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98 ここへ来る直前の香の姿だ。.

 香とともには居ないほうがいい……。


 告げられた言葉は香の耳を素通りして、でもギルベルの顔があまりにも真剣で、だからしっかり理解しなくてはと思って、でも意味がわかんなくて……。


 最初に音をあげたのは耳。

 しゃべりかけるギルベルの言葉がわからなくて、初めは解っていたはずなのに、ギルベルが言葉を重ねるごとに耳が変になって、言葉のはずが言葉として聞こえない。


 次は目。

 ぼんやりぼやけたと思えば、滲んでギルベルが見えなくなって、はっきり見えたと思ったらまたぼやける。何もかもがぼやぼやあやふやで、滲んだ景色にギルベルが飲み込まれた。少しあせったけど何のことはない、ただ涙があふれただけ……。


 ふと疑問に思った。

 なんで自分は泣いているのだろう?


 泣く理由なんてないはずなのに、ギルベルもユーリックも無事で、二人と一緒にまた砦へと帰るつもりなのに、なぜ自分は今泣いている?



「香、すまない。香……」



 遠くでギルベルの声がする。早く傍に行かなきゃ、ギルベルが心配する。 

 なんて言ってるのかもきちんと聞かなきゃ、ボクのことの筈なのに、なぜかきちんと聞き取れないよ?


「香!!」


 突然耳元でギルベルの叫びが放たれた。


「香、俺を見ろ! 香、ここへ戻れ!!」




 傍にいられないと告げたとたん、不思議そうな顔をして自分を見上げた香に胸がきしんだ。だが、香が悲しんだからといって傍にいて、また香を危険に晒すのか。さっきのようなことは二度とあってはならない。


 だが、香の様子が変だった。


 ただ呆然としているだけかと思っていたから、自分は香から離れるしかないと言葉を重ねた。しかし、返ってくる反応がない。つぶやきのような返答さえ、言葉に反応する体の動きさえない。


 香のつま先を見据えていた視線を上げれば、硝子玉のような香の瞳がギルベルを射た。



 この感情のない瞳には覚えがあった。ここへ来る直前の香の姿だ。



「貴様は何処までおろかであるか……。我の香をここまで追い詰めようとは、やはり救う価値はなかったと見える。何処へなりと行くがよい。香はこちらで幸せに暮らすであろう」



 突然響いた声と同時に、香の姿が消えた。そして、ギルベルの前にはユーリックが居た。



  〜・〜・〜



「レイシェス、あの花は何かに使えたりする?」


 湖畔に咲く黄色い花を指差しながら、香はレイシェスへと振り返った。後からついてきていたレイシェスは、少しだけ浮き上がったままスゥーッと香へと身を寄せた。


「あれは葉を乾燥させ粉にしたものを料理に使ったかしら。確か香りか独特だったのよ」


「少し摘んで帰ろう、岩の上に並べれば乾燥できるよね」


 そう言いながらパシャパシャと水辺を走り、少し高い場所にある葉を摘み取ろうと手を伸ばす。だけど少し肉厚の葉は、しっかりと枝につき少し引っ張ったところでちぎれない。ならばとばかりに力任せに引っ張ったとたん、足が滑ってお尻から水へと落っこちた。


「香、力任せにしないで少しひねるの、そうすれば以外に簡単に摘めるのよ」


 くすくす笑いながら言うレイシェスに、香はぶぅっとばかりに頬を膨らました。知ってるなら早く教えてよとぼやきながら香は再度手を伸ばす。今度はまっすぐ引っ張るのではなく、助言に従いひねってみる。するとぱつんっとした手ごたえとともに、葉は枝から離れた。

 その感覚が面白く香は二枚三枚と集めていく。五枚を手に取ったところで、香の手を伸ばしていた枝が裸に近くなっていることに気づけば、思わず顔をしかめる。それを見たレイシェスはまたも笑い声を上げた。


――なかなか楽しそうじゃの、我もまぜてはくれまいか――


「……シェス、レイシェスがいじめるんだよ。ボクが何にもわからないからって、ボクがやることを笑ってみてるんだ」


 ひどいと思わない? そういってシェスへと笑いかけた。


「まぁ、香が葉の摘み方を知らなかったからっていじめるわけないでしょ。教えられることがあると嬉しいの」


 シェスの声が聞こえたとたん二人は彼の空間へと転移していた。淡く浮かび上がるやさしい光の中、シェスは二人を招き入れる。

 シェスもまたふふっと笑いながら香を抱きしめた。


「あ〜っ、シェスまで笑う〜、もう、みんなしていじめる〜」


 口では不満を言いながらも香もくすくすと笑った。


「シェスは木の葉の粉をかけた料理を食べたことはある?」


 香の手のひらほどの葉を見せながら問う。それに首を振るシェスを見て香はとたんに沈んでしまった。


――香が見せてくれるのであろう? 我らのために食事を作ってくれるのであろう?――


 急ぎとりなすようにつむがれる言葉に香は寂しげな笑みを返した。二人は良くしてくれるし、香を一人にはしない。どちらかが必ず傍にいて相手をしてくれる。でも肉体を持たないから食事はとらないし、抱きしめられても何かが違う。

 それを考えるととても胸が締め付けられて、とたんに涙があふれてくる。


 ここにやってきた当初は、あんな場所でも慣れ親しんだ日本が恋しく思えて泣き暮らした。でも一生懸命慰めてくれる二人が居たから、何とか自分を保てたんだと思う。



 ふたり!? そう、シェスとレイシェス。“精霊”の二人……だよね。



 あたたかく安心できる場所はここだけで、ここを出たら怖いことが待っているんだ。

 そう、一度冒険に出て自分は怖い目にあって、二人に助け出されたんだよね。

 ボクが考えなしにレイシェスの結界から出てしまって、それで、どうしたんだっけ……。



――香よ、疲れたのであろう。ここで眠るが良い。起きたら疲れはどこかに行ってしまっておろう――



 ……あぁ、シェスの言葉が体中にしみこんできてボクは何にも考えずにゆっくりと眠るんだ。



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