09 「馬を連れてきて良かったな」
本日二話目
アリを出たギルベルとユーリックは、途中の村で宿を取りながらペイデルへと向かっていた。門を出るときは騎乗していたギルベルだが、今は綱を引いてユーリックと歩いていた。
「もうすぐペイデルですね。今日の夕方くらいに付けるでしょうか、ザントさん」
「俺のことはギルでいいと何度言ったら解る?俺もユーリと呼んでいる。町へは昼過ぎくらいに着くんじゃないか?」
「……、はい。でも、以前は丸々三日掛かりましたが…。」
「そりゃいくつの時だ?まさか砦へ来た時の事じゃないだろうな?」
もしそうなら、体が出来上がってきている今と当時じゃ歩く速度は大違いだ、といいながらユーリックをみてかかっと笑う。
ここまでの二泊も小さな村だったから、食事を終えた後はもっぱらユーリックをからかってきた。曰く、母に会ったらオッパイでも吸って来いだとか、お兄ちゃんとしての威厳の保ち方だとか。
ユーリックにとっては余計なお世話なのだが、ギルベルにとっての娯楽だからどうしようもない。
初めの宿でペイデルより西に広がるボーロックの森へ入れなくなったと話す商人が居た。
森の入り口には村があり、森に半時ほど入ったところにある湖の水を汲み、森の花で精製した香料と混ぜ、香水を作って現金に換えていた。ところが三つ月が過ぎた頃から森へ入れず香水が作れなくなってしまったという。
三つ月、十数年に一度ある三つの月がほぼ重なる時期は何かが起こるという。
今回もそれに合わせて何かが起こっているのだろうか。前回は一ヶ月ほどの間、海が荒れ狂ったと聞いていた。小さかったユーリックは、塩がなかなか入って来ないという母の言葉を覚えていた。
前回同様、一ヶ月ほどの異変ならばもう終わっていてもおかしくは無い。既に三つ月からは二ヶ月近くたって居る。気になりますねと、ギルベルに声をかければ、要望書があがるまで俺たちは動けないと返された。
実際、力のあるものがそれを振るえば影響は大きい。若手の中でも一番の剣の腕を持つギルベルは、自分の影響力をきちんと把握しているのだろう。それでも生まれ育った町から程近い村が窮地に陥っているとなれば、心穏やかではいられない。
やきもきしているユーリックが面白く感じられ、ギルベルはことさら弄ってしまう。昨晩はとうとう、いい加減にしてくださいと怒鳴られてしまった。
よほどその村が気になるのだろう。知り合いの嫁ぎ先だといっていたが、もしかしたら初恋の相手かもしれない。それなら気になるのは仕方が無いな、と一人ご満悦なギルベルである。
ギルベルの予想通り五の鐘と同時に町に着いた。六の鐘で日は傾き始め、七の鐘で沈み、町は門を閉ざす。大きな村とでも呼びたくなるのを堪えて、ユーリックの後に続く。西門に程近い一軒の家を目指した。
レンガ造りのありふれた家屋は、窓辺に揺れる淡い色のカーテンが彩りを添えていた。道に面しているため、鉢を置く事も出来ない家主の苦肉の策なのだろうか。
馬は、門側の自警団詰め所に預けてきている。此処で別行動となってもいいのだが、寄ってくれというユーリックの言葉を拒否はできなかった。今のギルベルはユーリックの監督官と言う立場にあるのだから。
「ただいま帰りました。……、母さん居る〜」
格好を付けたはずの挨拶も何処へやら、母を呼ぶ声で台無しである。二階から駆け下りてくる足音は妹のものだろうか。それに続く小さな足音は初めて会うという弟のものだろう。
一気に騒がしくなった家の中へとユーリックに招き入れられた。
扉からのっそりと現れたギルベルに、弟が涙をこぼし始める。自分に縋りつく弟を抱きしめながら、妹も涙目でギルベルを見つめる。
「あっ、あ〜ギルさんすみません。弟妹が失礼を……。ほら、騎士団での先輩に当たるギルベルさんだよ。泣いちゃダメ、怖い人じゃないから、泣き止んで、オネガイ〜」
二人の前に膝を着き、涙を拭いながら頭を撫で、忙しく口を動かす。
その様子に途中で語ってやった兄の威厳は微塵も無く、弟妹の機嫌を取ろうと四苦八苦するひとりの兄が居るだけだった。
ギルベルの外見は一言で言えば怖いに尽きる。髪や目は茶色でありがちだが、まず目つきが鋭い。剣の腕を誇るだけあって、筋骨隆々とし上背もあいまって、小さな子供にとっては壁が動くのと変わりは無いだろう。それも、睨みつける壁である。
本人は気のいい不真面目な騎士団員なのだが、初対面の子供に泣かれなかった事は一度も無い。良くてプルプル震えながら涙を流し、悪くすれば泣き叫び警邏隊を呼ばれる事態に陥ったこともある。その時は落とした玩具を拾ってやっただけなのだが…。
だからこそ小さな子供の居るアルバ家へは寄らず、町の宿に泊まろうとユーリックに言えば、大丈夫だから一度寄ってみて下さいと、連れてこられた。
子供が泣くことは想定済みだったのだが、ユーリックの慌てようが面白すぎ、思わず声を上げて笑ってしまった。
クククッアハハッと笑うギルベルに、一生懸命、弟妹をなだめるユーリック。涙をこぼし続ける弟に固まってしまった妹。
そうなればもうカオスである。
丁度帰ってきた母親がその場を収めなければ、どうなっていたのかは考えたくは無い。
夕飯には母親と弟妹、ユーリックとギルベルが座った。
父と兄二人は香水の村へと出かけているという。長兄であるセイリックの婚約者がその村に居るのだ。本当なら、ユーリックの里帰りに会わせて式を挙げる予定だったのだが、森の湖に行くことが出来ず大騒ぎになっている村を出ることを相手が良しとしなかったのだ。
そんな話を聞けばユーリックがじっとして居られるはずが無い。瞳に懇願の色を乗せて一心にギルベルを見据える。
ギルベルも無視することも出来たのだが、わずか三日で移ってしまった愛着が邪魔をした。クルクルと表情を変えるユーリックの緑の瞳はチョッとしたお気に入りなのだ。
「……、馬を連れてきて良かったな」
唸る様にボソッと呟かれたその言葉に、ユーリックは目を見張り、ありがとうございます!と勢い良く頭を下げた。ガゴンッと響いた音は聞かなかったことにした。
翌朝、一の鐘の開門と同時に、ボーロックの村へと向かう。
村の名は森の名と同じらしい。なんでも森の恩恵を忘れないようにと、開拓した初代が決めたと言う。自警団から馬を借り受け、二人ともが騎馬で向かった。徒歩ならばほぼ一日の距離も、馬ならば半日でつく。急いだためか正午の四の鐘には村へと着いてた。
急ぎ父たちと合流し、話を聞こうと躍起になっていたはずのユーリックは、なぜか蒼白になって倒れ付した。
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