89 「ほぉ、そこそこ根性はあるのかの」
真っ暗な空間に、こらえ切れない嗚咽が響く。その合い間に小さな声が聞こえた。
「今までみたいんじゃ、ダメなんだ。……自分で考えて、動かなきゃ、ダメなんだ。自分が出来る最善を目指さなきゃ、また誰かが居なくなる……」
小さな膝を抱きかかえた子供の声が、暗闇に吸い込まれていく。
〜・〜・〜
「そろそろ目を覚まさぬかの」
ぼそりと落とされた言葉に刺激され、ゆっくりと意識が浮上していく。しかし開いたはずの目は何も映さず、真っ暗闇が広がっていた。
「ククッ、哀れなものよの」
再度の声は反響しているのか、出所をつかませない。気配さえなく、ただ暗闇の中、不意に声が降って来る。
「守ると誓った者さえ守れず、己が守られる立場になるとはの」
「だれだ! 姿を見せろ!!」
ギルベルは闇の一点を凝視しながら叫ぶ。
目覚めてみれば真っ暗で、得体の知れない声だけがあたりに響く。あの後、香はどうなったのか。
――ほぉ、我を感じておるのかの、ぴたりと目線があっておる。
ふわりと一歩動けば、それに合わせるようにギルベルの顔も動く。闇の中を見通そうと、視線を彷徨わせているだけとも取れるその動きの先には、常にシェスが居た。
「我を見つけることは難儀であろうに」
嘲笑を含むようなその声に、ぶわりとギルベルの気配が膨れ上がる。まるで獣が毛を逆立てているように。
「お前は誰だ、香はどこに居る!」
「あれの声が聞こえぬとは、我の買被りであったかの……。長い隠居生活で我の勘も鈍ったことよの」
なぞの声のほか何が聞こえるというのか?! ギルベルは眉をしかめ、耳を澄ました。
墨色の中、視覚は邪魔になると目を瞑った。
そして…………。
ギルベルはかすかな気配を感じる。遠いのか、近いのかさえ定かではないが、自分以外の存在がある。
意識を集中し気配を追う。小さな、かすかな気配は、子供のようで……。しっかりと認識した後は、その存在の声が響いた。
『何とか動いて、此処を出なきゃ、……みんなにっ迷惑、かける』
ゆっくりと動き出しながらも、その声は嗚咽交じりのぶつ切れで。
『待っ、てる、だけだから、っ、いつも、置いてかれる。……居なく、なっちゃう』
小さな呟きのはずの声は、ギルベルにとって誰にも代えがたい大事な者の声で……。
「――香、香!!」
思わず叫び、傍へ向おうと暗闇をひた走る。ただ、香の気配を追い本能のまま足を進める。
なぜ泣いている香のそばに自分は居ないのか!!
なぜ一人っきりで泣かせてしまっているのか!!
そこまで遠くに感じていたわけでもないのに、一向に近づいている感じがしない。焦燥感に焼かれながらも、ギルベルが足をとめることは無い。
「いくら急ごうとも傍にはいけぬよ」
声をも無視してただ香を求める。
「あれの傍に居たければ、我に力を見せよ。あれを守ることも出来ぬ貴様らには、傍にはべる資格は無なかろう」
「お前は何だ! なぜ俺たちを此処に閉じ込める!?」
クスリと笑う気配の後、一気に周囲が光で満ちた。と、同時にあれほど感じていた香の気配はプツリと途絶えてしまう。焦りからギルベルは周囲を見るが、まぶしさにまともに視界が利かない。悪態をつきながらも薄目を開け、この空間の主を探した。
――ほぉ、そこそこ根性はあるのかの
ギルベルは動きをとめ、気配を探った。急な光に目を焼かれいまだチカチカとする瞳を閉じ、焦りは禁物とばかりに心を落ち着ける。
圧倒的な力の差がある相手に対し、何の情報も持っていない。相手が誰なのか、どんな存在なのか、香にとっての何なのか。
今あせっても相手の思う壺だと、ひとつ大きく深呼吸する。肩の力を意識的に抜き、再度、周囲を探った。
ゆっくりと目を開き、ぴたりと視線を合わせる。
落ち着いてみれば、遠くに香の存在は感じられるし、すぐ近くには力の塊がある。
ギルベルは自分がどれだけ動揺していたかを突きつけられ、臍をかむ。
「やっと少しは使えそうになったかの。貴様はその力を解放してみせよ」
光の塊が、目の前にあった。光でかたどられた人型。背丈は香ほどだろうか。
“精霊”であるレイシェスよりも強大な力の塊としか認識できない。その力の大きさが、計り知れないのだ。
精霊族にしろレイシェスにしろ、その力の上限は何とか捕らえることが出来た。すぐ傍の高い木を見上げるように、その梢に邪魔されながらも樹高は認識できる。
しかし、目の前の存在は山裾に立っているような、見上げる山の頂上が見えない状態で挑もうとしているような、畏怖にも似た感情が湧き上がってくる。
――我の力につぶされるか、それとも……。やはり、なかなか面白そうなヤツよの。
「貴様の不甲斐なさで、あれを追い詰めたことをわかっておるのか?」
くず折れそうになるギルベルに、活を入れるかのように言葉が紡がれる。それも、ギルベルが無視できるはずも無い内容で。
「!!」
萎縮しようとした心は、聞きようによっては罵倒とも取れる言葉に息を吹き返す。何がどうなって追い詰めたのかは不明だが、自分の不甲斐なさで香が危険にさらされたことは間違いない。
何も映さない虚ろな香の瞳は、ギルベルの記憶には新しかった。
叫び、何度名を呼んでもこちらを見ることなく、空ろな目を開いているだけだった香の姿。
それはまんまとミツキの術にかかった自分が原因だ。術に対抗できれば、香を連れ去られることもなく、空ろな目を向けられることもなかった。
あの後、何があったか!!
さっきの香は、一人になること、相手が居なくなることを恐れていた。ギルベルもユーリも香のそばから離れることはない。香にもそれは、わかっているはずだ。いや、わかっているはずだった。
それを信じられなくなることが、……何かが、起こったのだ!!
ギルベルは何が何でも、目の前の存在を何としてでもねじ伏せて、首を縦に降らせることを己に誓った。
この空間は相手の土俵だ。此処から出るには自分でこじ開けるか、相手に開かせるかだ。ギルベルは、情けなくもこじ開けて出ることはできないと悟っていた。
術に詳しくない己では、術の綻びどころか術の概要さえ読み取る事はできないだろう。
ならば、相手の精神をねじ伏せよう。
「俺に香の傍にいる資格がないというならば、おまえを何としてでも首肯させてみせよう」
ギルベルは、一瞬だけ穏やかな空気が流れたような気がした。




