87 そして、光の粒が凝縮した。
血は戻らない。
発光体のその言葉に、フォルハは大きく広がる血だまりを見る。
フォルハは、師団員として同僚の死をあまた見てきた。それゆえ、血を流しすぎれば死に至ることは知っている。だが、今までの光景と、今のギルベルが繋がってはいなかった。
……なるほど、改めて血だまりを見れば命はないであろうほどの血液量である。今までであればとっくにその命を諦めていただろう。
しかし、ギルベルの命を諦めるつもりはない。
腕に抱く香くんの為にも、そして何より、自分が、これから先の人生にギルベルが居ない事が信じられない。
近い時期に師団員となり同じ隊となった。衝突しながらも任務をこなして行くうちに、通ずるものが出来ていった。時とともに、愚痴を言い合い、打ち解け、気づけば無二の友となっていた。それぞれがそれそれの道を行くことはわかっている。しかし、こんな形で別かたれることはフォルハには容認できそうにない。
「……んっ」
身の内に滾るもろもろを消化し切れないまま、血だまりを見据えているとユーリックが身じろいだ。
ゆっくりと目を開き、いぶかしげに辺りを見る。最初に横たわるギルベルを見て眉をしかめ、発光体に目を見開きフォルハと目を合わせた。
「香くん!!」
フォルハの腕に抱かれる香に気づいたとたん、体を起こし走りよろうとした。しかしまだ不具合があるのかベチャリと地面に突っ伏す。
『まだ力は戻ってないのであろう。二人とも事切れる寸前だったのだから、今すぐ動くことはできまい』
どこかのんびりとした声で、発光体は告げた。ぐらりと揺れる視界の中、ユーリックは説明を求めてフォルハを見る。いつの間にか傍に寄った師団長は、ユーリックの背を支えようと手を添えていた。
『どれ、我は地に潜ろうかの。――――レイシェス、居るであろう? 後は任せる。二人を連れて行くゆえな』
不穏な言葉と同時に、発光体は霧散した。そしてまた、フォルハに抱かれていた香と、横たわっていたギルベルの姿も消えていた。
状況がいまいち把握できないユーリックは、それでも香を探すために渾身の力で立ち上がろうとする。立てた膝は振るえ、頭を起こそうとすれば視界は回る。それでも立ち上がるために足掻き続ける。
「落ち着け、アルバ。レイシェスとは誰のことかわかるか?」
ネイスバルトはどこかで聞いたはずの名を問いかけた。
ユーリックは肩を押さえつけた師団長の言葉に、うわごとの様にレイシェスの名を口にする。
フォルハは重さの消えた腕に狼狽した。周囲を見渡しても、消えた二人と発光体は見当たらない。
「先ほどから“レイシェス”と言っておられるが、彼女を知っているのか?」
不意の言葉に三人の目が一人の老人を射抜く。
いつの間にかすぐ傍までやってきた、精霊族の老人。しっかりと立つその姿は、精霊族への不信感がなければ三人ともが好印象を持っただろう。長い年を経たものだけが持つ落ち着きと余裕を体現したその姿に、息を呑むとともに目を見張った。
「“レイシェス”とは先の巫女姫の名なのだ。先ほども叫んでいたが、あの“精霊”の名が、“レイシェス”なのか?」
どこで聞いたのかを思い出したネイスバルトがユーリックを覗き込む。いまだ血色の戻らないその顔を不快気にゆがませ、ユーリックは老人を見た。
「あなたは何です?」
冷淡な問いかけに老人はたじろぐ様子もなく、端的に答えた。
「今代の『日』を持つものじゃ。族長といえばわかり易かろう。名を、カズヒという」
「…………、私は、第三師団師団長ネイスバルト・レイン。こちらに連れ去られた香くんを追ってきた」
声の出ないユーリックに代わり、ネイスバルトが答える。怒りのためにか震えるユーリックの肩を押さえながら、カズヒをひたと見据えた。
「“香”とはミツキ殿が連れ帰った子供のことか?」
「精霊族のミツキが、王城より、無理やり連れ去った子供だ!」
強く言い直すネイスバルトにカズヒはその怒りを知った。いまだ背後で呆然としているミツキに一瞬だけ目を向け、見切りをつけた。
「強硬な手段で香殿をこちらに連れて来てしまったようだな。――――先ほどの光る者の言葉に“レイシェス”とあったが、宙に浮いていたものがそうなのか?」
「“レイシェス”とはボーロックの湖を住処とする、香くんを守護する“精霊”の名です」
その目を怒りに煌めかせユーリックは答えた。
「先ほどまで宙に浮いていた女性が“レイシェス”です」
しっかりとした意識を持ってユーリックが“レイシェス”の名を口にする。
そして、光の粒が凝縮した。
一度目の言葉で光が舞い、二度目の言葉で人型となった。その姿は、いつかの宿で見た小さな三十センチほどの“レイシェス”だった。
宙に浮かんでいたときの剣呑な表情はなりを潜め、困惑したように眉を下げユーリックたちを見ている。
先ほどまでの刺々しい空気は払拭され、以前まみえた時の高慢ともいえる自信さえもが無くなっていた。男の本能をくすぐる肢体と、それに不釣合いな不安げな表情。以前の“レイシェス”を知るユーリックにしてみれば、別人とさえ思いそうなほどその印象は違っていた。
「“レイシェス”……ですか?」
思わず確かめてしまったユーリックを咎めるものはいない。
びくりと肩を震わせ、視線を彷徨わせるさまはいっそ儚げで、ユーリックは自分がいじめっ子にでもなったような罪悪感を覚えた。
「…………、そうよ」
視線をはずしたまま答えるレイシェスに、周囲からは驚きの声が上がる。精霊族とはいえ、“精霊”と言葉を交わしたことのある者はほとんど居ない。
巫女が居たときには声を聞くことも良くあったと伝えられているが、今の精霊族はその当時を知らない。だから目の前に現れた小さな“精霊”が返事を返したことに感動したのだ。
「香くんとギルさんはどうなったのです?」
ユーリックの問いにますます顔を背けるレイシェスだった。




