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92 “精霊”からの祝福。

「何時までそこに蹲っているつもりだ?」


 白い空間の中、目の前の存在への対処を考えあぐねていたギルベルは、その言葉に思わず唇をかんだ。


 現実にはギルベルの体は蹲ってはいない。しかし、体は屈しなくとも心は屈していた。


 ギルベルが何を言っても、どう動いても片手間にあしらわれていたのだ。

 実際、心此処にあらずといった様子のシェスに渾身の一撃を片手で受け止められた時には、体の芯から震えが走った。

 相手の隙を突いたわけではない。相手がバランスを崩したわけでもない。


 それでも対峙していればこそ解るものがある。


 自分に対する注意を怠り、何かに気をとられている。

 それが何かはわからないが、ずいぶん嘗められているとは思う。しかし、その驕りがギルベルにとっては千載一遇のチャンスだった。

 だからこそ自分のもてる力すべてを出し切って振りかぶり、振り切った……、はずだった。


 しかしシェスに片手で防がれ、なお、ギルベルは自由に動くことを容認されていた。


 完敗だった。ミツキやプレスにさえ感じることのなかった敗北感をシェスから与えられた。


 初めは自身の未熟を感じ、至らなさを突きつけられ、圧倒的な力の差に突っ伏した。


 途方にくれながらも香の傍へと行くためにはシェスを退けなければならない。

 心の片隅に絶望を感じながらも、ギルベルはシェスへと視線を向けた。



    ~・~・~



――ユーリック・アルバ、私がわかって? ――


 突然、頭に響いた言葉にユーリックは顔をしかめながら辺りを見回す。

 間違いでなければ、声の主は“精霊”であるレイシェスだ。姿を現さず、自分に声だけを送っているのだろうか? 


(レイシェスですか? 香くんは何処です? ギルさんは?)


 声に出さず返事を心に浮かべると同時に、目の前に光が凝縮しレイシェスが現れた。


 ミツキへの問いを発しようとした瞬間、ユーリックたちとミツキとの間にレイシェスが現れた。自分よりコブシひとつ分だけ小さい女性の姿のレイシェスは、決まり悪げに苦笑しながらユーリックを見ていた。

 さっきまでの小さな姿をそのまま大きくしただけだというのに、その姿は妖艶であり淫靡だった。そして聖母のように清廉でさえあった。



――二人は、時が来れば帰るわ。ギルベル・ザントには力が、香には休養が必要よ――


(二人と再び会えますか? 香くんとまた過ごせますか?)



 感情のままに言葉が形をとれば微笑むレイシェスがユーリックを抱きしめた。そして、ユーリックを見下ろす高さまでふわりと浮き上がったかと思えば、ユーリックの額へとその唇を寄せた。



“精霊”からの祝福。



 “精霊”の中でも高位に属するであろうレイシェスからの口づけにユーリックは驚きを隠せない。目を見開き、それでもあきたらず口も開いて呆けた顔をさらしていた。


 ユーリック以上に驚きと怒りに満ちたのは精霊族たちだった。

 自分たちは“精霊”を敬い、奉って来た。その自負が邪魔をして、何処の誰かもわからないユーリックへの祝福を認める事が出来ない。精霊族の誰かであれば、たとえそれが半族であっても狂喜しただろう。しかし、精霊族の血が一滴さえ流れていない男に祝福が送られたことは、精霊族としての矜持が許さなかった。


「なぜそいつが祝福を受ける!? われわれをないがしろにするのですか……」


 口々に「精霊族を見捨てるのか」「われわれの今まではなんだったんだ」とか、「何処の馬の骨とも知れないヤツへと祝福を送る“精霊”などいない。だから“精霊”ではない」とまで叫び始める。

 自分達の感情のまま叫び言い募る精霊族に、ユーリックたちは半ば唖然とし、半ば納得した。


 此処まで利己的に考えることが出来るならば、自分の感じ信じたままに行動することはたやすいだろう。だからこそ短絡的なまでにミツキは香へと手を出したのだろうか。己の心の感じるがまま、欲求の赴くままに手を出し、惨事を招いた。


 村は壊滅し、“精霊”は怒り香を失った。


 騒がしい精霊族に今更ながら気づいたとでも言うように、レイシェスは顔をしかめ怒気を発する。無言の威圧が増すごとに一人二人と膝を折り、レイシェスとユーリックたちを残し皆、這いつくばった。


「三百年前と変わらず自分勝手なのね、今更、私の言葉が欲しいの!?」


 必死の体で顔だけでもと持ち上げ、レイシェスを見上げていた精霊族へと声が降る。


「人の気持ちよりも、自分の気持ち。手前勝手で一族主義。過去にすがり現実を見ることもない。それでこそ精霊族と言うべきかしら」


 汚いものでも見るような、蔑んだ目を向けるレイシェスに這いつくばったまま罵声が飛ぶ。「やはり“精霊”様ではない」「このようなものが”精霊”様であるはずがない」果ては「村の外から瘴気を連れ込んだヤツはぶちのめせ!!」とまで叫び始める。


 騒ぐ精霊族の中で声を発することなくレイシェスを見ていたカズヒは、肘で体を支えながら戸惑いと共に問いかけた。


「……三百年前とは、先代巫女であられるか? 名が同じゆえもしやと思ったが、先代巫女、レイシェス様か?」


 ちろりとレイシェスの目がカズヒを捕らえる。その目は侮蔑とあざけりで彩られていた。風に阻まれながら遠目に見た表情との違いにしり込みする気持ちを奮い立たせ、再度問いかける。


「なぜそこまでお怒りか、……愚かな我らにお教え願えまいか」


 卑屈ともいえる言葉に、口の端をクイッと少しだけあげたレイシェスはユーリック達へと向き直る。


「ユーリック・アルバ、あなたの質問にならある程度答えられるわ、どうする?」


 急に聞かれても戸惑うばかりで、一番聞きたいことはすでに答えをもらっている。その上、何を問えというのだろうか。

 しかし聞いてみたいことが何もないわけではなく、ユーリックは思わず隣に立つ師団長へと目を向けた。


「アルバの好きにするがいい」


 師団長の許しの下、レイシェスへと向き直るユーリック。レイシェスの後ろには、這いつくばりながらも懇願するような顔を向けるカズヒの顔が見えていた。



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