91 それが香を思い人のように涙する。
「レイシェス、とお呼びしてもよろしいですか?」
精霊族が遠巻きに囲う中、ユーリックは“精霊”に問いかけた。
自分が叫びながら名を呼んだ“レイシェス”と、今この場に居る“精霊”との違いは、その大きさでしかない。30センチほどのその体だ。
「ユーリック・アルバ……。そなたの聞きたいことにはほとんど答えられない」
全てがわかっているかのような言葉にユーリックは目を見開く。
ほとんどとはどこまでなのか!?
「どういう意味です? 香くんとギルベルは帰ってくるのですよね!! 時は解らなくとも、みな会えるのですね!!」
急かされるようにつむぐ言葉に答えはなかった。ただレイシェスは困ったような、やるせない様な、そんな顔を見せていた。
「私にわかることは、ほとんど無いのよ。ユーリック・アルバ……」
小首をかしげ、どうすればユーリックの悲しみを軽くすることが出来るだろうかと言うように、言葉をつむぐ。
「香はしばらく……、いえ、何年かは戻れないと思う。だけど…何時になるかはわからないけれど……、必ず戻ってくる。それは確かよ……」
最後が細くなったその言葉をユーリックは言葉通りには受け取れない。
何年かで、すめば良い。何時になるかわからないと言われれば、十年二十年、もしかしたら自分の生きているときには戻らないかもしれない。そういう可能性もあるのだろう。
だからこそ“精霊”は明言を避ける。
確定されたこと以外は言葉を濁す。本能的に自分の存在を脅かすことを良しとしないのだろう。
「その戻る場所はどこになるのですか? 消えたこの場所ですか?」
自分一人がここで待つことになるのだろうか、ユーリックは戻った二人を最初に迎えることだけは譲れないと思っていた。
「そうね……、っえ?」
ユーリックの目の前で、レイシェスの姿がおぼろげになり、景色に溶けた。
直前まで確かに居たはずの空間は、周りの景色に溶け込み確かにここに居たのだと言う確信さえ揺らいでしまう。
レイシェスが居なくなったことで止んだ風に気づいた精霊族が集団でユーリック達へ我先にと迫ってくる。
「“精霊”様は!? “精霊”様はどこへ行かれた!!」
身近に接した初めての“精霊”が消え去ったことで、自分たちへの言葉は何も無かったことに気づいた精霊族が言い募る。自分たちがその“精霊”に足止めされていたことは棚上げにして「お前たちの態度に怒られたのだ」とか「われわれにお言葉も無く姿を隠されるとは…」と口々に騒ぎ出す。
ユーリックと師団長、フォルハはそんな精霊族を困惑と嫌悪を持って見た。
これからここにいても無駄な時間を費やすだけだ。事情の一端を知っているであろうミツキは遠巻きにしていまだ近づいてはいなかった。
そんな中、表面を知っだけの精霊族の相手は御免被りたい。
師団長の合図でユーリックとフォルハは一団からゆっくりと距離をとっていく。感情が高ぶった精霊族たちは口々に自分勝手なことを主張していた。それに異を唱えるものも居るが、それはほかの声高な者達の声に埋もれていった。各々が主張する中、互いにしか注意は向かなくなっていっている。
静かに集団の囲いを抜け、ミツキとカズヒの元へと向う。遠目にもカズヒがミツキを問い詰めているのが解った。だとすれば、もしかしたら今回のことは精霊族の総意では無かったのだろうか。後方の騒ぎに紛れミツキを問い詰めているカズヒの声が聞こえる。
「ミツキ殿、何をして来られたのです? 説明していただきたい」
厳しい目をミツキへと向けたカズヒが居た。
~・~・~
――レイシェス、久しぶりだの――
――シェス……、香はどこなの、私の香を返して――
レイシェスはシェスに引き込まれた別の空間の中に居た。対峙するのは村に現れた子供の人型ではない。二十代後半から三十代前半ほどの、女性とも男性ともつかない人物。金の瞳だけが二人の共通点だ。
――なぜ香を連れ込む必要があったの? 香は危険にさらされていたわけじゃない、香に逢わせて――
シェスは目の前で興奮気味に問い詰めるレイシェスを、微笑さえ浮かべて穏やかとも言える目で見ていた。
レイシェスは流れる金の髪を逆立たせるように、体中に怒りをのせシェスを金の瞳で睨みつける。
――少し落ち着くが良い。激してもよい事は起こらぬぞ――
ゆったりとした口調で、ゆったりとした顔でレイシェスを見つめるシェス。きかん気の強い子供を見るように、我の強い子供をなだめるように。そっと近づき頭をなで、そのまま胸に頭を抱き寄せた。
びくりと震えた肩をなだめるよう、シェスの手がレイシェスの背をなでおろす。上から下へ、ゆっくりと、何度も行き来するうちに少し落ち着いたのか、今度は嗚咽が漏れ始めた。
“精霊”とは本来、感情を持たないはずだった。それが香を思い人のように涙する。
人の思いが核となって“精霊”となり、“精霊”となったなら人であった時の思いは空に溶ける。だから自我も感情も、レイシェスほど残ることはない。それはレイシェスの思いがそれだけ強かったということで……。
――香は、香は無事なの? 香に逢いたい――
シェスの支配下にある空間では、一緒に居るであろうギルベルはおろか隠された香の気配をたどることが出来ない。
だからレイシェスはすがるしかない。
幼い自分を見守っていた存在。翼を持たせ暗闇から救い出してくれた存在。絶望の果てのほんの少しの光を与えてくれたシェスへと。
――レイ……、我の愛し子よ。我がそなたの子を害するとは思っておるまい? 残る者たちへと真実を知らしめよ。そなたの愛し子には休養が必要だ。未熟者にはじきじきに修行をとらせよう。待つもの達には精進させよ――
シェスの言葉とともにレイシェスは自分の空間へと送られた。
自分が人だった頃、いつも傍にいてくれた存在。
今また手を差し伸べてくれたシェスへと思いを馳せながらユーリックの気配を追い、その前へと姿を現した。




