化粧用の鏡かな。すっぴんだけどちゃんと鏡は持っているところは女の子だな。
しかし俺の心の平安は鏡を見た途端、崩れ壊れた。
「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁ?!」
「きゃぁ?!」
俺の声に驚いたエミも叫ぶが、それどころではなかった。
異様に長い耳を手で触るとちゃんと感触がある。
別に痛くないし、腫れているわけでもない。
本物の俺の耳だ。
「それ、まさか本物……ですか?」
「……そのまさかっぽい」
なんでこんなものが? まさかこの世界へ飛んできた影響か?
意識してやると、少しだけど自分で耳を動かすことができた。
しかしこれって、ゲームに出てくるエルフの耳っぽいよな。
でもエルフって、美男美女だらけの種族だよな。
だが俺の顔は全く変わっていない。これじゃエミの言うとおり、単におもちゃの耳を付けているかのようだ。
似非っぽいエルフだよなぁ。
そういやエミのほうはどうなんだ?
そう思って彼女の耳を見ようとするが、長い髪に隠れていた。
「な、なあ。エミの耳も見せてくれないか?」
「え? あたしのもですか? いいですけど……」
そして髪を掻きあげると、そこにはやはりというべきか、彼女の耳も長かった。
「ああ、やっぱり……」
「まさかあたしのも?」
おそるおそる自分の耳を触るエミ。途端に泣き顔になる。
「もう、なんなのよこれ。ほんとにどうすればいいのよ……」
立ち止まる彼女。
空元気の限界を超えたのか、再び両手で顔を覆って泣き出した。
慰めるのは苦手だっていうのにな。
「あーなんだ。エミならその耳も似合ってるじゃないか。それに比べて俺なんてこんなおもちゃみたいな耳なんだぜ?」
「うっく……ひっく……」
「まぁなんだ。女の子が泣いているのは苦手なんだ。泣き止んでくれないかな?」
「えっぐ……うわあぁぁぁん」
さっきまで延々と泣いてたというのに、まだ涙って出るものなのか。
彼女が泣くことによって、逆に俺は冷静になってきた。
この世界にはモンスターと呼ばれるものがいる可能性が高い。
しかもここは林とはいえ、視界も悪いところだ。
これだけ大声を出されて泣かれては、モンスターに見つけてくれと言っているようなものだ。
仕方が無い、これは緊急時だ。
俺は彼女の手をひっぱり、思いっきり抱きしめた。
抵抗するかと思ったけど、彼女は俺の胸に顔を埋めて更に泣き始めてきた。
不安と心細さで一杯だったのが、耳が長くなっている事で決壊したのだろう。
それにこの状態なら、さっきより声は小さい。
……そして彼女が泣き止むまで、ずっと頭を撫でてやった。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
「ごめんなさい、取り乱したりしちゃって」
「いやいいよ。それより早く枝を拾ってさっきのところへ戻ろう」
あれから十分ほど泣いていたエミ。泣き疲れたのか疲労感が漂っている。
更に赤く腫れた眼がとても目立っている。
見ていて可哀想とは思うが、それよりもかなり回りは暗くなってきている。
急がないと。
足元に落ちている木々を両手で持てるだけ持って、先ほどいた湖の近くまで戻る。
木々を地面へと降ろしたあと、ポケットに入っていたハンカチを取り出し、湖の水で濡らしてエミの目に当ててやる。
「暫くこうしていて。その間に火をつけてみる」
「……ありがとう……ございます」
さて、まずは石だな。
湖の浅いところを探してみると、薄く平べったい石がいくつか見つかった。
よし、これで木を削ってと。
適当な太さの木を石で平らになるように削り、更に木の真ん中にレールのような窪みを掘る。
あとは、この窪みに沿って木を素早くこすりつけてやれば……。
勢い良く木をこすろうと力を入れた時だ。
手から妙な煙っぽいのが出ているのに気がついた。
えっ? まだ何もやってないのに、もう火がついた?!
慌てて木を離すが、特に火がついた様子がない。
手から出ていた煙っぽいのも既に消えていた。
もう一回木を当てて力を込めてみる。
すると同じように手から煙っぽいのが出てきた。
なんだこれは?
しかし熱いわけではない。それより妙に手に力が注がれているような感じがする。
そのまま木を滑らせるようにして力を入れた瞬間、割れ爆ぜた。
割れるほど力を入れたつもりは全くない。
不思議に思い木を石で削ってもう一回試してみたが、同じようにして割れ爆ぜた。
俺ってここまで力あったっけ?
それとも王道に沿うなら、俺にも不思議なパワーが身に付いたのか?
今度は何も持たずに拳を握り締めて、力を込めてみた。
するとやはりというべきか、煙っぽいのがふわふわと拳から浮き上がってくる。
これ、煙じゃなくてオーラっぽいよな。
じゃあここは一つ試してみるか。
そのまま腰に両拳を重ね落として構えてみる。
そして力を込めたまま、両手を開くようにして前へと突き出した。
かーめーはー○ー波! なんつって。
と馬鹿な事を思った瞬間、手のひらから妙な光線が勢い良く飛び出て、湖の上を滑空するように飛んでいった。
その光線は水を裂き、はるか遠くまで飛んだあと大きな水しぶきをあげる。
「………………」
あまりの出来事に口が開いた状態の俺。
そして一呼吸置いたあと「えええええっ?!」と叫んでしまった。
「ど、どうしたのですかっ!?」
俺の声に驚いたのか、エミが慌てた声をあげる。
濡れたハンカチを目から離して周りを確認し、そして安堵と共に俺のほうを見てくる。
ハンカチを目に当てていたせいか、さっきの俺の出した光線は見ていなかったようだ。
「何もないですよね。どうしてあんな叫び声を?」
「俺の手からなんか変なものが出て飛んでいった」
「は?」
若干混乱していたせいか、妙な説明になってしまった。
と、取りあえず深呼吸。
すーはーすーはー。
よし。
「こう、手に力を入れて前に出したら、手からビームみたいなものが飛んでった」
「…………え?」
やはりうまく説明できない。
ならば実践あるのみ!
「えっと、こう構えて……」
そして先ほどのように両拳に力を込め、腰に落として構える。
「それで、力を入れたあと前に突き出す」
突き出した両手のひらから、さっきと同じように光線が飛び出て、再び湖を滑空しながら飛んで行く。
「なっ、なんですかそれっ?!」
「さあ、わからん」
「……カゲロウさん、人間ですよね?」
「見ての通り、サラリーマンだ」
「耳、長いですけど」
エミはそう言うと手を口にあてて、くすっと笑う。
その行為がやけに可愛く感じた。