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85 “精霊”は純粋な魔素の塊

 いやな気配が体を嘗め尽くしたとき、香の何かがパキンッと弾け飛んだ。それと同時に、映像? が、流れ込んでくる。


 誰かの一生……。


 一人寂しく閉じ込められていた少女が、外の世界を知り、喜びと悲しみを知って、辛酸をなめ絶望とともに命を終えるという救いのないもの。

 ダイジェストを早送りで見せられたような、断片でしかない物語。


 香には映画の紹介映像を早送りされたような、なんともしっくりしない違和感だけが残っていた。


 ぼんやりとした意識の、二重写しの視界の中で、台風の中継映像よりひどい暴風が吹き荒れる。


 体を何かが通り抜けて行く。

 酩酊感を誘うような心地よささえ伴って、どこかから引き出された何かが自分の体を通り過ぎていく。それは徐々に体中を満たし、爪の先、髪の先までもを満たしていく。


 何度も繰り返される記憶の再生。目の前に広がる惨状。時々ぶれながら、見覚えのある顔がちらちらと視界に映る。



 一度、赤に染まった視界に、香の意識が集中した。



 とたん、体を通り過ぎる何かが変容していく。不快なものが混じり始め、体を侵していく。きれいな物で満たされ、陶然としていた香の意識は泥の中へと突き落とされた。


 この不快感には覚えがある。


 瘴気だ!!

 今自分はどこに居る?!

 城で二人を盾に取られた後、自分はどうなった?!


 一気にはっきりとした意識の中、周囲を見渡せばギルベルとユーリックが見えた。なぜ自分は見下ろしているんだろうと思えば、また意識が朦朧とし始める。



 ――そして、少女の死の、その先を知った。



 脳裏に再生される映像を見ながらも、現実感のないまま二人の声を聞いている。夢の中で呼ばれているような、そんな浮遊感を伴って二重写しの視界を香はぼんやりと見ていた。


 集中できないことに疑問を持たず、ただ流されるままに意識がたゆたう。


 ギルベルとユーリック。二人が居れば何とかなるという、信頼という名の依存。


 今まで傍で守ってくれていた存在が、前に居る。自分の意識が朦朧としていても、二人がいれば酷いことは起こらない。そう思った瞬間、レイシェスの怒気が香を包んだ。


 駆け抜ける不快感が増していく。レイシェスが瘴気に犯されていくのが香には判った。このまま進めばレイシェスはどうなる?


 確か“精霊”は純粋な魔素の塊。そして、“魔物”は瘴気の塊……。


 どこかから駆け抜ける力がレイシェスへと向っているのであれば、この不快感は瘴気をレイシェスが取り込んでいるということ。これが続けばレイシェスはどうなってしまうのだろう……。



 香の思考が迷路にはまりかけたとき、轟音とともに目の前に山ができた。



 何が起こったのかわからないまま、香は山を見ていた。

 確かそこにはギルベルとユーリックが居たはずで……。

 二人は優秀な騎士だから、山の向こうからひょっこりと顔を出すはずで……。


 では、……山の下に広がる深紅は何だろう?!


 うるさいほどの鼓動が聞こえる。ドクンドクンと脈打つ音が大きくて、ほかの音は耳に入らない。

 垂れ流されていた力の奔流はいつの間にか出口を失い、香の体の中で渦を撒いていった。瘴気を伴った魔素が体中に満ちていく。


 ピシリッ!! 何かが弾ける音がする。


 パキンッ!! 砕け散った音が響く。



『今代の巫女よ、我の力を受け入れよ』



 山の下から二人が引っ張り出され、紅く染まった体が横たえられる。



『――今代の巫女よ、我の力を受け入れよ』



 ピクリとも動かない二人の姿に香の目は釘付けになった。



『――――今代の巫女よ、我の力を受け入れよ』



 何が聞こえても音は耳を素通りするだけ……。


 二人はどうしたのか……。立ち上がって笑ってくれるはずなのに。紅いのはペンキとか、インクとかでしょ? フォルハは何で起こさないんだろう。



 皆がギルベルとユーリックに注目する中、香の顔は歪み目は見開かれていた。

 宙に浮かんでいた“精霊”はその姿を消し、あたりには二人の名を呼ぶ声が響くだけとなってる。“精霊”が浮かんでいたその真下に立つ香に誰も気がついてはいなかった。


「ぁあ、ああ、ぃい、――イヤだあぁぁああ!!」


 香の叫びにフォルハが顔を上げたときには、香は二人の傍に蹲っていた。


「ぎうべる、起きて!! ねぇ、起きて!!」


 手を真っ赤にしながらギルベルを揺すり起こそうとする。血でぬめり、つんのめりそうになりながら力いっぱいギルベルを揺する香。

 起きる気配がないギルベルについには、こぶしを叩きつける。どんどんと胸を叩くその手に力が失われていく……。


「ゆぅり!! 起きて、起きてったら!!」


 叫びとともに叩きつけるその手をもう一人へとむける。真っ赤な胸をつかむその手に力を込めユーリックを揺り起こす。一生懸命に、力いっぱい、全身を使って、二人を揺さぶる。


「香くん、良かった、無事だった……」


 香は動きを封じるように、背中から抱きこまれた。痛いぐらいのその腕に足掻きながら、なおも二人へと手を伸ばす。

 その手は抱きこむフォルハの腕に阻まれて、二人には届かなかった。


「いやだ、起きて! 起きてよ、ねえ!! 起きて!!」


 壊滅状態の里の中、香の声だけが響き渡った。



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