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97 香を手に掛けようとした。

簡単な前回のあらすじ


 知らぬ間に封じた記憶を取り戻し、激情のままに香へと手を伸ばしたギルベル。

 その手から香を救ったシェスは、そのままギルベルを消そうとしてすがりつく香に阻まれた。


 ギルベルは混乱する意識の中、ちらりと見えた人影へと手を伸ばす。

 一気に間合いを詰め、瞬時に命を刈り取るため全身へと力を込める。


 刹那……、


 刃をのどに感じ、動きを止めた。

 当てられた刃が食い込んだのだろう。首元を流れる液体の感触に体を強張らせながら、持ち上げた手の先へと視線を動かしていく。



 そして……、そこに香を見た。



 ドクドクと煩いほどわめきたてる鼓動をよそに、背後からギルベルを翻弄した主の声が聞こえる。


――やれ、ゆっくりまどろむこともできぬとは……。これを傷つけたならばいくら気に入りとて、命永らえると思うな――


 冷やりとするその声と同時に、のどが締め付けられる。思わず力の抜けた手から香が抱き下ろされた。その先を見ようとしても、持ち上げられた体ではいくら視線を下に向けても香を捕らえることは出来ない。そして容赦なく絞まってくる首に意識が朦朧とし始めた。


 ギルベルは自分の醜態を受け止めきれず、香と気付かず手を上げた。不甲斐なさと情けなさで、どうしようもなく攻撃的な感情があふれ出して来たのだ。

 感情のまま動くことの危険性は砦でイヤというほど叩き込まれたはずだった。第3師団預かりとなり、否応なく叩き込まれた掟を今更ながら思い出す。だからこそ、いつにもまして冷静でいることを己に科したのではなかったか。

 だが、己の未熟さが香を危険にさらした。香を手に掛けようとした。


 もう自分には、香と供にいる資格はない。


 香を守ると、香の傍で見守るといったその言葉は、今の自分にとって重荷となってしまった。どの面下げて香を守るというのか、こんな自分が香の傍にいていいはずがない!


 "精霊”であるレイシェスの愛し子。


 今までならばそれだけだっただろう。しかし、先ほどの強大な存在さえ香の守護となりえる。香への執着と、そして、香への配慮を見せられればギルベルのでる幕などないことは、わかり切っていた。



 今更、自分に何が出来ると言うのか?



 自分で記憶を塗り替え、それで良いように後輩たちを指導した。

 術の手ほどきはほんの触りだけだったが、剣と女に関してはそこそこ教え込んだ。そこらの族には遅れをとらないだけの手解きはした覚えがある。

 しかし、記憶が開放された今、その指導は己の自己満足に過ぎなかったとつき付けられていた。


 このままくびり殺されたとしても、自分には似合いの終わりなのだろう。願わくば、香が自分の死に涙してくれたならばと思ってしまう。香を害した自分には、もはや価値などないというのに……。


 そして、最後にギルベルを呼ぶ香の声が聞こえた。




 どさりっ!




 突然の衝撃とともに、一気に肺へと酸素が流れ込む。げほごほと咳き込みながら、なぜ自分は息をしているのかと不思議に思った。


 強大な存在の、怒りをかったはずだ。なぜ自分は生きている?


 酸素不足で朦朧としながらも、呼吸が楽になってくれば周りを見ることもできる。自分がなぜ助かったのか。そして……、香が抱きついている者は誰なのか。


 少し不思議そうな顔で男を見つめ、手を伸ばしその額に唇を寄せた。

 幸せそうな笑顔と共に、首へと抱きついている。


 その男は何だ!

 自分は無理やり頬へともらったが、香が自分から口を寄せたあいつは何者なのだ!!


 ギルベルは浮かび上がった感情のあまりの浅ましさに、苦笑した。自分は香の傍には居られないと思いながら、香の傍で笑いかけられ、抱きしめられている男に嫉妬しているらしい。


 整い始めた息の中、自分が傍にいないこれからの香を思って歯噛みする。未熟な自分が供に居れば、また香を危険に晒すかもしれない。自分がその脅威の一端となる可能性が捨てきれない。……ならば、遠くから見守ることとしよう。


 自分が万が一狂っても、傍にいなければ、香は安全だ。言い聞かせながら目を閉じた。




「ぎうべる、大丈夫?」


 男の傍を離れ、ギルベルへと首をかしげる香。その顔には心配なのだと、思いっきり書いてある。だがギルベルには、先ほどの驚愕に彩られた香の顔が重なって見えた。

 手の届く場所に居る香に思わず抱きしめたくなる。だが香の肩越しに厳しい表情の男が見えた。


「何処も痛くない?」


 伸ばした手がギルベルの頬へと伸びる。小さな手がギルベルのこわばった顔をゆっくりとさする。そしてそのままギルベルの首へと進んだ。


「赤くなってる。ホントに痛くない? なんともない?」


 なおも心配そうに続ける香に、ギルベルは思わず逃げを打った。

 自分へのやましさから顔を背け、香の手を振り払ってしまったのだ。


 その瞬間はあせったギルベルだが、一瞬後には持ち直し香へと向き直った。


「香……、俺は、もう、香とは供に居られない」


 断腸の思いで言い切ったギルベルに、香は笑みを浮かべ、こてんと首をかしげた。振り払われたまま、宙にとどまる自分の手と厳しい顔で自分を見るギルベルとを交互に見る。


 えっ、と声を上げながら、えへへとごまかす様な笑みを浮かべギルベルを見た。


「俺は、香とは、いられない」


 再度、香へと言い聞かす。ゆっくりとしっかりと、香へと告げた。

 香の大きな瞳がみるみる潤み、盛り上がる。


「あれっ、……ごめ、なさい、でも、なんで? 一緒……居られないの?」


 あふれ出る涙をぬぐいもせず香は問いかける。


「ゆぅりは一緒だって、ぎうべるも一緒だって……」


「俺が未熟だから、香を危険に晒した。香に……、手を上げた」


 顔を背け香の足先を見据えながらギルベルは続ける。



「だから……、香とともには居ないほうがいい」



 香のつま先の周りを濡らすしずくを見据え、ギルベルは言い切った。



 何がどうしてギルベルはこんなひどいことを言うのか。

 自分は何かギルベルの気に障ることをしてしまったのか。


 混乱のままギルベルを見る香は、ただ立ち尽くしながら涙を流すのみだった。



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