94 その最たる者が、この男だろうか。
遠くに感じる香が泣いている。
白い闇の中、ギルベルは香の元へと行けない自分を叱咤し、シェスと対峙していた。相変わらず片手間でしかない対応に自分の未熟を突きつけられ、何とかするために頭をフル回転させていた。
少しの可能性も見落とすことのないように、ひとかけらの切欠を逃すことがないように。細心の注意を払いシェスを探る。
「何か良い方法は見つかりそうかの?」
焦りイラつきはじめる精神へ、容赦ない一言が刺さる。
遥かな高みから見下ろされている感覚に、身の内をかきむしられる。
ぐずぐずしている間も、香は涙を流し一人耐えている。
傍により悲しみを和らげなければならない。その役目は自分のはずだ。
唯一妥協できるはずのユーリックは、ここにはいない。ならば、自分が行かなくては誰が行く!?
目の前の存在をなんとしてでもかわし、香の元へと向わなければ。香を一人泣かせることはあってはならないのに!!
感じる気配は儚く、怯え震える香の感情が伝わってくる。それは今まで以上に乱れた波となってギルベルに香の状態を知らしめた。はじめに感じた寂しさに泣く香ではなく、今は絶望感さえも漂わせ、ひとり肩を抱いて放心している。
何とか抵抗していた気持ちさえ折れてしまったのだろうか?
ギルベルは、なりふり構わず香の元へ急がなければとこぶしを握り締めた。自分の存在すべてをかけ、保身もプライドもかなぐり捨てることで、シェスを退けなければならない。そのためには何をしても、相手にどう思われても、今の自分に必要なことを選び取らなければならない。
「……俺に、…何が足りない?」
ぎりりと歯を食いしばって搾り出すようにシェスへと問いかける。
「すべてじゃの、すべてが足りぬわ。力も知識も術も、そして覚悟も。貴様にはすべてが足りぬ」
目を見開いてもギルベルにはシェスの表情はわからない。いまだ発光している人型でしかないからだ。しかし、その声音は楽しげに弾んではいないだろうか。もしかして、自分は多少なりともこの存在に認識されているのだろうか……。
「香に会うにはどうしろというんだ」
「ふふっ、すべてを我に聞くのかえ、なんとも情けないことじゃのう」
こぶしを握り締め、緊張でこわばりながら問いかけるギルベルは、予想以上にシェスの興味を引いていた。最初は香の守人として最低限の力を持たせようと引っ張り込んだのだが、存外面白い男だとシェスは楽しくなってきていた。
力を少しでも回復させるため引きこもっていたが、これほど興味を引かれるものに出会うとは時のいたずらか、香のおかげか……。もし香の存在が稀有な魂を呼び寄せるのであれば、香の周りには面白い者たちが集っているのだろう。
その最たる者が、この男だろうか。そうであるならば、多少の手助けはかまわぬであろう。
畏縮しそうな己を叱咤し、気力で自分へと向ってくる存在に対して、微笑さえ浮かべながらシェスは手をかざした。
「見所があると思うたが、我の間違いであったようじゃ。大事なものを違うことなく選び取ったのは褒めてもよいが、我は何も教えはせぬぞ」
ギルベルは言葉とともに迸る光の渦にあっけなく飲み込まれる。
シェスが腕を上げた時点で警戒を怠ったつもりはない。ほんの少しの動きにも対応するために、全神経をシェスに向けていたのだ。一時、香の気配さえ遮断して……。
なのにあまりの力の奔流になすすべなく弄ばれる。
全身をなぶる魔素の感触に否応なく力の差を突きつけられる。外だけでなく内面さえ思うままに蹂躙され、記憶も感情もすべてをシェスへと曝け出される。人として秘しておきたいことの一つや二つ、それさえも余すことなく暴きギルベルの眼前へとぶちまけられた。
幼い頃の幼いがゆえの誤り、感情のままに暴れ荒れすさんだ精神、認めたくないがために目を瞑り封印した思い。さまざまな思いと感情の嵐がギルベルから吹き荒れる。
そんな中、ギルベルの知らない感情と情景が映し出される。
場所は自分が騎士見習いとして初めて配属された第7師団の宿舎だった。
そこでは術の発展のためという名目で目を背けたくなるような実験が繰り返され、魔素の純化と銘打って年若い者たちは年長者の慰み者となっていた。ギルベルは体も大きく、魔素もそこそこなため組み敷かれる対象とはなっていなかった、……はずだ。
……では、なぜ浮かび上がる記憶に、圧し掛かられ必死で抵抗する情景があるのか。なぜ、力で押さえ付けられるを良しとせず、魔素を暴走させた己がいるのか。
どくどくと聞こえるのは、何が鳴っているのだろう。
ギルベルは突きつけられた記憶に覚えがないことに恐怖し混乱する。
ただ、先輩騎士の雑用として第7師団の内情を垣間見ただけのはずだ。その中で自分にはなんら不利益はなかったはずだ。…………俺は、……俺には何もなかったはすだ!!
「記憶の蓋は外れたかえ?」
さも愉快だと言いたげなシェスの声だけが、白い闇の中、響いていった。
~・~・~
「ユーリック・アルバ、あなたの質問にならある程度答えられるわ、どうする?」
自分を認めているかのようなレイシェスの言葉に、ユーリックはまとまらない思考を無理やりまとめゴクリとのどを鳴らした。
と同時に、向こう側に見えるミツキの姿は視界から削除した。彼の問いたいことはわからないでもないが、香を害した精霊族の疑問を解く事に、彼らに利することに自分が動こうとは心底思わない。
「……ギルさんは無事ですか?」
だから口をついて出た問いは、精霊族にとってはどうでもいいことで……。
「ギルベル・ザントは元気よ。ユーリック・アルバ、あなたと同じくらいにはね」
笑いを含んだレイシェスの言葉にユーリックは頬を緩める。じぶんと同じくらい、それならばなんら問題はない。彼ならばどんな状況をもねじ伏せ、香くんと共に自分の元へと帰ってくると確信できる。
思わず微笑んだユーリックにレイシェスはくすくすと笑った。
「やっぱりあなたたちは得難いわ。だからシェスに気に入られたのね。香の周りには面白いモノが多いわ」
さすが私の香よねと笑みを深くするレイシェスに、多少困惑しつつも次の問いを口にする。
「二人は何時、帰ってくるのか。どこに帰ってくるのか、教えていただけますか?」
ピシリと一気に凍ったレイシェスは、その心を表すかのように視線をあちこちへと彷徨わせる。ちらりとユーリックを見ながらもその目を合わせないように、すっと目をそらす。
まるで幼い子供がやましさを必死で隠そうとするしぐさに、ユーリックは思わずククッと笑いをもらした。
「な、何がおかしくて!? ユーリック・アルバ、私を笑うなど、例え香でも容認できそうにないことをお前がするの?! 覚悟はよくて!!」
「いえ、申し訳ない」と、ゆるんだ顔のままでユーリックが言ってもレイシェスが納得するわけもなく、鋭い視線といや増す威圧が周囲を覆ったのだった。




