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93 「ボクだって無理だ」

「ぎるべる、ゆーり、本当に大丈夫なのかな……」


 暗闇の中、シェスの声を頼りに移動してみるが、香の手に触れるものは何もない。シェスの言うとおり、この空間は果てがないのだろう。でも、二人が本当に無事だとこの目で確かめなければ安心できない。

 もし、二人の回復の代償に此処に閉じ込められるのであれば、耐えたいと思う。

 何も解らない自分を助け出してくれた二人が元気ならば満足だ。


 だけど……。


 シェスは嘘をつけないと解っているのに、二人の姿が見えないから、二人の声が聞こえないから、二人の無事が確信できない。



 二人は……、大丈夫。



 自分に言い聞かせながら、香は胸元で強く手を握り締める。師団長の用意してくれていた肌触りのいい、柔らかい服が皺になってしまう。頭の片隅にそんなことが浮かびながら、真っ暗闇のはずの視界がゆがんで見えた。自分の指先さえ見えないはずなのに、なぜ墨色がぼやけて思えるんだろう……。



――泣くでない……、そなたが嘆けば我がレイに叱られてしまう。二人は無事だ。安心するがよい――



 不意に頬へ何かが触れた。

 びくりと肩をすくませる香へシェスの言葉が届いた。やさしく頬をぬぐう感触にさらに涙があふれ出る。思わず自分の手で乱暴に顔をこすれば、温かい何かに包み込まれる。


――そなたにはわかっておろう? 我がそなたにすべてを見せた。レイの知らぬことさえも、……すべて知ったはずだ――


「なんで……、なんでボクだったの? レイシェスはなんで閉じ込められなきゃならなかったの……」


――この世界が、いびつに歪んでしまっていることは感じるであろう? 我はもう長くはない。縛られたときに本来の力を失った。そして、寂しさゆえ歪みを放置した。だがその歪みを正そうと世界が生み出したのがそなたの母、レイシェスであったのだろう――


 走馬灯のように駆け抜けた映像を思い出す。


 暗闇に閉じ込められ、ただ漫然と日々を過ごしていたレイシェス。日に二度の食事と少しの散歩。後は“大地の精霊”とされたシェスへの祈りを強要されていた。祈りの中、感じるやさしい気配をよりどころに、勤めを果たしていく。

 ただそれだけしか知らない少女は、自分がどれだけ虐げられているかも解らず日々をすごす。

 そんな中、ひとつの出会いがレイシェスの日常を大きく変えた。


 短い散歩の途中、ある男と出会う。男は無垢な少女を恋い慕い、少女は初めての感情を戸惑いとともに受け入れ、二人は恋を育てていった。

 二人のことを知った里長は激怒し、少女は鎖につながれる。そして男に交換条件が出された。


  ひとつ、里の守護は国の騎士が担い騎士への報酬は国が持つものとすること。

  ひとつ、巫女が生んだ子の中で一番魔素の高いものを里へと引き渡すこと。

  ひとつ、もし幾人生まれようと子の魔素が低い場合は巫女を里へと帰すこと。



 魔素の大きさに血のつながりは関係ない。それは一般常識だったが、そこには例外があった。

 王族と精霊族だ。

 この二つの血筋のみ、親の魔素の大きさを子が受け継ぐ可能性が高い。ただそれは世界のゆがみの結果だったのだが、人はそれに気づいてはいない。


 レイシェスは生まれ育った里を出てシェスと離れることに恐れ、男に別れを告げようとした。しかし里長たちは嫌がる少女に術をかけ条件を呑んだ男へと、少女を引き渡した。

 その後、後宮へと納められたレイシェスは王太子であった男の寵を一身に受けることとなる。しかしそれは他の側妃の嫉みを買うことにしかならず、身ごもり出産した第一子を殺されたのだ。

 嘆き悲しむレイシェスに男はまた次があると慰めるも、ほかの側妃を諌める事はしない。針の筵の後宮で一人さびしく亡くなった子を思い涙していた。


 そして再度、身ごもったのだ。


 レイシェスは半狂乱となって里へ帰ると男に願う。一人目は守ることが出来なかった。二人目はなんとしてでも、命に代えても守りきる。此処にいてはまた同じことの繰り返しとなってしまう。だから帰して……、と。男が頷いたことで里へと手紙を書いたが、レイシェスは帰ることは出来なかった。なぜならレイシェスの受け入れを里が拒否したのだ。

 子を一人失ったくらいで怯え帰ることを里長はよしとしなかった。レイシェスが戻ることで条件が反故にされることを嫌がったのだ。

 そして絶望に打ちひしがれる中、レイシェス自身にも魔の手が伸び子を流産しかかってしまう。


 もうイヤだ、此処にはいたくない、どこかほかへと、此処じゃない場所ならどこでも良いから、誰か連れて行って……。


 祈りにも似た狂気をはらんだ思いに、シェスは答えてしまう。かつて慈しみ、その成長を見守った少女の願いを叶えるために。そして、残る力ほとんどを使い異世界への扉を開いたのだ。

 その後レイシェスは香の父と出会い、出産しその命を閉じた。肉体を捨てた後、精神体となって香を見守り香の体が亡んだ後、その二つの命は属する世界に引かれ故郷に帰ることとなったのだ。


――そなたはもともとこの世界の者。……あちらでこそ異邦人であった。レイはその身に色をまとい、そなたを産み落とすことで力を使い果たしてしまったのだよ。最後の一滴でそなたを見守り、こちらへと一緒に渡れたが、あれに我のあとを継ぐことはもはや出来ぬ――


「ボクだって無理だ」


 途方にくれたように香はポツリとこぼした。


 本来“大地の精霊”とはひとつ所に留まってはいなかった。

 一番初めは気のいい男の願いで、気まぐれに立ち止まったこと。シェスが動かなくなったことで魔素の偏りが出来、その土地は富んでいく。気づけば男はすでに亡く、その血を継ぐものが術を編み出しシェスを土地へと縛り付けた。

 抗えばあらがうほど締め付ける術に疲弊しきった頃、一人の少女の声を聞く。少女に癒され気持ちが落ち着けば、今まで以上に大地は潤った。味を占めたものたちは少女を巫女と祭り上げ、その血を残すためだけに子を成すことを強いて行く。

 その現状を憂い離れた者たちが最初の国を興し、血で魔素を継ぐ王族となった。そして巫女を奉っていた者たちは精霊族と呼ばれるようになる。


 気ままに動くことが出来ずシェスが留まれば魔素がたまる。そしてそれに比例するように、どこかで瘴気がたまっていく。本来シェスが動くことで淀みを解消していた世界は、シェスが地に縛り付けられたことで自浄能力を失った。


 魔素が、瘴気が凝り溜まっていく。


 世界は熱せられたガラスの器のように脆くなっていた。一滴の水滴で砕け散ってしまうまでに疲弊してしまった。


 香はシェスから彼の知るすべてを渡されたことを感じている。最初はわからなかったことが、パズルのピースのようにぴったりと収まった。シェスと話すことで、知識が、記憶が馴染んだのだろうか……。

 だから自分の役割が何なのか解ってしまった。


 でも、このままシェスの後継として、この空間で命果てるまで過ごさなければならないのだろうか……。二人にはもう逢うことはないのだろうか…………。



 乾いていた頬が再び濡れはじめるのを、香はぼんやりとした意識のどこかで感じていた。



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